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07 セイの記憶4 ――セルバンテスの実践教育

 セルバンテス先生は言った。


「身だしなみを整えなさい。主の前でみっともない姿を見せる愚を犯せば、その瞬間に貴方は廃される。姿勢を正しく保ちなさい。従者の無様は主人の恥です」


 まずはそう言って身だしなみ、特に清潔さを保つよう教え込まれた。

 その辺りはエリナも気を付けていたから、どのようにすれば良いか聞くととてもうれしそうに教えてくれた。


 僕はエリナの前で、セルバンテス先生の影を見せないようにしている。

 それは僕だけでなく、エリナにまで害がでてくると言われたからだ。

 セルバンテス先生の言葉はいつも真実の凄みが含まれている。

 僕は、自分でもうまく隠せていたと思う。


 エリナはよく笑う人だ。

 人と語るのが好きだけど、当時の僕では意味がよくわからないことが多い。

 エリナは女性ならではの秘伝といいつつ、身だしなみも遊び感覚で教えてくれた。

 僕は理解しないまま、言われたとおりにしている。

 

「セイ、いい? 変な恰好をしているだけで人は変な目で見るからね。まあわたしたちは整ってる人であってもさ、変な部分をみつけるんだけどね!」

「変な部分があるの?」

「ない人がいたら見てみたいわ」

「……そうなんだ」

「おしゃれって、変じゃなきゃいいってところと、変なところが良いってのがあるからね!」

「……わかんない」

「へへー、まあわかんなくていいから、変じゃないようになっときなさいな」

「それ、教えて?」

「いいわよ! うふふー。セイに似合う格好はね!」

 

 たぶん、エリナは美的感覚に優れていたと思う。僕は身だしなみに関して、セルバンテス先生に怒られたことは無い。


 ただ、セルバンテス先生は時々逆のことも言った。


「従者は主の盾となるべき存在です。清潔さを保つのは当然であっても、主のためには汚れ役となることを躊躇ためらってはいけません」


 そして掃除や片付け、汚れ物の洗浄を教わる。

 孤児院だけでなく、ものすごく汚れた屋敷まで連れられ、その全て……(かまど)から煙突からトイレまで、全て洗浄する方法を教わった。

 その後の身だしなみも、とても厳しく清潔に保つようにする方法も合わせて教わる。

 それは、今の仕事に役立っている。



――――――――――――――――――――――――――――――

 その日、僕は貴族の狩猟で必要となる技術を習った。

 貴族の狩猟には、罠の仕掛け方や獲物の追い出し方法、それから魔物の解体技能も必要である。

 解体、つまりは屠殺(とさつ)だ。


「貴族の務めには魔物の駆除や狩猟があります。私は武について教えられません。しかし、従者として必要なものを伝えます」


 華々しい貴族世界の裏で、汚れ仕事はすべて従者の仕事である。

 初めは青毛兎の止めを刺すことから教わった。

 セルバンテス先生は実地を常とする。

 僕の前に足を縛られ、もがく青毛兎2匹が置かれていた。

 隣のナイフが鈍い光を放っている。


「さあセイ、この青毛兎の首を割きなさい」


 ナイフを持たされ僕は戸惑ってしまい、思わず聞き返す。


「先生、この子を殺すのですか?」

「そうです」

「僕は……」


 頭の中に蘇るエリナの言葉。


『人や動物にやさしくしてね』

『殺しては駄目』


 同時に彼女の悲しむ顔が思い浮かんだ。


「殺すの……ですか」

「む?」


 セルバンテス先生は目を細めて息を吐く。


「そういえば、エリナが言っていましたね」


 彼は軽く息を吐き、王樹の葉を取り出してマナを動かしているのがわかる。何やら魔導を行使したのだ。


「貴方は慈悲を教わった……」


 マナの運行は、わからない。ただ、王樹の葉をもった先生の手が光る。頭がぼんやりしてきた。どうやら暗示のようなものだと思う。


「セイ、その慈悲は(あるじ)が持っていればよろしい。主がかわいそうというのであれば、従者の貴方は代わりになって命を奪い、その(ごう)を背負いなさい」

「え?」

「そのため、従者は心を凍らせる術を身につける必要があります」

「あ、その」


 僕は、頭が真っ白になる。

 優しくしなきゃ、でも代わりにならなきゃ?


「これは、仕事です」


 ―― 星が(かげ)る……遊びは駄目、仕事なら……。


 混乱したままの僕を見て、セルバンテス先生は小さく息を吐き、1つの鈴を取り出した。


「セイ。この音を覚えなさい。私のマナを受け入れなさい。脳内に起動音として響かせるのです」


 手にした鈴の音が鳴る。ちょっと変わった音だ。チリンでもなければガランでもない。その鈴固有のリンと響くような音。


「……は、え?」


 その音を聞き、セルバンテス先生のマナが僕の胸と頭に浸透してきた。

 頭がぼやける。なんだ、この、なんだろう?


「この瞬間、貴方の心は浮かんでいます。命を奪う必要がある場合、正確に仕留めることが、慈悲……優しさです」

「殺すのに、優しさ?」

「ええ、狩猟ではもう助からずに、苦しむ獲物に慈悲をもって仕留め、解体作業をするのが、従者の仕事です」

「……」

「この音を頭で鳴らしなさい。心を凍らせるのです。そして、私のやり方を真似なさい」

「…………はい」


 ぼんやりとしてきた。

 言われたことをマネしたらいいのか?

