05 セイの記憶2 ――セルバンテスの教育
その記憶はあまり楽しいものでは無い。
僕が言葉を早くに覚え、成長が早いと知られ……それを受けた『貴族のパパ』が、教育係を派遣した。
『貴族のパパ』は、僕を従者として育てようと思ったらしい。
教育係と名乗った男性は、右目にモノクルを掛け、きっちり整えた金髪と王都の役場で見るような服装だった。
その服にはいくつか勲章がぶら下がっている。さらに木製の短い鞭を持ち、気難しそうな表情でこちらを見た。
僕の前につかつかと歩いてきた男性は、僕と視線を合わせて言う。
「其方は黒髪を生まれ持ったというだけで、従者失格です。そのような者へ従者教育を施すのは愚であると、私は主に進言しました」
「へ?」
「しかし、それと承知のうえで重ねて頼む……と、主は私を遣わしたのです」
その瞳はとても冷たく僕を射抜く。
「つまり、其方は大きな負債を抱えていながらも、それを超えて選ばれるだけの技能を身につけねばならない。でなければ、生きている価値は無い」
「あの?」
言葉を発した瞬間、彼の手にある鞭が揺らぎ、打たれた!
頬が熱くなる。
痛みより驚きがあり、それから頬の熱が、じりじりとした痛みが現れた。
だが、僕は泣くことができない。
睨みつける。
この人は、何をしたのだ?
胸の奥に黒い感情が湧いた。
体の中で熱のようなものが騒ぐ。これが、マナだと知るのは、もう少し先だ。
「ほう? 幼児なのに、みっともなく泣き叫ばない……まあ、良いでしょう」
もう一撃、反対の頬を打つ。
こんどは避けようとする。だけど、当時の僕にはムリだった。
かなり強い打撃。
勢いで倒れ、床の冷たさがわかる。
痛みは後から来た。
何をするか! と叫ぼうと思ったのだが、先んじて言われた言葉を受けて飲み込む。
「その瞳は殺しなさい」
「はあ!?」
「エリナと別れたいですか?」
「え!?」
「ただでさえ黒髪と黒の瞳は負の感情を振り撒く。敵意を上手へ向けないようにするべきです」
「あ、え?」
「常にその髪と瞳を恥じなさい」
エリナが褒めてくれた髪を!? 僕は意味がわからなかった。
「過去の事件による悪評だと同情します。しかし、其方はこの王都においては、髪と瞳だけで従者として劣っている。絶望的に……です。それを自覚なさい」
エリナは僕の髪と瞳を綺麗だと言ってくれたんだ!
なぜ、このヒトは!
感情のままに憤りを向ける。
「何で!」
「今から其方がするべきことは、私の伝えたことを覚え、実践するだけです。懸命に尽くしなさい。人生は短い。幸福の時間はそれ以上に儚い」
「……だから、何なんだ!」
鞭がもう一度飛ぶ。激痛、だけどそれでも体制を整えて、睨みつける。
「其方の行動で全てを失いますよ? エリナ自身も悲しむでしょうね」
「失う? それにエリナが……悲しむ?」
「ほう? 理解はできるようですね。名を聞きましょうか?」
「……セイ」
それだけで、また鞭が飛ぶ。顔ではなく、背の方に。激しい痛みが体に刻み付けられた。
「『です』をつけなさい。従者は主を敬わなくてはなりません。痛みは記憶を促進します。この生活を続けたければ、エリナを不幸にしたくなければ、従いなさい」
痛みの後に生まれた怒り、頭がグルグルしていた。だけど、その瞬間に、泣いている女性の顔が浮かぶ。
そうだ、あの女性……エリナそっくりの、いや、エリナか!?
彼女が、僕のせいで悲しむ!?
僕は、もう二度と、あの涙を見たくない。
恐怖が湧く。
それが、怒りを腹の奥へと押しとどめる。
奥歯を強くかんだ。
「セイ……です」
「よろしい。私はセルバンテス。其方を従者として、躾けるよう言いつけられました。教授の際には先生をつけて呼ぶようになさい」
「先生? セルバンテス先生……」
「日々の生活の中で私の教えを反芻するように」
「はんすう?」
聞き返した僕にセルバンテス先生はとても冷たい目で見おろし、言った。
「私の言葉を、頭の中で、何度も、繰り返すのです」
言葉の切れ間に、鞭の打撃を受ける。
彼は痛みで、記憶を植え付けようとしていたらしい。
僕は瞳を向けないようにして、その痛みを耐えた。
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セルバンテス先生は、僕に『日月の学び舎』で習うべきことを覚えさせた。
3年で培う内容を、半年以内と期限を切って。
『日月の学び舎』で習う基礎学力の履修は、貴族の従者として必修であるらしい。平民であれば読み書きと計算が必要な商人や、王都で登用される『神の祝福』持ちが学ぶ場所である。
語学・算術・歴史・社会・神学・魔導基礎理論などだ。
ただ黒髪に関しては意図して教えてくれない。セルバンテス先生にとっては不要であり、知られると問題があると考えたのだろう……聞いても無言を貫いた。僕が黒髪が忌まれる理由を知ったのは、ゴミ屋ギルドに所属して暫く経った頃である。
セルバンテス先生は常に厳しい。だけど先生の言葉には真実が多く、教育のために力を惜しまないという姿も見せてくれた。
「今日からこの書物を書き写し、覚えなさい」
ある時、書き取りを申し付けられる。元々平民は書物を買うことは珍しく、基本は貸本屋で借りてそれを書き写す。
それを元に授業を行うのだと言う。必要な作業だと理解できた。
ちなみに紙や教育用の書物などは、セルバンテス先生が私財で用意してくれたらしい。書き写せばそれは僕の物になったのだが、実際に書くとなれば困難である。
だが、セルバンテス先生は危機感は煽る言葉を投げつけた。
「書き写し期限は3日以内です。途中進度を見ます」
「え……」
