番外編:才無き者、汝の価値を答えよ5
魔法スキルを得るタイムリミットである十歳を越え、ユリウスは覚悟を決めて両親からなんらかの判断が下されるのを待っていたが、特に音沙汰はなかった。
不思議に思いながらもそれまでと同じように暮らしていると、一年以上経った頃に、使用人を介して本邸に来るようにという伝達があった。
ユリウスは身なりを整え、本邸に赴く。細剣は小屋に置き、結局一度も使えなかった杖を持って、本邸の裏口玄関を潜り抜けた。
久しぶりの実家に懐かしい気持ちになるかと思ったが、それよりも圧迫感に押し潰されそうだった。元は住んでいた家なのに、自分が酷く場違いで異質な存在のように思えてくる。光に満ちた大きな広間も、重厚で高級感のある調度品も、魔力と財力を誇示するように惜しみなく使われている魔法道具も、今となっては遠く現実味がない。
当たり前だったはずのものが、よそよそしく輝いてユリウスを拒絶する。三年は長い。変わってしまったのは、この家ではなくユリウスなのだ。粗末な小屋で魔法習得と剣術の鍛錬にだけ明け暮れた日々は、ユリウスを成長させ、そして孤独にした。もはやユリウスはアルムガルド家の何をも身近に思えなくなっていた。
「ユリウス様、ついていらしてください。旦那様のお部屋にご案内いたします」
幼い頃は祖父のように慕っていた執事が、慇懃無礼な態度で出迎える。記憶よりも老けている執事の後ろを歩きながら、ユリウスは、こんな顔だったか、と思った。
あの頃は魔法のことしか考えていなかった。使用人の顔などほとんど思い出せない。何もかも捨てて魔法を追い求めた。いつか報われる日が来ると信じて。
執事は、父の書斎の前で止まる。書斎のドアは開いていた。中では、父と兄が机の前に立って会話している。父は不機嫌そうな顔で手元の書面を睨み付けていた。
「脳みその中まで筋肉に侵食された愚昧な木偶が。我らの崇高な研究の意義を理解せず難癖をつけてきよる」
「まったく、あのような身の程知らずが王宮で幅を利かせているとは嘆かわしいことです」
「私が温厚で善良な折り目正しき魔法貴族でなかったら、あの不愉快な騎士どもを宿舎ごと焼き払っていたところだ」
「私も同じ気持ちでございます、父上」
ぐしゃりと書類を握り潰し、くずかごに捨てようとして父はユリウスに気づいた。
「来たか。これを持て」
机の上に置いてあった細長い板をユリウスに渡す。魔力計だ。
持ち手がついた二十センチほどの銀板には、忌々しき二十個の水晶玉がはめ込まれている。この水晶玉が光る数が多いだけ、魔力が高い。
ユリウスが魔力計を握ると、やはり一つも光らない。
父はふんと鼻を鳴らし、そうだろうとも、と言った。
「こんなことになるとわかっていた。ユリウス、お前は我が家門始まって以来の魔無しだ。才がなく、努力もなく、誠意もない! 幼いうちは温かく見守ってやろうというメリナの言葉に免じて今まで育ててやったが、その結果がこれだ。怠惰な恥知らずに無駄金をくれてやっただけ。お前にはほとほと愛想が尽き果てた。最後の恩情だ。アルムガルドの名を捨て、どこへなりと行くがよい!」
憎々しげに怒鳴りつけ、父はユリウスを杖で押しやった。
これは父なりの励ましなのか、それとも本当に本気で見捨てられてしまったのか、とユリウスは一瞬固まった。判断がつかないまま頭を下げ、魔力計を返す。いずれにせよ、父の言葉は絶対である。その意味が「家に頼らず外で修行をして来い」だろうと、「お前は家族から外す」だろうと、ユリウスが取れる行動は一つしかない。
深々と礼をし、別れを告げる。
「お世話になりました、父上――いえ、アルムガルド侯爵閣下。今までの数々の激励を励みに、きっといつか認めていただける者になります」
返事はなかった。父はくるりと背を向け、ユリウスのことが見えていないかのように振舞った。
執事が乱暴にユリウスの手を引き、速足で引きずるようにして来た道を戻っていく。裏口から外に押し出すと、少しの間もなくドアをばたんと閉めた。
はぁ、とユリウスは息を漏らす。外の空気を吸ったとたん、体が弛緩した。自分ではいつも通りのつもりだったが、緊張していたのだ。
偉大な家族。巨大すぎる家。受け継がれる才能の重み。何もかもが足りない自分。
頑張らなくては。何者かになるために、頑張り続けなくては。
そうしなければ、自分が生きる意味などない。
小屋に戻り、杖を置いて細剣を持つ。
冒険者になろう、とユリウスは決めた。
迷宮に潜り、一級冒険者として身を立てるのだ。
