物事は急に進んでいく
遅れてすみません……眠気に抗えなかった……。
その後、エーベルハルトとは文通しあう仲となった。
この世界に残っている魔法は非常に限定的で、電話やメールに代わるようなものはないので、郵便馬車に届けてもらうという原始的な手法を取っている。
そのためやりとりのテンポは遅いのだが、そのぶんゆっくり吟味しながら書けるので、余計なことを言ってしまう心配がなくてシャルロッテは気に入っていた。
郵便馬車が来る曜日は決まっている。そろそろ手紙が届くころかな、とそわそわしながら玄関に見に行くと、軍服に数々の記章をつけたコンラートと、よそ行きのドレスを纏ったオリーヴィアがいた。
「お父様、お母様、お出かけですの?」
「あぁ、いつものあれだ。デタール山地に行ってくる」
「まぁ、もうそんな時期ですの。お気をつけていってらっしゃいませ」
シャルロッテは、両手でピースサインを作ってそれぞれの指を胸の前で合わせるという、神の加護を祈るポーズを取った。
コンラートは、ここヴァルメイデンを治める領主であると同時に王の騎士でもあるので、定期的にその武威を示し王への忠誠を証明しなくてはならない。ということで、毎年辺境の蛮族討伐に駆り出されるのである。
だいたい一か月ぐらいしたら帰ってくる。元々シャルロッテは両親とあまり顔を合わせない生活をしているため、コンラート不在の実感が湧かないのだが、そういえば毎年暖かくなるころだったな、と思い出した。
「お母様はどちらに?」
「わたくしは王都に用がありますの。ついでですから途中まで一緒に行こうと思いまして。シャルロッテ、何か欲しいものがあるなら言ってごらんなさい。買ってきて差し上げますわ」
「ありがとうございます、お母様。特には……あ、ルドルフ・アッヘンバッハ物語の白の部が欲しいですわ。エーベルハルト様からお話を伺って、わたくしも読みたくなりましたの」
キルステン家には、マルゴットの部屋にはなかったルドルフ・アッヘンバッハ物語の続刊があるらしく、前回の手紙であらすじを教えてもらったシャルロッテは無性に本編が読みたくなっていた。
「エーベルハルト・キルステンとの文は続いているのですね。婚約者と仲が良くて結構なことですわ。執事に探させておきましょう」
オリーヴィアは頷き、コンラートにエスコートされながら馬車に乗り込んだ。
「ではシャルロッテ、いい子で待っていてくださいませ」
「何かあればバルトを頼れ。では、行ってくる」
相変わらずドライで、名残を惜しむとか別れ際の抱擁とかを一切しない両親である。
シャルロッテも儀礼的に返事をする。
「はい。ご武運を」
こうして両親は辺境に向かった。
すぐに何事もなく帰ってくるだろうと、この時はシャルロッテもそう思っていたのである。
午後のラングヤール夫人の授業も終えて、シャルロッテが暖炉の前で寛いでいると、メイド長がすっと傍らに立った。職務に厳格な中年の女性で、前世のシャルロッテがイメージしていたような『可愛らしいメイドさん』の対極をいくような性格だが、とにかく仕事ができるので頼りになる。
「シャルロッテ様、よろしいでしょうか」
「なんですの」
「アンネとエッダのことです。実は今月いっぱいで、二人は辞めることになっております」
「まぁ!」
シャルロッテは驚いて、口元に手を当てた。
「何か不手際があったわけではなく、元々今年までと決まっておりました。専属のメイドが辞める際、主人がその者への感謝の印として何かを渡す習慣がございます。どうしてもというわけではありませんので、あくまでシャルロッテ様のお心次第ですが、仲良くされていたようですのでお伝えしておこうと思いまして」
「そうでしたの。ありがとう、用意しておきますわ」
シャルロッテが礼を言うと、メイド長は頭を下げ、別の仕事に戻った。
――えー、そっか、辞めちゃうのか。そーいえば二人とも、いい結婚をするために城で働いてるとか言ってたっけ。俺と会ってから三年以上経ってるから、今十七歳だな。結婚には早いと思うけど、この世界なら普通なのかも……。でももうすぐ辞めるなら言ってくれればいいのに。
寂しくなるなー、としんみりしつつ、あげるものを吟味する。
