06 セイの記憶3 ――エリナとの日々
エリナは物腰のやわらかい女性である。だけど少しでも話をしたら印象は変わるだろう。彼女は言動の端々に、何かをやらかすような雰囲気を持っていた。
とにかく行動が読めない。彼女独自の理論で動いているんようだけど、時々その理論的なものをぶっちぎって事を起こす。
たとえば、私財で孤児院を建てるなんて、考えられないことだ。
エリナは『僕を育てたい』という理由で貴族のパパと喧嘩し、全てを失うような選択をさらっと取った。
止めようとする貴族のパパに、一歩も引かない。
ついには貴族のパパが折れ、条件を出して人を遣わす。
条件の一つは教育をセルバンテス先生にさせるといったものだ。僕が彼の眼鏡にかなわなければ、排除するといった条件も加えた。
それを受け、エリナは大丈夫だと胸を張る。根拠のない信頼が、幼い僕に向けられていた。
……そういった人を勝手に信じてしまう部分こそが、彼女の魅力を作ったんじゃないかな?
そしてその魅力で、『貴族のパパ』を始めとしたヒトたちを、彼女の言葉で言う『たらし込んだ』のだ。
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いつの時かはわからないが、エリナは笑って言った。
「武器はいっぱいあるけどー……1番は気持ちなの! おうちで疲れるパパたちを、ぬくぬくにしてあげなきゃだもんね」
「ふーん?」
「いい男は寂しがりよー? 自分の世界を理解してほしいし、それなのに近づかせないの! おばかさんよね!」
「そう……なんだ」
「妾はね、そういった良い男を転がすの、得意だったわ!」
「転がす……どうやって?」
エリナはニヤーッと笑った。
「いろいろあるわ! 貴族のパパは詩をほめてくれたけど、妾、詩は頑張ってないんだよねー」
「へえ?」
「頑張ったっていえば、街の出来事はしっかり押さえてたし……あと、パパたちが妾の何がほしいかを知ってなきゃなんないし、キレイになる秘訣とかも?」
「ふぅん」
「キレイになる秘訣はね、最低限は姐さんに教わるけどさ、結局は自分で発見しなきゃダメなの。てことは、頑張らなきゃでしょ!」
「頑張ったの?」
「んふふー」
その問いに、エリナは笑うだけだった。
ただなんとなく、凄く頑張ったように思う。
だけど、それをまるで感じさせない。
「それはまたこんどね! ねえ、セイ! ……お話したげるね!」
「うん!」
エリナは読書好きだった。僕に多くの物語を彼女自身がお話として語ってくれた。
「セイ、大陸の真ん中にね、すごいおっきな木があるのよ」
「おっきな木?」
「そうよ! 広ーい壁みたいな、キラキラしてる山よりも高い木!」
「へえ? 壁? 見てみたいなぁ」
「王樹といってね! もう凄いんだから!」
それから、エリナは嬉々として王樹と神話を語る。
しかし、彼女の独特な解釈が混じっていた。
「でね、日の神様は絶倫でね! 毎日毎日求めるのよ! 魔月の女神様は大変だわね!」
「絶倫? 求める?」
「あー、まだ詳しく知らなくて良いわよ。でもさ、魔月の神さまも凄いの! 産むわ産むわ365の子たち! 賑やかでしょうねぇ!」
「いっぱい産んだんだね」
「そ、でもね、魔月の女神様はやり手ね!」
「へえ?」
「日の神様とも仲良しなのに、月の女神様とも仲良しでさ! なんと、5人の神様を産ませたの」
「ふーん? んー? 産ませた?」
エリナはにやーっと笑う。
「セイにはまだ早いかな?」
「??」
「魔月の女神さまは、悪女ねぇ」
「悪女って悪い人なの?」
「どうかしら? 妾も悪女だもの」
「エリナが? なんで??」
「セイはさ、妾をどう思う?」
「エリナ好き」
「えへへー」
なぜか照れるエリナ。
「妾はいちお、貴族のパパのだからね……」
「?」
エリナは小さく笑う。そして、少し寂しそうな表情を浮かべた。
「あのね、セイ。あなたはいつか、誰かを好きなるわ。それはね、普通の好きじゃないかんじの、強く求めて無茶苦茶にしちゃうような好きよ」
「え……? う、ん?」
