33 試練迷宮清掃11 作業終わりの異変
回収が終わって仕事は一区切り。僕は軽く息を吐いた。
「……目につくものは回収出来たね。アレン、ミュリ姉さんありがとう」
「おう」
「いやー、セイちゃんたちが頑張ったからよぉ」
僕たちの視線は部屋に向く。そこにはさまざまな色が入り混じった汚れが残っていた。
たぶん、遺体の彼が飛ばした血痕もあるのだろう。だけど、汚れが混ざりすぎてわからない。
壁にもシミがたくさん付いている。それらは粘性で、オガクズがひっついていた。あそこは粘体生物の出入り口だろうか?
これからミュリ姉さんの魔導で泡をばら撒き、汚れを浮かし、ブラシで擦って綺麗にする。その後、汚れた泡を箒で集めて回収すれば良い。
僕は棒先にブラシを取り付ける。身長より長いブラシになった。
そんな様子を眺めつつ、アレンが感心したように呟く。
「しかし、あれだけのゴミを全部回収できるんだな」
「ほんとねー、うちらの所もセイちゃん欲しいわ」
「まあ僕、王都の結構な範囲を綺麗にしてるからねー」
「なあ、冒険者ギルドでさ、たまに山火事の片付け依頼があるんだ。そのときは組まないか?」
「うちのギルド長が良いと言うかな?」
「む、内緒でダメか?」
僕は少し考え、答える。
「日帰りで、休みの日なら……」
「お、話せるな!」
「セイちゃん、ギルド長が怒るわよぉ」
「だめかな? そういう話こなくてさ、面白そうだなってさ」
「冒険者ギルドの依頼だからな、人手は足りんと思う。けど、セイたちに声かからないのか?」
「うーん、僕には来ないな。別の人が行ってるか、村での対応なんじゃない?」
「うちも知らないわぁ。その依頼、大変なん?」
「力仕事だな。ときどき魔物が来るから、護衛も兼ねる」
それを聞き、ミュリ姉さんは残念そうに呟いた。
「そかぁ……そういう仕事は、うち役立たずかも?」
「おや、ミュリも来る気だったか?」
「いやー、たまに遠くへ行ってみたいなぁ……って思うのよぉ」
「あ、それわかる。僕も変わった場所を見たいんだ」
「ならさ、セイとミュリで来てくれよ」
「それは……」
「うちらのギルド長を通してからねぇ」
「仕事ある奴は仕方ないか。でも、冒険は楽しいぞ」
「……興味はある」
「うちも、けど怖いわぁ」
「ミュリが来てくれたら、俺とセイが守るから大丈夫だ」
「そぉ?」
「まあ、ギルド長に聞いてみるよ。それで大丈夫そうならよろしくね」
「おう、楽しみにしてるぞ」
ミュリ姉さんとアレン、しばらく同じ仕事をしたおかげか普通に話せてるな。僕はニコニコしながら汚れを見て、胸の前で手を打つ。
「よし。じゃあもうひと頑張り、始めようか!」
「おう!」
「あいー」
「セイ、俺は何すればいい?」
僕は広場を指差し、言った。
「ミュリ姉さんの魔導の後、ブラシで汚れを擦り落とすんだ」
普段ならゲンナリするほどの汚れだが、今日は強い味方が居る。
っと、シューに聞いておかなきゃ。
「ねえシュー、どの程度綺麗にするの? 天井までだとかなり時間がかかるんだけど……」
「あまり丁寧にすると日が暮れるわ。ある程度でよい。おぬしたちの判断に任すぞ」
「ありがとう。じゃ、ミュリ姉さん、床中心で行こうよ」
「あいあい。じゃ、魔導使うわー!」
「うん、お願い」
「みんなー、汚れてる場所に魔導飛ぶから、気をつけてなー」
全員に注意を促すと、ミュリ姉さんは王樹の葉を取り出し魔導を編む。
床や壁の汚れが酷く、範囲も広い。だけどミュリ姉さんの魔導は大丈夫。僕は彼女のマナ運行を見つめる。
どうやら水と木のマナを主軸で動かしているようだ。かなり大きなマナがいくつか同時に動く。これ、複雑な動きだ。あれ、今どう動かした? むむぅ……。そんなことを考えている間に、魔導は発動した。
「『泡沫清浄』」
その瞬間、彼女の手から泡の粒が放射される。かなり広い範囲まで放たれた、きらめく泡。それらが床や壁の汚れへ取り付き、浮き立たせた。
