思ってたより大騒動
どうやってマルゴットを説得するかはおいておいて、ひとまずフェンリルの怪我を手当てしなくてはならない。
治癒魔法は使えないが、どうにか似たような効果が出ないかとあれこれ試しているうちに、シャルロッテはあることに気づいた。
フェンリルに闇魔法を使うと、うっすら魔力が吸われている気がするのである。
「持ってるスキルからして闇属性っぽいし、闇魔法が栄養になったりするのかしら?」
それならばと、なにも効果を付与しない闇属性の魔力を注入するよう意識してみる。
フェンリルは気持ちよさそうにクンクンと鳴き、もっと、と言うようにシャルロッテの手に頭をこすりつけた。
「かっ、かわいいですわぁ~! 魔力ぐらいいくらでもあげますわよ! 沢山お食べ!」
興奮したシャルロッテが魔力注入の量を増やすと、フェンリルの傷はみるみるうちに塞がっていき、毛艶も出て威厳のある姿になった。
元々綺麗な犬だと思っていたが、万全の状態ですっくと立つ様子は神々しいほどである。
フェンリルはシャルロッテの足に鼻先でちょんと触れたあと、天を仰ぎ、一声大きく遠吠えをした。
すると辺りを漂っていた黒靄がするするとフェンリルの周りに集まり出し、その白い毛を覆っていく。フェンリルはあっというまに禍々しい気配を帯び、『地獄から現れた黒い魔犬』というような様相になった。大きな口からのぞくギザギザの牙と、鈍く光る赤黒い瞳は、子どもが見たら泣き出しそうである。
「まぁ、かっこいいですわね! 白と黒どっちも楽しめるなんてお得ですわ~!」
シャルロッテは手を叩いて喜んだ。手触りはちょっと硬くなってしまったが、これはこれで雄々しさが際立って良い。
「あなたは今日からわたくしの犬ですわ! よろしいですわよね?」
フェンリルはぺたりと地面に伏せ、恭順を示すようにクゥンと鳴いた。
「いい子ですわね~! 家に連れて帰りたいのですが、わたくしの家はあなたが入れるほど大きくありませんの。あと、乳母に説明しなくちゃいけませんし……。頑張って説得してまいりますから、ここで待っていてくださいましね。あなた、ご飯はどうしてますの? ずっとここで暮らしていたなら大丈夫かしら」
フェンリルはプスプス鼻を鳴らす。どうもシャルロッテの言葉は通じているようなのだが、フェンリルが何を言いたいのかは伝わってこない。
しかし、人間と犬の意思疎通はもとよりそんなものである。どうにか汲み取ってやっていくしかないのだ。
シャルロッテはフェンリルを抱きしめ――絵面的には抱きしめるというより首に引っかかって――その温もりを堪能したのち、名残を惜しみながら森を出て家に帰った。
また忍び足でドアを通過し、自分で歩けるようになってからもらった個室のベッドに潜り込む。
なんだかんだあったけど、最後に犬と会えたし楽しかったなぁ、と満足しながら、シャルロッテは眠りにつくのだった。
次の日朝食を食べ終えてすぐ、シャルロッテはドアに向かって駆けだした。こっそりフェンリルに会いに行こうと思ったのである。
この小さな一軒家は、果物の木や茂みなどが配置された庭の中にあり、その周りを木の柵が緩く囲っている。シャルロッテは、木の柵を越えなければ外に出ていいことになっていた。
ところが、何故か今回はマルゴットの制止が入った。
「あっ、お嬢様! 外に出てはなりませんよ! お嬢様のようなお小さい方にとっては危険が多いんですからね!」
マルゴットの体でドアを塞がれ、シャルロッテは不満げに抗議する。
「遠くまでは行きませんわ、マルゴット。庭先で遊ぶのはいつものことではありませんの」
「今日はいけません。門番から聞いたのですが、昨日の夜は森の方が大層騒がしかったそうで、もしかしたら魔物が湧きだすかもしれないと噂になっているんです。なんでも夜半に轟音と閃光と魔物の咆哮が響き渡ったとか。私は寝入りが深いので知らなかったのですが、お嬢様はお気づきになりませんでしたか?」
問われて、シャルロッテはギクッと顔を強張らせた。
「さ、さぁ? わたくしもぐっすり寝ておりましたので、なんのことかわかりませんわぁ」
「さようでございますか。お嬢様の眠りが邪魔されなかったのでしたら良かったです。とにかく、そういうわけですので、今は外に行くのは危のうございます。調査隊が派遣されるそうですが、結果次第ではこの地を捨てることになるかもしれません」
「えっ!? ここに住めなくなるんですの?」
「えぇ、万一森の魔物が溢れてくるようなことになったらとても対抗できませんからね。今までは、森にさえ入らなければ問題なかったからやってこれたのです。外に影響を及ぼすなら、領主様も含め、この辺の住民はみんな遠くに逃げ出さなくてはなりません。何百年も平穏に暮らしていたのにどうして今になって……」
マルゴットは憂鬱そうにため息をついた。
自分がとんでもなくやらかしてしまったことがわかったシャルロッテは青ざめ、あたふたとフォローしようとした。
「そ、そ、そんなに心配することないと思いますわマルゴット! きっと魔物同士が喧嘩したとかそんな感じで! 森の外に出てきたりはしないと思いますわ!」
「そうだったらいいんですけどねぇ。この地で生まれ育った身としては、できれば引っ越しはしたくありませんね。お小さいお嬢様に長旅をさせるのも心配ですし。とにかく、今日は家でおとなしくなさっていてください」
外に出るのを禁止されてしまった。
そんな大事に捉えられているとは思っていなかったシャルロッテは、マルゴットと近隣住民に申し訳なさを感じたが、今さらどうしようもない。
しばらく何も起こらなければ安心するだろう。これからはうっかり大魔法をぶっぱなさないように気を付けよう、と決意した。
フェンリルには夜に会いに行くことにして、マルゴットの言う通りに家でおとなしくしていたが、何をしていても事あるごとにフェンリルのことが思い出され、なんだかそわそわしてしまって落ち着かない。
かといってフェンリルを飼うためのいい方法も思いつかない。
こうなったら大好きなルドルフ・アッヘンバッハの本でも読むか、と本棚を見て、シャルロッテは思い出した。
――ルドルフって確か、魔物と契約してなかったっけ!?