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22 魔導掃除師ミュリと稽古と怨嗟の大釜

後半 ー ???? ー の辺りから、残酷な表現があります。

苦手な方はご注意ください。


  ―――――――― 廃棄物回収ギルド ――――――――


 ゴミ屋ギルド……正式名称『廃棄物回収ギルド』の仕事にはゴミ回収業務と清掃業務があった。

 ギルドの統括はギルド長であるラドックの仕事だが、業務ごとに長がいてそれぞれの責任で仕事を進めている。


 『ゴミ屋』と呼ばれる廃棄物回収業務の長は、現在はギルド長ラドックが兼務していた。

 『掃除屋』と呼ばれる清掃業務の長は、魔導清掃師のイザベルである。


 イザベルは小柄で腰の曲がった女性で、40をいくつか越えていた。くすんだような赤い髪に、首を隠すようストールを巻いている。彼女は誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをするため、周囲から一目置かれていた。ただ、彼女は下に就いた者の面倒見がよく、皆からきっぷの良い姉さんと慕われている。


「魔導()()()ミュリ、戻りましたぁ。イザベ()さぁん、ご用ですか?」


 イザベルの前に、大柄で伸ばしっぱなしの黄緑髪で目が隠れている女性が、のんびりした調子で声を掛けた。彼女はミュリ。本名はミュリエルだが、自分から縮めてミュリと呼び、そのまま定着してしまった。


「はぁ」


 イザベルが少しイライラした様子で息を吐く。ミュリは瞳が見えないが、ぼんやりしている印象をうけた。


「あたしは、イザベルだって何度言ったらわかる?」

「あー。すみません……()()、そう覚えちゃってて、イザベ……ルさん」

「あと、名乗るなら魔導清掃師と言いな!」

「えー? でもでも、みんな掃除屋の掃除師って、言いますよぉ?」


 そう、彼女たちの正式名称は魔導()()師である。しかし、通称のほうが広まってしまい、正式名称で呼ぶ者は少ない。

 実はイザベルも少し前まで現場にいて、掃除屋と名乗っていた。現場を知っている彼女は、現実に沿った判断をする。強制しても意味がないのだ。少々不満げに彼女は言う。


「まあ、良い……。なあミュリ。気が進まんが、あんたに変わり種の仕事が入ったよ。腰の具合はどうだい?」

「えー? あのね、うち腰が痛いわけじゃないよ? 疲れて腰が抜けちゃった風に見えるだけよぉ」


 緊張感のない返答に、イザベルの眉間に皺が寄る。


「そうかい。なら問題ないかね? 痛むなら断ってやろうと思ったのに、残念だね」

「うち、どんなお仕事でも頑張るよぉ」

「あのな、いつもより危ないんだ! 怪我するかもしれないよ!」

「んー、でもうちさ、普段のお仕事でもたまに叩かれるし、転ぶし、怪我はいっぱいだよ」

「そりゃ、あんたがどんくさいからだろ?」

「違うよぉ。うち、沢山魔導使ったら疲れちゃうの。動けなくなるくらい? で、邪魔だって蹴飛ばされるんよ」


 イザベルは眉をしかめた。彼女が扱う魔導に対し、内在マナが追い付いていないのだろう。さらに彼女の言動もあって、頼りなく見えてしまう。

 これでもミュリは『魔導清掃師』として『神の祝福』を得た希少な人材である。しかも彼女が所属する清掃チームは顧客の評価がダントツで高い。粗雑な扱いをされては困るのだ。


「……誰がやったか言いな。注意しとく」

「んー、うち誰か覚えてない」

「…………」

「うちね、貴族様の掃除ばっかで緊張しちゃってて……」


 庇ってているのか、ほんとうに覚えてないのか、判断に困ってしまう。イザベルは深く嘆息した。庇うにしても、その物言いは問題あるだろ? 言おうとして飲み込む。そういった不和・不満を精査し解決するのは自分の務めであり、ミュリの態度は暗くない。あとで別方向から調べようと考え、イザベルは話を進めた。


