全部放り出すのは気持ちいい
「異常気象です」
メイド長は断言した。
ヴァルメイデンにおいて、この季節に嵐が訪れることは滅多にない。
記録に残っているのは、神が娘の死に涙を流したとか、神がうっかり天の壺をひっくり返してしまったとか、神が勇者の危機を助けようとしたとかで、いずれも神話級のできごとである。記録というよりほとんど伝説で、目撃者は生存していない。
もう少し信憑性のある話となると、ほかの地域では、竜などの大型の魔物が気流を引っ掻き回して天候を狂わせる、ということがあったらしい。
「もしかしたら、お嬢様の苦境をご覧になった神が嘆いておられるのかもしれませんね」
淡々とした口調で凄いことを言うメイド長に、シャルロッテは苦笑した。
「まぁ、何を言いますの。神がわたくしのような小さな存在を気に留めるとは思えませんわ」
勇者の危機を助けようとして、というくだりを聞いたときは少しドキッとしたが、シャルロッテのステータスには勇者とは書かれていないし、神と仲良くなった覚えもない。新人らしき天使にごり押しして転生させてもらっただけなので、使命や目的も特に与えられていない。ステータスに魔王誕生のお知らせは表示されているものの、倒せとは一言も書かれていないのである。
実際に魔王を倒したあとならともかく、現時点で神に注目されているとは思えなかった。
第一、嵐が起きたからといってシャルロッテの状況が好転するわけではない。エグモントは嵐になろうが雪が降ろうがプッヘルト男爵との結婚を強行するだろう。
偶然だろうな、と結論付けた。
それはそうとして、天気が悪いと余計に気が滅入る。
こんなときは体を動かすのが一番だ。今まではラングヤール夫人に告げ口されるわけにいかなかったので柔軟程度しかやってこなかったが、これからは懸垂や腕立て伏せをやっても大丈夫だろう。縄跳びも楽しそうだ。
メイド長に、手ごろな縄を持ってきて欲しい、と頼むと、変な顔をしながらも了承してくれた。
待っている間、手足を伸ばして体をほぐす。
ノックが聞こえ、随分早いなと入室の許可を出すと、あまり顔なじみのないメイドが入ってきた。
「お嬢様、エグモント様がお呼びでございます。鈴蘭の間にいらっしゃるようにとのことです」
「今は忙しいですわ」
「大変申し訳ありません、私はお嬢様を必ずお連れするようにと言いつかっておりまして」
メイドは固い表情で言った。よく見ると、後ろには二人体格のいい従僕もいる。シャルロッテが従わなければ力づくで連れていくつもりなのだろう。
「はぁ……仕方ありませんわね」
シャルロッテはため息をつくと、メイド長に書置きを残し、従僕とメイドに囲まれて鈴蘭の間に向かった。
――たかが八歳のガキに男二人女一人は過剰だろーよ。何するつもりなんだあいつ。もしかしてこれから結婚式やるとか? ウエディングドレスとか着せられたら引きちぎってやんぞ。
両親とラングヤール夫人という枷が外れたため、シャルロッテの行儀作法はところどころ綻びが生じていた。むすっとした顔で、つんと顎をそらしながら廊下を歩く。
エグモントは敬意を払うに値する相手ではない。いつまでもシャルロッテがおとなしくしていると思ったら大間違いだ。お前の言いなりになんかなってやらん、と言わんばかりに、シャルロッテは眉に力を込めた。しかし本人は気づいていないが、顔が可愛すぎてちっとも迫力はなかった。
鈴蘭の間につき、メイドがドアを開ける。シャルロッテは文句を言ってやろうと口を開きかけたが、その瞬間強い力で中に引きずり込まれた。
「なっ!?」
「やっと来たか、遅かったじゃないか」
体を覆うようにして抱え込まれ、贅肉に溺れそうになりながらなんとか顔を上げると、プッヘルトのにやけ面がドアップで迫ってくる。
ぞわわ、と鳥肌が立ち、シャルロッテは反射的にプッヘルトの体を押しのけようとしたが、力が強くてぴくりとも動かない。
背後でドアが閉まる音がし、プッヘルトと二人きりにされたことを悟る。
「なぜ男爵がここに!? 叔父様に呼ばれたはずですわ!」
シャルロッテが疑問をぶつけると、プッヘルトは得意げに言った。
「わしがエグモントにそうするよう言ったのさ。どうせ結婚するんだから、少しぐらい味見してもよかろう? なに、心配することはない、わしは経験豊富なんだ。数々の処女を女にしてやったのだから」
――っこ、こいつ、こいつまさか、俺のことエロい目で見てる――!?