彼女の魔導は汚れを自動的に追う。泡は殆どが床や壁にまとわりつく。
「ふぃー」
魔導を使ったミュリ姉さんは息を吐いた。明らかな疲労が見える。
魔女子さんが驚いて目を丸くした。
「中位魔導! ミュリも使えるんだ!」
そんな声を気にとめず、ミュリ姉さんは泡が撒かれた一帯を満足そうに眺める。そして、疲れた様子でふらりと歩み、汚れてない場所でしゃがみ込んだ。
「はぁ……はぁ……やっぱ、つかれる……」
「ミュリ姉さん、あとは任せてよ」
「あうー、ごめんね、セイちゃん」
姉さんに休んでもらい、ブラシで軽く擦ってみる。
「うっわ、汚れ落ちすごい!」
それだけでわかる劇的な変化。嬉しくなって僕は勢いよく擦りだした。
「セイ、腰が入ってるじゃないか」
「見てないで手伝ってよ」
「ブラシあるか?」
「ああっ、そうだね。ミュリ姉さん貸したげて」
「はぁ、はぁ、良いのー?」
「うん、大丈夫さ。だよね、アレン」
「おう! 休んでなよ。フラフラで見てられん」
「ありがとね、アレン君。ふぁい、じゃあこれー……」
「おし、じゃあ、やる……て、うおっ!?」
アレンが言葉と同時に擦って、目を見張った。表情に微笑みが浮かぶ。綺麗になるって、楽しいからなぁ。
「じゃあセイ、いくぜ!」
「あいよー!」
僕とアレンは競うように床を擦る。流石に僕の方が慣れていた。
「セイ、はえーな」
「僕はこれでお金もらってるもん」
「俺も掃除はするんだがな!」
対抗心があるのか、アレンは急ぎ始めた。……って、力入りすぎ!
同時に、ミュリ姉さんの悲鳴が聞こえた。
「あぅ、ア、アレンくん!? 荒っぽくしすぎー! うちのブラシ、もっと優しく扱ってー」
あ、ブラシが軋んでる!? 壊れそうだ!
「ちょ、アレン、丁寧にしよう!?」
「お? 丁寧だぞ?」
あ……これ言ってもダメっぽい。仕方なく僕は自分が使うブラシの柄を彼に向ける。
「こっち使って。かなり丈夫だから」
「そうか? ありがとな」
僕のブラシは武器である棒で、かなり頑丈である。急ぎ取り替えた。
そしてミュリ姉さんのブラシを見る。これ、かなり細い造りだ。やさしく擦っても汚れ落ちるもんな。
「じゃあさっさと終わらそ」
「セイ、掃除対決しようぜ」
「しないよ……。アレン、君は仕事ってこと忘れてない?」
「ちっ、つまらんな」
僕らは並んで擦り出す。ただ、他人の道具は神経を使う。アレンの速度と釣り合っている。
「おー? 俺、コツつかんだか? 並んだぞ、セイ」
「僕が加減してるのさ」
「そんなこと言っていいのか? 俺、本気出すぞ」
「綺麗にすることが勝ちだっての!」
「ならそれで良い。勝敗は掃除範囲でな!」
アレンは気合いと共に、ブラシ付きの棒をぶん回す。
「あーもう! 僕の棒、壊さないでよ!」
「この頑丈さなら大丈夫だ!」
「あー、まあ、うーん」
そんなやりとりしつつ、僕たちはブラシを操り、床や壁の汚れを擦り落としていった。部屋全体の汚れを吸った泡が塊になってそこら中に在る。
「よし、じゃあ汚れの付いた泡を集めて回収しよう」
「おう。この対決、俺の勝ちでいいな」
確かにアレンの方が広く仕事していた。流してもいいんだけど、それは癪に触る。僕は唇を尖らせた。
「……仕上がりが違うよ」
「ほー? どう違うんだ?」
僕は軽く見渡す。同じくらい綺麗だ。尖らせた唇をもどして噛む。
「ぐぬぬ……ミュリ姉さんの魔導、優秀だった!」
違いがあまりわからない。
「それは負けを認めるってことか?」
「いや、まだ掃除は終わってない」
「ほう?」
「この泡を回収しきったら終わりだからね! 泡集めが残ってるよ!」
僕は箒を取り出す。
「俺に勝てると思ってるのか?」
「僕、本職だよ」
「素人に負けたら恥だろ」
「負けないって言ってんだよ!」
「ふふん、じゃあ泡集め対決な!」
「望むところだ!」
僕たちは箒に持ち替えた。
アレンの絡みは少しだけ、ちょびーっとだけ腹立たしい。
よし! あの汚れ泡、もっと早く多く集めてやるよ!