魔法貴族には、子どもが生まれた時に宝石をはめ込んだブローチを贈る伝統がある。宝石はさほど高価なものを選ばない。大きくなったら、自分が魔力を注ぎ込んだ魔石と入れ替えるからだ。その魔石ブローチは魔法貴族の一員としての誇りを表すとともに、いざという時の予備魔力として使うこともできる。
ユリウスが生まれた際も青いアイオライト石のブローチが贈られ、ずっと身につけてきた。
それは魔法貴族の子として生まれた証。いずれ魔法が使えるようになるはずという希望。この子が立派な魔法使いになれますように、という親の願いと期待が込められた特別な装身具なのだ。
その、魔法貴族にとっては額面以上に大事なブローチを、ユリウスは質に入れた。
ほかに何も売るものがなかったからだ。
着ている服だけは高価だったが、長年着古したため生地は薄くなり穴が開いているものもある。
当面の生活費と旅費、冒険者として活動するための準備のために、どうしてもまとまった金が必要だった。
ブローチと引き換えに大銅貨一枚(約五十万円)を手に入れ、ユリウスは冒険者ギルドに向かった。
冒険者登録を済ませ、『星熊と青鷲』の居場所を尋ねると、現在地方の異常発生した魔物狩りに出向いていてしばらく帰ってこないという。
「でも知り合いがいなくても心配ありません! 実は数か月前から新人冒険者にはベテランの指導がつくことになっておりまして、魔物に対峙した時の心構えや、新人には難しい高レベル魔物の見分け方を教わることができるのです! 幸運でしたね」
若い受付嬢は、嬉しげにユリウスに笑いかけたあと、ギルドを見回した。
「今だと……えっと、ゲッツさんがいますね。ゲッツさーん、ちょっと来ていただけますか」
少し腹の出た中年の男に声をかける。赤ら顔で、片手には酒の入ったジョッキを持っていた。
「なんだい、別嬪さんに呼ばれるのは嬉しいね」
「ゲッツさん、新人教育をお願いできますか? この子なんですけど、剣士志望みたいなのでゲッツさんがぴったりかなって」
「新人教育ぅ? 無理無理、そんな柄じゃねぇよぅ」
「そんな、お願いしますよ。四級で手が空いてそうなのがゲッツさんしかいないんです」
「そうはいってもなぁ、新人教育なんか向いてねぇよ、おりゃあよ。てめぇで食ってくだけで精一杯さ」
「もちろん報酬はお出ししますよ。一日緑貨一枚。ご自分で狩った魔物の報酬とは別です。危険の少ない一階層だけでこれなら、悪くないでしょう?」
「ん? うーん、まぁそういうことなら、仕方ねぇか」
ゲッツは頷き、ジョッキを近くにいた男に押し付けると、ユリウスに向かってどんと胸を叩いて言った。
「おぅ坊主、冒険者になるんだってな。なかなか厳しい世界だが、このゲッツ様に任せりゃあ安心さ! なんでも聞いてこい!」
「ありがとうございます」
ユリウスは軽く頭を下げた。
「じゃあ早速一階層に行くぞ! 剣は持ってるな! よし新人、俺の華麗な魔物退治をとくと目に焼き付けるんだぞ!」
「え、今から行くんですか?」
「あぁ? そうだ、あんだよ、嫌なのか? かーっ! これだから若い奴は。いいか、冒険者ってのは時間が大事なんだよ、時間が。即断即決、時は金なり、思いついたら即行動、これがデキる冒険者の掟ってもんで――」
「酩酊中の戦闘は危険ではないかと思います」
講釈を垂れ始めたゲッツに、ユリウスは冷静に切り返した。
「四級だそうですね。酒を飲んでも実力が発揮できるという自信があるんでしょうか。口の端に食べかすがついています。自分を客観視できない証拠では。剣の柄がボロボロだ。それでは握りにくい。武器の手入れを怠るのは武人として三流以下だろう。足運びがおぼつかない。醜悪な体型が影響しているのでは? 昼間から酒に興じるような自堕落な生活を送っているからだ。総じて、尊大な態度に実体が追い付いていないと言わざるを得ない。人を指導する前にご自分を顧みることをお勧めする」
あたりは静まり返った。ゲッツは口をあんぐり開けて、ユリウスを見た。ゲッツより身長が低いにもかかわらず、ユリウスの蔑むような目は見下ろされているかのような錯覚を生じさせた。
誰も一言も発することができない静寂の中、堪りかねた受付嬢がなんとか言葉を絞り出す。
「……い、言い過ぎですよ」
「彼のためだ」
ユリウスは平然と言った。本気でそう思っていた。
しかし残念ながらゲッツにその思いは伝わらず、烈火のごとく怒り狂って指導役を辞退された。
終わりませんでした……。