「次はちゃんと覚えておきなよ」

「はーい」


 掃除屋の仕事は、街の宿や大商店からの依頼が多い。だが貴族の邸宅やごく稀に王城の掃除が回ってくることもある。

 貴族の邸宅は基本的に従者たちが掃除を担う。しかし、3カ月に1度くらいの頻度で専門の魔導掃除師を呼び、隅々まで清潔を保つように心がけていた。そういった依頼はギルドに4人しかいない『神の祝福』持ちを派遣する。


 彼女たちの魔導は汚れをかなり落とすものだ。

 具体的には魔導によって汚れを浮かせ、さらに目印を付けた所を、他の清掃作業員と一緒に掃除し、集めて『回収』する。その後、艶の出る薬品や魔導を用いて調度品や床・壁・天井まで清め、長く清潔が保たれるようにするまでが、仕事である。


 この作業でミュリは自覚なく、頭一つ抜きんでた魔導を使っていた。

 通常は『神の祝福』持ちも汚れた場所へ『泡沫』という魔導を使い、汚れを浮かせ掃除する。

 対してミュリが扱う魔導は『泡沫清浄』というもので、この魔導は汚れを追尾してすみずみまで取り付き、浮かせ、汚れ自体が集まりやすくなる。高級調度品もあまり動かさず掃除でき、色つやなどがいつもよりも生え、より長持ちするものだ。

 しかし、マナの扱いが複雑で消耗も激しく、使った後ミュリはマナ不足でしばらくへたり込んでしまう。


 実はミュリが使う魔導は発動こそ似ているが、中位魔導に属していた。それは魔導学院の魔導師たちが、習得難度とマナ消耗度合、効果などから定めた分類になる。

 だがギルドに魔導を正式に学んだ者はおらず、周知されてない。当然、ミュリ自身も知らずに扱っているし、周りの清掃作業員たちも「なんかミュリの魔導は汚れ落ちが良いな……」くらいにしか思っていない。


 そして、掃除屋の仕事は清掃魔導の使い手たちも、汚れを浮かせた後は協力して汚れ除去に尽力する。

 魔導を使ったしばらく疲労でへたり込むミュリは、どんくさい邪魔者と見られるのだ。さらにもの言いが少々残念であり、気ぜわしい仲間たちに評価されないのだろう。


 また、悪いことに彼女が所属する清掃チームは貴族から指名がよく入るので忙しい。その忙しさで皆の疲労は増加し、ストレスを抱えた同僚はより厳しくミュリに当たっていた。

 もし彼女の実力が正当に評価され、魔導の扱い方を学べば、腰が砕けてへたり込んでしまう疲労は軽減され、周囲の評価も違ってくるだろう。それはめぐり合わせの問題である。


「イザベ……ルさん、うちはどんな仕事するの?」


 ミュリの質問に、イザベルは小さく息を吐き、表情をしかめて言った。


「ラドックの奴、あの黒髪のガキと迷宮清掃へ行けってさ! 全く……何考えてんだか! 災厄なんぞと!」


 彼女は自らの首を押さえ、舌打ちを隠さない。普段の彼女からは考えられないような悪意の混じった言葉に、ミュリは目を丸くした。


「えと、黒髪ってセイちゃん? あの子、良い子だよ」


 ミュリはそのセイと何度か仕事をしたことがあった。彼は楽しそうに仕事に励み、皆にどんくさいと言われる自分を庇ってくれた。さらにはミュリの魔導に興味を持ち、なんだか複雑なマナ運行がどうとか褒めてくれている。普段使いの魔導を褒められミュリも嬉しくなった。


「えへへ、でもセイちゃんなら安心だね。うちあの髪好きだな」


 ミュリにとってセイの黒髪は綺麗に映り、そのまま呟く。セイは髪を褒めた時、無関心を気取っているのに妙に嬉しそうにしていた。その姿がミュリの中で強く記憶に残っている。