「2人とも仲良いわねー。うちもやるわ」
休んでいたミュリ姉さんが立ち上がり、参加しようとしてきた。
「姉さんは休んでてよ。僕らで終わらせちゃうから」
「そお?」
「地図の黑点は3つ、三カ所だからね、マナを回復させなきゃ」
「あー。そうね。うち、もう暫く休めば魔導使えるかな?」
「でしょ。アレンも手伝ってくれるし、問題ないよ」
「んー、ありがとね」
僕たちのやり取りにアレンも加わる。
「ミュリ、大丈夫だ。俺たちでササッと終わらせてやるからな」
「うん、任せて」
「セイちゃん働きっぱなしなのに、申し訳ないわ」
「ミュリ、セイはタフな奴だぞ。もっとこき使ってもいいくらいだ」
「……君もだよ?」
「ははっ、任せとけ!」
そして僕とアレンは箒を取り、競うように泡塗れの汚れをまとめた。
掃除技術は当然ながら僕に分がある。泡の特性を知り、箒の働きが連動するように、飛び散らないよう、同じ方向へ山となるよう操るのがコツだ。急げば逆に散ってしまうことが解っていて、手早くしたい気持ちを抑え、丁寧さを意識して掃く。
アレンも急いで集めているんだけど、力が入りすぎで纏まりが悪い。
……1.2倍程度差がついたあたりで提案する。
「アレン、もう対決はやめにしよう。君のは散らかしになってるよ」
「むむむぅ、じゃあ引き分けだ」
「……仕方ないな」
本当は掃いた広さ的な加点も含めて僕の勝ちだが、ここは大人になっておこう。
僕たちは残りの泡も手分けして集める。そして、全ての汚れが集まった。
「じゃ回収するよ。集めてくれてありがとう」
「あいよ!」
僕は『回収の手』を現わす。
実際、競いながらだと驚くほど早く済んだな。アレンに教わったと思う。だけど、さっきの挑発が引っかかっているので言葉にはしない。
僕は泡の山をチリトリで救って回収する。マナを含む汚れは回収時に変な感じがするのだが、この泡は問題なかった。
「しかし、すげー綺麗になったな、これ」
アレンは掃除後の床を見て呟く。その通りだ。綺麗になり過ぎ!
迷宮の一角が輝いて見え、逆に目立ちそうだ。
この魔導、良いなぁ……。だけどミュリ姉さんの魔導、マナ運行が複雑で見逃しもあり、出来るという閃きがない。見ただけでは、覚えることの出来ない魔導かもな。
掃除場所の確認ついでに、僕は辺りを見回した。
皆、何してるんだろ?
リュシエルはシューと地図をのぞき込んで、何か言いあって頷いている。シューがなんかやり込められてる?
そうか、マナ結晶を掘る気か?
綺麗にしたばっかなのにな……。
イニスはそこそこ離れた入り口付近で何か書き物をしながら、荷物の番をしているようだ。
魔女子さんは何かの道具を出し、じろじろ見てメモを取りつつ首を傾げている。
レアは相変わらず座った姿勢で船漕ぎしていた。近くのニナが見守っている。ニナ、表情に出ないけど、レアの動きを楽しんでない?
