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30 【閑話】 魔月神殿の夕刻

 ―― 夕刻


 レアが所属する紅銀の魔月神殿では、この時間におつとめがある。


 神職たち全員が礼拝堂へ集まって(かしず)き、マナを高めて祈る。

 祈りによって高まったマナは、祭壇の中心へ()え置かれた祭器へ集う。この祭器はマナをさらに上位の物へと変えてくれる至宝であった。

 この儀式で祭器は輝き、神殿の空気は清浄となる。

 礼拝堂は荘厳で心が穏やかになる空間となった。


 この儀式は他の神殿でも行われるが、祭器はそれぞれ異なった(かたど)りをしている。

 白金の日輪神殿には太陽の神が闇雲を切り開いたとされる剣。

 蒼銀の聖月神殿には月の女神が闇雲を照らしたとされる鏡。

 紅銀の魔月神殿には魔月の女神が二柱から受け継いだ力を混ぜ合わせ、結晶化した首飾り。


 レアは魔月神殿の『聖女』である。彼女の視線の先の祭壇には首飾りがあった。

 神殿に住む全神職たちの祈りとマナが祭壇へと送られていく光景は神秘的に映る。

 マナを受けた祭器は輝きを放つ。マナが満ちたのだ。


 儀式は清浄な空間を作って終わりではない。

 祈りとマナが祭器へ満ちる3日毎、信徒の一人が代表で神殿の最奥へと赴き、神殿を支えるように存在する大樹……『王樹の若木』へ祈りとマナを奉納するのだ。

 毎日の祈りとマナを受けて王樹の若木は蕾を付けて花開く。

 その後に落ちた王樹の花弁を下賜という形で受け取り、神職たちは聖祈の発動体を得る。

 神殿にとって重要な儀式だった。


 この儀式での祭司、神職たちの祈りとマナを祭器へ納める役目は神殿の長、大司教が担う。

 祭器を預かり、王樹の若木へ捧げる役目は3人の司教たちと『聖女』であるレアが交代で受け持つ。


 『聖女』レアの抜擢(ばってき)は、彼女を預かる若い司教の実験からだ。

 『聖女』が王樹の若木にどのような影響を与えるか興味があったらしい。彼が立場を利用して実験した結果、王樹の若木は桁違いに多くの蕾をつけ、たくさんの花弁を得た。

 ただ、効果に比してレアの消耗は激しい。疲労が強く、かなりの確率でマナの障りが現れ、眠たくなってしまう。


 皆の祈りが粛々と響く(かたわ)らで、レアは専用の衣装を身に着け、聖堂の端で控えている。今日はレアがマナの奉納を担当する日なのだ。


「レア、頼みましたよ」


 荘厳なる祈りとマナを集める儀式が済み、レアの指導役である上級神官のアリアが声を掛けた。


「はい」


 小さく応え、祭壇へと進む。

 レアは人の頭ほどもある大きな祭器を、三宝のような台へ載せて預かり、神殿の最奥へと向かった。




 (つつが)なく役目を終え、戻ってきたレアは表情は変わらない。だが、歩みにふらつきがある。アリアが気遣ってくれた。


「レア、大変だったわね」

「……はい」

「食事まで短いけれど、お休みなさい」

「ありがと……ございます」


 アリアに促され、レアは先んじて部屋へと戻る。他の神官たちには儀式後の片付けがある。少し悪いなと思うのだが、疲労には勝てなかった。



―――――――――――――――――――――――――――――― 

 レアは神殿の寮暮らしである。


「ふう」


 一息ついて寝具に倒れ込む。

 このまま睡魔に任せようかと目をつぶる……しかし、なぜか眠れなかった。

 なぜだろうか? 

 胸の奥に引っかかりがあるせいかもしれない。

 考えて、思い浮かんだのは少年セイの顔だった。ぼやけた頭で彼のことを考える。


「セイ、やっと出会えた」


 表情は変わらない。

 しかし、その響きは喜びが混じっている。

 今朝の対面は彼女にとって大きなものだ。

 見えてしまったセイの心、その後に流れ込んできた強い誓いと暗い情熱。


 エリナへの想い。孤児院の皆への想い。

 それらはとても大きく、仇への怒りは深くて暗い。

 心の内に暗い情熱を抱えているというのに、エリナからの教え「人に優しくしてね」を守るために苦しんでんでいる。もがいている。


 そして、自分を責め続けている姿が見えた。

 恐らく過去に原因があるんじゃないかな?

