04 セイの記憶1 ――エリナの言葉
僕を拾ったエリナは孤児院を開いた。
それが彼女の私財を使ったのだと、かなり後に気付く。
貴族の愛妾だったエリナは元平民の高級娼婦であった。
彼女のような境遇だと、大概のヒトは貰ったお金を派手に使い散財するらしい。
僕が仕事するようになって、回収先で娼婦や男娼をするヒトたちと話す機会があり、その意味の一部が解る。
花街という世界を生きていると、どうも心が荒む。さらに捨て鉢になりやすく、お金がある。その日暮らしで使ってしまうのだ。自分を売るという仕事は大変なのだろう。
エリナは異質だった。エリナは幼児期から娼館で育ったので、常識がずれていたように思う。
彼女は給金として貰ったお金で詩集を買い、自分の内面を磨くことに使った。もちろん美しさを磨くためにも使うのだが、厚化粧に慣れた人たちに新鮮味を持たすためにあえて化粧を減らし、それが当たったという。
そして上級娼婦という立場を得ると娼館側からも出資され、自分のお金が減らなくなった。
上級娼婦は性のやり取りだけでなく、恋と夢を売るらしい。そのためには教養と哲学と最新情報が必要だった。彼女の詩に対する造詣が、品位として強力な武器となる。
彼女はずっと忙しかったらしく、お金を使う暇もなかったと言う。
結果エリナは大きな貯蓄を作った。
貴族の愛妾となる頃のエリナは、親の借金はすべて返し、さらに商館から出て何か商売をできる程度にはなっている。
彼女には新たな暮らしをする道もあった。だけど彼女がパパと呼ぶ貴族の誘いを受け、愛妾となる道を選ぶ。エリナが「貴族のパパ」と呼んだ男性は、身請けという形でエリナに家を与え、彼女はそこで暮らしていた。
不自由のない暮らしだったのに、彼女は拾った僕を育てるために私財のほとんどを使い、私設の孤児院を建てた。
土地と家と手続き、その全てが大きな財産であったと、彼女が倒れた後に知った僕は愕然とし……余計に自分が許せないでいる。
僕は彼女に返しきれないほどの恩があるのだ。
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「パパが、勝手にしろとかいうの! だから、孤児院作るっていったら困った顔しちゃったのよ!」
エリナはおねだりしたとケラケラ笑って教えてくれた。
しかし、本当は違う。「貴族のパパ」へのおねだりは法的手続きの部分である。
「みんな妾が選んだ」
今の僕があるのは、孤児院を建てたエリナと、僕を従者となるよう躾けたセルバンテス先生、武技を仕込んだ師匠によるものが大きい。
思い返してみれば、僕の住む孤児院は特殊だと思う。僕の後に何人かが入るけど、どの子もエリナの感覚で選ばれた子たちだ。その選定は厳しく、人数が少ない。それだけでも他の孤児院と違う。他はもっと多くの子がいるし、教育なんて無いに等しい。
ただ孤児院に関して、「貴族のパパ」とエリナの間にいくつかの決め事があった。
その中の1つに、エリナが孤児院への来訪は、週に1度となっている。それ以外は僕の、いや僕たちの教育にあてられた。
「エリナ、行っちゃうの?」
彼女との別れは寂しい。
それに僕は、エリナ以外の人たちから異形を見る目を向けられている。
黒髪の子供で、子供らしく泣かない。泣けない。
薄気味悪く映ったのだろう。悪意は感覚でわかったし、言葉にする人もいる。
なにより、エリナのいない時、僕は厳しい教育を受けていた。
だから……エリナと過ごす時間は僕にとって大きな安らぎである。
「ごめんね、妾はここに入り浸っちゃだめって言われてるの」
そう言ったエリナの表情まで覚えている。
「だけどセイ、元気でね!」
「……うん!」
エリナとの時間が大好きだった。
僕の夢で泣かせてしまったあの女性にそっくりなエリナ。
彼女と話していると、僕の深い部分に刻まれた傷のようなものが、じくじくすることもある。