「ねー……セイちゃん」
「どうしたの?」
ミュリ姉さんは口をへの字に曲げ指差す。床に黒い模様があった。結構広い範囲。それは壁に続いている。
「これ、消えてないわ」
「模様じゃ無いの?」
「んー、違うわ」
この黒い模様、なんかの図形で消えかけだ。泡を片した後に残っていたので、元からあるものだと思っていた。けど……違うのかな? 壁の方はなんか文字っぽい。
少し強めにブラシで擦ってみた。だけど落ちない。
床にある模様はかすれて消えかけが多い。粘体生物が時間を掛けて溶かしたからなのか、ミュリ姉さんの魔導か? たぶん前者っぽい。消え方が染みのようだ。
んー……? なんとなく変な感覚がある。
違和感? いや既視感かな?
何か知っているけど、出てこない変な感じ。なんとなくだけど、魔導に関わりがあるんじゃないかな?
「魔道の泡で擦って落ちないし、元からあったと思うんだけど?」
「でもでも、違うわよぉ。これ、汚れだわ!」
確信的な言い方。『掃除師』の勘だろうか? 僕にはそれが働かない。
「……ミュリ姉さんが言うなら、たぶん汚れなんだろうね、でも厄介そうだな」
僕らの会話が聞こえたのか、シューがこっちを見てちょっと予想外の綺麗さに目を見張ってから言った。
「おー、十分綺麗じゃ。他もあるし、ある程度でええぞ」
「うち、この黒いの気になるんよー」
「このシミ、魔導に関係あると思う。魔女子さん、ちょっとこれみてー!」
「えー? なになに?」
「そか、おーいイニスー、ちょっと見てくれ! 魔導の知識がいるんだ」
「はーい、行きますよ」
声掛けで、比較的近くにいた魔女子さんがその線を覗き込み、しばしその汚れを見つめる。
彼女は腕組みして首をひねった。
「むむぅ……」
「魔女子さん、わからない?」
「いやいや、これ魔墨よ。でも、なんでこんな所にって感じ?」
「なにそれ」
僕たちの話に、小走りでやってきたイニスが解説する。
「魔墨は特殊製法で作られたもので、我々も時々用います。これで描いた文字や絵にマナを留めることができ、なかなか消えない優れたものです」
「……僕の弟が絵描きの見習いでさ、絵具を作るとき魔物の素材を欲しがるけど、そんな感じで作るの?」
「いえ、製法が高度で大変だと聞きます。知人の受け売りですがね」
「てか、儀式魔導とかでいっぱい使うんだけどねー」
「じゃあ儀式がここであったっていうの?」
僕の質問に、イニスと魔女子さんは暫し汚れを観察していた。そして、2人とも首を振る。
「儀式、魔法陣であれば、もうちょっと図形が整理されてますよ」
「結構消えてるから何とも言えないけど……違うと思うわね」
魔導師たちが否定するなら違うのかな?
「でもさ、もったいわねぇ」
「何が?」
「だってこれ、結構高いのよ!」
「あー。そうですね、親指ほどの瓶で大銀貨10枚はします」
僕の月収3分の1か……大きいな。
「そんなもの、ここに捨てたっていうん?」
「だから、なんで? ってなったの。てか、マナ含まれてるわよ」
「……マーキングに使う冒険者はいますよ。稀ですがね」
「へえ、なんで?」
「ほぼ消えないし、自分のマナ文字は結構な距離から感知できるんですよ」
「でもぉ、マーキングってこんなに描くの?」
指さす範囲は結構広い。何を描いているのかわからないが、あれに含まれたマナは、僕の感覚ではあまり良くない印象だ。
「マーキングの場合、少しで文字が多いですね」
「床へ?」
「んー罠などがあれば、ですね」
「ここって試練迷宮よね? 初心者用の……そこまでする?」
「……不自然ですね」
「あ、壁のは文字みたいねぇ」
ミュリ姉さんの言葉で皆がそれを見る。
「これ文字? 癖が強いわね……。だれか読める?」
「えーと……く、ず、なんたら、場?」