「馬鹿言ってんじゃない! 黒髪なんだよ!? あんた、恐ろしさをしらないのかい?」

「へ? 知らないよぉ」

「そうか、じゃ教えたげるよ」


 憮然としたイザベルは語りだす。それは王都の歴史であった。



 ――35年ほど前のことだ。

 東部大陸から来た黒髪の罪人が6名処刑された。

 その5日後に王都で死病が流行る。


 罹患した者のどこかに黒い蝶の痣が出来、その後10日以内に発熱して痣が広がり、その痣に何かあたると疼くような痛みを覚え、関節がねじ曲がっていく。そして息ができなくなり、苦しみながら死んでしまう病である。

 感染は爆発的に広まった。その病によって、王都の人口は3割減ってしまうほどに……。


 王も貴族も神殿も魔導師たちも、見ているだけではなかった。早い段階で魔導師と神殿は、病の原因が呪詛によるものと突きとめ、発表する。黒い蝶の痣と直近に起きた処刑が結びつき、黒髪の呪いだと噂が広まった。


 王都の住民は皆恐れ、身を縮める。

 そして、救いは現れた。

 それは白金の日輪神殿……太陽を祭る神殿の司祭が編み出した聖祈の応用である。


 あくまで初期段階の対処だが、生存者は劇的に増えた。その方法は痣ができた段階で呪詛を打ち消す聖祈を施す。それは攻撃とも取れる、強引な技法だった。

 問題は多い。痣のある皮膚ごと打ち消す輝きの力は、大人でも気絶するほどの苦痛を伴うし、傷痕は生涯残る。さらに大きな問題があった。

 それは治療を施すことのできるほど、聖祈に長けた神官が少なかったのだ。

 新規開発されたその聖祈は、最低でも侍祭級の人材が必要であり、習得も術者の消耗も激しい。


 日々、被害が増えていく中で、王都では命の選別が行われた。

 高額の寄付・もしくは『神の祝福』持ちを残すという形で……。

 その寄付をもって、他領から侍祭・司祭の招致などを施策したが、それも焼け石に水である。

 寄付を用意できない者たちは阿鼻叫喚であった。


 幸いにも呪詛は長く蔓延らず、ある時を経て一気に収束する。

 だが……被害にあって生き延びた者の悲しみは深い。



「家族を亡くすとさ、辛いんだよ」


 小さく言ったイザベルは、家族全員に蝶の痣が現れ、彼女1人しか生き残ることができなかった。

 10歳にも満たなかった彼女は、父母と妹を看取った上に、彼女の首筋には刻印のように傷痕が残った。

 果然、彼女の怨嗟はこの呪詛をかけた存在、黒髪の罪人たちへと向けられる。

 同様の想いが王都を支配した。この記憶のせいで、王都の住民は黒髪に対する忌避感を持つ。


 そして、15年ほど前に呪詛の原因が黒髪の罪人でないと発表され、黒髪の排斥などやめるよう王命として布告される。だが、当時を体験した人たちに植え付けられた、『悍ましい黒髪』の記憶は変わらず残った。

 イザベルの幼い時に出来た傷は、心身に深く残っている。

 今でも季節の変わり目に疼く首の傷痕。

 その痛みは自分を大切にしてくれた家族が、居なくなってしまった事実を突きつける。


 彼女は……今でも同じ色の髪を持つセイを恐れ、忌避する意識がどうにもならない。


「……そう」


 ミュリは頷く。ただ、彼女はその事件がセイと関係ないように思ってしまう。そう言いかけ、しかし、イザベルも悪態をつくだけで収めようとしているやるせなさを察する。だから言葉を飲み込んだ。