ことここに至って、シャルロッテはやっと、自分が目の前の男に狙われていることに気づいた。
――あ、あぁー! ラングヤール夫人が言ってたのって、もしかしてこのことか!
それと共に、ラングヤール夫人の不可解な行動の謎が解ける。
エグモントとの問答の直前、ラングヤール夫人はシャルロッテに丸薬の入ったケースを渡してきた。あの時はなんのための薬なのかいまいちピンとこなかったのだが、今ならわかる。あれはおそらく、避妊薬的なものだったのだ。
シャルロッテは、男と結婚した結果いずれ性的なことをするはめになるだろうことは嫌がっていたが、現時点で「襲われるかもしれない」とか「避妊が必要かもしれない」という考えは一切持っていなかった。
八歳の少女が恋愛対象になるという発想がなかったのだ。
それは彼女の前世の少年が、年下の少女を恋愛対象から外していたことに起因する。好きになるのは主に年上で、胸が大きくて甘やかしてくれそうでえっちなことを教えてくれそうな、包容力のある優しいお姉さんがタイプだった。
女子中高生がエロ界隈で持て囃されているのは知っていたので、そーいう趣味の人もいるのね、ぐらいの認識はあったが、対象が小学生ともなると、女というより子どもとしか思えなかった。シャルロッテにとって興奮するものといったら大きい胸、大きい尻、余裕のある積極的なお姉さんからの誘惑で、体も心も未成熟な子ども相手に恋愛はできない。
だから、同世代のエーベルハルトに淡い恋心を抱かれるのは想定の範囲内だったが、六十代の男にエロい目で見られるとは思いもしなかったのである。
しかし、実際のところ『恋愛』は難しくても、物理的に『性交』は可能なのだった。
シャルロッテは目を白黒させて、固まった。
――そ、そっか……八歳でも、できなくはない、のか……? 大怪我しそうだけど……つーか、もしこれで襲われて運が悪かったら、妊娠しちゃうってこと? マ、マジかよ……なんか女の子って……女の体ってすげー頼りないっていうか、なんでそんな作りなの? ちょっと間違ったら子どもできちゃうとか、ありえなくねぇ? せめて簡単に襲われないように強い体であるべきじゃん。ムッキムキでレスラーみたいな? いや、女の子がムッキムキなのは見たくねぇけど。でもなんか……嫌いな相手に襲われたら棘が生えるとかさ、毒ガスが出るとか、隠しナイフが飛び出るとか、そーいうふうになってないとマズいんじゃねぇの!?
だってこんな細くて小さくて弱い体で抵抗するとか、普通無理じゃん!
男だったときは深く考えたことがなかったが、自分がその身になってみると、女体の防御力の低さが理不尽に思えてくる。
プッヘルトのぶよついた指はがっちりとシャルロッテの腰を掴み、もう片方の手はドレスをたくしあげようとしていた。
「さぁ、可愛い足を見せてくれ。お前はわしのものになるのだ、シャルロッテ」
「ひっ!? なにをなさるのですか、この――!」
この?
シャルロッテははたと気づいた。
悪口が言えない。
正確には、悪口の語彙力がない。
周囲は、お嬢様お嬢様と傅いてくる者ばかり。上位者である両親とはほとんど会話がなく、叱られることがあるとしても冷静に欠点を指摘されるだけ。
あまりに上品な環境で育ってきてしまったシャルロッテは、人を罵倒するときなんと言えばいいのかまったくわからなかったのだ。
心の中では「てめぇこのクソブタ野郎が、汚ぇ手で触んじゃねぇ! 誰がてめぇみてぇなキモいロリコンジジィのものになんかなるかー!」と叫びまくっているのだが、それをフェアフォーテン語で表現することができない。
言葉を途切れさせたシャルロッテを見て、抵抗を諦めたと思ったのか、プッヘルトはいやらしく笑ってシャルロッテに顔を近づけた。
「さぁ、口をあけてごら――」
「嫌ですわ!!! ストーンカッター!」
力強く拒否すると、シャルロッテは土魔法で真横の壁から石の刃を生やし、プッヘルト男爵の腕を切り落とした。
「ああああぁ!? ぐうっ! な、なんだこれは!!? 痛い! 痛いいぃ!」
どばどば血を流す自分の腕を信じられないという顔で凝視し、プッヘルト男爵はのたうち回る。
――うげっ、グロ! なんかぐちゃっとした中身見えちゃった!
