第1話-始まりは混沌から
「美玲、レイア、後ろに」
陵の真剣な声が響いた。既に刀に手を添えてた。
レイアを更に後ろに追いやって、私も回転式拳銃を構える。
彼の視線は静かな湖に、けれど、湖が表情を変えた。さざ波が踊り、段々と慌ただしくなっていく。
『装備します』
私は耳と尻尾を生やして、綺麗な着物を身に纏う。陵は黒金の鎧を身に纏った。
湖はさざ波を立てるだけでは飽き足らず、湖の中心に水が収束して、一つの渦が突き出たような、そんなドリルみたいに捻り上がっていく。
そして、捻り上げられた水が一気に放たれた。そこには人型の水の姿があった。
水玉がびしゃびしゃって飛んだ。
「っ!?」
「うわっ!?」
着物がびしょびしょになった。
『毒性が無い為、シールドを使用しませんでした』
うーん、防げるなら防いで欲しかったよ。
「……あれは、水の精霊?」
レイアが呟いた。
水の精霊、精霊、うーん……どんな存在なんだろ。
取り敢えずわかるのは、今の出来事は誰かの意思が介在している事だ。
あれは敵なの? 味方なの?
『敵性反応は検出されませんでした』
うーん……ちょっと判断に迷うね。
未知の存在過ぎて、敵意が無いから気にしませんは私にはちょっと無理そう。
殺してしまったら話は早い。侵略者にはなってしまうけど、一番身を守る術としては手っ取り早い。
けど、流石にそれはなぁ……。よし、まずは会話から行こう。
「精霊さん精霊さん、お話って出来ますか……?」
言葉を紡ぐ。会話なんて出来るのか知らないけど、人なんだから戦う前に話し合いが出来るはず。
『相手は人ではありません』
うるせい! 知ってるやいっ! 一々ツッコまんでよろしいっ!
『私は水の精霊。ウンディーネの名を冠する者です』
……ん? 今のは指輪の声じゃない。
『精霊による念話だと思われます』
おん、なるほど、頭がごっちゃになるね!?
「ウンディーネっ!?」
レイアが驚きの声をあげた。この様子だと、念話は恐らく三人に届いてる。
「まず、ウンディーネさん、が良いのかな? それとも、様が良いのかな?」
どれくらい偉いのか私にはわかりっこない。けど、レイアの反応から特殊な存在である事は察せる。
『なんとでもお呼びなさい。異界から来たれり者たちよ』
「陵、待って」
ウンディーネの言葉を受け取った瞬間、陵の殺気が爆発した。
半ば反射的に待ったをかけた。抑えてなかったら、多分殺しに行ってる。
それにしても、どエライ事を急に口にしたね。異界から来たと知ってるなら、私達を異界に攫った元凶と繋がりがある……可能性もある。
『まずはそこの女性の方。話を聞いて下さり、心から感謝を申し上げます』
そう言って、ぺこりと頭を下げた。ウンディーネとやらに敵対するつもりは今の所は無さそうだ。
「美玲って言うの。……ねえ、なんであなたは私達の事を知ってるの?」
軽く自己紹介をして、気になる事を答えてもらう事にする。でないと、陵が刀から手を離さない。
……陵が戦闘態勢に入ってなかったら、私が銃弾ぶち込んでるけどね。
私達は異世界から来たなんて吹聴をした覚えはない。なのに断定されたんだから、攫った本人である可能性も考えられる。
まあ、それは流石に無いと思うけど。
アマたんが、日本の最高神が出てくるレベルの案件だったんだから、精霊ってスケールではないと思うし。ただ、主犯の手先である可能性は否定出来ない。
『私、ウンディーネは大気中の水分を電波させて、様々な情報を集めます。世界中の情報を全て集めています。その中で、急に見ず知らずの空間から、あなた達が現れた。これが異界からの来訪者でなければ、なんと言うのでしょう?』
「じゃあ、だとしたら何なの……?」
理屈は取り敢えず納得した事にする。でも、態々顔を出す必要までは無かった筈だ。知らぬ存ぜぬで過ごす事も、出来た筈だよね?
