こんなんじっとしてらんねぇ
「グルゥォオオオオオォ!!!!!」
地竜エデルシュネガルが二本足で立ち上がる。響き渡る咆哮は衝撃波のように圧を放ち、体をビリビリと痺れさせた。
離れているシャルロッテにも影響があるのだから、近づこうとしているユリウスにはなおさらだろう。しかしユリウスは少し仰け反ったものの、すぐに体勢を立て直しエデルシュネガルに立ち向かっていった。
地面に足をついていると、エデルシュネガルが発生させる地震の揺れによって踏ん張れない。そこでユリウスは、エデルシュネガルの体そのものを足場にすることにしたようだ。器用に背中や尻尾の上を跳ね飛び、合間に刃が通る箇所を探っている。
シャルロッテは空中に浮かび、戦いの様子を見守った。隠れていろと言われたが、気になってしまって後方でじっとしているなんて耐えられない。それにエデルシュネガルは飛べないのだから、上空にいれば安全だろう。
エデルシュネガルはすばしっこく周囲を飛び回るユリウスに戸惑った様子だったが、何度目かにト、と背中に降り立たれると、煩わしそうに体を揺すり、長い尾を叩きつけてユリウスを落とそうとした。
ちょうど跳躍中で体勢を変えられないユリウスに、尾の先が直撃する。軽い体はいともたやすく吹っ飛ばされ、近くの岩場に叩きつけられた。
「ユリウス!」
シャルロッテが思わず叫ぶと、ユリウスはぎょっとしたように声のしたほうを見上げ、「何やってるんだ!」と怒鳴った。
「離れてろと言ったろう! 魔法は効かないんだぞ!?」
「嫌ですわ! わたくしはお姫様じゃないんですのよ!」
「……お姫様に見えるが!?」
言い争っていたせいか、エデルシュネガルが新しい闖入者に気づいたような素振りを見せる。ぶん、と振り回された尾は予想より攻撃範囲が広く、シャルロッテの鼻先をかすめていった。
「ヒッ!」
「この馬鹿! 早く行け! 邪魔だ!」
「う、うるさいですわよ!」
言い返しながらも、心臓はバクバクと激しく脈打ち、背筋を冷たい汗が伝っていく。
――あっぶねー! 今当たるとこだった! あの勢いで硬いもんぶつけられたら死ぬ! もうちょい上がったほうがいいな。
高度を上げ、距離を取る。
――ユリウス、よくこんなバケモンの近くに行って戦えるな。度胸が凄ぇ。……いや、あいつも怖いのか。さっき震えてたもんな。そりゃそうだよ、あいつだって俺よりはちょっと背が高いってだけでまだ全然子どもだし細いし、防具もろくにつけてないんだから。まぁ戦い方が敏捷重視だから鎧とか盾とかで体重くしたくないんだろうけど、岩みたいなエデルシュネガル相手だと不利だよな。
それでも果敢にエデルシュネガルの懐に飛び込んでいくのだから、ユリウスの自律心は相当なものだ。魔将イフリートとの戦いも緊迫感があったが、あれはまだユリウスが場を支配している空気が伝わってきた。今回はそうはいかない。絶対的な強者に必死に食らいつこうとするユリウスを、エデルシュネガルが軽くあしらっている。
一瞬の間、一ミリのズレ、一度の判断が命取りになる戦いだった。相手の攻撃は致命傷になるが、自分の攻撃は通っているのかどうかもよくわからない。俺なら心が折れる、とシャルロッテは唇を噛んだ。
――何やってんだろ、俺。こんなとこでただ浮いてるだけで。
役立たずじゃん、と悔しい気持ちがこみ上げてくる。
シャルロッテは大魔法の使い手で、現に先ほど魔物の片方は倒している。役に立っていないわけではない。ユリウスに比べてシャルロッテが強すぎるためシャルロッテだけ楽をしているように見えるだけで、どちらも一体ずつ魔物を相手にしているのだから負担は同等なのだ。しかし、シャルロッテはそう思って開き直ることはできなかった。
シャルロッテは自分の力がチートだと自覚している。一生懸命努力して手に入れたものではない。死んだことと引き換えに貰ったので、完全なラッキーというわけでもないのだが、エデルシュネガルとの戦いを見ていると、地道に努力してきたであろうユリウスと違ってお手軽に敵を倒せることに負い目を感じてしまった。
――くそ、なんか俺かっこ悪くねぇ? 魔法使ってあとは見てるだけなんてさ……いや、戦闘で大事なのは強いかどうかだろ。努力したかとか体を動かして倒したかとか、そんなのなんの意味もねぇ。俺は派手でかっこいい魔法が好きで、どんな強い敵もやっつけられる力に憧れてて、クールに一瞬で発動させて倒すのがサイコーに気持ち良くて……だから魔法は悪くない、俺が強いのはいいことだ、間違ってない。でも魔法が通用しなくなったときなんもできねぇで見てるだけなのがすげぇ悔しい!
