状況確認で大ショック
「おぎゃー!!」
なんだか全身がうずうずする。どうしようもなく不快で、爆発しそうな気持ちが抑えきれない。思いっきり泣きわめいて訴えたい。
誰に? 何を?
そんなのわからない。でもこうしないと誰も気づいてくれないだろうから。
『まぁまぁ、これはまた大層濡らしましたねぇ』
頭上から声がする。穏やかな中年女性の声だ。耳慣れない言葉で、何を言っているのかはわからない。
目は開いているはずだが、ぼんやりもやがかかっていて目の焦点が合わない。
光は必死で両手を上げて、見知らぬ女性に助けを求めようとした。
助けて! なんか変なことになってんだよ俺! 体動かねーんだよ!
ところが女性は光の下半身の布をさっとはぎとると、濡れた布で股間周りを拭き、また乾いた布を巻き付けた。ぎょっとした光がいくら喚こうが意にも介していない。
――な、なんだこいつ! 変態!? つーか俺なんでこんなことに……。
あっ、あー! そっか、転生したんだ!
やっと気づいた光は、パニック状態から抜け出し、あまり機能しない目をぐるりと動かして周囲の様子を探った。
薄暗い小さな部屋だ。光源は天上に近い木枠の窓と、煌々と火が燃え盛る暖炉のみであり、足元は石畳に絨毯が敷いてある。素朴な造りの作業机とロッキングチェア、薄い敷布と毛布が置かれたベッド。質素だが貧乏とまでは言えない、なんとも評価に困る環境だ。
おしめを変えられたあとの光は、ハンモックのような布に吊るされ、基本的に放っておかれている。一応先ほどの女性が近くに控えているようだが、縫物をしたり謎の草をちぎっていたりで、あまり注意を向けられていない。
光が泣きだしたら、まずおしめを確認し、濡れていなかったら乳をやるという方針のようだ。場合によっては、長く席を外していて、光が泣いても対応してもらえないこともある。
光は元の世界で、定期的にSNSでバズる繊細な赤子の取り扱い方などを多少見てきたため、赤子というのは大切に育てられるものだと思っていたのだが、思いの外雑な扱いにカルチャーショックを受けた。
貴族に転生したはずなのだが、違うのだろうか。あの天使がうっかり忘れた?
そしてこの女性は母なのか? 乳母なのか? それすらよくわからない。
幸い彼女は独り言が多く、理解できるほどではないものの言葉の発音に慣れることはできた。どうもドイツ語に近い気がする。
――ドイツ語いいなー! たいしたことない単語でもなんかかっこいいもんな。多分ここって西洋っぽい国なんだろうし、俺もそのうち背が高くてかっこいいイケメンになって、言葉ぺらぺら喋って女子に尊敬の目で見られるんだ!
周囲の男は皆同じ人種だろうし皆母国の言葉を話せるのだが、と突っ込む者はここにはいない。光の脳内にはバラ色の未来が繰り広げられていた。
――そんでそんで俺のこと大好きな可愛い幼馴染とか、胸のでっかい美人なおねーさんとかがいたりして! つーかメイドさんいないんかな!? 異世界転生っつったら溺愛してくれる有能メイドじゃん? ふかふかの胸に抱き寄せてくれたりなんかしちゃってさ!
妄想はどんどん膨らんでいく。
そのまましばらく幸せな夢の世界に浸っていると、赤子の体力が持たなかったのか実際に寝入ってしまった。
口に何かあたる感触があり、はっと目を覚ます。例の中年女性が乳を吸わせようとしていたようだ。反射的に吸い付き、うまーと感謝しながらも若干の残念な気持ちを抱く。
現在光の面倒を見てくれている女性は、ぼやけた視界でもわかるほどずんぐりとした体形で、胸は大きいのだがセクシーなお姉さんという感じではない。
しかしこれはこれでかえって良かったのかもしれない。大きい体は安心感があるし、食事の度に邪念が沸き上がるのは面倒そうだ。興奮したところでこの体じゃどうにもならないし。
そんなことをつらつら考えながら、光は乳を飲み終え、またハンモックに寝かされた。
女性はロッキングチェアに座って編み物を始めたが、疲れていたのかすぐに眠ってしまった。
――お、これチャンスじゃね? 今のうちに能力確認しとこ!
もらったチート能力を確かめる。これぞ異世界転生の醍醐味である。
光はわくわくしながら回らない口で唱えた。
「すちぇちゃす!」
駄目だった。
そもそも歯も全部生えそろっていない乳児なのである。上手く発音できるわけがない。
――えっ、ステータス言えねぇの? どうすんのこれ。
地味にショックを受けながら、ハンモックの中で寝返りを打つ。
今度は頭の中で唱えてみる。
――ステータス! これも駄目かよ! えっと、俺の能力とかスキルとかレベルが知りたいんだけど! あと生命力と魔力量! なんかそういう知りたい情報いっぱい載ってる板が見たい!
その途端、パッと脳内に掲示板が現れた感覚があった。
どうやら具体的に知りたいことを指定する必要があったようだ。
シャルロッテ・ヒルデスハイマー 伯爵家長女
レベル 1
生命力 5
魔力量 100000000000
スキル 水魔法適性 10
火魔法適性 10
土魔法適性 10
風魔法適性 10
光魔法適性 10
闇魔法適性 10
魔力自動回復 10
成長率神霊級
祝福 ナディヤの加護
「…………………ぇ?」
光はぽかんと空を見つめた。掲示板に意識を集中し、浮かんできた文字列を何度も咀嚼する。
『シャルロッテ・ヒルデスハイマー 伯爵家長女』
長女。すなわち、女である。
――えっ嘘だろ!? なになんかバグってる!? なんで俺女なの!? つーかこれ俺なの? ほんとに? 全然違う人の情報が偶然入っちゃったとかじゃなく? えっ、えぇー!!!
パニックになりながら、慌てて手を股間にあててみる。おそるおそる動かした先には、なんのでっぱりも存在しなかった。
――マ、マジかー…………。
そういえば、天使に男に生まれたいとは言わなかった気がする。
しかし、光にとってはそんなことは当たり前すぎて言うまでもないことだったのだ。
一方、転生業務に携わる天使にとっては性別はランダムに決まるもので、死亡者名簿の特記事項に記されていない限り性別を保持する必要性を感じていなかった。
価値観の相違が生んだ不幸な事故であった。
――くそーあの変なガキめ! 女になったら女にモテても意味ないじゃん! 俺の異世界ハーレム計画どうしてくれるんだよー!!
光、改めシャルロッテ・ヒルデスハイマーは天に向かって思いっきり恨みのこもった睨みをきかせたが、今の彼女は0歳児。可愛らしい赤子がむずがっているようにしか見えないのだった。