夢の彼と僕が違うのはわかっている。
だけど、特別なヒトであるのに違いはない。彼女の言葉に答えるため、僕はいつも少しだけ無理をしていた。
……僕は、エリナと一緒に過ごすため全力を尽くす、愚かで無力な子供でしかない。セルバンテス先生の授業で常に思い知らされるのだ。
そのことを知っているかはわからないが、エリナはいつも優しく微笑んでくれる。それだけで、僕は余計に頑張ることができた。
今思い返すと、エリナは僕に何かを見ていたような気がする。
いつだったか、僕に対してエリナは言った。
彼女は寝転がって小さい僕を抱えて自分のことを語る。
たしか始まりは幼児のときから、両親に売られたと言う。
「セイと妾はさ、似てるわ」
寂しく笑う。彼女が顔も知らぬ親を想う時に見せた、何とも言えない表情だったのを覚えている。僕をみて自分と重ね、揺れているようだった。
だけど彼女はすぐにそれを打ち消す。
「んふふー、でもま、セイは妾が見出したんだからさ、良い男になりなさいな!」
「うん!」
「はい、よ! セイ」
「はい! ……でもいい男ってどやってなるの?」
「えとね、えっとね……」
彼女は目を輝かし、独自の良い男論を展開する。
エリナは花街の姐さんと呼ぶ人たちに教育された。だから、常識が少し違っている。
色々と無茶なものだった。
「悪女に、ひどい目にあわされなさい!」とか、「それでも、へこたれないで!」とかだ。
最後に僕の目を見ながら言った。
「一番はね、生きてる者には優しくして!」
「優しく? えと、うーん。はい」
僕が首をかしげると、エリナはまじめな表情で言った。
「あのね、結局はダメなヒトになっちゃっても良いの、運があるもの……。でもね、優しさの無い男はつまんない! だから、それだけは持ってほしいわ」
「よしよしってするの?」
「違うわ! 甘いのは論外。誰かのために動けて、自分はいっぱい嫌われても、貫けるのが優しさよ。それがいい男だわ!」
その言葉がずっと残っている。
「わかった。僕はなる! 優しくていい男に!!」
僕は胸を張って答えた。
これは幼い僕の誓いである。
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自分で言うのも何だと思うのだが、僕はあまり手の掛からない子供だった。
僕は3つの時から先生が付いたこともあり、かなり早い段階で読み書きまで出来てしまう。
夢の影響もある。
今では減ったけど、当時の僕は頻繁に夢を見ていた。彼らの最後だけではない。3人が様々な場所でやり取りを行う。
楽しいものはあまりない。
後悔・失敗・憎悪・苦難・苦痛・理不尽ばかりだ。
……うまくいくこともあるが、失敗も多い。それらを意味も解らず体験していた。
夢の中で抱いた感情は、僕の中に残る。
その夢の内容を伝えるのは、忌避感が伴うからあまりしない。
また、従者の教育は厳しく、多くの課題を課せられた。
それはなかなかうまくいかず、荒んだ心でぐるぐると思い悩む。
そんな僕の助けになったのは、エリナの笑顔だ。
「セイはすぐ覚えるそうね!」
「……そう?」
「妾、びっくりよ!」
幼い僕に向き合って褒めてくれるエリナ。
彼女は大したことをしてくれるわけではない。いつも本気で褒めてくれているだけだ。そして、僕の成長を自分のことのように喜んでくれている。本心からの言葉は伝わるらしい。彼女の言葉を受け、僕は素直にうれしくて、もっと頑張ろうって思った。
「エリナ、ありがとう」
そんな僕の感謝を、エリナは受け流す。
「……んー? どういたしまして! てか、聞いて!」
そして笑いながら昔を語る。
自分の過ごした時間は珍しいものだと思っていて、誰かに知ってほしいようだ。
彼女は独特な価値観をもっている。