「まあ、神の祝福持ちを呼んでるから、あんたに行ってもらうんだけど、護衛もつくし、手早く終わらしてくるんだよ」

「はーい」

「本当に解ってんだろうね!? 迷宮に行くんだ。準備しておくんだよ!」

「だいじょぶよぉ、うち逃げるのは得意だもん」

「ちっ……長生きするかもね」

「えへへー」

「そうだあんた、ついでに聖魔石とってきな」

「なにそれ?」

「迷宮の奥にあるでっかい木に触れると出来るらしいのさ。冒険者証を作るのにいるんだよ」

「なんでそんなものがいるの?」


 イザベルは少し考える。そして言った。


「あんたの仕事は評判でね。不本意だが、他領への出張が入りそうなのさ。で、冒険者証があれば関所を通りやすいんだよ」

「へー?」

「こういう抜け道の機会は上手くつかうのさね」

「イザベ()さんかしこいねー!」

「イザベルだっつってんだろ!」

「あう……」


 それから、イザベルは滾々と説教を始める。しかし、ミュリは右から左へ抜けるよう聞き流していた。



―――――――――――――――――――――――――――――― 



  ―――――――― とある道場 ――――――――


 上半身を脱ぎ、幾枚も紙を張り付けたセイの前に、水の塊が浮かんでいる。

 その中には王樹の葉が1枚、マナを受けて鈍い輝きを放つ。おそらくは師匠が魔導を使ったのだろう。


「ほれ、正確に突くんだよ。粘体生物スライム対策は守っている粘液を貫き、核を弾き飛ばさなきゃならん」

「はい」

「早くしないと王樹の葉が無駄になるぞ」

「こういう実害のある訓練はヤダな……」

粘体生物スライム対策を聞いてきたのはおまえさんだ。あきらめろ」

「うぐぐ……」


 ぼやきながらも、セイの意識は戦闘に向いている。

 棒を腰に据え付け構えた。

 体幹の力を働かせてマナを通し、複合した力を持った突きを繰り出す!

 その突きは回転が掛かっていて水流を貫き、王樹の葉を捉える!

 破壊力のある突き業でも王樹の葉は壊れない。

 水塊から王樹の葉がはじき出されると、水塊は力を失いその場へ落ちる。


「お、いいぞ。だが気を付けろ」


 下には桶があり、その水を受け止めた。

 だが、水塊は落ちた瞬間爆ぜる!

 当然ながらセイは全身の感覚を研ぎ澄ませていた。

 突き終わった瞬間に、水塊の動きに備えている。

 水滴が弾けて飛び散った!

 セイを襲う!

 しかし、感覚の網を広げたセイは、それら全てを最小限の動き……水滴の無い部分へ移動し躱した。


「なかなか楽しい稽古だろ? 攻防どちらも修行できるな!」

「師匠、僕で遊んでません?」

「あくまで粘体生物スライム対策だよ」

「いや、僕は心構えを……」

「そっちも教えただろ、忘れたか? 言葉にしてみろ」


 師匠に言われ、セイは眉を上げ答える。


「基本は罠を張っているから注意。頭上から落ちてくる場合、地面に潜んでいる場合が多い。壁のヒビや染みへの擬態もある。偵察者の指示に従いつつ、違和感とマナの動きに警戒する」

「対峙したらどうする?」

「火を使う以外だと……相手の核を正確に打ち抜く正確性が重要。基本は俊足の突き推奨。マナを通していない打撃は核へ届きにくく棒が溶ける。マナの付与を用いれば問題ないが、それは魔導師の領分」

「そうだな。それから?」

「倒した後と敵の攻撃時に、酸が弾けて襲ってくる。酸性粘液の回避。皮膚を焼いたら気を取られ、集中が乱れる。皮膚に付いたら即洗い落とすべし」

「覚えてるじゃないか。だから、皮膚に付かないよう実践あるのみだ」


 にやりと笑う師匠を、セイは恨めしそうに見た。


「でも、王樹の葉は僕のだし! この紙は僕の新しいメモ紙です!」

「気合が入るだろ?」

「気が滅入ります!」

「どっちでも良いさ。早くて正確な攻撃を繰り出し、飛び散る攻撃は素早く見抜いて避ければ良い。紙が濡れてなきゃ合格な」

「……はい」

「ちゃんと、攻撃にマナを通せ。武具への付与は無理でも木製の丸棒はマナを通しやすい。水を弾く魔技は酸にも応用できる」


 師匠の言葉は理に適っている。セイにとって悔しいことに……。


「止まってる相手は問題ないか? じゃ、次の段階に移るぞ」

「うー……はい」

「急ごしらえだと、ここまでしか遊べんが、俺が水塊を操ってお前さんを襲わせる。ちゃんと避けろよ」

「……心構えだけでもと思った僕が間違ってたな」

「戦場の心構えは卑劣な手を使っても、手を汚してでも、生き延びることだけだ。死人の文句を生者は聞かん。なら、あとはどれだけ対応を経験するかになる」

「ぐぬぅ、反論できない!」


 そして、師匠はマナを動かした。すると水の塊が3つ浮かび上がる。


「ついでに集団戦もやっておこうぜ!」

「あーっ! もう! 僕の王樹の葉が3枚も!!」

「うまく、速やかに撃ち落とせよ? 遅れると消費が激しいぞ」

「師匠! 恨みます! わわっ!」


 3つの水塊が複雑に動き、襲い掛かってきた!

