001.天才魔術師とただの盗賊の出会い
「あなたは私に指一本も触れる事は出来ないわ」
艶のある綺麗な青みがかった黒色の長髪をなびかせながら、薄ら笑いを浮かべている、黒いゴシックドレスに身を包んだ少女がいた。少女の名前はメルヴェーナ・ハーフィ。彼女は数多くの優秀な魔術師が定住するマヒア大陸の出身だ。その大陸の中で、かつて天才的な魔術の才を持つ魔術師が作り上げたアルカディア王国でメルヴェーナは生まれ育った。
そして彼女は王国内でも随一の天才魔術師と呼ばれていた。
メルヴェーナはこの世に生を受けると、産声と共に魔法の詠唱をはじめ魔術を唱えた。メルヴェーナの出生を見届けた者たちは皆、口を揃えてこう言った。
「この子は稀代の魔術師だ」と。
だがそれは何も想定していなかったわけではなかった。
彼女の母、アスタルテもまた、神から才能を授かり者だ。
空間魔法という特別な才能を持っていた。
そんな彼女から生まれた娘であれば、天才的な魔術の才能を持つのは不思議な話ではない。メルヴェーナは順調に成長していき、3歳になる頃には全属性の魔法を習得し、5歳にもなると上位魔法を難なく扱えるようになるなど、その魔法の腕はどんどんと成長していった。
だがその一方で、アルカディア王国からは『危険な存在』として目を付けられていた。しかしその事を知るのは、当時誰一人としていなかった。
……後にこれがメルヴェーナから光を奪うという惨劇になることを知らず。
そして現代。
メルヴェーナはアルカディア王国から遠く遠く離れた大陸で暮らしていた。
過去に何があったのかは、どうもあんまり覚えていない。
母親が居たのは覚えているが、幼いころには既に他界していた。
そんな彼女を親代わりとなって育てたのはエプリストという賢者だ。
エプリストは今は亡きメルヴェーナの母アスタルテに「この子を宜しく」と託された信頼たる男だ。銀色の髪を後ろで結び、顎には少しだけ髭を生やしたダンディーな親父風の賢者。
彼もまた天才的な魔術の腕を持つ男。というものアスタルテの弟子であったエプリストはその腕を評価されアスタルテ直属の臣下にされた程だった。
博学であり、知的好奇心も旺盛なので賢者と言う名に相応しい知恵と魔術の腕を持つ。
巷では賢者を通り越し、大賢者とまで言われている。
そんな彼は今、アスタルテに仕えていた時のように、今度は娘であるメルヴェーナに仕え補佐役として彼女をサポートしている。
二人は長年の付き合いもあり、まるで本当の親子のようだ。
時にはメルヴェーナに振り回され、時にはメルヴェーナをきつく叱る。
父親のような一面を見せながらずっとメルヴェーナを支えてきた。
だが彼にも理解できない事があった。
それは……。
「メルヴェーナ様、何故ただの盗賊である彼に興味を持たれるのですか?」
困惑した顔で顎髭を触りながらメルヴェーナに質問する。
「あら愚問ね。あなたなら分かると思っていたのだけれど」
「失礼ながらメルヴェーナ様、私にも分からない事はあります」
エプリストの返答を聞き、メルヴェーナは少し考える素振りをした。
「そう。分からないなら別にいいわ」
「いえ、メルヴェーナ様。私にはあなたをお守りする使命がございます。もしメルヴェーナ様の身に何かあれば私の面目が立ちません」
「面目が立たない? その顔を見せる相手はもうとっくにいないわよ?」
「……その通りでございます。ですが亡き母であるアスタルテ様との約束なのです。この身に代えてもあなたは私がお守りする。私は常日頃からそう思いメルヴェーナ様に仕えているのです。ですから理由も聞かずしてあの盗賊の男と対峙させるわけにはいきません」
メルヴェーナは後ろにぴったりと立っているエプリストに振り向き、そして自分の口の前で指を交差させ笑顔を作りながら口を動かした。
「うるさいから少し黙ってなさい」
「……! ……。……!?」
沈黙の魔法をかけられたエプリストは一瞬だけ驚きはしたものの、急いで魔法の解除に専念したが、これがなかなか解けなかった。
「いくらあなたの腕でも、私の魔法はすぐには解けないわ。
あと力づくで私を抑えに来そうだったから呪縛の魔法もかけておいたわよ」
「メルヴェーナ様!」
ぎょっと驚いた様子のメルヴェーナ。
「もう沈黙の魔法は解いたの? 流石ね。
でも呪縛はまだのようだから、そこで待ってなさい」
メルヴェーナはエプリストに背中を向けると、顔だけ後ろに向け目線を送った。
「信頼されていないってのも、案外傷つくわね。
大丈夫よ、私があんな男に負けるはずはないわ。
そこでおとなしく事の顛末を見届けて居なさい」
それだけ言うとメルヴェーナは、目線の先にいる男。ソファに腕を置きながら深々と鎮座している、先ほどからエプリストとの会話で出てきた人物に近づいて行った。
メルヴェーナたちが居るのは、ここら中を荒らしまわっている盗賊団のアジトだった。中でもお頭であるガイアス・ルハイド。
メルヴェーナはこの男に興味を抱いていた。
「へっ。アジト内が騒がしいと思ったらとんだ幼い侵入者の来客だったとはねぇ」
足を組みながら、余裕そうな表情で挨拶をしてきた。
「あら、アジト内がこんな状態だっていうのに、奥でビクビクしながら座っているだけのあなたが何を偉そうに喋っているのかしら?」
だがメルヴェーナはそんな彼に臆することなく、挑発的な言い草で言葉を返す。
「あぁ? てめぇおつむが足りてねえんじゃないか?