「妾はね! お店ではすごい人気があってさ、一晩に金貨が動く事もあったのよー」
彼女は口の奥で笑う。
「でも、喜ぶのは元締めでね、妾にくれるのは少しだけ、不公平!」
怒り顔を浮かべて、唇を尖らせる。紫の髪がふわふわ揺れる。
そんなことを言ったかと思えば、急にふふんと胸を張る。
「でもね! 結構な人たちを手玉に取ったの!」
そういって、どこかの商会で王族とも取引してる豪商を「あごひげの先がちょろっと赤いおじさまだけど……」と、特徴を言いながら面白おかしく話をしてくれる。
僕が人を覚えるときに、特徴に注目するようになったのは、彼女の影響があるのだろう。
その日してくれた豪商は羽振りがよかったらしい。ただ、それが態度に出て……エリナに対してだけでなく、仲間内にもかなり横柄だったという。
だから、エリナはその人をうまく転がしたうえで、こっぴどく振ったらしい。どうやら、彼女の立場ではそれが許されるようだ。
以後、その赤ひげ豪商はエリナに夢中となり、かなり大きなお金を提示した。どうやら、それでなびくと思っていたらしい。
しかし、一度振った相手に振り向くことはないのが、店の誇りだった。
豪商は沽券を傷つけられてしまう。その後商売でも小さな失敗をくりかえし、最後の巻き返しをしくじって家をなくしたらしい。
「かわいそうでしょ? これも……妾のダメな所ね」
エリナは軽く目を伏せる。何やら思い出しているようにも思えた。
「そのせいで妾、1度振ったらもう靡かないって評判になってしまってさ、たいへんだったの……そんなことないのにね」
彼女は何か独特の観察眼を持っていたように思う。
「……」
僕が話を聞きこんでいるのを見て、小さく笑って話を切り替えた。
「そうそう、姐さんが言ってたけどさ、いい男を転がして試練を与えるのが良い女なんだって! セイも試練うけてみるー?」
「うん、受ける」
「あらー、後悔するわよ」
「しないよ」
「あらあら……じゃあ、どうしようかな?」
にやーっと笑った。
「んーでもでも、セイへの試練はもっと後にするね!」
「えー? なんで?」
「男の子も女の子も、良い男・良い女になるときにね、頭に星が瞬くのよ」
「へ?」
良く解らない言葉。僕は聞いてみる。
「僕にもある?」
「さぁ? どうかしらねー」
「……ないの?」
「んふー、試練を与えるくらいになったら教えたげるわ!」
「……もっと大きくなったら?」
「そうねー」
「ていうかさ、星って女の子にもあるの?」
「んー、女の子はちっちゃい三日月みたいになってるかな? それが奇麗でさ、触ったら崩れちゃいそうなの!」
「月と太陽じゃないの?」
「おー? 勉強してるわね。だけど、それは神様だわ!」
よくわからないやり取りだったけど、ひどく印象に残る言葉だった。
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「セイ、ありがと」
レアの言葉で僕は意識が戻った。
いままで記憶の中にいたらしい。
懐かしいな……。
あのやりとりが、僕の中での安らぎだった。
「……むぅむむぅ、むむむ」
レアは何だか唸っている。
「……?」
僕は首をかしげた。
「むむー……うーむむむ」
どうしたんだろう? 僕が聞こうとする前に、レアは言った。
「イライラする……」
「なんで?」
「……モヤモヤしてる」
言ってからレアは僕の手を放し、暫くうろうろする。
そして相変わらず表情は読めないが、再び僕に触れ、気持ち上目遣いで聞いた。
「セイ、エリナの思い出に、絡まってきた。セルバンテス……先生?」
「……ああ」
すると、僕の中から出てきた別の光が、レアに纏わり付く。
その色は、正直あまり好きな色ではない。
「……見ても大丈夫?」
レアは触れようか戸惑っている。
「良いよ、見ても」
「……良いの?」
「うん」
僕の答えにレアは頷き、それに触れた。