明るいのが取り柄です
「お嬢様、お疲れですねぇ」
ぐったりと椅子の肘掛にもたれているシャルロッテに、アンネが声をかけた。主を癒すために、手早くお茶を入れる用意を始める。
「そんなに大変なんですか? ラングヤール夫人の授業」
「大変ですわね……優雅に動くのがあんなに筋肉を使うことだとは思っていませんでしたわ。しかも爽快感はなくて、ずっと緊張しているだけですのよ。食事中もちょっとでも気を抜こうものならメイド長が告げ口しますし、もうわたくしの安らげる場所はここしかありませんわ」
――美人だから目の保養にはなるんだけどな~、ダンスのステップを間違えまくって四連続で叩かれたときは鬼かと思った……。
ステータスのおかげで傷にはならないが、じわじわと続く痛みは精神にくる。シャルロッテは死に物狂いで淑女向けの礼儀作法と教養習得に立ち向かっていた。
「あはは、あたしたちはハイレベルな作法はわからないんで告げ口しようがないですもんね! あ、そうだ、そんなお可哀想なお嬢様にいい知らせが」
茶器に湯を注ぎながら、アンネは思い出したように言った。
「お嬢様、早く魔法を習いたいと仰ってましたよね。昨日の夜、男性のお客様がいらしたようですよ。紫のローブとひょろっとした体形、おそらく魔法士の方です。お嬢様の魔法学の家庭教師なのでは?」
「まぁ、本当ですの!?」
シャルロッテは上半身を起こして、椅子から身を乗り出した。
「どんな方でした?」
「どんな……うーん、あのぉ、言っちゃなんですけど、暗そうな方でした」
「そうですの」
まぁどんな性格でも、知識豊富でちゃんと教えてくれるならそれでいい。もしラングヤール夫人のようにスパルタ教育をするタイプでも、魔法に関してはシャルロッテは優秀なので叩かれるはめにはならないだろう。
ついにこの世界の魔法を正式に学べる日が来たのだ、とシャルロッテは期待に胸を高鳴らせながら魔法学の授業を待ちわびた。
魔法学というか、魔法も含む貴族の一般的な学識を学ぶということで、図書室で教わることになった。
印刷技術と製紙技術はそれなりに発達しているそうだが、庶民で文字が読める者は少ないらしく、世間にはそこまで本が出回っていない。図書室の備え付けの本棚にびっしりと本が並ぶさまは、ヒルデスハイマー家の資産力を示すようだった。
それらの背表紙に目を通しながら待っていると、執事に案内されて一人の男が入ってきた。アンネの言った通り、紫のローブを羽織った線の細い体形で、俯きがちなせいで表情がよく見えない。彼の周りだけ微妙に空気がどんよりしている。
「どうも……ヨナタン・ユーベルヴェークです……」
消え入りそうな声で男は挨拶した。
「ユーベルヴェーク様、はじめまして。お目にかかれて光栄ですわ。シャルロッテ・ヒルデスハイマーと申します。先生に魔法を教えていただける日を心待ちにしておりましたわ。よろしくお願いいたします」
シャルロッテはラングヤール夫人仕込みの洗練された礼で迎えるが、ユーベルヴェークは「ぁ、ぁ、はぃ……」ともごもご口ごもるばかりで、話を進めようとしない。
「……あの、わたくしに魔法を教えてくださるんですわよね?」
不安になってきたシャルロッテが尋ねると、ユーベルヴェークは小刻みに震えながら頷いた。
「そ、そうです、そういう契約なので。でも僕にそんなもの務まると思いますか ? 人と話すの苦手だし、子ども苦手だし、夜型だからこの時間は眠くてしょうがないし……し、しかも、伯爵家のキラキラしたご令嬢を教えるなんて……僕みたいな蛆虫根暗魔法オタクとは人種が違い過ぎる……きっと馬になれとか言われて四つん這いで部屋を一周させられて尊厳をズタズタにされて無礼なことをしたとか難癖付けられて地下牢にぶちこまれるんだ……」
最後のほうは小声でぶつぶつ言っていてよく聞き取れなかったが、なんだか物凄くネガティブな性格であるらしいことはわかった。ラングヤール夫人の対極に位置するような人間だ。
シャルロッテは、呆気に取られてぱちぱちと目を瞬かせた。
「そ、そもそも、僕は社会生活不適合者なんです、社会に参加するのに向いていないのです、貴族はもちろん庶民としてもやっていけないようなごくつぶし、そんなことわかってる、でも僕だって唯一魔法だけは得意で、魔法だけは好きで、魔法の研究ができればそれでいいのになんでよりによって令嬢の家庭教師なんだ、どうせ貴族の令嬢なんて魔法は嗜み程度にしかしないで魔法オタクのことなんか見下しててちょっとでも高度なことを教えたらきもーいとか言われるに決まってる……」
こもった声で抑揚がなくやたらと早口な自己紹介は続く。自己紹介というか、愚痴なのかもしれない。何を言いたいのかよくわからないのにとにかく卑屈なのは伝わってくる。
――なんっかこの感じ、覚えがあんだよなー……。なんだっけ? あ、あれだ、霧山だ!
