番外編:才無き者、汝の価値を答えよ2
今回二ページ更新となっております。
八歳になったユリウスは、なるべく部屋から出ないように生活していた。外部の人間とは絶対に接触しないように、ときつく命じられていたからだ。
だが、病気がちの母の見舞いだけは許されており、週に一度、使用人に連れられて母の居室を訪れた。
母は穏やかで優しかった。父に罵られて落ち込むユリウスを励まし、魔法が使えるように様々な助言をしてくれた。
母に慰められたおかげで、ユリウスは、父の本意を知り、前向きな気持ちになることができた。父は厳しいことを言うが、それは決してユリウスをいじめたいからではない。むしろ期待してくれているのだ。ユリウスが己を鍛え能力を開花させるのを待ってくれているのだ。
「お父様は本当にお優しくていらっしゃるのよ」
母は繰り返しユリウスに言った。
「あなたみたいな出来損ないのことも見捨てないでくださるんですもの」
しかし、唯一の癒しであった母との面会も、じきに断念せざるを得なくなった。
その日ユリウスは、魔法学の本をもう一度読み返したいと思い、書庫に赴いていた。すると折り悪く、父と鉢合わせてしまった。
父は苦虫を嚙み潰したような顔でユリウスを一瞥すると、うんざりした口調で言った。
「まだ生きていたのか、アルムガルドの面汚しが。よくも恥ずかしげもなく私の前に顔を出せたものだ。貴様のような者がこの屋敷にいると考えるだけで吐き気がする」
冷たい視線は氷のようにユリウスの心臓を貫いた。
こんなことを言うのも俺のためなのだ、父上のご配慮をありがたく受け取らなければ、とユリウスは自分に言い聞かせた。それでも胸は酷く痛み、本を抱える手は震えた。
近くにいるのも嫌だとばかりにさっさと退出していった父の後ろ姿を目で追い、こみ上げてくる涙を噛み殺す。
母に会いたい。母ならわかってくれる。軟弱で親不孝な自分を諭し、正しい道へ導いてくれる。
ユリウスは本を書棚へ戻し、衝動的に母の部屋へ向かった。
「母上、すみません、ユリウスです。お話を聞いていただけませんか」
天蓋ベッドに駆け寄り、カーテンを引いて脇に跪く。やつれた顔の母は、美しい亜麻色の髪を結い上げもせずベッドに横たわっている。
また父に怒られてしまった、と言うと、困った子ねぇ、と母は苦笑した。
「ユリウス、お父様はあなたのためを思って言ってくださるのよ」
母はベッドから弱々しく手を伸ばし、ユリウスの手を握った。折れそうに細く、柔らかいその手は、落ち込むユリウスをいつも優しく引っ張り上げてくれる。
貶すのはあなたを奮起させるため。馬鹿にするのはあなたに自省させるため。厳しく接するのはあなたが自惚れて将来苦労しないようにするため。
母の言葉はユリウスを救ってくれた。父は厳格でぶっきらぼうなだけで、ユリウスのことを想っていないわけではない。それどころか、ユリウスのためにあのような態度を取ってくれるのだ。
全てはユリウスが魔法を使えないせい。アルムガルド家の者として当然の能力を得られないせい。だから父は心を鬼にしてユリウスを奮起させようとしている。
「あなたが頑張ればきっと認めてくださるわ。苦しくてもどうか諦めないで……アルムガルド家の名に恥じない人間になってちょうだい。お母様との約束よ」
「はい、母上」
ユリウスは神妙に頷いた。母の儚げな微笑みは、ユリウスに罪悪感をもたらした。自分が情けないあまりに、母親を悲しませている。父親を失望させている。こんなことでは駄目だ。もっと頑張らなくては。もっと自分を追い込まなくては。
できないはずがない。アルムガルドの血を引いておきながら、魔法が使えないなどということは許されない。
「あなたは価値がなくて、つまらなくて出来損ないで家紋の恥だけど、それだけで終わるはずがないわ。終わってはいけないわ。だってわたくしとあの方の息子なのだもの。そうでしょう?」
歌うような口調で母は言った。
「あなたの価値を示して。少しでも誇れるところを見せてちょうだい。あなたにはアルムガルドの血が流れているのよ。わたくしたちの期待に応えて。あなたに魔法が使えないはずがないわ。もう少し頑張ればいいだけなのよ」
「その通りです、母上」
ユリウスは力を込めて答えた。
「ユリウスは必ずや魔法を使えるようになって、母上に安心していただきます」
「そう……いい子ね」
母はうっすらと微笑み、ユリウスの頭を撫でた。
「……魔法が使えるようになるまで、もうここには来てはいけませんよ」
「えっ」
ユリウスは虚を突かれたように顔を上げた。母の手はユリウスの額に下り、緩い力で、しかし確かに後ろへと押しやった。
「わたくしを見ると甘えたくなるでしょう? 母も辛いのです。でもあなたのためなのよ。可哀想に、こんなに無能では将来大人になってから困ってしまうわ。早く魔法が使えるようになって、胸を張って会いにくるのですよ」
母にもう会えない。魔法が使えるようになるまでは。
それはユリウスにとってあまりに辛い宣告だった。
しかし、母の言うことはもっともだ、と少年は思った。自分は甘ったれていた。魔法が使えなくても優しくしてもらえる環境では、どこか気持ちにたるみが出てしまうのかもしれない。魔法使いというのはきっと、何もかもを修練に捧げて甘さを捨てなければ辿り着けない高みなのだろう。
「わかりました、母上。……ま、魔法が使えるようになるまでは、ここには参りません」
ユリウスは泣きたい気持ちを堪え、立ち上がった。一礼して母に別れを告げる。
母はゆっくりと頷き、満足げに瞼を閉じた。その目は、ユリウスが部屋を出るときまで、一度も開くことはなかった。