シャルロッテは咄嗟にぎゅっと目を瞑り、そのあとなるべく直視しないように薄目を開けた。
ヴェアヴァーデン森で魔物を虐殺したことはあったが、あれは夜だったし、相手が魔物なので現実味は薄かった。しかし今回は、悪党とはいえ人間である。生々しい切断面を目の当たりにし、若干怯んでしまう。
――くそ~、俺グロいの苦手なんだよなぁ。それもこれもこいつが俺を襲うとか馬鹿なことしなければこんなことには……もーマジで最悪、俺の見てないとこで死んでほしい!
シャルロッテは泣きそうになりながらドレスの裾をなおし、精一杯虚勢を張って、プッヘルト男爵に指を突き付けた。
「こっ、これに懲りたら、無理やり誰かを襲うなんて真似は今後一切してはなりませんわよ! よろしいですわね! ではごきげんよう!」
言うなり身を翻し、土魔法で壁を分解しながら前に進み、三階の高さから空中に躍り出る。もっとスマートな去り方もあったのかもしれないが、とにかく早く外に出てプッヘルトから離れたかったのである。
そのまま飛行魔法で空を飛び続け、城が見えなくなったところで、やっとシャルロッテは息をついた。
気が抜けて初めて、自分が相当な緊張状態にあったことを自覚する。肩が強張り、頬にはいつのまにか流れた涙の痕が張り付いていた。
「あ゛ー……嫌な事件でしたわ……わたくしに力があって良かった。もう力づくで人を言いなりにしようとする方とは、絶対に関わりたくありませんわ」
シャルロッテは、げんなりしながら独りごちた。
プッヘルトに襲われた拒否反応が激しくて、なんの計画もなく城を飛び出してきてしまったが、結果的に良かったような気がする。
これ以上あのエグモントが支配する空間にいたら、何をされるかわかったものではなかった。味方はどんどん引き剥がされていき、シャルロッテの意志は無視される。あのままいたら、メイド長もじきにクビにされていたことだろう。
これから住むところでは、誰にもちょっかいをかけられないぐらいの強さを示そう。そうして、シャルロッテのようには強くなれない小さな女の子を見かけたら守ってあげるのだ。
――あと、悪口をいっぱい言えるようになるぞ!
ぐ、と拳を握り締めてシャルロッテは決心した。
思うように罵倒できないというのはなかなかもどかしいものである。怖気が走るほど嫌なことをされているのに、その嫌さを表現できないのは辛い。
それに、シャルロッテは実家を捨て、貴族ではなくなった。社交界で賞賛されるお行儀の良さより、市井で舐められない罵詈雑言のほうが必要なのだ。
風を受けて飛ぶのにも疲れてきたので、人気のなさそうな平原に緩やかに降り立つ。
障害物のない空を猛スピードで駆け抜けたため、シャルロッテはいくつもの町や村、山や川を通り過ぎていた。ヴァルメイデンの上空を覆っていた暗い雨雲は遥か後方に取り残され、今シャルロッテの体を包むのは、暖かな春の陽気である。
晴れやかな青空の下、少女は太陽に向かって伸びをする。
――自由って、こんなにすっきりした気持ちになるんだ。
今夜の食事も宿も知れぬ不安定な身の上だが、きっと明るい未来が待っていると、何の根拠もなくそう思えた。
やっと城を出ました! 次の章からは冒険が始まります。
何故こんなに長引いたんだろう……自分でも不思議です。
最初の構想では、襲われたシャルロッテはパニックになってまたファイアーボールをぶちかまし、城ごと燃やしつくしてしまう予定でした。ただ、それだと使用人が巻き添えを食ってしまいますし、人を殺したショックにも向き合わないといけないので、明るい話に戻すのが難しくなります。ということで、一時の爽快感より今後の書きやすさを取り、手だけ切り落とすことにしました。
また、書いている途中で「これ『残酷な描写あり』にしないとマズいか?」と不安になったのでタグをつけました。今回の話は、シャルロッテに自分が少女の体なんだということとその危険性を意識させるために書きましたが、今後下衆い展開にするつもりはないです。
次回からは、いよいよギルド加入やダンジョン突入などでシャルロッテが活発に動き回るようになります。
一日お休みして、明後日から再開しますので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
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