 セイは頭の中で鈴の音を鳴らす。

 セルバンテスが掛けた暗示は、今でも彼の中で有効であった。

 心を凍らせるんだと言い聞かせる。

 息を整え、全て躱し、彼は棒を構えた。

 同時に、師匠のように言葉を使って敵を喰い、操り、さらにユーモアによって自らを落ち着かせる。

 それが、彼の身に付けた戦い方だった。


「ああ! もう!」


 焦っているように見えて、身体は正確に動く。

 セイは3つの水塊が重なるよう誘導。

 複雑に見えた水塊の動きは、セイを狙うという行動に支配されている。


「整列したね! ご苦労さま!」


 その瞬間を狙い、多めのマナを練り込んで、回転を加えた突きを放つ!

 すべての王樹の葉を一撃で弾き飛ばした!

 その技の冴えは普通の戦士では持ちえない、魔導と武技の2つを練った(わざ)の結晶である。


 三つを弾き飛ばしたセイは、しかし、油断しない。体勢を整え追撃を探る。師匠には人の悪さをこれでもかというほど叩きこまれてきたのだ。


「んー、今日はここまでだな」

「あれ? 奇襲しないんですか?」

「備えてる奴に奇襲は効かん」

「……そっか」


 師匠が息を吐く。セイはまだ気を抜かない。過去、それでひどい目にあったことがある。


「ほれ、稽古(しま)うぞ」


 その残心をみて師匠はにやりと笑い、稽古の終わりを告げた。



 稽古終わりに二人で狭い庭に出て空を、2つの月を見ながらぼんやりと自然体を作り脱力する。


「先生、これいつも思うんですが何の意味があるんですか?」

「考えるな、思考を手放す稽古だ。月でも見てぼんやりしとけ」

「はい」


 考えずぼんやりしたまま、ただ立っている行為、セイは意味がよくわからない。

 言われたままに、2つの月を見ている。1つは薄青く、もう1つは薄い赤であった。

 セイが思考をはじめたとき、師匠は見抜いて吐息で注意をされる。


 ―― ずっとやってるけど、意味が解んない……


 思った瞬間に、師匠の注意が刺さる。

 慌てて思考を手放す。大体5分くらいこの時間を作った後、師匠は言った。


「よし、今日はこれまで」

「はい」

「そうだセイ、ちょっと手伝ってくれないか?」

「え?」

「床が水浸しでな」

「あ……はい」


 そして、セイは濡れた道場の床を師匠と2人で掃除している。セイは小さく首をひねった。


「どうした、まだ稽古したいのか?」

「いえ師匠、そもそも今回の仕事は迷宮の管理者(ダンジョンキーパー)って人がいるので、そこまで脅威じゃないって言いましたよね?」

「魔物が襲ってこないつもりか?」

「いえ」

「いいか、楽な仕事にゼニは動かん。緊急で、しかも報酬が良いんだろ?」

「はい」

「しかもお前さんが参加するんだ。きっと酷い目にあう。引き締めて行ってこい」


 セイはとても複雑な視線を師匠に向けた。そして、答える。


「はい」

「セイ、ほれ」


 ふと、師匠が何かを渡してきた。


「なんです、これ?」

「稽古完遂した報酬だ」


 それは、王樹の葉だった。使った枚数より1枚多い。新品である。


「えと……一応、王樹の葉は残ってますよ。これは……」

「貰っときな、そして生きて帰ってこい」

「……ありがとうございます!」


 相変わらず人を喰った師匠だなと思ったセイは嘆息し、先ほどよりも丁寧に掃除を続けた。



―――――――――――――――――――――――――――――― 



  ―――――――― ???? ――――――――


 1人の男がいる。

 銀色の髪をしたローブ姿の男。

