03 レアのお願い
「レア、おはよう!」
神殿についた僕は、ゴミ置き場の端でちょこんと座っている聖女のレアを見つけ、挨拶する。
「おはよう。セイ、もうお昼が近い」
レアはゴミ缶の前で少し膨れっ面をしていた。
「今日はどこも多くてさ、手間取ったよ」
たまにだけど、どこの店舗でもゴミ量が多くなる時がある。
しかもそれは多数の店舗で、打ち合わせたかのように重なってしまうのだ。理由はわからない。おそらく、片付けの日が被るのかもしれないんだけど、ラドックに聞いてみても「そういうもんだ」としか返ってこない。
元々今日は朝の件数が多い日で、ミランダさんとも話し込んでしまった。どうやらレアを待たせてしまったらしい。
「煙のにおい?」
レアが寄ってきて僕の裾を取り、臭いを嗅いでいる。
「え? あー、そうかミランダさんが煙で……。てか、仕事中の僕は臭うよ」
「ミランダさん? ……んー? あ、セイ……」
僕に触れたレアは何やら考え、そして言った。
「煙草ね? かわった臭い。でもそれくらいよ、セイ。私臭いは気にしない」
「……本当?」
「私、嘘言えない」
「そうか」
ちょっと信じられない。女性は臭いに敏感である。エリナだって、メアリだって鼻が利く。だから僕は、家に帰る前に聖王温泉に寄ってしっかり洗ってから戻るようにしている。
「あのね、私の家は一角牛をいっぱい飼ってた」
「へえ?」
「牛舎は臭うじゃすまないの。朝の仕事はフンを片すの」
「ああ、臭うんだね?」
「とても臭い。けど良い肥料になる」
「……そっか」
「でも、ごめん。ミランダさんのこともだけど、その……見えた」
「え?」
「朝の……その、記憶」
記憶……?
「セイが思い出した、昔のこと」
あー、生まれ落ちた時の記憶かな?
「……それくらい良いよ」
「寒かったのね」
「うん」
「でも、不思議ね。赤ちゃんなのにまわりが見えてた?」
「あー、そうかも?」
「むむぅ」
レアは僕の袖を持ったまま思案顔を浮かべる。何か可愛いな。そう思ってしまうと、読まれてしまったのか? ちょっと慌てて手を離した。
「僕、仕事しちゃうよ」
「お願いね」
そういえばレアは僕を待っててくれたのかな?
他の仕事は良いんだろうか?
ゴミ出しなんて、ゴミ缶だせば済む仕事なのに……。
僕は会えて嬉しいけどね。
……そんなことを思いつつ、『回収の手』を出した。
仕事を楽しむコツは、疑問をもって考察すること。ラドックやモルガンには「仕事中はろくでもないこと考えとけ!」と教わり、僕の癖になった。だから疑問を見つけ考察する。
疑問は、神殿のゴミ量に関してだ。
そう、昨日と変わらない量出ている。
ほとんどが生活ゴミっぽい。大規模な食堂と同じくらいの量がでてるの、なんでだろ?
神殿はたしか寮があって、100人単位で生活してるんだっけ?
あ、神殿は怪我や病気の治癒もやるんだよね?
『聖祈』での治療は金銭的な問題もあり、頻繁には使えない。だから手当担当の神職がいて、入院施設もある。200人くらいは入れるかな?
だから毎日この量になるのか?
聞けば済む問題ではあるが、神官の人はそこまで考えないし、「知らん」とか「言えん」ですませる。まあ答えなんて求めてないのだ。考えながらだと、仕事がすぐ終わるのがありがたい。
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「よし、おわり」
一度回収したらお手のものであり、僕は手際よく片付けることができた。
何故か、レアは僕の作業を見続けている。
ゴミ缶の濯ぎまで終わらせ、息を吐いた。
「ねえ、レア、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「何?」
「レアってここに住むことになったのっていつ?」
「私? んー……3年前だったかな?」
「そっか、じゃあレアじゃないか」
「?」
「あのさ、この神殿で僕を助けてくれた巫女さんがいるらしいんだけど、何か知らない?」
「……?」
「僕……5年前にちょっと傷を負って、それを奉仕活動の巫女さんが治してくれたらしいんだ」
「…………」
「んー。レアじゃないなら誰だろう?」
「……」
レアは少し俯き、黙りこくってしまった。どうしたんだろ?