「その子はね、とってもいい女なの! セイでもきっと、手が届かないくらい」
「遠くにいるの?」
「あーかもかも? だから、出会ったら逃しちゃダメよ? 手を伸ばし続けなさい。誰よりも先に捕まえるの! 良い?」
「……うん」
意味は解らないまま頷いた。
そんな僕を見てエリナは話を変える。
「あー、そうそう、神様のお話はね、続きがあって……」
「うんうん」
それから、神話を聞いた。
だけど、その前のやり取りのほうが胸に残った。
エリナは僕を自分で育てるつもりだったらしい。彼女が知っていることを惜しみなく話してくれた。
彼女の詩は恥ずかしがって教えてくれなかったけど、僕が字を読めるとわかったら、とても嬉しそうに笑って本を薦めた。「男の武器にもなるわよー」と言って、貸本屋から見繕ってきた。
今でも大好きな物語『魔女子の冒険』は流行り物だったらしい。
それから様々な分野の本を持ってくる。『魔導の初歩教本』に『神話』、『詩集』、『哲学』、『騎士物語』、『世界冒険紀行』など……。
僕は全て書き写した。『魔女子の冒険』は面白いし、エリナが一緒に読んでくれたから、特別好きになっている。
「これがいいわよ! 『魔女子の冒険』! ドラゴンとか出てくるし、世界の冒険、迷宮の話もあるの!」
「へえ?」
「読んであげるね!」
そう言って僕を膝に乗せて一緒に読む。
僕はその光景が目に浮かぶようだった。
それくらいその物語は面白く、魅力的である。エリナの朗読が巧みだったからかもしれない。
「ね! エリナ! ドラゴンっているの!?」
「いるわよ! なかなか会えないけどね!」
「どこにいるの?」
「あら、会ってみたいの?」
「んー、僕、ドラゴンと話してみたい!」
「あら、話すの?」
「うん! だってさ、僕、戦って勝てる?」
「無理ねー」
エリナは苦笑をうかべる。
「だからさ……まず話してみたいな」
「……変わってるわねぇ」
「魔女子の冒険では話してたもん!」
「あー、まーその、うん。そうねー」
「あと僕さ、世界を見てみたい!」
「良いわねぇ、もうちょいおっきくなったらねー」
「ねえ、エリナ! 一緒に行こうよ」
「んえ? あー、そうねぇ? セイがとびきりいい男になったら、行こうかしら?」
「いい男ってどうすればなれるの?」
「悪女に転がされて楽しめば、いい男よ!」
「へ? え? 転がされるの? で、楽しむ?」
「そう! すっごく辛くて、悲しいかもしれない。けど、負けないでね!!」
今思い出しても無茶苦茶だ。だけど、当時の僕はそのまま受け取り、どんなことも頑張ろうと思った。
「えと? え? あー、うん。負けない」
「貴族のパパもねー、妾みたいな悪女に騙されてさ、お金と権力いーっぱい使ったけどね、平気な顔してるの!」
「それがいい男? お金稼げば良いの?」
「それだけじゃダメよ。なんていうのかしら? 絶対負けないひとになるの!」
「負けない? うん、なる」
エリナはにやーっと笑う。
「あとは、そうねぇ……身だしなみとか色々あるけど、そのへんは習ってるんでしょ?」
「うん」
「セイはさ、まず女の子を好きになりなさい。君はきっと、悪女に誑かされるから!」
「え、そうなの?」
「もちろんよ! いい男はね、かわいいだけの子は物足りないわ! あなたが惚れちゃう子は間違いなく悪い女よ!」
「……よくわかんない」
「でしょうね」
笑うエリナに僕は眉を曲げた。だけど、ちょっとだけ理解できたと思う。僕はエリナみたいな、わけのわからない人が好きだ。
「ならさ、僕はエリナに転がされるよ!」
「あら、妾に?」
「さっき、自分を悪女っていってたよね? エリナが転がして!」
「あははー、妾が転がすかー、それはとっても高いわよ? 今のセイじゃ払えないかもね?」
「えー……」
「でもまー、悪女が惚れちゃう秘伝を、特別に教えちゃおうかな?」
「うん!」
そこから、彼女の持論を展開する。
何度も聞いた。
もうこれでもかというくらい、何度も僕に伝える言葉だ。
「いい? 自分の仕事を本気でやって、そんで……素敵な恋をしなさい。ね!」
「んー? んんー? お仕事? 恋?」