 今朝はそこまで見えなかった。


「あれは、なんだろ?」


 レアはセイの心の最奥を、一瞬だけ垣間見ている。

 そこで、見えてしまった。

 見た者を魅了して離さない(たま)のような何か……。

 触れてしまえば弾けて消えてしまいそうなほどに脆い……。

 それでいて、触れたら自分が飲み込まれ、捕らわれてしまうような、怪しくて危うい巨大な存在感……。


 あんなものは、他の誰にも見えた事はない。

 もう一度、深く、見てみたいと思うが、禁忌の様にも思える。大いなる魅力と共に、畏れを抱いてしまった。

 スキマから見えた彼の心の最奥にあるナニカ……。


 思い返したら、頬が熱を持つ。動悸が早くなる。考えがまとまらない。この気持ちが何なのかよくわからない。

 そして虚空に手を伸ばす。


「私、あなたの力になる」


 レアはセイの内にあったナニカに、魅了されたのかもしれない。

 いま、彼女は彼の悩みや苦しみを、包み込んであげたいと思っている。

 そうしたら、あの異常なまでのナニカに触れることが出来るんじゃないか?


 出会いの時に抱いた想いと、心を見て現れた想いが混ざりあい……なぜかもやもやが現れる。


「……?」


 もともとレアにとって心を見るという能力は、喜びであった。誰かの心を見る瞬間、彼女は相手に好感を持つ。

 同時に、どんな人間であっても……心を見た相手には寄り添い、力になりたいという気持ちが湧きあがってしまう。

 もちろん、その気持ちの大きさに差はあった。もし心を見た相手同士が対立していた場合、最後は自分の心に従うと決めている。


 『さとり』はだれかの人生の一部に触れ、追体験することができる能力だった。……それは相手を理解し、相手の脆さに触れ、相手を癒して包み込み、心を救うために在る『聖女』の力の1つである。


 レアが今まで見てきた心は、不思議なものだった。善人には善人の、悪人には悪人の想いがあり、それに統一性はなく不完全である。

 それなのに、何よりも整っていて、完璧な存在にも見えてしまう。

 彼女が見る人の心はすべて美しくて醜く、下劣であって……なのに尊い。


 それぞれの行動には意志と理由がある。

 しかし、本人の意志と理由がぼやけていることも多く、何に喜怒哀楽を感じるのかを含め、何とも言えない世界が人々の数だけある。

 それらの世界が見えてしまうレアは、万華鏡を初めて覗く子供の様な驚きを、いつも抱く。


 それはとても不思議で面白くて、見るたびにまるで違う世界。人の数だけ存在する光と闇のまじりあった光景。

 たくさんの世界を追体験している彼女は、すべてを興味深く取り込み、自らを育てる糧となっていると言っても過言ではない。


 だから彼女は、心を見せてくれた相手のことを愛おしく思う。

 心に触れ、心を見とり、心を感じ、相手の行動に感心する。

 他者の心は多くの事を教えてくれる教師であり、すぐ近くにいる友人であり、誰よりも理解できる相棒だった。


「セイは……探してる」


 彼の力になるためには、もう少し彼の心を見せてもらう必要があると思う。

 見ることが出来たセイの暗い想いと、後悔の念、誓いに込めた熱……それらは、見ることのできなかった過去にある、愛された時の大切な記憶にあるからだろう。

 彼が忘れている、仇に繋がる貴族の顔も、レアの力なら見えるかもしれない。

 

 レアはそれに触れたいと思った。

 全て見て、知って、寄り添って……そして、安らぎを与えることが出来れば、自分のことを好きになってくれるかもしれない。

 そしてもう一度、あの心の最奥を、見せてくれるかもしれないのだ。


「……」


 彼女はセイの心を見たことで、彼と深く長い付き合いをしてきた感覚が生まれている。

 彼が自分に特別な想いを向けてくれたのが、今朝見えた。

 自分も、おもわずドキドキしてしまうほどの想い。


 だけど……彼が最も強く激しい感情を抱く大切な存在は、別の女性(エリナ)である。

 それを想うたびに……なぜか、自分の中で、もやもやが強くなってしまう。


「……?」


 首をかしげる。

 自分が今朝から落ち着かないのって……。

 彼が自分に惹かれたように思っていたが……なんでこんなもやもやがあるんだろう?

