単純な魔物と単純じゃない人間
――か、回復! ポーション! ねぇ! 魔石箱は転移のとき持ってこれなかった! 俺の魔法は治癒を使えない! どうすんだこれ!? ユリウス! ユリウス起きろ、このままじゃ……。
ピクリとも動かないユリウスの元に、とどめを刺そうとエデルシュネガルが走り寄ってくる。シャルロッテは必死で頭を回転させた。
――ユリウスを空に浮かせ――でも今動かしたら死ぬかも! だからってこのままにしたらエデルシュネガルに殺される! 俺が防がなきゃ! 何が使える!? 火!? 風!? 水!? いやちょっとでもあっちにダメージいきそうなら魔法攻撃判定されるかもしれん! なんかすげー硬くて丈夫な盾を――そうだ!
シャルロッテはユリウスを庇える位置に降り立ち、両手をつきだし構えた。その手に、既に倒したハビヤルテイトスの魔石を引き寄せる。一度手にしてしまえば魔石の加工は容易だ。瞬時にとろけた魔石は、エデルシュネガルの尾が到達する直前に体をすっぽり覆う大きさの盾へと姿を変える。魔石を傷つけられるものはない、というユリウスの言葉を思い出したのだ。
勢いが完全に殺されるわけではなく、盾を支えるシャルロッテの腕と肩の骨は衝撃で砕け散ったが、なんとか尾を跳ね返しユリウスを守り切ることができた。
「~~~っっっ! い、痛い、ですわっ!」
痛すぎてかえってあまり騒げない。イフリートに殺されかけたときにこれ以上の痛みはないと思ったが、それに勝るとも劣らない痛さだ。
——やべぇ魂吐きそう……エデルシュネガルは? あ、あいつもなんか痛がってる。魔石盾に当たった尾を痛めたか。でもこっちに比べたらピンピンしてんな。次防げねーぞ、どーしよ。
悶絶しながらも敵を観察していると、後ろから「お前……」と掠れた声が聞こえた。
「なん、で、いる……」
ユリウスが、信じられないような表情でシャルロッテを見ていた。シャルロッテは、あ、と微笑む。痛みで顔が引き攣っていたが、少なくとも本人は微笑んだつもりだった。
「起きましたのね、良かったですわ」
「良く、ない……! 何故……」
「申し訳ないのですが、わたくしもう手が使えないので、盾で防げませんの。風魔法で空に上がって一時的に時間を稼ぐか、あいつを倒すかしか助かる方法がありませんわ。……今思いついたのですけど、魔石、剣にしたら強いかもしれませんわね」
シャルロッテは盾の一部を溶かし、ユリウスが使っていたものを真似て剣を創り上げた。
赤黒い色をした飾りけない細身の剣は、毒々しさと神秘的な静謐さが共存した不思議な輝きを放っている。
「ユリウス、あなたに託しますわ。わたくしが風魔法であなたを魔物の背にのせたら、弱点を狙えますか?」
先ほどまで意識を失っていた状態の者に戦わせるのは酷だが、現在剣を握れる手がユリウスの左手しかない。利き手ではないが、普段から剣を扱いなれており、敵の弱点を看破する能力もある。ユリウスに賭けるしかなかった。
「……あぁ」
ユリウスは剣を掴み、よろけながら立ち上がった。腹に空いた穴から内臓がのぞく。シャルロッテは、うぁ、と声を漏らした。
「ほ、本当に大丈夫ですの?」
「こん、な……伝説級の剣を、与えられて、しくじる間抜けは、いない」
途切れ途切れの声は弱々しく、額には脂汗が滲んでいる。汗と土埃と血に塗れて、しかし剣を握り締めて立つ姿は凄みすら感じさせた。
「連れて、行ってくれ、俺を。あの魔物の、脳天に」
声を振り絞りユリウスは言う。シャルロッテは気圧されたように頷き、唱えた。
「ウィンドムーブ」
ユリウスとシャルロッテの体が同時に浮き上がる。
シャルロッテはそのまま上空へ、ユリウスはエデルシュネガルの真上へ。腫れた尾を気にしていたエデルシュネガルは、ユリウスの接近に気づくと慌てて体を硬化させ岩棘を出す準備に入ったが、ユリウスの反応の方が早かった。左手を限界まで伸ばし、剣の柄を滑らせ、手のひらを柄の端にあてて押し込むようにエデルシュネガルの首のしわの間に突き刺す。剣は深く柄まで沈み込み、エデルシュネガルの急所に到達した。
「グキェエエエエェェ!!!」
耳をつんざくような断末魔の鳴き声をあげ、エデルシュネガルは崩れ落ちる。魔石剣が一際眩く光り、分解されていくエデルシュネガルの欠片が吸い取られるように剣に集まる。
