お前とはダチになりたいよ
「そうだ、シャルロッテ、エーベルハルトくんに庭を案内してあげなさい」
コンラートが突然シャルロッテに声をかけた。
どうやら、いつのまにか話はヒルデスハイマー家の庭が見事だという内容に移っていたようだ。薬草学に通じているオリーヴィアの監督のもと、冬を除けば年中様々な美しい花が咲き乱れている。
シャルロッテもこの家の庭は好きで、隙間時間にこっそりレルシアという花の蜜を吸いに行ったりしていた。庶民と違って砂糖を使ったお菓子を食べられる身ではあるものの、花から直接蜜を吸うというのはその行為自体が楽しいのだ。
「わかりましたわ、お父様。エーベルハルト様はどんな植物がお好きですの? 庭園の中央に作られた花のアーチがとても素敵ですのよ。わたくしの拙い案内でご満足いただけるかわかりませんが、是非ご覧いただきたいですわ」
「えっ、は、はい、見に行きたいです、是非……!」
エーベルハルトは嬉しそうに頷き、シャルロッテに近づく。
エーベルハルトと二人きりになるのは気が引けるが、応接間で大人たちのやりとりを大人しく聴いているよりは、外に出て自由に歩くほうが気分がいいだろう。コンラートも、子どもたちが所在無げにしていることに気づいて散策を薦めてくれたのかもしれない。いや、あの男が子どもに気を遣うなどということはあまり考えられないが。
――ん? もしかしてこれって、「あとはお若いお二人で」ってやつなのか!?
シャルロッテはハッとした。昔ドラマで見たシーンが突如脳裏に蘇る。資産家のどろどろした遺産争いと身分違いの恋を絡めた話で、お見合いする男女に仲人がそう言っていた。
「かーちゃん、これどーいう意味?」
「あーこれはね、テンプレセリフなんだよ。見合いは両家の親と仲人が一緒にやるんだけど、かたっくるしいし親の前ではできない話もあるでしょ。二人だけの時間をつくってあげるよ、ってこと」
「へー。そもそも親がついてこなきゃいーのに」
「いや、こういうのはどっちかというと親が主体だからねぇ。政略結婚ってそーいうもんよ」
煎餅をかじりながら、政略で見合いなんかさせられたらテーブルをひっくり返しそうな母はそう言っていた。
シャルロッテはそのドラマが好きではなかったので熱心に観なかったのだが、うっすら残っている記憶では、見合いで結婚したその二人は仮面夫婦となり、それぞれ浮気して大変な修羅場が繰り広げられていたような気がする。
やはり政略結婚などろくなものではない。シャルロッテは改めて、どこかの段階でこの婚約を破棄することを決意した。
エーベルハルトを連れて、庭園の中を進んでいく。城の二倍以上の面積がある庭園は、シャルロッテの感覚では庭というか豪華な公園である。庭師が丹念に手を入れて整えている草木の形は人工的で、伸びやかさはあまりないが、それでもそこら中から感じる自然の息吹はシャルロッテをわくわくさせた。
大人の目がなくなったこともあって、知らぬうちに足早になり、跳ねるように歩くシャルロッテ本来の歩き方が出てきてしまう。
「エーベルハルト様、こちらですわ! あの木に咲く花の形がおもしろいんですの。あと、あの花は振るとベルみたいに音が鳴るんですのよ。あ、蝶が来てますわ! あれはわりとレアな個体で――」
「シャ、シャルロッテさん、待ってください、あっ!」
エーベルハルトは叫んだ。
泥濘に足を取られたシャルロッテが転んで、頭から地面に倒れたのである。ばたーん!と音がしそうなほど勢いのいい倒れ方であった。
「シャルロッテさん! だ、大丈夫ですか、お怪我は……」
青くなって駆け寄り、助け起こそうとするエーベルハルトだったが、手を貸す前にシャルロッテは自力でむくりと起き上がり、冷静な顔で額についた土をはらった。