 小指に呪の鎖を巻き付けた姿。

 彼は何やら魔導、いや、呪詛を編んでいる。


 彼の前にある大釜コルドロンには悍ましい内容物が煮立っていた。


 ・火蜥蜴の幼体を呪詛の炎で焼いた死骸。

 ・菌持ち毒蛇の首。

 ・死産した胎児の砕けた頭部。

 ・神に背いた神職の苦痛を吸い、汚辱したマナを含む臓腑。

 ・瘴気を吸って肥大した紫色の触覚を持つ黒点大山椒魚からもぎ取った尾。

 ・苦痛と絶望に堕とされ、それが許され安堵した瞬間に首が落ちた咎人の骨髄。

 ・探索失敗で絶望を受けて倒れた魔脚者ピスケスから抉りとった踵骨

 ・『神の祝福』を持つ者をくびった時に、凍らせ奪った心臓。


「やっぱり、誰かに手伝ってもらいたいな……」


 呟きながら、大釜コルドロンを覗く。

 彼は下の魔方陣にマナを注ぐ。

 この部屋は常に悍ましい腐臭が漂う。常人ならその臭いだけで嘔気を促すのだが、その者は平気で作業を続けていた。ただ、冷汗が浮き出ている。

 この苦行こそが彼の目的、世界を幸せで満たす夢へと続く一歩だと思い、胸を張って続けていた。


 マナが満ちると怨嗟を煮込む大釜コルドロンが禍々しい輝きを放つ。その輝きは、正常なものがみれば忌避し、心の弱いものだと発狂するほどの、悍ましく澱んだ輝きである。

 彼、ジェダは、満足そうに頷き、1つの金属を取り出した。

 清廉に鍛えられた、かなり重量のある(はがね)である。


 ジェダは魔導書を現した。

 そして赤黒く染まった王樹の葉をとりだすと、左手の示指へと黒く濁った刃を当てて、血、魔の源を垂らす。


「『呪で蝕む捻じれた印証』」


 すると、清廉だった金属には赤く複雑な呪印が移った。


「よし!」


 気合を入れて金属を重たそうに持ち上げると、大釜コルドロンの上に備え付けた吊るし台へ乗せた。すると大釜コルドロンで煮詰め作った瘴気が、収束されて金属に吸い込まれていく。

 彼は今、『呪蝕金属』の錬成をしていた。この金属を用いて鍛えた武具は、大いなる力を得る。しかし、持ち主の魂も蝕む。さらに武具の生成も狂気に支配され切った者でなければ難しいのだ。


「これで剣を打ってくれる人、いるかなー?」


 本来、この呪詛は『呪蝕金属』を求められてから作るものだ。しかし、彼は自らの魔導書に新しく現れたこの邪法を試したい。つまりは作りたいから作っている。多くの恐怖と絶望を撒けば……世界に幸せが満ちるのだ。


「でも、2度目か……大変だったな」


 彼は呪詛や魔導に対する能力が異常なほど高い。しかし、その分だけ抜けたところがある。以前に作った呪蝕金属は、ある闇商人に騙し取られていた。

 神の紙片を手に入れ新たな発見を得た彼は、良い機会だと新たな錬成を試みている。2度目となれば途中までは同じ工程であり、慣れたものだ。しかし前回の方が苦労の分だけ愛着を感じる。その違和感を埋め、今の悍ましい呪物をどうやって愛するか、彼は思考錯誤のしどころだとウキウキしながら邪法を編む。


「おや?」


 ふと、右手の小指につけた呪の鎖が疼く。この疼きは、試練迷宮に施した呪詛が力を増したものだ。


「意外と早いね?」


 ジェダはとても爽やかな微笑を浮かべた。


「んー。こっちは……もう少しかかるな。見に行けないのが残念だなぁ」


 彼はもうしばらく大釜コルドロンを見なくてはならない。

 血と怨嗟と憎悪を煮詰める作業を、彼は鼻歌混じりで続けていた。




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