27 試練迷宮清掃05 シューの迷宮管理魔導
迷宮内に入ると、かび臭いムッとするような湿気が漂っている。僕はメアリたちから貰ったストールで鼻と口を覆う。これで幾分かマシになったな。
「そんな使い方するんだ? 良いじゃん」
魔女子さんが目聡く見つけて笑いかけてきた。
「良いでしょ、僕の兄妹たちがくれたんだよ」
「仲良さそうね! 良いなぁ」
彼女は小さく笑った。
「本当、助かってるよ」
軽く答え、僕は迷宮に目をやる。
ここの通路は人が行き違うくらいには広い。天井や壁には、光を放つ苔があちこちに生えていて、真っ暗闇ではない。だけどやはり薄暗い道で、遠くに薄闇が広がっている。
「みんなええか? まずは地形を見るぞ!」
シューは胸を張って言い、白っぽい羊皮紙を置くと背嚢から黒塗りの板を取り出す。
「わちの力を見よ!」
彼は羊皮紙を広げると、独特の形をした板へ王樹の葉一枚と一緒に貼り付け、手に持った。その板の端から伸びた細い鎖分銅を地面に垂らすと、呪文を唱える。聞き取りにくい言葉だ……。呪文の途中で、体に付けた瓶を1つ取り、中の液体を周囲に振りかけた。詠唱はさらに続く。
彼のマナは高まっている。だが、奇妙なことに知覚できない。
――なんだろう、これ……普通のマナと違う!?
思った瞬間! 板から伸びた鎖分銅が地面へと着き立つ。羊皮紙と板と鎖から、シューのマナらしき何かが蠢き、うねりをもって放出される!
そして、彼は魔導を発現した。
「『神獣よ迷夢を映せ』」
張り付けた王樹の葉がパチンと弾け、羊皮紙に吸収される。同時に、映像が浮かんだ。
それは地図である。
大部屋が2つと小さな部屋が1つ、いくらか入り組んだ通路。
その地図には色の付いた点があちこちに散らばっている。点のいくつかは壁の中らしき部分にもある。
ちなみに点は色別れしており、白、赤、黄色、黒、青、さらに金色の大きな点があった。
……これが迷宮の管理者の魔導か!
僕はシューを注視していたはずなのに、彼のマナ運行がまるで理解できなかった。
「ここに写っているのが、試練迷宮のすべてじゃ!」
上気した頬、額に汗を浮かべたシューには、やはり疲労が見える。小さな体で結構なマナを使ったのだろう。少し心配だ……。
「大丈夫かい?」
「無論じゃ! さあ、アレンたちもこれを見るが良い!」
しかし、彼は気丈にも胸を張って地図を差し出す。
皆が地図に見入り、リュシエルが疑問の声を上げた。
「あれー、3部屋構成!? ここって、5部屋構成じゃないの?」
それを受けイニスが答える。
「……変化があったんでしょう。部屋結合かもしれません」
「あー。そうか……」
2人の会話は冒険に慣れた者のようだな……迷宮が変化するのは知っていた。だけど、僕の知らない特徴があるらしい。
そんな2人を気にせず、アレンが疑問を口に出した。
「シュー、地図ができたのはありがたいと思う。けどさ、この点はなんだ?」
「点は白がわちらじゃ! 金が迷宮核で目的地じゃ。で、赤が魔物、黄色は罠、黒が汚れ、青はマナの結晶じゃろう。1個出来とるが壁の中か……。余裕があるなら掘っても良いぞ」
「やた! らっき!!」
リュシエルが嬉しそうに言った。
マナ結晶はマナが集まって物質化したものである。これを砕けばマナを少し回復できるのだが、それに使うのは勿体ない。これは加工ができ、鍛冶に頼んで武具を強化することもできるし、魔導師や錬金術師が何らかの触媒にも使う。つまり高額で売れるのだ。
ある冒険者が子供の頭ほどのマナ結晶を手に入れ、5年の放蕩生活を楽しんだという逸話があるほどの解りやすいお宝だ。