「大丈夫ですわ。お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。今いた蝶は、滅多に表れない希少な種なんですの。エーベルハルト様にお見せしようとはりきるあまり、注意力がおろそかになっていたようですわね。転んでしまったことは忘れていただけると嬉しいですわ」
頼むから両親には言わないでくれ、という念を込めてシャルロッテはエーベルハルトをみつめる。蝶にはしゃいで大事な客に醜態を晒したことを知られたら、ラングヤール夫人の授業を増やされてしまうかもしれない。
エーベルハルトは、呆気にとられたように目を瞬かせたあと、ヒーローに出会った子どものように瞳を輝かせた。
「シャルロッテさんって、気持ちがお強いんですね……」
「え?」
「僕、あんなに勢いよく転んだのに泣かない女の子は初めて見ました」
「あ、そ、そうですの?」
泣くべきだったのか!?とシャルロッテは焦りだした。そういえば、ラングヤール夫人は、殿方はかよわい令嬢を守りたがるものだから自然に泣く技を習得しておけと言っていた。
だが、庭で転ぶなんてシャルロッテにとってはよくあることで、頭を打ったのは痛かったが地面は柔らかい土だったし、血が出たわけでもなく、涙はまったく出てこなかったのである。もちろん、令嬢らしく泣いておこうという発想もない。
しまったな、と思っているシャルロッテをよそに、エーベルハルトはなにやら語りだす。
「僕は剣術を教わっているのですが、まだ未熟ですから、何度も地面に打ち据えられるんです。最初のころは転がされるたびに泣いていて、そんな軟弱では騎士どころか従卒にもなれないと叱られたものでした。今は我慢できるようになりましたけど、やっぱり少し目が潤んでしまいます。……情けないですよね。シャルロッテさんは凄いです。こんなに可憐な方なのに、転んだ時も冷静で落ち着いていて。僕もそういう強い人間になりたいです」
――ほ、褒められてる!? え、マジ!?
シャルロッテは混乱した。
令嬢らしくない行動をとってしまったらしいのに、エーベルハルトの好感度はかえって上がっていた。しかも「強くて凄い」と言われている。「強くて凄い」はどう考えても令嬢への誉め言葉ではない。ラングヤール夫人が全力で眉を顰めそうな形容詞だ。
だが、シャルロッテ的には花丸満点クリティカルヒットな誉め言葉だった。エーベルハルトのきらきらした憧れの眼差しが段々と脳に染み渡り、理解に至る。この少年は、上辺だけの美しさではなく、本来のシャルロッテを褒めてくれているのだと。
――めっちゃ、いい奴!!
シャルロッテは満面の笑みを浮かべた。エーベルハルトは再び真っ赤になる。だがもうシャルロッテは、その反応を気にしなくなってした。彼女の中でエーベルハルトは『ダチ』にカテゴライズされたからである。
彼はもう『美少女俺の婚約者にされた羨ましくてちょっと可哀想な貴族の男』ではなく、『マジ話わかる奴』となった。赤くなられるのはウザいが、そのぐらいは許容できる。ダチなので。
「エーベルハルト様は騎士を目指していらっしゃるんですのね。わたくし、騎士のことはよくわかりませんが、ルドルフ・アッヘンバッハ物語という小説が大好きで――」
「えっ、本当ですか!? ぼ、僕もです! ルドルフはずっと僕の憧れです!」
おまけに好きな本の趣味まで同じだった。
「ルドルフが赤竜と戦った時、命を賭して助けに来てくれたメリーベルとの友情が素晴らしくて――」
「ダルハン砦に籠って食料が少なくなるなかで、みんなの気持ちを一つにした『マルクトの誓い』は感動しましたわね!」
シャルロッテは泥で汚れてしまったドレスのことも忘れ、エーベルハルトと夢中で本の内容を語り合う。
侯爵夫妻がそろそろ帰るということでメイドがエーベルハルトを呼びに来るころには、二人はすっかり意気投合していた。
『若いお二人』が無事仲良くなれたことに両家の両親たちは安心していたが、二人の間に築かれたのは幼い恋というよりは、ルドルフ・アッヘンバッハに憧れる同志としての仲間意識だったことを、彼らはまだ気づいていなかった。