『偶然、私の核がある所に興味深い人物が来たので、声を掛けて見ただけですよ。そう殺気立たないでくださると、とても助かるのですが』
水だから、物理攻撃は恐らく効かない。それがわかってるからこその、この余裕の笑み……って所かな。
「その言葉に二言は……?」
『嘘を吐く理由なんて、ありませんよ』
嘘じゃなくても警戒しなきゃいけない感じ、小骨が突っかかった感じになるから嫌いなんだよね。でも、埒が明かない。
「おっけー、わかった。じゃあ、私達はここに家を建てても問題ない?」
先住民(?)が居る場所で、私の当初の目的は達成されるかな。問題無いって言ってくれると助かるんだけどな。
『極端な汚染さえなければ、特に拒む理由もありません。元々ここは私の物ではないので、出て行けと言われない限りは、力を使う事も無いでしょう』
「そっか、じゃあ、好きにさせてもらうよ」
取り敢えずウンディーネと呼ばれる水の精霊に害は無い……と思う。
「陵」
「……そうだな」
殺気が霧散する。あーもう……レイアが腰抜かしてるじゃん……
「レイア、大丈夫……?」
「も、もう、何が何だか……」
身を震わせていて、青ざめていて、ちょっとヤバそう。
「私、車に連れてっちゃうね」
「……が良いだろうな」
陵の殺気を近くで直で受けちゃったら、暫くは精神崩壊待ったナシだろうね。もうちょっと気を遣ってあげれば良かった。
ごめんね……
**
「うぅ……」
震えが止まらない。思考が定まらない。恐怖で身が竦むって、こういう事を言うんだ……
「大丈夫……?」
ミレイさんは背中を撫でてくれる。その声音はとても優しくて、でもきっと、この人は強い。
「なんで大丈夫なんですか……?」
彼女は私より彼の近くにいたのに。
もっと言えば、彼の殺気を抑えてすらいたのに、なんで怖くないのかな。なんで、そんなに陽気で居られるのかわからない。
「慣れと信頼かな?」
あんなの、慣れるわけがない……
私はわかってしまった。あれは人じゃない。
私だってそれなりに修羅場を経験してきたのに、動けなくなったのだって初めてなのに、……近くに居るだけで殺されると思った。
そんな事しないのはわかってるのに、死ぬって思った。
「気にしなくて良いよ。怖がられても、私達は辛くないから」
ミレイさんの言葉は達観していた。けど、重たかった。正しく重たかった。
「……私、ちょっと外に出てるから」
車の外に、ミレイさんは出て行ってしまった。……ごめんなさい。
**
「……悪いな。カッとなった」
車外に出ると、少し寂しそうな顔をした彼が居た。
「ううん、別に気にしてない」
敵か味方かわかんないから、ああやって戦闘態勢になるのも仕方がない。例え通用しないとしても、武器を構えるのは人としての特性だ。
未知に剣を向けることは、仕方の無いことだよ。むしろ、まだ陵が人であった事に安堵したくらいだよ。
「レイアは……どうなるかわかんないや」
怖がるな……なんて言えっこない。
「……だろうな」
私達と行動していたなら、どこかで見たであろう陵の姿。
なんで忘れてたんだっけ、あの姿の事を。
あの姿は陵が命の危険に瀕すると感じた時に、通常の身体スペックで対応出来ない時にのみ発現する。見た事がないと怖い……というよりも、恐怖に呑まれる。
本当に昔、私達が訪れたコンビニで、コンビニ強盗があった。
私が強盗に蹴られそうになった時に、初めて陵はあの姿になった。
陵のお父さんが居なかったら、多分強盗は陵の手によって殺されていた。
私が見たのはそれが初めてで最後だけど、時たまそれが顔を出しかける事は何回かあった。
陵がお父さんを倒した時とか、ね。
この世界に来てからも一回だけあったんだけど、なんでそれに気が付かなかったかな。
陵は強いけど、人一倍臆病な人だった。知ってたのに、忘れてしまっていた。私より弱い人だったのに忘れてた。
「陵は大丈夫?」
「俺は……大丈夫だよ」
その剣は誰かを守る為の物になる筈だった。
今は私の隣に置かれた一振りの剣。
誰よりも鋭く、何人も寄せつけはしない。
「陵、大丈夫だよ。私はいつも傍に居るよ。他の人みたいに、居なくなったりしないから」
陵はいつも学校で一人だった。私と話す時以外、誰とも話さなかった。そのくせ、私に何かあるとすっ飛んでくるんだ。暴力沙汰になる度に陵の居場所が無くなるのに、それを止めないんだよね。
卒業間際には、彼にも何人か友達が居たけど、今は既に世界を超えてしまった。
気が付いたら抱きしめていた。
「わかってるよ。大丈夫、美玲が思ってるほど弱くないよ」
違う。泣かないだけなんだ。辛いって感情を自身で感じないようにして、蓋をして、見えなくして……泣いちゃいけないと思ってるんだ。
私はまだ、あの子には勝てないのかな。