「クズ捨て場って、書いてあった?」
「ふむ、ありえます。そして、床のは消えかけですが、範囲を示したとか?」
「……」
「もしかしたら、廃棄場にしたかも?」
「なんで、そんなことするんだ?」
「ニナはさっぱりだ」
「…………」
沈黙が場を支配し始めた。それを嫌ったのか、リュシエルが首をひねって言った。
「これが消えかけなのってさ、粘体生物が溶かしたからよね?」
「……でしょうね」
「だれが、なぜ、何を書いたかの方が気になるな」
「イタズラ、違うか?」
「いやー、これって高いんでしょ? 勿体無いわ」
「確かに……」
「お金かけて、なぜこんなことするんかなぁ? アレンくんたち、わかるの?」
「俺がわかるわけないだろ、イニスは?」
「マナを込めて触れれば、変化が起きますが……」
「ダメよ! 何があるかわかんない!」
「うむ。仕事関係ないし、そういうのはナシじゃ」
そこで皆の言葉が切れた。ミュリ姉さんがおずおずと聞いてくる。
「そんでさ、この汚れ、落とすん?」
「定着してますね。ちょっと骨ですよ?」
「ならさ、壁にマナ結晶あるし、床もまとめて掘って消さない?」
「削り取るのか?」
「……強引ねー」
「セイは石くれも回収できるだろ?」
「そりゃ出来るよ」
ただ、綺麗にしたばかりなわけで……。ちょっと複雑ではある。
「んじゃ俺が……ってリュシ、ツルハシは?」
「あーごめん、荷物あっちだわ」
「そか、取ってくる」
リュシエルに指差されたのは入り口付近、少し距離がある。アレンは走って向かう。イニスとリュシエルものんびり後を追った。
僕はそれを目で追いつつ、棒からブラシを取り外す。ブラシの頭で直接擦ってみようと思ったのだ。
「んー、この壁の汚れ、うーん……」
呟きながら、ミュリ姉さんが壁に触れる。
「あ! 触っちゃダメっ!」
急遽、背筋に走る嫌な予感!!
それは壁の魔文字部分!
――― 憎悪を向けられてる!?
「姉さん下がって!!」
「え? ひぇ!? あ、え、あぁ!? うぐぅ……!」
僕はミュリ姉さんの肩を引いた!
しかし、彼女は動けない。
僕も、なんか変だ!
動悸が激しくなって、息苦しい!?
壁に亀裂が入る!
魔墨が赤黒く光った!?
感じる! 粘つくような、気持ち悪いマナの蠢き!
ミュリ姉さんが、麻痺したかのように硬直している!?
緊急事態! 急ぎ、棒と王樹の葉を手にし、強引に前へ出る。
同時、強く感じた!
僕の大嫌いなマナに似た、蠢き纏わりつくような、悍ましいモノ!
「!?」
「ひぅっ、壁の中にぃっ!?」
苦しそうなミュリ姉さんの悲鳴。
壁が、文字の掛かれた部位が、禍々しく輝いた。
そして崩れ落ちる。
壁の中にいたのは、人の髑髏。
右眼窩にはマナ結晶が嵌め込まれ、左眼窩には杭のような気色の悪い金属が見える。
マナ結晶は鈍い光を放ち、杭のような金属は空気に触れると、ぼろぼろと朽ちて消えた。
そして、髑髏の下に黒っぽい何かが揺らめき出でてくる。
黒っぽいそれは不定形で蠢いていた。
いろいろ混ざった黒色の粘体生物!?
奴が放つ禍々しいマナに怖気がたつ!
エリナが呪詛を受けたときの記憶が連想された。
彼女の胸に下げられたネックレス。
牙のようなものが胸に食い込む。
押さえつけられた僕。怒りで叫んだあの時。
忘れることのできない瞬間。
そうだ、あのネックレスが纏う、暗く歪で堕ち汚れたマナと同質のそれ。
エリナの心臓に取り付いて、彼女の記憶と美貌を侵襲し続ける呪詛の源。
あれは……。
「瘴気だ!! しかも濃い!? 姉さん、下がって!」
強く促す。
だけど僕の後ろのミュリ姉さんは動かない。
どうして!?
「ひ、ぅ、うごけ、ないのぉ」
消えてしまいそうな声。
ああ、精神打撃を受けたのか!?