 これが、優しさ……。


 セルバンテス先生が、まだ生きている青毛兎の首を押さえる。

 僕もそれを習う。それは自分の意志ではない。心の中で止めている。

 かわいそうだ!

 やめよう!

 強く訴えていた。

 エリナの真摯な瞳が、こちらを見つめている。

 手に震えが現れた。


 ふと、僕は夢の声が頭に響く。

 ――― 逃れることができないのなら、せめて……


「あ……」


 暗示のおかげだろうか? 心を決めたからか?

 僕の体は動いた。ナイフを持つ。

 セルバンテス先生は小さく頷き、自分の方の青毛兎の頭をおさえる。


「青毛兎を始め、動物は頸の動脈を切って、血抜きします」


 セルバンテス先生は耳をもって首を出し、一息に首を裂いた。青毛兎が小さく鳴いた。そして……びくんと身体を震わせる。


「やってみなさい」


 僕も体が勝手に同じように動く。

 たどたどしく、まだ生きている青毛兎の首を……。

 手に持ったナイフで切り裂いた!

 正確にすることこそが、慈悲である。優しさである。

 心の中で言い聞かせた。


 その手ごたえが、僕が初めて自らの意志と手を使って、動物を殺した瞬間だった。


「あ……」


 僕の手の中で、生きていた青毛兎が冷たくなるのを感じた。

 背中がぞわぞわとする。

 自分が命を奪った……と罪悪感が襲ってくる。

 だけど、手は正確に動くのだ。


「良いですか、意識を切り替える必要がある時、脳内でこの音を鳴らすようになさい」


 セルバンテス先生の言葉が響く。同時に鈴の音も……。


「……」

「それこそが、自分を守る手口でもあります」

「はい」


 そして、セルバンテス先生は再び鈴を鳴らす。

 浮いていた意識が戻る。

 手に生々しい感触が戻った。

 確かに、自分は命を奪っている。

 ――― ……僕は殺した。


 僕は唇を噛みしめて、表面に出さず、だけど頭は混乱していた。


「良いですか、止めを刺して終わりではありません」

「……はい」


 手の中で命を失い、遺骸となった青毛兎を見つめながら……僕はそれでも叫びそうになるのを押さえつけた。

 セルバンテス先生のモノクルが光っている。こちらを観察している。

 それは、たぶん、こちらが一度でも取り乱す姿を見せたら……それだけで、僕は……いや、僕とエリナがおしまいだと感じる。


「せ、先生、こ、れから、どうすれば」


 たまらずに問う。セルバンテス先生は小さく息を吐いた。


「解体には血抜きが必要です。後足に縄をかけ、首を下にして吊るします。さあ、私を模倣なさい」

 

 混乱しつつ、その工程を模倣する。

 僕が殺した青毛兎の首から流れる血を眺めようとして注意を受けた。


「傷や血を見つめすぎてはいけません。慣れてないと気を失うこともあります」

「はい」

「ただ目を背けてるのもよくないので、離れて観察なさい」

「わかりました」


 下に置いた桶にどんどんと流れる血が、独特のにおいを放っている。


「そして、しばらく水につけて冷やします」

「はい」


  ・

  ・

  ・


「では皮を剥いでいきます。私の手順をみて、模倣なさい」

「はい」


 初めての解体で僕は手間取り、手を怪我してしまう。

 セルバンテス先生の鞭が飛ぶかと思ったが、彼はそれをしなかった。


「初めての時は手が動かないものです。気を付けなさい」

「……はい」


 手の傷の手当を受けながら、僕はセルバンテス先生を見た。


「ただ、作業の方は……初めてと限定しますが、及第点といえるでしょう」

「ありがとうございます」


 それだけで嬉しいと思う感情が湧いて来る。

 セルバンテス先生は僕を認めることが少ないのだ。



――――――――――――――――――――――――――――――

「セイ……辛かった」


 レアが心を同期させたのだろうか、優しい瞳で僕を見つめる。


「この時は混乱したんだ。セルバンテス先生が求めてた従者にならなきゃって思ってたし」

「私……参考にする」

「え、何を?」

「あのね、従者になってって、言われたの」

「へ?」

「ふふ……でもさ、先生褒めてくれたのね」

「うん……」


 するともう一つ、ふわりと記憶の光珠が浮かんできた。


「ねえ、セイ、まだあるみたい」

「うん、セルバンテス先生が僕をどうみてくれたか……だね。あとエリナも……」

「……えと」

「良いよ、全部見て」


 僕はレアが何か言う前に許可を出す。彼女はふわっと笑う。


「私、誰かの思い出をここまで深く見ることができたのって初めて」

「そりゃ光栄だね」

「セイ、私嬉しい」

「嬉しいんだ?」

「……ふふ」


 応えない。ただ微笑むだけ。変わった子だな……そう思う反面、魅力的に見えた。

 ただ、人を見るって大変だろうなっていう想いも、少しあるな。

 僕の考えなんてお見通しのレアは小さく首を傾げ、僕の記憶に触れた。


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