08 セイの記憶5 ――評価と安らぎ
セルバンテス先生の実技訓練は広い範囲に及んだ。
解体の他に調理を習う。その後一般的な毒の知識、毒草・野草の判別なども覚えた。致死性でない量を口に含み、どんな作用かも体験する。呼吸が出来なくなる物を処方されたときは危なかった。
僕が仕える主さまは活動的で敵も多い方らしい。話によると王樹へと赴く機会もあるようだ。王都から王樹までは、気候や街道、さらには国を跨ぐなどで、最低でも6ヶ月はかかるという。
その間に食料が手に入りにくくなる場合もあり、狩猟や採取は必須技能のようだ。
魔物図鑑の書き写しもやる。
一日の終わりには書き写し、読み込んだ問題を出された。
苦労したから自分で解る。やはり僕は覚えが良いわけではない。
だから、その分多くの工夫をしなければならないのだ。
まずメモの取り方を工夫した。情報を整理しなければ、見直した時に訳が分からなくなる。筋が通ってない書き込みは、どれが正しいか解らなくなってしまう。
初めはセルバンテス先生に聞けば応えてくれた。特にまとめを作る部分は基礎だからと目を通してしてくれる。
しかしある時から突き放され、自分で工夫するよう言われた。
苦しい時には夢をみる。
眠るのが怖くて、なるべく眠らないように勉強しようとするが、逆に覚えられないと気が付く。
必死に無理やり詰め込んで、何だかわからずに頭に残ったものは役に立たない。
だけど……いつの頃からか、知るということが面白くなってきた。
それに伴い見る夢が変わる。2人目の研究者だ。かれには口癖があった。
「知るということは喜びだよ」
僕はその意味がちょっと理解できる。必要なのは興味で、魔物も図鑑に書かれたもの以外の習性があるらしい。セルバンテス先生の課題には覚えただけでは解けない、想像が必要なものが出る。同種の行動や、その形状から予想して記す。合っている場合は何も言わない。間違っている場合はその考え方を伝えてくれる。セルバンテス先生は僕の覚えようとする姿勢だけは認めてくれていたと思う。
ある段階から魔導の基礎も教えてくれた。
「マナ中枢を意識し、そこからマナを動かしてみなさい。全ての基本です」
「先生、マナ中枢ってどこにあるんですか?」
「人によります。ほとんどの人は下腹ですが、胸という話も聞きますね……。マナを感じ取る時に起点となる場所であり、マナを意識したときに熱が現れる部分を探しなさい」
僕はすぐ下腹に大き塊となった熱を見つけ、意識するとマナが動くと気付いた。
「……これでしょうか?」
「そこからマナが動くなら正解です。マナ中枢はマナを生み出す場所であり、マナをため込む場所でもあります」
「へえ?」
「魔導はマナを動かし現象を起こす。貴方は大きなマナを持っているように感じます。育てるべきですね」
「はい!」
マナ運行を知ったのち、先生はマナの属性を教えてくれた。
「マナには属性があります。木火土金水の5つの元素に働きかける基本的なものです。それから日と月のマナ、こちらはすべての属性に含まれ、表裏……正と負の関係をもった要素です」
「はい」
「これらを意識して動かし、王樹の葉を発動の核として魔導が発現するのですよ」
「やってみます」
「では火、熱をもち燃え上がる特性をもったマナです。自然にある火を意識し、映像を頭の中で思い描いて、マナ中枢に働きかけなさい」
僕は言われるままに、そのマナを意識して動かす。マナ経路が火のマナで動くのが解る。マナの違いに関しては、はっきりとわかった。おそらく、僕はマナを感じ取る能力には優れているんじゃないかな?
「やはり……才があるようですね? 私は、残念ですが魔導に対しての適正は低く、使えるものは特殊です。知識も偏りがあり……教える部分は基礎のみです」
「はい」
「とりあえず、貴方はマナを増やしなさい」
「どうすれば増えますか?」
「解りません。ただ、貴方のように才ある人間は、動かす感覚を続け、マナを消耗することで増えると聞きます。とにかく8歳まで己で磨きなさい」
「はい」
「では他の属性も意識して動かしてみなさい」
「はい!」
僕はそれぞれの属性の違いを明確に意識できた。
どうも、先生はその辺りの認識が曖昧だから、自分の才は低いと言う。僕は自分の出来ないことをできないとはっきり言う大人をあまり知らない。
その分だけ先生は信頼できると思った。
それから後……僕はマナ動かしているときにマナの拡大法を見つけるが、誰にも言わない。なぜなら、夢で学んだからだ。
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僕はセルバンテス先生の教えを何とか覚えてきた。
だけど先生は僕を『可』と評価する。一番低い評価だった。
「私は評価を憂・良・可としています。貴方は、私に評価されるまで育ちました。ただし、言われたことをできるだけであり、『可』が適当でしょう」
モノクルが光る。言外に『良』や『可』ではだめだという目をしていた。
僕は危機感が湧き上がる。
セルバンテス先生は初めに言っていたじゃないか!