僕が調べた瘴気とは、マナ廃棄物になるほどに穢れたマナを、悪意ある者の手でさらに穢され、堕とされ、濃縮された歪で悍ましい存在だ。
急に受ければ精神を侵す!
僕が動けたのは、瘴気に慣れていたからか!?
「姉さん!」
同時、攻撃気配!!
僕の体は考えるより前に動いた。
彼女を担ぎ、飛び下がる!
間一髪!
奴は黒い粘液を尖らせて、僕たちの居た場所を貫く!!
地面を抉る威力。飛び散った粘液が、周囲を黒く染めた。
悍ましい瘴気を含んだ酸性の粘液が周囲を汚す。
体格の良いミュリ姉さんを、なんとか無事に守れた。優しく下ろす。彼女の身体はいまだに固まって震えていた。動けそうにない。
「うぅ……ご、ごめん、セイ、ちゃん」
「っ、大丈夫! 僕、結構力持ちなのさ」
「……ごめんねぇ」
「姉さん心配しないで。僕、闘えるよ。その間に下がれないかな?」
彼女を庇う形で前に立ち、棒の中心と棒尻を持つ腰溜め左手差しの中段に構える。
攻撃後の奴は、動きが気持ち悪い。
普通に這いずる粘体生物の動きではなく、のたうつように捻じれ、曲がりながら伸び縮みし、こちらへにじり寄ってくる。
さらにはその色!
生理的な嫌悪感を沸き立たせるそれは、黒を基調に血の赤と紫の斑点がまじりあい、時折点滅していた。
さらに放ち続ける瘴気が何か心の奥に打撃を与える!
ミュリ姉さんはこいつのせいで、強い恐怖を感じたのか?
今も後ろの 姉さんは、息を荒げている。ヒュー音が聞こえてきた。回復するまで動けないか……。
迷宮では騒ぐと魔物が寄ってくるってのが頭をよぎる。だけど僕は大きく叫んだ。
「皆、敵だ!! 黒い粘体生物がでた!!」
「えっ!?」
「なに!? すぐ行くから持ちこたえろ!! ニナ! イニス! リュシも! シューたちを守れ!」
そんな僕らのやりとりと、ほぼ同じ瞬間、シューが声を上げた。
「な、なんでじゃ!? 急に魔点が現れたぞ!?」
「っ!? どういうこと?」
リュシエルの詰める言葉にシューは首を振る。
「解らぬ!! こんなこと、初めてじゃ!」
「……粘体生物の擬態能力!?」
「そんなん見抜くわ!」
「マナ結晶に隠れてたとか?」
「……む、むむぅ」
皆が騒ぎ出す。アレンが大きく叫ぶ。
「セイ! どんな奴だ!?」
「黒くて、髑髏に取り付いてる! たぶん、瘴気を纏ってる!」
「瘴気ですかっ!? 瘴蝕・粘体生物!? アレン剣を! 特殊付与が要ります!」
「ちぃっ! セイ、暫く持ちこたえれるか?」
「任せて!」
僕が答えたその時!
「っ!?」
会話に割り込むように、奴は僕の足へ向かって粘液を伸ばした!
咄嗟にステップを踏んであしらう。
攻撃はそれだけ。奴は追撃を飛ばさなかった。
少し眉を上げる。師匠なら攻撃が外れても、追い込むような布石と工夫があった。
目の前の彼は本能で動くらしい。
「姉さん、落ち着いたら下がって。アレンたちに守ってもらおう」
なるべく声を抑え背中をぽんぽんし、逃げるよう促す。
「う……うん」
ミュリ姉さんは幾分か気を取り直したのだろう、のろのろと立ち上がろうとしていた。
「さあ、君は僕が相手するよ」
言葉をぶつけた僕は、姉さんに注意が向かわぬよう、距離を測りながら奴へ近づく。
次いで、棒を額に構えて棒を回しながら左右の体を入れ替える「散」という基礎動作を左右で行った。その動きにはマナの運行が伴い、身体から棒へそれが通っていく。
僕は魔闘の型名を言葉に現し、業を発動。
「『紅之月暈』」
魔闘の型、基礎業になる。
棒にマナを纏わせ、保護する武技。
ゾイドを倒すときに使った『紅之弓月』は、一瞬の打撃力を大きく増す技法だった。それに対し、こちらは武器を魔で保護する技法となる。
粘体生物のような相手に効果あるはずだが、マナの消耗は微々たるものだが、維持中は王樹の葉がじりじり減っていく。
棒を保護しつつ、僕は歩を進めた。
予測ではあと半歩が敵の結界、つまりは攻撃可能範囲。
じりじりと、少しずつ近寄る。
結界にわざと足を踏み入れた!