 いやいや、そもそも……お互いが言葉を交わしたのは今朝が初めてじゃないか。


「……」


 急に頬が熱くなる。恥じらいも少し……。


「よくわからない……」


 そして、小さくこぼした。


「明日会えば、わかるかな?」


 その言葉には、めずらしく熱が篭っている。

 窓から夕日が入ってきた。そろそろ月も見えるだろう。

 彼女は両手を組むと、月に祈りを捧げた。

 月を見ていると、心のもやもやがちょっとは落ち着いてくる。


「……?」


 急に睡魔が来た。彼女はその誘いに逆らえない。


「すぅ……」


 そしてふっと意識が落ち、心地よい眠りの世界へ旅立つ。



―――――――――――――――――――――――――――――― 

 7の鐘が鳴った。

 この時間は食堂で夕食となる。寮は男女で分かれているが、食堂は共通で利用するのだ。


「もう時間?」


 頭を振って髪を撫でつけ、目元を軽くこする。

 疲労は抜けていないのだが、食事の時間だ。遅刻である。レアはのろのろと起き上がって食堂へ向かった。


「遅れました」


 一番最後に食堂へ現れたレアへ、視線が集まる。


「では、祈りを捧げます」


 食事のお祈りを務める上級神官は、レアを無視して冷たい目のまま全体へ声を掛けた。レアは急いで長い机の一番端に座る。隣の巫女が嫌な顔を見せた。

 『さとり』が知られているため、隣となるべく距離を取る。これでも彼女は他者に触れてしまわないように気を付けていた。隣に座った者も嫌悪感を隠さない。

 小さく息を吐くとお祈りの姿勢を取る。


「大いなる神々の営み、日月の恵み、紅い月の施しを、今我々の糧となる命をいただくことに感謝を!」

『感謝を』


 祈りを捧げたあとは食べても良い。

 だが、レアは遅れたために食事が無い。こそこそと取りに向かう。

 食事を作っている大柄なアナベルおばさんがにやっと笑ってくれる。

 神殿で気さくに接してくれる珍しい女性だ。


「遅かったね! でも大役おつかれさん! ほら、しっかりおたべ」

「ありがとう」


 小さく挨拶して食事を受け取り席へと戻る。


「いただきます」


 神殿の食事は質素なものが多い。

 今日の食事は硬く焼いたパンに六角トマトをベースにした煮込みスープ、横にゆで卵が乗っていて、緑のカラにひびが入っている。塩の小皿が添えてあった。あとは温めた黒足ヤギのミルクがある。

 レアは薄味にも慣れてきたな……と思う。


 もともと彼女は王都から離れた田舎の農村で育った。

 父が村長を務める村で、家では農業と畜産業、さらに林業などを担っている。当然だがレアも手伝いをしていたので体を使うことが多い。そのためか、濃い味付けが多かったものだ。

 それから、父1人に母3人、兄妹が7人いて食事時は賑やかに会話しながら食べる。


 しかし、神殿の食事は薄味が多い。初めは辟易(へきえき)したものだ。

 食事中の会話は慎まなければならない。皆が行儀よく食べる。

 ただ、奉仕活動でマナを使う者は、まれにマナの障りが起き、食欲が大きくなっている者もいるため、おかわりは自由だった。

 レアは極力ゆっくり味わって食べる(たち)である。もそもそと食べ始めた。



「ごちそうさま」


 食事を終えたのは他の皆が片付けてしまってからである。ゆっくり食べていたレアは、小さく口を拭う。もともと食べるのが遅いが、自分が動くと周りが警戒してしまう。それが億劫ということもある。


「お風呂いくかな?」


 食後は比較的自由な時間となり、この時間から入浴も出来る。神殿には身を清めるための大浴場がある。湯は王都中央の『聖王温泉』から引いているらしい。

 入浴時間は決められているため、できれば混まない時間に済ませたい。思案のしどころだと思い、考えながら歩く。

 そこで、声が掛かる。


「待ちなさい」


 振り向くと、一人の少女がいた。彼女は声を掛けた後レアの正面に立ちふさがる。


「?」


 彼女は波が掛かった綺麗な金髪の巫女だった。


「あなたが『聖女』かしら?」

「ええ」

「初めまして、わたくしはクロエ=ロアヌと申しますわ」

「私はレア」


 貴族の優雅な礼をみせたクロエは、最近寮へ入ってきた貴族の娘である。

 ロアヌ家は北方の公爵領に近い荒れた土地を治めているため、田舎貴族と揶揄(やゆ)されていた。


 彼女は『神の祝福』で『巫女』が現れたために神殿に入る。

 王都には『神の祝福』で『神官』や『巫女』などの神職が現れた場合、一定の期間を神殿で過ごす義務があった。その年数は親の立場によって異なる。


 神殿に入る場合、早い段階で神学に触れる必要があり、『日月の学び舎』の授業に神学を混ぜた内容を神殿内で教育する。そのカリキュラムには聖祈や街への奉仕活動も含まれていた。