「そして次週までに中身を全て覚えなさい。覚えているかどうかは、試験を出します。出来なければ……其方は能無しと判断し、除きます。エリナも……立場を無くすでしょう」
エリナが危い!? ……その言葉で、僕は必死に取り組む以外ない。
ただ、覚えられるかどうかの不安は付きまとってくる。
今思うと、書き取りと試験をこなせたのは夢の影響が大きい。
書き写し、覚えなさいと言われた間、毎日見た悪夢の……。
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僕はいつも見る3人の夢の1人。
世界を巡り、汚物を回収し、空からの飛来物で絶命した男が、若い頃に体験した夢。
手に魔道具を持っている。
トリガ式? これは衝撃を放つものだ。
人に向けて用いたら、死んでしまう程度の威力はある。
今、何かの試験の裁定を下すため、僕はここにいた。
そうだ、この試験には覚えがある。
運よくこれを潜り抜けた僕は、のちに世界の穢れを集める役目を得る。
だけど、今はもっと嫌な仕事だ。
『嫌で仕方ない』心の中で思っている。
それが周りにばれてしまえば僕は生きていけない。
だから、心を殺してその役目を遂行する。
大丈夫だ。心を殺す方法は簡単である。
脳を痺れさせるため、思い込む。
『苦しまぬよう、せめて一思いに……』
それが、僕の心を支配していた。
「回答は如何に?」
「……」
僕の隣にいる男性が、小さな子に向けて質問をする。
覚えたであろう課題に沿った質問。
ただし、こいつはひどくねちっこい問いかけをした。
脇にいる僕は、それでは考えることが難しいと感じる。
その子がその答えに詰まると、そいつは指を立てていく。
質問の意味が解らない。
答えられない。
そして、そいつは呟いた。
「3度目だ……」
その笑顔が醜悪に映る。しかし、これからが僕の仕事だ。
涙目の子の頭を掴み、こめかみに魔道具が押し当てる。
――― ああ……いやだ……
子が暴れだす。頭を振って、逃げるようにした。仕方なく押さえつける。
――― いやだ、いやだ……。
「あ、ああ……」
震える子に対し、僕は祈りながら魔道具を使った。
小さな頭が衝撃で震える!!
子は転がってこちらに光の無い瞳を向けた。
―― 恨んでくれ
もしその魂に、意味があるなら……
呪い殺されても、受け入れよう
掴んでいた子が揺れて、ぐにゃりとなる。
強い喪失感。
闇の中で、どこまでも……もがき、自分も消えていくような……。
―― 嫌だ……。
なんで、こんなことをするんだ……?
いつか、こんなひどい目に合わせた奴らを壊したい
ここを抜け出して……
暗い想いを声に出すわけにいかない。
試験をしていた男が、笑顔を向けた。
その唇が、いやに赤々と見えた。
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目覚め、冷や汗がでて、焦りが現れた。
セルバンテス先生の目つきが、夢の僕と同じだと思い込む。
あれは……『もしできなければ仕方ない』と思っているのだ。
彼は本気である。
仕事だから……出来ない子でも、排除するのだ。
僕は戦慄した。
食らいつくため、覚えるための方法を聞く。
「せ、先生、どうすれば覚えれますか!?」
すると彼は眉を少し上げ、教えてくれる。
「一度で覚えきれないのであれば、何度もやりなさい。人より劣っていると思い込めば簡単です。他者が1度で覚えることも3度もやれば覚えることは可能でしょう」
そしてモノクルを光らせて言った。
「其方は自身が劣っていると思い込むべきです。その恐怖心、うまく使いなさい」
書き写した1度目は、字が乱れていると言われ、広い範囲を書き直した。
2度目は丁寧に書き写し、問題なしとされる。
そして覚えるために、また書き写しを行う。
余計に書き写した甲斐もあり、渡された書物の内容はぼんやりと覚えることができていた。
さらに必死だと何とかなる。
工夫だってした。覚えられなかったところをチェックしておいて、もう一度繰り返す。
間に合わせるためには睡眠を削った。
寝てもどうせ悪夢をみるからと割り切る。
僕の頭は、一度で覚えることができるほど上等な頭では無いと思う。
だけど「覚えるように」と言われた時の目つきと、夢での光の無い瞳への恐れが、自分を必死に駆り立て、何度も覚えるよう数をこなした。
そして、試験の日となる。
「ふむ……及第点はありますね」
提出した試験用紙を見て、セルバンテス先生はかすかにだけど頷く。
それ以降、鞭は飛ばなくなった。
「セイ、私は貴方を見くびっていたのかもしれませんね」
その言葉が、とても印象的だった。
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「よかった……」
レアが声を上げた、思ったより強く握っていた僕の手を離す。
思い出から戻ってくる。
「……楽しいものではないでしょ?」
僕の言葉にレアは小さく首を振る。なぜか頬が上気していた。
「見ることができてとても嬉しい! でも思い出させてしまった……」
「……懐かしい。でも僕はセルバンテス先生を、尊敬……もしているんだよ」
「セイは変ね」
「そうかい?」
「なんで、急に怖くなったの?」
……?
夢を見たからだけど……見えているだろ?
ただ、夢の内容を口に出せなかった。
「夢……だよ。それにエリナと離れるの、嫌だったから」
「ゆめ……むぅ」
その時、さらに記憶の光珠が浮かび上がる。
優しい光、たぶんこれは……安らぎの記憶だろうな。
「みても……」
「良いよ」
「ありがとう」
レアがちょっとはにかむような表情。なんか、うれしそうだな。
そして、彼女が光に触れる。僕はまた記憶が蘇ってきた。