お頭っつうのはな、こうやって奥で堂々と待ち構えてるってのが定石だろうがよ。そんな事もしらねえのか? ハハッ世間知らずの馬鹿とはこの事か」
「奥で堂々と待ち構えている?
あらごめんなさい。てっきり腰が抜けて立てないだけかと思っていたわ」
メルヴェーナの綺麗な紫色の目が細くなる。
口に手を当てて小馬鹿にするかのようにガイアスに微笑んだ。
「おうおう。てめえどうやら俺がどういう奴なのか分かってないようだな。
そんな舐め腐った態度をとり続けてみろ?
俺は子供だろうと用者しねえぜ」
「それよりも、そんなでかい態度をとるのならいい加減そこから立ち上がったらどう? お・ば・か・さ・ん。……あぁ、ごめんなさい。おかしらさんだったわね」
クスクスと笑いガイアスを挑発するメルヴェーナ。
その態度に流石にイライラしたのか、ガイアスはソファから立ち上がった。
「おいてめえ。いい加減に言葉を慎みやがれ。
じゃねえと本当に手をだしちまう……ぞっ!?」
ソファから立ち上がりメルヴェーナに近づこうと右足を出した途端、ガイアスは急に何かの力に押され、再びソファに腰を下ろした。
「なっ……!?」
ガイアスの目には、しっかりと映っていた。
ソファから立ち上がった瞬間に、メルヴェーナが口に当てていた手の指を、自分の方へはじいたのを。その動作のあとに謎の力で後ろに戻された。
「あらあら。やっぱり腰が抜けているみたいね。
威勢はいいのにそこから立ち上がれないだなんて、なんて惨めなのかしら。
なんなら私が手を貸してあげてもいいわよ?」
「おい。今のはお前が何かやっただろうが!
俺はさっきお前の場所まで一瞬で距離を詰めるつもりだった……」
「弱い人ほど良く吠えると言うけれど、本当みたいね」
「おい、それは俺に向かって言ってんのか?」
「あなた以外に誰がいるというの?
あぁ。それとも馬鹿にしか見えない何かがいるのかしら?
だったら私には見えないから残念ね」
メルヴェーナは何かを探す素振りをしながら、辺りを見渡す。
そしてついに何かが吹っ切れたのか、ガイアスは立ち上がった。
その顔には青筋がいくつも浮かんでいる。
「よし、決めたぜ。俺は今からお前を殺す。
痛みつけるじゃないぜ。殺すんだ」
その言葉を聞いてメルヴェーナはニヤりと笑った。
そして面白がるようにガイアスを挑発した。
「あなたは私に指一本も触れる事は出来ないわ」
綺麗な黒髪を、手ですくいながら薄ら笑いを浮かべる。
「小さい癖に度胸だけはあるのは褒めてやる。
見たところお前は魔法を使うみてえだな?」
「さあ、どうかしらね」
「言葉を濁さなくても一目瞭然だぜ。だから言っておく。
魔法を使う奴は俺には勝てない」
「根拠のない自信かしら? だとしたら滑稽ね」
「いいや。根拠しかない自信だ」
「ふふっ……。じゃあその根拠というもの、見せてもらおうかしら」
「ああ。だが瞬きしたら見れねえぞ」
ガイアスはそういうと、足を前に出して踏み込んだ。
すると一瞬のうちにメルヴェーナの懐に潜り込んでいた。
あまりにも早すぎるその動きに、風が遅れてやって来た。
衝撃波でメルヴェーナの綺麗な黒髪がなびいている。
「根拠はこうだ。魔法を発動させる前に俺が殴って終わらせられるから」
ガイアスは人を殺せるほどの威力を込めたパンチを、メルヴェーナに向けて放った。