「じゃが、仕事を優先しとくれ」
「わかってる!」
ご機嫌のリュシエルに釘をさすシュー。そこで僕は仕事について聞いた。
「シュー、僕とミュリ姉さんは黒点のある場所を掃除していけばいいんですね?」
「うむ!」
「あたしにもちょっと見せてー。てかさ、これ赤い点動いてる? すごいわね」
「そりゃ、魔物は動くからな!」
「僕も、もうちょっと見せて」
「うちもうちも!」
魔女子さんが持った地図を、僕とミュリ姉さんがのぞき込む。そして掃除場所を確認した。
この試練迷宮は小規模迷宮だし、そこまで大変ではないと思うが……。
「あれ、これだけ?」
シューの羊皮紙に映った黒点は3カ所だった。
1つは入り口から近い場所にある少し広めの通路(……この近くの壁に青い点がある)。
1つは赤い点が数多く見える大部屋。
1つは金色の点が横にある大部屋。
最後の奴、金色の点の傍らにある? ここは迷宮核だったが……。
「汚れ、3カ所?」
「あらぁ……本当ねぇ」
僕の想像と違うな……。もうちょっとこう、広い範囲で汚れていると思っていた。たとえば黒点があちこちに溢れているような? 汚れって集中するのだろうか?
これは……仕事が少なくて喜ぶべきか、それとも濃い汚れしか現れないとみるべきか? 僕は疑問を口に出す。
「迷宮汚染って、こういうもんなの?」
「むぅ……実際に汚れを見んと解らぬが……」
どうやらシューも僕と似たような想像をしていたらしい。考えながら、彼は言葉を続ける。
「じゃが、迷宮核はいつも綺麗じゃ! ふつう、ここが汚れるのは最後なんじゃ! これ、めっちゃ変じゃ!」
シューは眉をしかめた。僕は息を吐く。
「まあ、そうだね。現場を見なきゃわかんないか」
「ねえねえ、でもさ、大部屋の赤い点、増えてない?」
「えぇ?」
「あ、本当だ」
あらためて地図を見てみると赤い点の動きが違う。目的を持った動きに見え、このままいけば迷宮核前の大部屋が魔物で埋まってしまいそうだ。
僕がここを攻略した時は、魔物回避重視だったのもあるが、敵の出現が少なかったからだ。そもそも粘体生物は縄張りを持ち、単独行動を好む。何かが無ければ集団行動はとらないはずだ。
だけどこの赤点の動きは、集団で意思をもって動いているように見える。
「……魔物と出会ったら退治して進むんだよな?」
「それは、時間がかかるじゃろ? 迷宮核まで急がねば!!」
「大部屋にも黒点あるわよ? どっちにしても戦うことになるわね……」
「大丈夫よ。あたしが燃やしたげる! いつもやってんだから、慣れたもんよ」
魔女子さんが言う。魔物は燃やしても良いようだ。まあ、仕留めないとこっちが危ないからな、僕も彼らと遭遇した時には手心を加えない。
「ニナ、迷宮で大炎使って自分焼いた奴、知ってる」
「大部屋ならいけますよ。けど、粘体生物は燃やしたら毒のガスを出しますが……」
「えー? むぅ……そっかぁ……」
言葉を詰まらす魔女子さんに、レアが肩を叩く。
「毒は私が浄化できるわ」
「へえ! できるの!?」
「任せて。私も魔女子さんの炎みたい」
心持ち楽し気な表情のレア。君、炎が見たいの? まあ魔女子さんはちゃんと分別はあるヒトだ。焼却場で使うような炎は使うまい。
「どっちにしても大部屋の魔物たちはやっつけないから……魔女子さんに頼るかもしれませんね」
「うふふ、任せて!」
「え、えと、ここに行くまでは? うち、魔物は怖いわぁ」
「道中はこれがあるぞ!」
そう言ってシューは胸に付けていた灰色の瓶を取り出す。
「魔物避けの魔香じゃ!」
「……へえ?」
「そんな感じの薬、聞いたことあるわね。大体はインチキだけど」
