人が俺に恋に落ちる瞬間をはじめて見てしまった
シャルロッテが応接間に足を踏み入れると、一斉に部屋中の人びとからの視線を集めた。
両親と、その向かいに座っている貴族らしい格好の男女二人と、二人の間に座っている少年、そして周りを取り巻くメイドたち。
見慣れない男女二人は、シャルロッテを見て、ほぅ、と感心したように息を漏らし、少年は魅入られたように釘付けになって口を半開きにした。榛色の瞳は潤み、頬は赤く色づいていく。
――あ、これ惚れられてる。マジめっちゃ惚れられてる。
シャルロッテはぴんときた。ぴんとこないほうがおかしいぐらい、少年の態度は露骨だった。無理もない、シャルロッテだって自分が男だったらこの顔の少女とつきあいたい。
しかし少年の恋が実ることはないであろう。なんせ中身がこれなので。
シャルロッテは少年を気の毒に思いつつも、男に惚れられるといういまだかつてない体験に戸惑っていた。女に惚れられたことだってない。つまり、誰かに恋愛的にはっきり好きになられたのはこれが初めてなのである。
「お初にお目にかかります、シャルロッテ・ヒルデスハイマーと申しますわ」
シャルロッテは膝を折り、礼の姿勢を取った。
あらあら、と見慣れぬご婦人は微笑ましげに口元に手を当て、シャルロッテの両親に言った。
「なんて可愛らしいお嬢様かしら。紹介してくださる?」
「ええ、もちろんですとも、キルステン夫人」
コンラートはにこやかに返し、シャルロッテを自分の横に呼び寄せる。
――わ、笑って、る、だと……!? 表情筋あったんだ、この人ら……。
シャルロッテは社交用の顔になっている両親たちに驚いたが、すぐに切り替え、今までの特訓の成果を全力で見せつけていった。
ラングヤール夫人に何度も矯正された優雅な足運び、控えめだが知的な相槌、さりげなくイヤリングを揺らし注目を集める首の傾げ方。
女子、普通に生きててそんなことまで気をつけてんの? 本当にみんなやってんのか?と疑問に思いながらも、ラングヤール夫人の『効果的な痛み』と色っぽい笑顔に追い立てられるようにして身につけた令嬢らしい仕草を、初めて外部の人たちに披露する。
効果は抜群だったようで、紹介された男女、エッカルト・キルステン侯爵とペトラ・キルステン侯爵夫人は嬉しそうにシャルロッテを褒めちぎった。
「いやあ、既に一人前の貴婦人ですね、シャルロッテ嬢は。ヒルデスハイマー伯爵のもとにこんな素敵なお嬢さんがいたとは」
「シャルロッテさんのように愛らしくて品のあるお嬢様と婚約できる息子は幸せ者ですわ」
「いえいえ、侯爵の息子さんこそ将来有望そうな堂々とした少年ではないですか。なんでもエーベルハルトくんは剣術の才能があって、高名な騎士に師事しているとか? さすが王国の守り人と言われるキルステン家のご子息ですな」
「まぁ、ヒルデスハイマー伯爵ほどの武勇を誇る方に褒めていただけるなんて光栄ですわ。先の戦争では大変ご活躍なさったとか。主人は、あの戦争の話が出ると毎回、ノルデント城を落とした時のヒルデスハイマー伯爵は戦神バーンテルムの祝福を受けた英雄のようだったと申しますの」
「はは、大げさですな。キルステン侯爵こそ――」
大人たちは、柔和な微笑みを浮かべながら永遠に終わりそうのない会話を続けている。
社交とはこういうものだとラングヤール夫人から教わっていたものの、シャルロッテは退屈過ぎて作り笑顔が段々引き攣ってきた。
――長い。校長の話か? 早く本題に入ってくれ! いや本題は婚約か。その話はもう済んでるんだよな? じゃあこの時間なに? 話しかけられるわけでもないし、俺なにしてればいいの?
同じように微妙に放置されている仲間である少年、エーベルハルト・キルステンを見やると、彼はシャルロッテの顔を一心にみつめていて、退屈している様子ではなかった。そうだ、惚れられてんだった、とシャルロッテはげんなりする。
エーベルハルトに罪はない。それどころか、結構気持ちはわかる。わかるだけに、気まずい。こっちは気のない相手に惚れられたときってどーすりゃいいの、とシャルロッテは内心頭を抱えた。
ラングヤール夫人の教えは――確か、それとなく距離を取って必要以上に礼儀正しく振舞う、そしてほかの男に頼る素振りを見せることで諦めてもらう。
――男こいつしかいねーんだけど!? つーか婚約者なのにそれやって通用すんのか? ……しねぇな。ラングヤール夫人も乗り気だったしな。親は結婚させたがってて相手の男も俺のこと好きって、これもう結婚一直線じゃん。え、やっぱ家出? 家出ルートしかない!?
シャルロッテは自問した。
婚約者ができたという話を聞いた時、もちろんショックを受けたが、今ほどは焦っていなかった。だってまだ七歳だし、政略結婚なんてずっと縁がなかったし、そこまで現実味を感じられなかったのだ。だが、実際に自分に惚れてしまった少年を目の当たりにしたことで、シャルロッテは『男と結婚』という受け入れがたい未来が具体的な形をもって自分に迫ってきていることを実感したのである。
何が嫌かって、エーベルハルトは結婚相手としてあまり文句のつけようがない少年だということだ。
ラングヤール夫人が言っていた通り、顔立ちは整っていて将来モテそうだし、榛色の瞳は穏やかで優しそう、それでいて立ち姿はしゃっきりとして、体を鍛えていることを窺わせる。凛々しく爽やかな少年だ。
そして、視線に耐えかねたシャルロッテが仕方なく微笑んでみせると、顔を真っ赤にして俯いてしまったり、それでもやっぱり気になるそぶりでまたちらちらとこちらを見たりと、いちいち反応が初々しくて可愛らしい。
精神的には高校生のシャルロッテとしては、十歳ぐらいの少年が初恋に戸惑ってどぎまぎしている様子に、可愛いな、応援してやりたいな、という気持ちが芽生えてこなくもないのである。
が、その相手が自分となると、それはやっぱりちょっと御免被りたいわけで、美少年より美少女とイチャつくのがシャルロッテの夢であるわけで、エーベルハルトにはいずれ悲しい思いをさせなければならないのだ。
――ご、ごめんな……。ほら、初恋は実らないものだっていうしさ……俺の初恋(幼稚園の先生・ゆり組担当)も実らなかったし。お前はもっと普通に可愛い女子と幸せになってくれ。
シャルロッテは心の中でエーベルハルトに詫びる。エーベルハルトは、目の前の美少女がいざ結婚となったら逃げる気まんまんでいるとは夢にも思わず、熱に浮かされたような顔で見惚れていた。