 『神の祝福』に関係する法律は貴族も平民も同様に従う。ただし、相続などの問題で便宜を図ることはある。


 田舎貴族であるクロエの父は、一人娘であるという理由から、彼女を貴族の教育機関である『王都学習院』に通わせた。

 神殿への奉仕期間を終えたのち、還俗させるつもりなのだろう。

 ただ、彼女はおかしな時期に神殿へ入ってきている。


「なにかご用?」


 レアは少し首を傾げた。クロエが貴族だということは知っている。ただ、神殿へ入った貴族出身の神職は従者を付けることができたはずだ。

 なぜ1人でいるのだろう?


「えっと、わたくしは……」


 ……クロエは現在、孤立していた。

 貴族として学んだ常識は、神殿の常識に当てはまらない。

 そういった部分のすり合わせをするため、事前の寄付によって履修(りしゅう)するのが慣例(かんれい)だった。


 しかし、クロエの父はその情報を得ることができなかった。

 理由は彼の不運にあるだろう。


 領地が王都から遠く、しかも痩せていたため不作の影響が強く、経営に苦心していた時期だった。悪いことに妻の急逝が重なる。

 悲しむ間もなく領地近くに盗賊団が拠点を構え、運輸や情報伝達に混乱が起きた。

 その混乱は、神殿へ娘を送る日取りも把握できなかったほどである。


 何とか落ち着いたころには、クロエを神殿に向かわせる時期を大きく外してしまっていた。

 そして王命による督促が来てしまう。驚いたクロエの父は、大慌てで娘を送り出したという事情である。


 そしてクロエは慣例に従ってないといった理由で、従者をつけることを拒否されてしまった。

 つまり貴族気分で入ったクロエは、根回しの不備で平民扱いとなっている。


 果然、彼女の生活は大きく変わり、困っていた。

 はじめは着替えも難しかったほどである。そのうえ他者に話しかけても会話が成り立たない。

 混乱した彼女は……それでも自分と同じように孤立していたレアを、取り込もうと考えたのだ。


「あなた、えーと……そのー、あまり、良くないことを聞くわ!」

「どんな?」

「……あなた『聖女』だったわよね?」

「ええ」

「だからよ!」

「??」


 彼女は何を言いたいのだろうか?

 こういう時は心を見れば早い。

 そう思ってしまうレアは、言葉から裏を察することが苦手である。


「黒髪の聖女なんて!? ありえない()()()わ!!」 

「そう?」


 レアは少し首を傾げて聞き返す。


「貴女が『聖女』というのなら、その証拠を見せてみなさい!」

「なんで?」

「わたくしが! 納得できないからです!!」

「べつに納得しなくていい」


 レアは立ち去ろうとする。しかし、クロエが肩を掴んだ。


「あなた! 話が終わってませんわ!」


 その瞬間、レアは彼女の思考が見えた。


――― この娘を従者にすれば、この神殿での地位を得ることが出来ますわ!

    皆がわたくしの言葉を聞かないの!

    従者を付けるのも拒否されて困っていますわ……

    わたくし、ここで結構浮いてるし、この娘もぼっちよね?

    なら、わたくしでも懐柔できますわ!

    みんな、わたくしの言葉に適当な受け答えで! 不遜ですわ!

    でもでもぉ、司教さまの笑顔が爽やかだったなぁ……

    お近づきになりたいかも?

    そうだわ! 聖女のこの娘を従者にしたら良いんじゃないかしら!!

    我ながら妙案ですわね!