「レア?」
「……私、避けられてる。周りの人と話さないの。あと心を見た場合は言えない」
「あー。そうか」
「それに奉仕活動中の話とか、その時に何があったとかを、神殿以外の人に言っちゃだめなの。セイ……その、ごめん」
「そか……お礼言いたかっただけなんだけどな」
「どんなふうに?」
レアは小さく首をかしげて聞いてきた。表情は乏しいんだけど、なぜかいたずらを思いついたような雰囲気があるな……。
僕は当時を思い出す。
傷はかなり深かった。今も胸に傷跡が残っているし、弱い毒が塗られていたらしい。聖祈を受けても、意識が戻るまで5日かかったほどだ。
今僕がこうやって話せるのも、孤児院が存続できているのも、当時の巫女さんが使ってくれた聖祈のおかげだ。
レアじゃないかな? なんて勝手に思っていたけど、5年前に彼女は居ない。
「じゃあ、レアが代わりになってね」
「ええ」
そして僕は、深々と頭を下げて言った。
「助けてくれてありがとうございました! 感謝しています!!」
そして、レアは小さく頷く。
「……伝わる」
「うん……。じゃあ、僕行くよ」
「あ、まって」
レアが呼び止めた。
「どうしたの?」
「あのねセイ、お願いがあるの」
「なに?」
「えと……」
急に何だろ? 僕は眉を上げる。
「どうしたの?」
「私、いつも『さとり』の力を抑えてるの」
……ああ、読み過ぎないようにしてるって言ってたな。
「うん、それで?」
「でも、時々解放しなきゃ、マナが澱んできちゃうの」
「よどむ……力を使わない方が? てか、『マナのあれ』が出ちゃうってこと?」
レアはすこし恥ずかしそうにしながら、つぶやく。
「そう。眠くなる」
『マナのあれ』……朝にも少々危惧していたが、魔導師をはじめとしたマナを用いる職業に付き物の症状だ。
体内のマナが消耗によって枯渇したり、偏ったマナを取り込んだりすると体内のマナに澱みができる。そう言った状態が続いた人に『マナのあれ』と呼ぶ異常が出るのだ。
具体的には三代欲求が高まってしまう。例えば魔女子さんは食欲に出るようだし、僕は……まあ困る。
『マナのあれ』の欲求は抗い難い。渇望ともいえる状態、それ以外考えれなくなってしまう。
限界を超えるとそれが頭から離れなくなり、それを妨げる相手に攻撃衝動まで現れてしまうのだ。
僕にとって悩みの種である。特に孤児院にはエリナやメアリがいる。彼女たちを傷つけてしまうわけにはいかない。
恋人を作ればなんていう人もいるけど、僕にはやるべきことがあり、今は考えることができない。
だから、僕は治してもらいに行く。
でもそうか、レアは睡眠に出るのか……良かった。
……? 良かった? 何だろ、この感じ?
自分の気持ちに折り合いがつかず、僕は適当なことを言ってみた。
「抑えるのにマナが要るんだね」
「うん……。本来の力を抑えるのって、澱みになるっぽい」
「そうか……」
マナの澱みは忌むべき物だ。単純にマナを動かしにくくなってしまう。仕事にも影響が出る。さらにほっておくと人体へ障り、病となってしまうのだ。
レアは僕を真摯に見つめて言った。
「だから、抑えてるのをやめて、セイを見たいの」
僕はレアを見つめ返す。
「僕の記憶、見てもつまらないよ?」
「そんな事ない!」
レアが珍しく力を込めて言う。
「……」
「見られて嫌だとは思う。けど、私は見たい」
「……」
「さっき、勝手に見てごめんなさい。見えると思わなくて……」
「普通は違うの?」
「だいたいは、ちょっと考えてることよ」
「そうか……印象深かったから、かな?」
「あれを見て、私……セイのこともっともっと、見たいと思ってしまった! だから、その、おねがい!」
僕はレアを見つめた。
今まで真剣な人を見てきたし、僕も必死のお願いをしたこともある。だから解った。彼女は本気で頼んでいる。
記憶や思いが他者に知れ渡ると、とても立場が危うくなるかもしれない。それがもとで僕が働けなくなったら、孤児院の皆はどうなる?