いやいや、勝つか負けるかじゃないでしょ。
今、私は陵の隣に居て、陵の隣に私が居る。
弱さを人の為に振るえる君が好きだよ。
最近はもう、自身の心に蓋をしてしまったけど、今日はまた、弱さを私の為に振るおうとしてくれたね。
大好きだよ。
**
「ほら、座んなよ」
美玲が椅子を出してくれた。
「ありがとう」
キャンプ椅子と姿形は同じで、湖の周辺で座ってのんびりするのには、ちょっとばかり絵になりそうだ。
「……はあ」
やっちゃったなぁ……
この歳になってから、こんな風になるなんて思わなかったなぁ……
美玲が居なかったら、今頃どうなってたんだろう。
……ああ、逆にあんなに殺そうと思わなかったかもな。
水の精霊を見て、俺は恐怖した。
美玲が居なくなるのが怖かった。
殺すだけなら、倒すだけなら、多分何らかの手段で成し遂げる事が出来たんだろうけど、守り切れる自信が無かった。
……ダサいな。
あの時から何も変わっちゃいないのか、俺は。
「陵が何を思ってるのか、何となく察してるつもりではいるけど、しっかりと陵の口から聞いた事はなかったよね」
「話すタイミングが無いからな。聞いてて楽しくないし、話すのも楽しくない」
帰らない人になってしまった、とある女の子の話。
「……でも、折角だし聞いてくれる?」
「ん、良いよ」
美玲に甘えて、一つ一つ丁寧に、ゆっくりと話すことにした。
俺は小学三年生になった。
美玲とクラスが離れ離れになったけど、それは別に良かったんだ。
とある女の子が、下駄箱の水道で上履きを洗ってるのを見てしまった。
彼女の名前は中川千棘、あんまりクラスで目立たない女の子だった。
どうして靴なんか洗ってるの? そう聞いたら、家で洗えないから。そう返事が聞こえた。
どうして? と問いかければ、お母さんが結婚するの、と返ってきた。
その当時の俺はよくわからないバカで、それをきっかけに彼女と親交を深める事になる。
元々、彼女はあんまり友達が居なかったのか、美玲と遊ぶ時とかに混ざってくるようになった。
そうして暫くしたある日、パタリと彼女は学校に来なくなった。
なんでだろうと思って、けれども、子供なんてそれくらいで興味なんて尽きてしまうし、俺は忘れたように他の子と遊んでいた。
ある日、担任の先生に家の方向が同じだから手紙を届けてくれと言われた。
特に気にする事もなく、複数のプリントを受け取って俺は教室を後にした。
少女か住んでいたのは団地だった。何回か遊ぶ時に迎えに行ったこともある。
____そこで事件が起こった。
彼女の身体がゴミ捨て場に入れられる光景を見た。
なんて事ない偶然で、俺にはどうしようも無い事だったのに、身体が動いていた。
ゴミ捨て場に放り込んだ大人を殴り倒していた。
血塗れにして、起き上がれなくして、死ぬ程殴ったのを覚えてる。
で、彼女に話し掛けたんだけど、もう息は無かったんだ。腕は痣だらけだし、耳がちぎれかかったりしてた。
なんで、もっと早くに気が付かなかったんだろう。
なんで、学校に来ないのを不自然に思わなかったんだろう。
なんで、俺は彼女の事を忘れて遊んでたんだろう。
今更悔やんでも遅いけど、悔しかった。
俺は仲良くなった友達を、一人亡くした。
「だから、美玲に何かあった時、凄い過剰に反応しちゃったんだよ」
今考えれば、外で上履きを洗ってる時点で大分可笑しい事だったんだよ。そして、きっと俺以外も見ないフリをしてたんだ。
「やっぱり、千棘ちゃんの遺体を見つけたの……陵だったんだね」
やっぱりって事は……美玲は何となく予想はついてたのか。
「知らなかったよ。何となく予想はしてたけど、詳細を聞いた事はなかったよ」
顔に出てたのか、先回りして答えられてしまった。
「そっか」
未だに過去に囚われてる自分に悲しくなる。
もっと冷静に立ち回らなきゃいけないのに、どうしても強大な存在を見て、敵かもしれないって思うと、思いっきりギアが入ってしまう。
「陵、私は大丈夫だよ。ちゃんと守ってくれるんでしょ?」
「……当たり前だ。誰にも、指一本として触れさせないよ」
絶対に守り抜く。何を敵に回しても、絶対に。
「レイアとか居るけど?」
「……そういうのはノーカン」
そういう所で茶化されるとムッとしてしまうのは、俺はまだ子供だからなのかもしれない。
「ふふ、ごめんね。……そう言ってくれて、私は幸せだよ」
そうやって言ってくれるから、俺は美玲の事が好きなんだよな。
「さて、陵さんや」
「……ん?」
「湿っぽい話はここまでにして、家、建てていかない?」
いや、家建てるのは時間かかるし今日じゃ無くても……
『天照大御神様より、自宅の設計図を頂いております。お任せ頂ければ、一日ほどで完成させてみせましょう』
うん、なんか、もう驚き疲れた。てか、俺達にアマたん甘過ぎない?