 レアはその心を見たことでクロエに好感を持った。表情は変わらない、しかし態度を柔らげる。


「わかった」

「え?」

「あなたのこと助けたい。何すればいい?」

「何って?」

「従者……いないんでしょ?」


 自然とそれが口から出たことで、周りに人がいないと解る。

 そして、クロエが周りと馴染めてないし困っているということも理解した。従者を求めていることも。


「ええ!? その、え!? なんで?」

「しらなかった? 私、『さとり』の力がある」

「え!? 『さとり』って? どういう、こと!?」

「私が触れると……あなたの考えてたこと、わかってしまうの」

「!?」

「だから、助ける」

「え? え?」

「何をすればいい? 困ってること教えて」

「えーと」


 クロエは戸惑っているようだ。レアは問いかけた。


「従者? いないいんでしょ?」

「え、ええ! そうですわ!」

「それはムリ。だけど、できるだけ手伝う」


 彼女は従者を務める人の心を見たことがある。

 かなり無理難題をする主人で、しかも多岐にわたる仕事があった。

 それを今自分が出来るかと言えば無理だと判断できる。


「……えと、え?」

「何すればいいの?」

「あの……なんでわたくしが困ってると、わかりましたの?」


 合点がいっていなかったのか、クロエが聞いた。レアは少し考えて答える。


「わたし、『聖女』の力で人の心が見える」

「え!?」

「あなたが触れたから、困ってるのが見えたの」

「ああ! 貴女、わたくしの心を読みましたのね!?」


 遅まきながら、クロエは自分の心が覗かれたと察した。


「だめだった?」


 また、あの嫌悪感がでてくるかな?

 レアは微妙にうつ向きがちになった。

 好感を抱いた相手に嫌われるのは慣れているが、少し悲しいことに違いはない。

 しかし、クロエはあまり気にしない娘だった。


「……まあ、見てしまったのなら仕方ないですわ! わたくし、小さいことは気にしませんの」

「そう?」


 これは珍しい反応だ。レアは内心では微笑みを浮かべる。自分は彼女の力になれるかもしれない。


「私、従者の仕事がわからない。もう少し……見ても良い?」

「え……」

「手、触れたい。けど、いや?」


 気持ち上目遣いでクロエを見た。

 それは、クロエが生家で可愛がっていた銀月猫が向ける眼差しに似ている。ついつい態度が柔らかくなってしまう。


「う……ちょっとだけですわよ」


 ちょろい……と、レアは思った。


「ありがと」


 礼を言って、彼女の手を取る。


「あ……」

「困っていること思い浮かべて」


――― なんですの?

    でもこの子、ティグル(銀月猫)の黒い瞳と同じで可愛い……

    あー、でも何を思い浮かべればいいのかしら?

    従者がいないと召し変えに時間かかりましたわ!

    あと、入浴もよ!

    昨日なんか戸惑ってたら追い出されましたの!

    今日こそは身を清めなくては!

    神殿のことまったく頭に入りませんでしたわ! どこに何があるの!?

    あと、お茶を用意してもらいたいですわ

    ニキリの茶葉をミルクで煮出して甘くしてほしい…… 

    お茶があればお菓子も要りますわね。用意してくれません?

    それとぉ……巫女服が質素すぎですわ……

    もう少し、飾り付けたいのに、ダメでしたわ

    それから、それから……ああ、そういえば心を覗かれてますわね?

    考えちゃダメな事とかは考えないようにしなければですわ

    えと、あの日侍女が教えてくれたのは……殿方からのお誘いが……


 雑念の多い娘だ。

 別のことを考えだしたらしい。

 もうちょっと見たい気もするのだが、レアは手を離した。


「わかった。……ねこさん? ちょっと見てみたい」

「……あ、え、うー」


 あいかわらず表情には出せないが、レアは力になれるといった嬉しさが、握りしめた拳に現れる。

 レアはクロエの服をつまんで軽く引いた。


「クロエ、とりあえず神殿を案内する」

「わ、わかりましたわ!」


 今日は出会いがある日だと思う。


「そうだ、クロエ……」

「な、なんですの?」

「よろしく」

「あ……ええ! よろしくね!!」


 クロエの笑顔はとても可愛らしい。

 だけど表情が豊かな彼女は、貴族に向いてないのかもしれないと思った。


【おまけ】


六角トマト:

マナを含んでいるため、育てる時に込めたマナで六角形に育つトマト。

この形のおかげで潰れず運びやすくなったらしい。始め、四角か三角かで対立があったが、間を取って六角形にしようとなり、それが思いのほか受けた。煮ると丸くなり甘味が増す。肉料理と相性が良い。


銀月猫:

通称『ツノ猫』

額に銀のマナを含んだ毛が一房生え、それが角のように見える猫。

過去に他国からの献上品として王都にやってきた。当時の王太子が「ツノ猫!」と呼ぶ。

その後通称が貴族の間で広まり、定着してしまった。


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