「お仕事は男を磨くわ! 恋は、まあその時になったらわかるわ!」
僕は首を捻る。その姿を見て、エリナは嬉しそうにしていた。
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……ある日、エリナがいつもと違う感じで、僕の瞳を見つめる。
なんとなく雰囲気が違う。彼女は僕に聞いた。
「セイはさ……」
「うん」
「冒険……するのね?」
「え……?」
「世界を旅して、冒険する人、冒険者たちと一緒……」
僕は目を輝かせた。
「え、冒険するの? すごいね! 僕、世界中のいろんなものを見たい!!」
「……マナを扱って戦うんだわ」
「え? ええ?」
「……うん、きっとそう」
エリナが真剣な顔で僕を見ている。なんだか、確信を持っているような表情だ。
「あの、あのね、セイ……」
「ん?」
「たとえ魔物でも、無意味に殺してほしくない」
「……」
彼女はどうしたのだろうか? エリナはその髪と同じ色をした紫水晶の瞳で僕を見つめてくる。僕はその不思議な炎が揺らいでいるような瞳に、吸い込まれるような気がして、何も言えない。
僕を見ているんだけど、何か違う物を見ているような気がした
「妾に、戦士のお客もいた。すごく嫌なときがある」
「え?」
「殺しを楽しんでいる人、嫌だった。顔も見たくないと思ってしまったの」
「……?」
「そう、人も、魔物も、楽しみで命を奪う戦士は……。星が翳ってしまうわ」
「なに、星?」
「そう、星」
意味が解らない。だけど、大切な気がして僕は彼女の視線を外さないように頑張る。
重くて逃げ出したいような圧があるのだ。だけど、それは逃げるような気がする。逃げたら彼女は僕から興味を失うだろう。
「セイ、貴方にはその星を翳らせてほしくないわ」
「僕にもあるの?」
「……ええ」
「じゃあ、僕は……」
何も殺さないと言おうとした。だけど、エリナの言葉が被さる。
「あのね、相手が襲ってきたり、食べるためであったり、……依頼だったりで、貴方にとって意味があるなら、命を奪わなくてはいけない」
「……」
「妾だって命を食べるもの、殺さないのは無理」
「……うん」
「それに妾はね、手は出してないけど、何人か、生きていけなくなったヒトがいる。ちゃんと覚えてるし、罵倒されたこともあるわ。でも、仕事と割り切ってる」
「えと……」
僕にはなぜこんなことを言うのかわからない。だけど、ずっと心に残っている。
「だからね、線を引いて。自分のために」
僕はずっと彼女の瞳から目を離さずに見つめていた。そして、頷く。
単に「殺さない」といった返しでは駄目な気がした。だから、考え、答える。
「……僕、誓うよ。楽しみで、殺さない。それと、なるべく、殺さない」
それを聞いて、エリナは小さく笑ってくれた。このとき、僕はなぜだか胸の辺りに炎が灯ったように思う。そして、彼女は続ける。
「セイ……お願いよ。出来るだけ、人や動物に優しくして……そしたら、貴方の星はもっと輝く」
僕は、エリナの言葉を胸に刻み込む。
「わかった」
答えたらエリナは笑い、急にいつもの彼女に戻った。
「ふふ……優しさの無い男はつまんないからね!」
この日より……僕は彼女の言葉が持つ意味を考え、ずっと胸に残ってている。
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「……人や動物に優しくして」
レアの言葉に僕はぎょっとなって意識が戻る。
「ああ、うん……エリナが言っていた」
「あのね、私も、2人目の母さんが言っていた」
「え?」
「うちは、家畜を世話してお金稼いでたの」
「ああ……」
「肉になってもらうから……感謝して優しくするの……」
……レアの言葉に響いて、さらに別の記憶の珠が浮き上がった。
「……あ」
その言葉で思い出したのだろう。これは……セルバンテス先生との記憶だ。
「これ……見て良い?」
「ああ、良いよ」
レアの言葉に僕は答える。
「ありがとう」
小さく微笑み、レアはその光珠に触れる。
そして僕は、はじめて動物を殺した時の記憶を、思い出した。