人生で一番勉強してる
ユーベルヴェークにどこまで話すか方針を決めるまでなんとか誤魔化そうとしていたシャルロッテだったが、結局転生したこと以外は洗いざらい話してしまった。基本的にシャルロッテは人を騙すのに向いていない性格で、ユーベルヴェークのしつこい追及から逃れられなかったのである。
天才だ偉業だとべた褒めされて気分が良くなり口が軽くなってしまった、ということもある。褒めてくれるのが可愛い女の子ではなくても、憧れと期待の眼差しでみつめられれば嬉しいものだ。
シャルロッテの類稀なる能力が判明した結果、元々家庭教師が上手くいかなければどこかの山奥に引き籠ろうとまで考えていたユーベルヴェークはいられる限りヒルデスハイマー家に居候する決意を固め、シャルロッテの力を借りて魔法研究を何段階も上の次元に進めることに成功した。
シャルロッテが止めたため学会には発表していないが、名誉よりも自分の知的好奇心が重要なユーベルヴェークにとってはさしたる問題ではなかった。
もっとも、彼はまだ現状に満足はしていない。シャルロッテがユーベルヴェークの研究に協力できるのは、わずかな時間のみだからだ。
「神の遣いが夢で古代アテルニア語を授けてくださったなんて、まるで神話時代の一節ですよ。しかもいくら使っても尽きることのない膨大な魔力も有しているとは、なんて羨ましい……」
初めてシャルロッテと会った時から二年経っても、何百回聞いたかわからない言葉を飽きずに言っては、羨望のため息を漏らしている。
シャルロッテは、ずっしりとした歴史の本を本棚に戻しながら、じと目でユーベルヴェークを見据えた。
「そのおかげで先生も古代アテルニア語を使えるようになったのですから、良かったではありませんか。わたくしがいなければ古代アテルニア語の解明は叶わなかったんですのよ」
「それはそうなんですが……。もちろんシャルロッテお嬢様には、この上ない感謝を捧げております。それに新魔法の開発とお嬢様の魔力による実験で、魔法学の発展に多大なる貢献をしていただいていることも本当にありがたいことです。ただっ……ただ、もし僕がその力を手にしていたらっ! もっと時間を有効に使って沢山のことができただろうに、と思うと悔しくて!」
「その点につきましてはわたくしのせいではございませんわ。わたくしだって魔法の研究のほうが興味があるのです。でもお父様のご意向には逆らえませんもの。ユーベルヴェーク先生はあくまでわたくしの家庭教師として雇われたのですから、わたくしの授業が優先されるのは仕方がないことですわ」
出会ったばかりの頃は、シャルロッテの能力に理性を飛ばしたユーベルヴェークと、勉強嫌いで楽しいこと大好きなシャルロッテの意見が合致し、授業そっちのけで魔法研究と実験ばかりしていた。
しかし月一の面会で父コンラートに勉強の進捗状況を聞かれ、まるで進んでいないことがわかると絶対零度の目で「私は無能を家に置き続けるつもりはないということを覚えておきなさい」と言われてしまい、二人は震えあがったのだった。
以来、それでも隙を見てはシャルロッテを魔法研究に引っ張り込もうとするユーベルヴェークと、怒られない程度には勉強しておこうとするシャルロッテの攻防が繰り広げられている。
――俺が「先生、勉強しましょう」って言う日が来るなんて自分でも信じらんねぇよなぁ。でもここんちのとーちゃんマジで怖いんだもんよ。あとユーベルヴェーク先生の魔法バカにつきあってたら体が持たねぇ。
寝食を忘れて三日ぶっとおしで魔法陣制作に励むようなユーベルヴェークの変態的情熱は、さすがにシャルロッテもついていけなかった。シャルロッテが好きなのは簡単でかっこよくて派手な魔法を華麗に使いこなすことであって、その魔法の原理とか何の要素がどの魔法に反応して云々といった細かいことはあまり興味がなかったのだ。
シャルロッテの現在の一日のスケジュールは、朝七時に起きて、朝食を食べ、身支度を済ませ、九時から十一時まで歴史の勉強、昼食、十二時から十四時まで魔法学の勉強、十四時から十八時まで社交や淑女の教養、夕食、自由時間、十時就寝といった具合だ。
このうち、ユーベルヴェークが『授業の一環』と誤魔化してシャルロッテの力を借りることができるのは、魔法学の勉強をする二時間のみ。起きている時間の大半を魔法研究に費やしてきた彼が歯痒い思いをするのも無理はない。
しかし、そもそもシャルロッテの能力と知識というチートがなければ始められなかった研究である。愚痴をこぼしながらも、ユーベルヴェークはこの最高の環境をもたらしてくれる職を失わないために、シャルロッテの学力向上に尽力するのだった。
おかげで、シャルロッテは新しいスキルをいくつか獲得し、この時代独自の魔法体系スキルも全て上級まで上げ切った。
得られたのは、初級から上級までの全種類魔法スキル、暗記、文章把握、算術である。
また、ラングヤール夫人の授業で習った刺繍や絵画も、レベルは高くないがスキル欄に並んでいる。
ラングヤール夫人の授業は厳しいが、その分上達も早い。礼儀作法や教養なんてそんなに沢山学ぶことはないからすぐ終わるだろう、とたかをくくっていたシャルロッテの予想は、じきに裏切られた。意外にも、やることは山ほどあったのである。
一通りの礼儀作法講義が済んだあとは、ラングヤール夫人自作の紳士録の暗記と社交界の人間模様や縁戚関係の把握をさせられた。面識もなく一ミリも興味のない人間の趣味だのタブーだのを覚えさせられるのはひたすら苦痛であったが、時折与えられる「このご令嬢は絶世の美姫と評判ですわ」「このご婦人を取り合って王弟殿下と侯爵のご子息が決闘沙汰に」などの色っぽい情報でなんとか気力を持たせた。
その合間には令嬢の嗜みとして、刺繍、編み物、絵画に取り組む。これは別にプロ並みに上手くなければならないわけではないので、見苦しくない程度にできていれば怒られない。
ただし、シャルロッテは細かい作業が苦手である。ちくちく細い針で図柄を縫っていると時間が経つにつれイライラしてしまって、「わぁ――!」と叫んで全部投げ出したくなる。ちなみに、絵を描くのは好きなのだが、絵画の腕は壊滅的で、ラングヤール夫人すら「……人間向き不向きはありますわね」と匙を投げたため、あまりやらせてもらえない。
こんな感じでラングヤール夫人の授業とはとことん相性が悪いシャルロッテだったが、唯一、アフタヌーンティーの時間だけは好きだった。
淑女らしい振る舞いに気をつけてさえいれば、おいしいお菓子とお茶をもらってのんびりできる癒しのひと時である。
複数人といるときの練習ということで、たまにアンネとエッダも席に呼ばれて嬉しそうにしているので、シャルロッテとしても積極的に授業をサボろうとまでは思えないのだった。
こうして、シャルロッテは少しずつ成長していき、それと共に伯爵令嬢にふさわしい教養を、否、その水準を超えた学識と気品を身につけていった。
本人はいまだに自分のことをチートを手に入れただけの男子高校生と思っているのだが、もはや傍からは立派な令嬢にしか見えなくなっている。
そして当然のことながら、家柄・容姿・教養と三拍子そろった令嬢のもとには、それ相応の話が持ち込まれる。
則ち――『結婚の申し込み』である。
この暮らしにも慣れてきたと油断していた七歳の秋、シャルロッテは、知らないうちにできていた婚約者の少年を紹介されて悲鳴をあげることになるのであった。