「っ……!」
その瞬間、奴が一瞬大きく縮み、粘体を伸ばしてムチのように打ちつけてきた!
僕は余裕をもって避ける。撃った場所から酸粘液の飛沫が飛び散った!
予想できた攻撃。僕はもう一歩下がった。
感覚を働かせ当たらない位置への移動。
だが、奴の追撃!
それは粘体を尖った槍状に変化させた刺突!
避けることは出来そうだが、試験的に得物で受け流す。
ぞわりとする感触、マナを喰われてる!?
棒は無事。だけど、王樹の葉が小さく光った。
これは、あまり喰らえない? 冷や汗が浮かぶ。
――― 戦場の怖れは破滅の友だ
とにかく敵を飲め
一瞬の弱気を叱咤するような、師匠の言葉がうがぶ。
だから、僕は恐怖を抑え込むため、憎悪を使うことにした。
僕は奴が放つ瘴気が許せない。
瘴気は、エリナに憑りついたネックレスが微かにだけど、漂わせていた。
あの悍ましいマナが、常に過去の自分のふがいなさを刺激している。
あの想いを脳裏に巡らせた。
奥歯を噛みしめて、激情を腹へ押し込み、戦意を高める。同時に頭を働かせた。
相手を討滅するための分析。
敵は攻撃が単調。思考力は低いと感じる。
根拠は先ほどの攻撃。嫌らしい相手なら牽制で動きを縛ったところへ、粘液を自力で破裂させ、飛び散る粘液で傷を負わせるだろう。
「セイ! 瘴気は心を蝕むわ、気をつけて!!」
騒ぎで起きたのか、レアが叫んだ。
「わかったよ。ありがとう」
心を蝕むのは、知っている。
瘴気、呪詛の元となるマナの変異した存在。
僕はエリナの呪詛をなんとかしようと調べてきた。
強力な瘴気は、在るだけで空間を蝕み、人や魔物を恐れさせ、狂わせる。
もし瘴気の精神打撃に抵抗できなければ、妄想にやられ、敵味方の区別なく襲いかかってしまう。
今、僕は敵が大きく、悍ましく見え、周囲全てにいるような錯覚をうけている。
だが、それは妄想だと歯を食いしばり、押さえ込んでいた。
「筋がちがうとは思う。けど、僕は君を許せない」
僕が調べた限り、瘴気が自然に発生することはない。よほどの無念や苦痛や怨念など、激しい魂の叫びと、それを増幅する技術が必要だ
回収した遺体の彼が、瘴気の基?
出口付近で倒れたことが悔しかったのか?
いや、それだけじゃ生まれない!
何かされたんだ!!
怒りが強く吹き出した。
首なしの遺体が出来た意味。
彼らしき髑髏に取り憑いた存在の発生。
それを作った奴がいる!!
絶対に、許さない!!
僕は怒りを込めた目で、敵を注視する。
「っ!」
強い感情を受けたからか、奴は酷く気味の悪い蠢きをを見せてこちらににじり寄る。
「うあっ! やだぁ!! セイちゃんも逃げて!」
ミュリ姉さんが悲鳴をあげて縋りついた!?
悲鳴に呼応したかのように粘体生物が動く!!
「危なっ!」
僕の方が近くにいるのにっ!
瘴気を帯びた粘液が、ミュリ姉さんへ襲い掛かる!
咄嗟、かばう形で前へ出た!
「っ!!」
粘液は触手状。なんとか捌こうとする。
だが! 直前で触手が三つに分かれた!?
内心で舌打ち。
僕はミュリ姉さんを仲間の方へ突き飛ばした。
並行して攻撃の対処。
――― 間に合うか!?
まずい!
衝撃!
1本は回収の手を出して弾いた!