シャルロッテは、前世のクラスメイトのことを思い出した。
シャルロッテの前世、川本光は、学年きってのアホとして有名であり、蛙を教室に持ち込んだり輪ゴムピストルの改良に熱中したり巨乳グラビアアイドルの胸について熱弁したりしていたことから女子の顰蹙を買い、まったくもってモテなかったが、明るく素直な性格で満遍なく好かれてはいた。「あいつはほんとしゃーねーなー、でもいい奴なんだよな」という好かれ方である。
だが、一人だけ、何故かあからさまに光を避け、近くにいることに気づくと逃げていくクラスメイトがいた。
その少年の名を、霧山という。
ある日光は、学校併設のカフェテリアで食事をしていたとき、たまたま隣のテーブルに霧山がいることに気づいた。目が合うなり霧山は脱兎のごとく逃げ出し、テーブルの上には彼が読んでいたとおもしき漫画が一冊残されていた。
なんで避けられてんのかなー、と少し落ち込みつつ漫画を読んでみる。
ざかざかした線で描き込まれた雰囲気のある絵柄で、主人公の少年は、ひたすら何かに悩んでいた。彼は誰かと仲良くなったと思っても知らないうちに相手を傷つけてしまったり、相手の何気ない一言で傷ついてしまったり、そんなことを繰り返して孤独を深めていった。いっそ誰とも仲良くならない、と決意するのだが、そうはいっても世界で一人きりだと思うと虚しい気持ちになるのだった。
一巻目は、少年が夢で見た鯨が現実世界に現れ学校を海に沈めるところで終わっていて、これからどうなるんだろう、と光は気になった。
教室に戻り、霧山をみつけると、また逃げようとするので慌てて呼び止める。
「待って待って! お前漫画忘れたろ! カフェテリアに!」
「あ……」
霧山はハッとして立ち止まり、顔を背けながら漫画を受け取った。
「よ、読んだ?」
「読んだ! 漫画好きだし。駄目だった?」
「い、いいけど。でもどうせおもしろくなかったろ。か、川本くんにはわかんないよね」
「え? なんで?」
「だって川本くんは俺みたいな陰キャと違って友達多いからさ、この主人公がどうしてこんな苦しんでるかなんて、理解できないだろ」
「うーん、そっかな。わかんねーかも。でも俺は、この主人公好きだな。なんかすげぇ真剣じゃん。俺はさー、ダチと遊ぶのは楽しいからで、その意味とか、本当に寄り添えてるのか?とか、そーいうこと考えたことなかったな。ま、俺のダチは俺と同じようにテキトーな奴が多いから、あんま困ったことなかったけど。でもこんな真面目に他人の気持ちに気を遣える主人公、すげー優しいんだろうな、って思う。こいつが俺と同クラだったら、ダチになりてーよ」
に、と笑うと、霧山は虚を突かれたように目を見開いた。
「そう……」
「うん。あ、そういえば、今日おっち達とカラオケ行くんだけど霧山も来る? 俺最近アニメとか見始めたんだけどさ、『魔法学校の影の勇者』ってやつ。霧山知ってる? あ、だよな。あれの主題歌さぁ、デュエットじゃん? でもおっち達全然アニメ観てくんなくて、知らねぇって言うんだよ! 霧山一緒歌ってよ」
「お、男二人で?」
「いーじゃーん、低音デュオ組もうぜ~!」
「ぐっ、陽キャパワーを出すな……! 行かないぞ俺は!」
「あは、なにそれ~」
ぐだぐだ言っていたが、結局霧山は光に引っ張られるがままカラオケ店についてきて、一緒に主題歌を歌ってくれた。微妙に音程のズレたデュエットにほかの友達は爆笑していたが、悪い空気にはならず、その後も霧山とはたまに遊ぶぐらいの仲にはなれた。
ユーベルヴェークが霧山と同じタイプなら、一見捻くれてるように見えても、相手の好きなものに理解を示して好意を見せれば仲良くなれるかもしれない。シャルロッテはそう考え、ユーベルヴェークに対して一歩進み出た。
「先生、わたくしも魔法がとっても好きですの」
「え……?」
「先生の授業を心待ちにしていたと申しましたのは、社交辞令ではなく本当のことですわ。先生が魔法オタクだと伺ってとても嬉しいです。わたくしもそうですので」
「え? え?」
「どうか先生の魔法オタク仲間にしていただけませんか? わたくし、魔法のことをいろいろ知りたいのですわ。火魔法の華やかさと圧倒的な力、土魔法の汎用性と繊細さなど、お話したいことが沢山ありますの」
勢い余ってユーベルヴェークの骨ばった右手を取り、ぎゅ、と両手で握り締める。ユーベルヴェークは、ガチンッ!と固まってしまい、左手に持っていた杖を取り落とした。
「き、」
「き?」
「キャアアアアァ!」
静かな図書室に、ユーベルヴェークの乙女のようなか細く高い悲鳴が響き渡る。
「や、焼かれるっ……! 光に焼かれる……!」
ユーベルヴェークは半泣きになっていた。
霧山といい、なんでこの手の人たちは自分を灼熱の太陽みたいに表現するんだろう、とシャルロッテは不思議に思った。
私生活がちょっと忙しくなったため、二、三日お休みいたします。
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