シャルロッテは、本来頭より先に体が動くタイプの人間である。お嬢様教育のおかげでだいぶ自制心を身につけさせられたが、目の前で大変な思いをしている者を助けてやりたいのに自分の力ではどうにもならない、という状況は彼女にとっては我慢ならなかった。
せめてユリウスに声援を送りたいが、気を散らせてしまうかもと思うと迂闊な行動はとれない。それでも何かできないかと祈るような思いで戦闘を見ていると、エデルシュネガルがたまにこちらにちらちらと目線をよこすことに気づいた。感情の窺えない細長い瞳孔がきゅるりと動いてシャルロッテを捉える。空を飛ぶ者の動向が気になるのだろう。
――あっ! そっか、攻撃できなくたって注意を引きつけることはできるんだ! じゃあ俺も協力できるんじゃねーの!? 魔法攻撃が効かないってだけで、魔法が使えないわけじゃねぇんもんな。どうなるかわからんけど、やってみよう!
「ミラージュラッシュ!」
シャルロッテが唱えると、エデルシュネガルの周りにユリウスの幻覚が二十体ほど出現する。突然増えた似たような個体に、エデルシュネガルは驚いたように飛び上がり、癪に障る敵を排除しようとバタバタと尾を振り乱した。
その隙を逃さず、ユリウスはすかさずエデルシュネガルの背を上り、首に剣を突き立てる。伸縮性がある首元は比較的皮膚が柔らかくなっているのではないかと見当をつけたのだ。予想は見事当たり、ユリウスの剣は初めてエデルシュネガルの皮膚に沈んだ。
だが次の瞬間、その剣はユリウスごと押し出され、空に舞うこととなる。エデルシュネガルが体表を岩に変化させ、棘状にして全方位に飛ばしたのだ。岩棘はテトラポッドを鋭くしたような形状で、大きさは電子レンジほどもある。吹っ飛ばされている途中のユリウスにいくつもぶつかり、上空にいたシャルロッテのほうにも飛んできた。
「キャー! えっとえっとウィンドカーテン! ウィンドバリア! エアリークッション!」
シャルロッテは矢継ぎ早に風魔法を使い、自分とユリウスに向かってくる岩棘を散らした。ついでにユリウスの背中に風の膜を張って、落下したとき衝撃を受けないようにする。
「でっ、できましたわ! やっぱり攻撃じゃなければ戦闘に絡んでも問題ないんですわ! これならわたくしも――ヒッ」
戦闘に参加できる、と喜び勇んだシャルロッテだったが、ユリウスの様子を見て息を飲んだ。
風魔法は確かにダメージを減らした。だが、対処するまでに受けた怪我は治せない。ユリウスの右腕は血塗れで折れ曲がり、腹部にも真っ赤な血の染みが広がっていた。