シャルロッテは仮にも伯爵令嬢なので、ドレスやら宝飾品やらをいろいろ持っている。何をあげても喜んでもらえるだろう。だが、せっかくなら自分しかあげられないものにしたい、とシャルロッテは思った。
シャルロッテしかできないこと、といえば、当然アレだ。
魔法である。
シャルロッテは土魔法を弄っているうちにみつけた特殊な鉱石を集め、直径一センチほどに丸く成形した。この鉱石は、そのままだと灰色のただの石に見えるのだが、魔力を込めることでその魔力の種類に沿った色に変わり、美しく輝くようになる。ユーベルヴェークに教えると、狂喜乱舞しながら是非シャルロッテが命名すべきだと強く主張してきたので、『魔光石』と名づけた。そのまんまである。
アンネ用には光魔法の魔力を、エッダ用には水魔法の魔力を込める。危険な魔物や山賊などに出くわした際は、これが身を守ってくれることだろう。
魔光石に鎖をつけてネックレスにし、香水の瓶と共に綺麗な箱に入れる。
アンネとエッダを呼んで、「いままでよく仕えてくれましたわね」と言って渡すと、二人は泣き出してしまった。
「お嬢様、申し訳ありません、私たち辞めることをなかなか言い出せなくって」
「家からは早く帰ってこいと言われているんですが、帰りたくないんです。お嬢様にずっとお仕えしていたい」
ぐすぐすと涙を袖で拭う姿を見て、シャルロッテも涙がこみ上げてくる。
この世界に来て初めてできた友達だった。妹みたいで、姉みたいで、大好きだった。身の回りの世話を全部してくれて、この世界のことをいろいろ教えてくれて、シャルロッテが作ったゲームで遊んで一緒にはしゃいでくれた。
「わたくしだってアンネとエッダにずっといてほしいですわ」
シャルロッテはハンカチを取り出し、じわりと涙が滲んだ自分の目に当てたあと、二人の目元も拭った。
「そういうわけにはまいりませんの?」
「ありがとうございます、お嬢様。でも駄目なんです、もう結婚相手が決まってて」
「私は家を手伝わないといけません。母が腰をやられて動けなくなってしまいましたから」
アンネとエッダは、悲しそうに答えた。みな、それぞれの事情がある。やっぱり駄目なのか、とシャルロッテは肩を落とした。
「仕方ありませんわね。でもあなた方がわたくしのメイドではなくなっても、お友達であることに変わりはありませんわ。贈り物を受け取ってくださいませ。わたくしたちの友情の証に」
「お嬢様……ありがとうございます、一生大切にします」
「お嬢様に神の恵みが絶え間なく降り注ぎますように」
二人が大切そうに箱を胸元に押し頂いたので、シャルロッテは慌てて、それは魔力を込めてあるから危ない時に使うように、くれぐれも出し惜しみはしないように、と説明した。
二人は、初めて聞いた魔光石という言葉にきょとんとした顔をしていたが、敵わなそうな魔物に会ったら投げつける物、と言い換えると、納得した。
「そっか、お嬢様は魔法研究をなさってましたね。こんな物までお作りになるなんてさすがです」
「お嬢様はきっと、いえ絶対、この世界をより良くなさるお方だと思います。貴族の方としても優秀過ぎますもの。才ある者には神が人より大きな試練を課すと言われていますが、お嬢様ならいとも簡単に乗り越えてしまいそうですね」
二人の心からの賛辞がますます胸を締め付ける。自分を信頼し、評価し、好きでいてくれるこの人たちと離れたくない。
また涙腺が刺激されて泣き出したシャルロッテを、アンネとエッダはおずおずと抱きしめてくれた。
使用人と主人の間柄ではこんなことはしない。だが、二人はもうすぐメイドではなくなる。最後の機会と思って、一歩踏み込んでくれたのだろう。
三人はひとしきり肩を寄せ合って泣いて、それからすっきりした顔で眠った。
次の日、アンネとエッダは荷物をまとめ、城を出ていった。
メイド長が、代わりの専属メイドをシャルロッテに紹介しにくる。二十代の地味な女性で、丁寧だが余計なことは言わず、淡々と仕事をする人だった。
アンネとエッダの溌溂とした様子が恋しかったが、新しいメイドに問題があるわけではない。じきに慣れていくだろう、と自分に言い聞かせる。
その日の深夜、息せき切って訪れた早馬の報によって、シャルロッテはコンラートとオリーヴィアの訃報を知らされた。