ぞわっとするような浸食される感覚。だけど、耐えれた。
もう1本は棒術で打ち払う!
だけど残り1本が、捌けなかった!
胸当ての肩部分に当たる!
敵はさらに追撃の蠢き!?
「ぐっ!?」
飛び下がって触手を外し、事なきを得た。
打撃は浅い。
相手が酸を付けることを選んだからか?
衝撃だけで、傷はなかった。
僕は転んだミュリ姉さんの前に立ち、敵を注視しつつ攻撃の痕をチラと見る。
胸当の肩に粘っこく不安になる色のシミが付いていた。
焦げるような……気になる音をたてている。
息を飲む。冷汗が出て、動揺が現れそうだ。
僕は意識を切り替えるため、脳内でセルバンテス先生の鈴を鳴らした。
一瞬で目が座る。
ここは戦場。もっと心を凍らせろ。
戦いの心得は……。
師匠の人を喰った笑顔が浮かぶ。
――― 余裕をもっている敵は嫌がられるもんさ
おまえさんは慎重すぎるからな
食ってかかるくらいで丁度いい
相手の存在を喰ってかかるような、嫌な奴になれ
僕は息を吐く。無理して胸を張った。
「ちょいと汚れちゃったね」
視線は離さない。後ろでミュリ根さんが、よろよろと立ち上がり、僕を気遣う。
「あ、ああ、ごめ、セイ、ちゃ」
「こっちにこないで!」
「ひっ!?」
「姉さん、大丈夫。僕、思ったより強いんだ」
「ミュリ、こっちへ!」
「ほら、みんなの方へ行って。守ってくれるからさ」
「でも!!」
「僕は大丈夫だよ。あれくらい何でもないさ。早く行って!」
「う……うん」
ようやく、離れてくれる気配。
僕は心を奮い立たせ、笑みを作って敵を見る。
「姉さんを狙うとか、君はいやらしいね」
吐き捨てる。聞く耳などもたないとは思う。だけど、僕が奴を飲み、ミュリ姉さんを安心させるためにも、おどけたように言葉を繰り出した。
「しっかし……迷宮では君みたいな汚れモノが出てくるんだね?」
敵にとって嫌な奴になりきるのだ。
眦と唇の端を上げなきゃ。
皮肉げな笑顔を作れ
「僕の仕事の範囲だ。君を片付けて、ここを綺麗にするよ」
瘴気を纏う粘体生物は捻じれ伸び縮みしながら、にじり寄る。狙いは僕になっていた。
喰われるわけにはいかない。
僕は瞳に力を込めて、相手を睨みつけた。
肩の部分の音が少し変わる。ぞわりとした嫌悪感。
――― 侵食される胸当て、早く脱がなきゃ……
挑発している僕の内心は情けない。それでも無理して強気を出す。
「さあ、始めようか」
簡単な仕事だと思い込むようにして、僕はマナで包んだ棒先を瘴蝕・粘体生物へ向けた。
遅くなって申し訳ございません。
次回戦闘につき描写足らずだった装備を記しておきます。変わるかもしれませんがその時はご容赦ください。
アレン
長剣・黒革製軽鎧・ブーツ・腰のベルトに投擲用ナイフ3本・マントは掃除の時に外してます。
セイ
棒(180cm)中心と棒尻を持つ構えが基本です・革製胸当て・ストール・帽子・ブーツ・腰ベルトにナイフ
ニナ
手甲弓・さまざまな薬品入り短矢・白い革製鎧・腰ベルトに片手斧2本・脛当て・革製靴
彼女は迷宮において手甲弓と手斧を使うことが多く、弓と矢筒は周りの邪魔になるので荷物にまとめて置いています。
リュシエル
投擲用の軽いナイフ5本・動きやすい革胸当て・ブーツ
イニス
短杖・鼠色のローブ・ブーツ・守護の指輪
レア
帽子・神官服・革靴
魔女子さん(リリア)
じゃらじゃらした杖・動きやすそうなローブ・ブーツ・守護ネックレス・魔の腕輪
ミュリ
細ブラシ・つなぎのような革製の服・ブーツ
シュー
迷宮捜査の本・動きやすい服・革靴