シャルロッテは地面に落下していくユリウスを風魔法で回収し、はーーっ!と肺の中の空気を全部吐き出した。
「や、やりましたわ……! よく頑張りましたわねユリウス!」
抱きしめに行きたいが腕が回せない。
これポーションで治んのかな、つーか迷宮から出るまで生きてられっかな、と恐ろしくなりながら満身創痍のユリウスと自分の体をそっと地面に戻す。
エデルシュネガルがいた地点には、ハビヤルテイトスが落としたものと同じぐらいの大きさの魔石と、見るからに豪華なドロップ品が落ちていた。
階段は出現しなかったが、代わりに青い魔法陣が地面に浮き上がっている。
「これ、どこ行きなのかしら。また戦闘なんてことになったら困りますわね。せめて安全地帯だといいのだけれど」
ドロップ品は、王冠が一つ、黄色の宝石がはめ込まれた杖が一つ、小瓶が二つ、本が一つ、腕輪が一つ、それからエデルシュネガルとハビヤルテイトス由来のものと思われる羽根や岩の塊だった。
このうち小瓶に望みをかけて、シャルロッテは『神の啓示』を使う。
『神の啓示』は、アイテム類にはあまり役に立たず、『ゴブリンの皮』『屍人の笛』など名称を教えてくれるだけで詳細はよくわからないのだが、今回ばかりはそれだけの表示でもあるとないとではありがたさが違う。
『レヴィアータ神の慈悲たる雫』
――よっしゃ回復系っぽい! 良かった毒とか爆薬じゃなくて! 効果はわかんねぇけどこんだけ強い魔物倒したんだしそこそこはいいの貰えてるはず! いやでも若返りの薬とか俺がずっと欲しがってる性転換の薬とかのトリッキーなもんだったりする可能性も……えぇい、そんときはそんとき!
そうはいってもユリウスが女になってしまったら気の毒なので、自分が先に飲んでみる。風魔法で小瓶を口元まで持っていき、栓の近くを風圧で切って液体を喉奥に流し込んだ。
――マズ……くない? あれ? そんなマズくないなこれ。グレープフルーツみたいな味。高級品なのか? あっ、痛くなくなった!
小瓶の中身を全部飲み干すと、強烈な痛みが消えうせ、腕が動くようになった。ついでに、イフリート戦で残った火傷痕や細かい傷も治っている。
「よ、良かったですわー! ちゃんとしたポーションでしたわ! あなたも早くお飲みになって!」
シャルロッテは元気になった体でユリウスの元に駆け寄り、口の中に小瓶を突っ込んだ。
ユリウスはぐったりと横たわっていたが、シャルロッテが呼びかけると、薄目を開けてこくりと喉を鳴らした。一度飲み込むとあとは早く、一飲みするたびに怪我が癒されていく。ごきごき音をさせながら折れ曲がった左腕が正しい位置に戻り、穴が開いていた腹が綺麗に修復されて傷一つないまっさらな肌に変わっていくのを目の当たりにしたシャルロッテは、感動と安堵のあまり涙ぐんでしまった。
「ま、間に合って本当に本当に良かったですわね……! 生命の神秘ですわ……ポーションって凄い……。」
ユリウスの手を握り締め、お互い生き延びたことを喜ぶ。だがユリウスは、にこりともせずにシャルロッテの手を剥がさせた。
むくりと起き上がると、シャルロッテと正面から目を合わせ、真剣な面持ちで言う。
「無事でなによりだが、今後ああいうことはするな」
「え?」
「俺を魔物の攻撃から庇っただろう。何故、あんなことをしたんだ」
「何故って……」
「あの盾で防げるかどうか確証はなかったはずだ。幸い防げたが、お前は酷い怪我を負うことになった。そこまでして俺を助ける意味がない」
「……? どういうことですの? そんなこと言われましても、危なそうだったから咄嗟に……まさか自分でどうにかできたと仰るつもり!? あなたが優秀なのは認めますが、無理がありますわよ!」
そんなこと言わせねーぞ、お前確かに死ぬ寸前だったぞ、とシャルロッテはファイティングポーズを取りかけたが、ユリウスは、違う、と首を振った。
「お前が命がけで俺を助ける理由がわからない」
「???」
困惑しているシャルロッテに、ユリウスは更に畳みかける。
「俺はそういうことをされる価値のある人間ではないだろう」
「はああぁ?」
――どうしよ……魔物は倒せたけど仲間が魔物の鳴き声並みにわけわかんねぇこと言い出したぞ……。
シャルロッテは、どこまでいっても理解不能な少年を前に、途方に暮れた。