『最推しに貢いでると仰られていました』
最推しとは。
『では、建てますね』
指輪から一体の土人形が生み出された。陵の指輪からも一体の土人形が生み出された。
合計二体の土人形が、突然現れて、忙しなく動き始めた。……あれは何?
『私達の身体です。あれを用いて、家を建てます』
土人形が依代みたいになってるのかな? 詳しくわかんないけど、詳しく知りたいとは思わないから別に良いや。
二体の土人形が手を振り上げると、その手から魔法陣が出現する。当然ながら私達が知らない技術だ。
『魔術です』
魔法とは違うんだ?
『似て非なる物ですね』
確かに魔法って魔術と違って魔法陣が無いよね。
『魔法の中には魔法陣があるのもあります』
にゃんと。ちゃんとニワカ晒した。
『魔法を魔術に寄せた物もあれば、魔術から魔法にしようとした物もあります』
うーん、わかんない……私はわかんなくていいです……
『この世界の魔法と魔術の概念が、私達が使っている物と同じかもわかり兼ねますし、考えなくても良いかと』
あー、そうなんだ。
あ、土台が出来た。土台の素材が、そのまま壁にまで侵食していくのがわかる。
あ、鉄筋が上から何本も土台に突き刺さった。鉄筋コンクリート造にしようとしてる……?
『はい』
この世界にコンクリートなんてあるのかな……
『そんなに作るのは難しくないですね』
へえ、そうなんだ。
土人形を見てても意味ないし、何か新しい事をしたいと思うんだけど、うーん、これが地球なら、漫画読んだりテレビ見たり出来るんだけどな。この世界の娯楽という娯楽を知らないから、困っちゃうな。
常に何かをしてないと、本当に暇な感じ。
陵に甘える……のも良いけど、今はあんまり気分じゃない。それに、陵は素振りを始めちゃった。どちらにせよ、今甘えるのは我儘が過ぎるよ。
あ、そうだ。レイアの様子を見に行こう。
**
車でぐったりしてると扉が開けられた。
「レイア、体調はどう?」
扉の先に居たのはミレイさんだった。
「ミレイさん……体調は元々大丈夫ですよ」
「ん、そっか」
まだ震えが止まらない。結構な時間が経ったのに、恐怖は身体から抜けてくれない。
「ごめんね。怖がらせて」
「謝る事じゃ……」
「陵に代わって謝るよ。ごめんね」
「や、やめて……ください」
それじゃ、私が逆に惨めになる。弱いからって勝手に恐怖を感じるなんて、そんなの、兄と私が何も変わらないって言ってるような物だ。
辛い。あんな人と一緒になんてなりたくない。
「ミレイさん」
彼女の服を掴んだ。
「ん? ……どしたの?」
「ちゃんと克服するので、……待っててください」
まだ怖い。
ミレイさんが優しいから、優しさを感じるから話せるけど、まだリョウさん相手に言葉を交わせるとは思ってない。
でも、それでも、私は兄とは違う。努力もしないで勝手に羨んで、勝手に殺そうとした兄とは違う。
「大丈夫だよ。頑張らなくても」
「駄目、ですよ。兄と同じにはなりたくない……ですから」
克服したいと思ってる。けど、まだ怖い。だから、せめて言葉で伝えるんだ。勝つまで、時間をください。
「……そっか」
彼女の手が私の頭を撫でる。なんか、とても安心する。頭を撫でられたのなんて何年ぶりなんだろう。
「ホントに巻き込んじゃってごめんね」
本当に小さな声で、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、彼女は呟いた。
助けてもらったし、連れ出してもらったし、巻き込まれたなんて思ってない。
でも、それに態々反論するのも違うのかなって思って、口を噤んだ。
ちょっと安心しちゃって、気が緩んだのかな。
なんだか、目が開けていられない……
「すぅ……」
**
レイアが眠った。
頭を撫でたら、あっさりと気持ち良さそうに寝息を立て始めた。
可愛いって正義だね。寝顔ですら可愛いのは、もはや超常現象じゃないかな。
ふにふにとちょっとだけ頬っぺたを堪能して、ドアを開けた。
眠りの邪魔をするのは良くないからね。