僕はつい悩んでしまう。しかし同時に彼女は記憶を漏らさないと根拠も確信もあった。
「…………」
僕は彼女をさらに見る。
「私、見せてくれた分お返しする。私のことも教えるし、言えない場合は……出来る限りセイの力になるわ」
「……」
ここで断ればレアとの縁はこれで切れ、二度と会えないだろうという予感がある。
それは耐え難いものだと思った。
僕は軽く息を吐いて答える。
「良いよ。僕の記憶でよければ」
僕は手袋を外して手を差し出す。レアは小さく微笑んだ。
「ありがとう」
「いいよ」
「あのね、私……人の心に触れるって、とても嬉しいの」
僕の手を取り、レアは頬を染めて言う。
「セイ、代わりに何でも聞いて」
急に言われてもなぁ……。
「むぅ……。じゃ、私の何が知りたい?」
え……答えてくれるのだろうか?
「できるだけ答える。でないと、不公平」
「そうか……」
「私に聞きたいこと、出来そうなこと、思い浮かべて」
「……」
そして、僕は多くの思考が湧き出る。
それは、生まれや黒髪で苦労したのかなどの共通点もあれば、教会の仕事、他にも『浄化』を覚えられないかなど取り止めもない。
また、隠したいような卑猥なことだってちょろっとだけ浮かぶのだけど。その瞬間、何故かレアに女性的な魅力を感じなくなる。
この感覚は、不思議だ。
「ごめん。最後のは言えない」
「え?」
「その理由は知ってる。けど『さとり』で知ったことなの」
「……へえ?」
誰かの心を見たから……だろうか? 聖女の力ってのもあるかもしれないな。僕はとりあえず疑問を打ち切り、レアに聞いた。
「んー、良いや。あとで考えるからさ、僕の記憶を見てよ」
「ええ」
レアがふっと真剣な目で僕を見つめ、ふっと力を抜いたように見える。同時に何かが、僕の中に流れ込む感覚があった。
同時に、僕の中から何かが抜け、彼女の周りにいくつかの光珠が現れた。
これが僕の記憶だろうか?
点滅する光珠は色が様々で、明るいものも暗いものもある。
「これ」
彼女は、何となく落ち着く色の光珠を指した。
「私が触れた瞬間、セイも思い出す……」
レアはとても慎重にその光珠に手を添えた。
そして、少し控え目に首を傾げた。
何とも言えぬくすぐったいような感覚。
この記憶って……。
「……エ、リナ?」
レアの声につられてエリナを想う。
すると珠の光が強くなり、レアの周りで舞い始める。
とても優しい色の光珠だ。
なんとなくだけど、理解する。
僕は大切にしているけど、他の人にはどうでもいい記憶だ。
「見たいわ。良いかしら?」
何故尋ねるのだろうか?
もともと勝手に流れ込んでくるんじゃ?
少し疑問に思ったが、僕の根深い部分の記憶だからか。
もしかしたら、レアは簡単な思考であれば見えるけど、しっかり見るためには僕が許可しなければならないのかな?
けど……これは、エリナとの思い出だ。
大切で気恥しい。しまっておきたい記憶。断ればレアは諦める気もするが……。
軽くレアを見る。今まで表情の変化が乏しい彼女が、とても無邪気に笑っているようにみえた。
そして、僕は頷いてしまう。
「ああ、良いよ」
「ありがとう」
レアは光珠に触れる。
僕にもその記憶が蘇ってきた。