犬はみんなかわいい
なんだか森に入った時より息が吸いやすい。
なんでだろう、と首を傾げながらステータスを見ると、レベルが304になり、『ヴェアヴァーデン森の征服者』『魔物殲滅者』の称号がついてた。
『ヴェアヴァーデン森の征服者』
ヴェアヴァーデン森の主を倒した者に与えられる称号。ヴェアヴァーデン森はあなたの支配下となり、生息する魔物はあなたに逆らえなくなる。
『魔物殲滅者』
千体を超える魔物を短時間に倒した者に与えられる称号。あなたよりレベルが低い魔物は恐怖で動きが鈍くなる。
「えっ、主を倒してますの? いつ?」
口に出した直後、あ、と気づく。おそらく火の海で焼け死んだか水に押し潰されたのだろう。
いつのまにかボスを倒してフィールドクリアしてしまったらしい。
道理で森からの圧迫感がなくなっているわけである。
「え~……じゃあもう特訓できないってことですの? つまらないですわ」
シャルロッテは肩を落とした。がっかりである。
支配下にある魔物を倒すのは気が引ける。それでは八百長しているみたいだ。
近くにダンジョンでもあるといいなー、と思いつつ適当に森の中を見て回っていると、洞穴の近くでふらふらとよろめく白い何かが目に入った。
「あら? 生きてますわね。結構生命力の強い魔物なのかし、――」
シャルロッテの言葉が途切れた。
目をくわっと見開き、上空から穴が開きそうなほどの熱視線を向ける。
――あれは! まさか!?
思わぬ邂逅に体が震える。まさか異世界で出会えると期待していなかった。
あのもふもふの柔らかそうな白い毛並み。凛とした利発そうな眼差し。ピンと立った二つの耳の魅惑的なことといったら!
「もしかしてあなた……あなた、犬じゃありませんこと!?」
シャルロッテは瞳をきらきら輝かせながら、白い獣の前に降り立った。
シャルロッテは犬が大好きだった。
それもチワワとかダックスフントとかの愛らしい小型犬ではなく、シベリアンハスキーのような凛々しい系の犬や、サモエドなどの『でっかくて可愛い』系の犬に無性に惹かれるのだ。
大きな犬に抱き着いて一緒に転げまわって、そのふかふかの体に顔を埋めたい。
だだっぴろい平原でかけっこ競争したり同じ寝床で身を寄せ合って寝たい。
いつからかそんな願望がシャルロッテの中に芽生え、前世では「なんでもするから犬飼わせて!」と定期的に親にねだっていたものだ。
「自分の面倒も見られないのにあんたが世話できるわけないでしょ」とにべもなく断られていたが。
一度だけ許してもらえそうなところまでいったものの、突然妹が「友達んちで生まれちゃったんだってー」と子猫を連れ帰ってきてしまったので、その話はご破算となった。
「ペット二匹は無理よ。長く生きれば医療費もかかるし、餌代も馬鹿にならないし。それに大型犬を散歩させるのって大変だよ」
宥めるように言う母親の言葉は正論だったが、俺がずっと犬欲しがってたのになんで猫なんだよ!と前世時代のシャルロッテは納得いかない気持ちでしばらくふくれていた。
――猫なんてちっさくて弱そうで役にたたねーじゃん! それにかわいくもな――いやかわ……かわいい……かわいくはあるけどさぁ! でっかい犬の方はかわいい上にかっこいいんだぞ!
なし崩し的にうちで飼うことになった猫に対して敵愾心が抑えきれず、フーッ!と威嚇して妹に脛を蹴られたりしていた。
猫が可愛いか可愛くないかでいったら可愛いのだが、素直に可愛がるのもなんだか負けた気がして嫌だったのだ。
結局、やたら撫でまわして構おうとする妹よりも猫に懐かれてしまい、「うっ負けたぜ……」と敗北顔で猫に膝を提供するはめになったのだが。
しかしもちろん、犬を飼うチャンスがあるなら今だって絶対に飼いたいのである。
夢にまで見たでっかいわんこ。
シャルロッテは『白い犬』を食い入るように見た。
犬は、びくりと体を揺らし、戸惑うような空気を醸し出している。
犬と言っているが、その体高は三メートルほど。座り込んでいてそれだから、立てばもっと大きくなるだろう。
四歳児のシャルロッテの身長は九十センチほどしかなく、空に浮かんでいなければうっかり踏みつぶされてもおかしくない。
だがシャルロッテの目は犬への愛で爛々と光り、一方犬はそんなシャルロッテに気圧されたように固まっていた。
シャルロッテは犬の美しく無駄のない肢体をうっとりと眺め、腹のあたりが赤黒くなっていることに気づいた。
光を強く当てて見ると、どうやら怪我をして血を流しているようだ。
「まぁ! 怪我をして弱ってますわね!? 可哀想に、誰がこんな酷いことを!」
シャルロッテである。
正確に言うと、シャルロッテが火の海に水を落とした時に起こった水蒸気爆発で吹き飛んだ魔物の牙が、犬の腹に刺さってこうなったのだ。
加えて溺死しそうにもなっていたが、ほかの魔物に比べて生命力が大変高かったため、なんとか生き残ったのだった。
「治癒魔法をかけて差し上げたいのですけど、わたくし何故か治癒魔法が使えないんですのよね……」
シャルロッテは申し訳なさそうに言った。
そう、何故か今までどんなに試しても治癒魔法は発動しなかった。
ゲームだと普通は光魔法に内包されているものなのだが、シャルロッテが使える光魔法は、灯りをともすとか、幻覚を生み出すとか、レーザー光線を出すとか、本当に光に特化していて治癒能力はちっとも芽生えなかった。
「あ、そうですわ、ステータス」
何かの参考になるかも、と思い、シャルロッテは犬のステータスを表示した。
フェンリル ヴェアヴァーデン森の主
レベル 159
生命力 98/2107
魔力量 650
スキル 咆哮 10
地獄の裁断 10
死に誘う爪 10
氷の息 9
暗黒迷彩 8
統率 10
生命力倍増
祝福 ラティカの刻印
「主……あなたでしたの……」
さすがにシャルロッテは絶句した。
夢中になっていた犬は、なんといつのまにやら倒してしまったヴェアヴァーデン森の主だった。
しかも凄まじいステータスである。今は減っているが、生命力が尋常でなく多い。スキルもまともに戦えば手強そうなものばかりだ。
この獣は、ただのばかでかい犬ではなく、ちゃんと魔物なのだ。
その気になれば簡単に人を殺せるスキルを持ち、獰猛な本能を内に秘めている。
シャルロッテは、しばしフェンリルの黒々とした目をみつめ、そして――
ふにゃ、と破顔した。
「ま、犬は犬ですわね!」
犬はみんなかわいい。
それは宇宙の真理である。
シャルロッテはフェンリルの顎の下を小さな手でわしわしと撫で、今度こそ絶対犬を飼うのを認めてもらうぞ、と意気込んだのだった。