僕はこの髪のせいで、低く評価されてしまうんだ。
僕だけでなく、エリナまで!!
先生の視線に怯みながらも、問いかけた。
「セルバンテス先生! 『憂』になるにはどうすればいいんですか!?」
多分、必死な眼差しで僕は彼を見た。セルバンテス先生は少し……本当に少しだけ眦を下げる
「……その辺りは常に考えておきなさい」
「考えるにしても、何が足りないのでしょう?」
「ふむ……例えば、挨拶はどうでしたか」
「おはようございます。御主人様!」
僕は大きな声で答えた。
「元気がよろしい。しかし、相手がどのような状態か考えずに挨拶していますね?」
「え?」
僕は主という人に会ったこともない。その言葉は意味がよくわからなかった。
「主がお酒を好むひとであれば、翌朝に体調を崩していることもあります。その場合、控え目な挨拶とするべきです」
「え? え?」
それは、始めに教わったこと違う。
相手を称え、自らの体調を教えるために、頼れる従者と認識されるように……なるべく元気に姿勢正しく、主を先んじて挨拶をするのが従者だったはず……。
「教えと違うと思いますか?」
「……はい」
「当然です。貴方は今までそれもできなかった」
「……」
「しかし、さらに上を見るのであれば、従者は主へ絶対の信頼を得るために、身命を懸けて感覚を研ぎ澄まし、尽くさねばなりません。矛盾しても飲み込むのです」
「はい」
「例えば、主が声を聞きたくない状態の時に、大声を張り上げて近寄ってくる者は、忌避するでしょう。それは良き従者ではありません」
僕は混乱しつつも、意味を理解しようとする。
「それが、解るのですか?」
「気遣いとはそういうものです。心がけとしては常に主を観察し、体調や状況を鑑み、主の影となって行動できる。主の片腕となり、空気のように存在を現さない。それが出来てようやく『良』でしょう」
「……はい」
「感覚を磨きなさい。観察するのです。それが監視になってはいけません、主の気を害し遠ざけられるでしょう」
僕はさすがに意味がよくわからなかった。
「えと、違いが、よくわかりません」
「そうですね……一朝一夕では培うのは困難です。主となるものの周りや関係へ興味を持ちなさい。相手の望んでいるものを満たす。それを喜び、判断の基とするのです」
「……心がけます」
「さらに優となれば……諫……いえ、貴方の年齢を考えれば毒となる……『良』に至った時に伝えましょう」
「はい」
「良いですか? 貴方が『憂』と認める従者とならなければ、エリナ共々廃されると言いました」
「覚えています」
「猶予はあります。しかし、今のままでは、せいぜい『良』でしょう。王都でなければ、結構かもしれません。だが、我が主の役には立たない。もう少し、急ぎなさい」
「はい、セルバンテス先生」
その日から覚える以外の課題ができた。
考え、観察することが日課となる。
どうやら僕は察知感覚が鋭いらしい。その辺りはセルバンテス先生も認めてくれるようになる。
また他の課題はどんどん複雑になった。
挨拶や文字の読み書きは貴族が使う言葉と平民で使う言葉遣いの違い。
算術は例えば貴族が扱う一月の予算の収支計算。
さらには有事の際に使うであろう予測・備蓄などへの配慮が増える。
軍事であれば、糧秣の購入費用、購入先の判別法、移送費用の計算など。
さらには、対面したヒト達の状況判断と想像を含める項目も加わった。
更にマナの運行、体内マナの増幅法の模索。
4つの時に『師匠』と出会い、その縁で武技も習う。
僕は自分で言うのもなんだが、なんとかこなせていたと思っていた。しかしセルバンテス先生はいつも満足しない。
だから僕は先生に質問する。
ある時から、質問方法にも工夫するよう注意をうけた。
「セイ、貴方が主に何か尋ねる場合、主の時間を奪うのと同義です。その意識を持ち、知恵をしぼり答えたくなるよう伺いなさい」
意味が良く解らない。
僕は考え、そして聞いた。
セルバンテス先生はこちらが質問したことには答えてくれる。
「……先生、具体的にはどのようにすれば、時間を奪わない質問となるのでしょうか?」
「貴方がまず何を知りたいか考えなさい。無能という恥辱でも、知らせることが重要です。先ほどの質問は、何が聞きたいのか伝わりません」
その時、何を聞いたんだっけ?