「ふふん、わちが作った特別性じゃ! 効果を見て驚くが良い! こいつに迷宮のマナを覚えさせ、燃せば煙がとりつく。すると、魔物はわちらを迷宮の石ころと見るのじゃ!」
「……聞いたことないなぁ」
魔女子さんの疑問にシューはにやりと笑う。
「当然じゃ! わちらの魔導は成り立ちが大きく違うのじゃ!」
「あたしの知らない魔導……いっぱいあるのね!」
なぜか嬉しそうな魔女子さん。リュシエルはすこし眉を上げて聞いている。
「ホントに効果あるの?」
「大丈夫でしょう。魔物が寄ってこないならありがたい」
「あ、攻撃は控えるのじゃぞ? 敵意には流石に気づく。気を付けてほちい」
言いながらシューは瓶を開け、中から小さな枝のような何かを取り出して、地図を乗せた板の端に空いた小さな穴へ差し込む。すると、枝がマナを帯びた。
そして危なっかしい手つきで火打石を打ち付け、火をつける。たちまち燃えた枝から、紫の煙があがって僕たちを包みこんできえた。少し変わった匂いと、マナを感じる。なんというか、ミランダさんの煙草の煙に似ているような気がした。
「これで良いぞ!」
シューが笑ってから僕をみる。
「セイよ、ここでもわちを運んでくれんか?」
「ああ、もちろんさ。ただ、仕事中は降りてね」
言われるがままに僕は彼を抱き上げた。
彼の笑顔をみて、逆に不安が増してくる。
少なすぎる汚れ。多くの粘体生物。迷宮核のある部屋が汚れている異常。
師匠が僕へ掛けた言葉「お前さんがいると大事になるさ」が頭の中で響く。
……一応、起こるであろう事態の対策、考えておこうか。
まず多数の魔物が大部屋に集まりきった状態『魔物集落』の発生に関してだ。まあ、ここは魔女子さんの炎が一番に思いつく。
火炎魔導の問題点は?
彼女の炎が強力すぎる点だ。炎の影響は僕たちにも返ってくる。たとえ僕たちが無事だとしても、部屋の熱が引くまでは作業できない。速やかに迷宮核を目指すなら、火力調節が必要だろう。
そもそも粘体生物は熱に弱いはずだ。なら弱い炎魔導を広い範囲へ広げ、弱らせて倒していくとか?
たとえば風を送る魔導と組み合わせてもいいかもしれない。粘体生物が燃えた後のガスは危ういが、入口を塞ぐとかで燃えるまで待ってから、レアの浄化に頼るかな?
あ、もしシューの力に魔物避けがあるなら、魔物寄せはないだろうか? もし存在し、彼の負担少なく使えるなら……。
「そろそろ行くか?」
アレンの言葉に、思考が中断された。その言葉に呼応するように僕以外の皆が頷く。
「ん、どうしたセイ?」
「あー」
中断された思考。何か思いつきそうだったけど、出来なかった。仕方なく考えを押しやり、仲間たちを見る。
「いやごめん。考え事してた」
「もし戦闘のことなら俺たちに任せてくれ」
「ああ、ごめんよ」
迷宮では思考に耽ると不意に動けない。安全そうなときに、アレンたちと相談しよう。
「僕はもう大丈夫。皆は?」
「あ、まって、今のうちに『明灯』出すわね! あたし調査しなきゃだし」
「魔女子さん、調査で壁触るときは先に聞いてね。粘液が残ってたら、手が焼けちゃうわ。手袋しててもよ!」
「わかったわ!」
リュシエルの注意に頷き、魔女子さんは王樹の葉を取り出して『明灯』を現わす。その薄赤い光は彼女の周りを漂うように浮かんでいる。
僕は全員を確認し、依頼主に声を掛けた。
「どうやら、準備できたみたいだ」
「うむ!」
そして、全員がシューに注目する。
「それじゃ、皆行くぞ!」
『―――っ!』
シューの号令に全員が応える。
そして、僕たちは薄闇の広がる迷宮へ入っていった。