忘れてしまっているな。でも図星だった。僕は恥じ入った表情で先生を見る。
「まあ、考えた上での受け答えも、無礼となる場合があります。その時には提案という形を取るべきでしょうね」
彼は軽く息を吐いたのち、言った。
「できれば機知に富むものであるほうが良いです。だが、そのあたりが私の苦手分野ですが、『最優』の従者には求められるでしょう……」
「……先生、機智というものがよくわかりません。例えがあればと考えます。機智とはなんですか?」
「貴方くらいの子であれば、その質問は許されますね。機智とは諧謔です」
「……それを培うには、どのような方策がありますか?」
そう聞いたら先生はちょっとだけ唇が上がったように思う。
「私はそれを解すことができなかったので、貴方の教師となった……」
表情は変わらない。
だけどそれはなぜか悲しそうに思えた。
それから、先生は自嘲気味に続ける。
「そちらはエリナが得意としています。頼んで聞いてみなさい」
よくわからない答えだけど、聞き返すことは出来ない。
「……はい」
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その後エリナが来る日に、聞いて見た。彼女はそれを「貴族のパパを楽しませる方法」と受け取る。
「そんなのいっぱいあるわよ!」
「え、どんなのがあるの?」
「えーっとね……」
だけど、当時の僕には意味がよくわからない話が多かった。今思い返すと、ちょっと性的な返し方である。
「パパもおとこのだなってさ……それにね、それにね」
「……あの、どういう意味?」
「んふふー。セルバンテスさんに言っちゃダメよ」
「え? ダメなの?」
「いったら大変なことになっちゃうわ!」
「わ、わかったよ、言わない」
エリナはちょっと焦り顔で話をそらした。
「そうそう、セイ、聞いて聞いて!」
エリナの声は染みわたるようなもので、話を聞いているだけで楽しいと思ったものだ。
「あのねあのね、この前ヒゲ男爵があいさつに来たの! まんまる赤鼻のふくふく顔でさ!」
「エリナって、言葉だけで顔がわかるよね」
「そう? だってさ、妾は好きになった人のこと覚えたいの」
「好きになるの?」
「そーよ、好きになるためには、良いところも悪いところも見つけてあげなきゃよ?」
「悪いところを見つけたら、好きにならないんじゃない?」
「何言ってんの、悪いところが面白いじゃん! で、好きになるか嫌いになるかは妾次第だわ! てかさ、そのヒゲ男爵ってね!」
彼女は楽しそうに語る。何やら詩の会だったらしい。
貴族のパパが連れた愛妾エリナに対して、顔を真っ赤にして口説いてきた赤鼻のヒゲ男爵がおもしろかったと言う。
赤いだんごっ鼻がこれでもかってくらい息荒く上下して迫ってきたのが面白かったらしい。
「そのお鼻、熱そうね? 冷やしてあげましょか?」
エリナは濡らしたハンケチを渡し、冷やすように言う。彼は周りが見えてないらしい。詩の会合でも貴族の社交場であり、他の目がある。
「あ、いや、これは酔ってしまったようで……」
そういってごまかしたというだけの話だった。
だけど、彼女が話すとなんだかそのヒゲ男爵がとても滑稽に見える。それでいて、味のあるおじさんに思えた。これが諧謔……?
「でも、エリナ楽しいね」
「そう? 妾は嬉しい!」
僕はエリナと会える時間こそが、安らぎとなっている。
エリナの予測の出来ない答えや話が、僕には心地よかった。
僕もちょっと真似てみようと思ったものだ。
「良いところも悪いところも見て、好きになったり嫌いになったり……エリナは凄いなぁ」
「ん-? セイ?」
ふと、エリナが僕をのぞき込んでいる。
「なに?」
「んーとさ、どしたのセイ」
「え? どうって?」
「もしかして、辛い?」
エリナの問いに、僕は首を振った。今課題があるだけである。辛いなんて思っていない。
「大丈夫だよ」
その答えで、にやーっと笑ったエリナは僕を抱きしめ、言ってくれた。
「わわっ!?」
「セイはいい男になれそう! 楽しみだわ!!」
ぎゅっと力が入る……僕は、それだけで今までの苦労が報われる気がした。
「うん、なる」
「だけど、だめだめねー」
「え?」
顔は見えないけれど、エリナは笑っている。
「あのね! 男の子が安心できるってね、女の子の胸の中よ? 悪女はこれがうまいの! 今日は妾がしたげるけど、もーっといい子、見つけなさい!」
エリナはその胸に僕を包み、頭をなでてくれた。
「…………ん」
息を吐いた。
なんだか眠くなる。
くらくらとするような、甘ったるい安らぎの時間。
「よしよし、負けないでね」
「うん」
なんだか、今までのことをほめてくれたような気持になる。
僕は……それだけで、報われると感じた。
――――――――――――――――――――――――――――――
……あー、そうだったな。
女性の胸は男にとって安らぎの場所なんだよな……。
ぼんやりと思い出した過去。
陶酔していたような……。
「むぅ……」
レアがこちらをのぞき込んだ。
「どうしたの?」
「……私もマネする」
「え?」
気付いた時、レアが僕の頭を抱きしめていた。
驚いたのだけど、心地よくて安らぐ。
僕は息を吐いた。目をつぶってしまう。
「あなたの想い、貰ったからね」
彼女の言葉が僕の胸に染みる。
「レア……」
「辛いのと、楽しいの、すごく見えた」
「あ……」
「ありがと」
「いや、どういたしまして」
僕はレアに甘たいと思う。だけど……。
「あの、レア……」
声をかけ、名残惜しいけれど離れる。
ここは神殿、誰が見ているか解らない。
「むぅ」
離れた僕をレアは恨めしそうに見ていた。