第1話-プロローグ
卒業式の日、最後に通う学校の正門を超えた直後の出来事だった。
「ずっと前から好きだよ」
口にした彼女の表情はとても色っぽくて、けれども、確かに緊張を走らせていた。
彼女の名は桐崎美玲。
生まれてからずっと、俺と同じ時を過ごしてきた、そう言っても過言ではない人物だ。隣の家に住んでいて、年数や距離も相まって、もはや家族の様な存在だ。
楽しい時には何時も一緒に居て、一緒に笑った唯一無二の親友でもある。
「……そりゃ、好きだけど」
だけど、それは友愛もしくは家族愛から来るもので、恋愛とは程遠い物だと思っていた。
ちょっと変だなって思う事は、無かったとは言わない。友愛や家族愛では説明出来ない火照りを感じた事もあった。
……でも、それは思春期の男性には当たり前に起こる事で、それを彼女にぶつけたいとは思えなかった。
恋愛的な欲求に蓋をして、見ない振りをしていたのかもしれない。でなければ、こんなに心臓が煩くなんてならない。
……俺って、美玲の事、女性として好きだったんだ。
「ごめん、陵は違うよね……やっぱ」
「そんなことない! ……そんな事ないよ。今、めちゃくちゃ抱きしめたい」
いつも隣に居たはずの女の子に、何故か今は距離を無くしたくて、放したくない気持ちが止まらなかった。
自覚してしまった。
認めてしまった。
親友として、幼馴染として、家族として過ごしてきた筈なのに、こんな感情を認めて良いのだろうか。
大切な人だからこそ、俺との縁に振り回されずに、幸せになって欲しかったのに。
「……良いよ」
美玲が手を拡げて誘ってくる。
そんなの、我慢できる筈がない。
抱きついて、離れられなくなって、彼女の心臓の音が聞こえて、でも、俺のとは少しタイミングがずれていた。
そんなほんの一瞬のズレさえも、俺達の関係性が変わったことの証明になる気がした。
「嬉しい……」
彼女の音が聞こえる。
好きが溢れるって、こういう事を言うのかもしれない。
けれど、心音の余韻は長くは続かなかった。
「なんか騒がしい……気がする」
辺りが煩い。悲鳴にも近い絶叫の様な声すら聞こえてくる。流石に気の所為だと思いたかったけど、それは気の所為じゃないらしい。
彼女は名残惜しそうに、少しだけ離れて顔をキョロキョロさせた。
そして、下を見た瞬間に目を丸くして動きを止めた。その動きに促されるように、俺の視線も自然に下を向く。
「「……何これ?」」
地面が光り輝いていた。それは……まるで御伽噺の魔法陣のようで。
美玲を離して、地面を触って確かめようとする。けど、彼女はそれを許してくれなかった。
「今離れたら、もう二度と会えない気がする」
美玲がそんな事を言った。
そんな馬鹿な事ある訳ない……けど、一番身近で一番の親友で彼女である人の言葉を、無理に拒む事は出来なかった。
数秒後、最悪な展開で美玲の予想は的中した。
**
「ここは……どこ?」
さっき彼を離したら、私は陵に二度と会えなくなると感じた。本当に怖かった。まだ、陵を離したくない。怖い。絶対に離れないで欲しい。
でも、私達は見知らぬ場所に立っていた。見知った校舎じゃなくて、真っ白な空間にいたんだ。
……わかってる。
辺りを確認しなきゃなことくらい、陵を離さなきゃいけない事くらい、怖いからって抱きついたままじゃダメな事くらい、わかってる。
「……大丈夫か?」
陵は私の頭を撫でて、手をしっかりと握ってくれた。
安心しちゃって、ちょっと泣けてきた。知らない場所に居るけど、もう怖くない。
我ながら単純だなって思っちゃう。単純でも許してね。
「だ、大丈夫??」
突然頭上から声が聞こえた。その瞬間、陵が私の手を引いて背中に隠してくれる。
そういう所だよ。こんな非常事態なのに、彼は私を庇ってくれる。守ってくれる。そんな事されたら、好きになっちゃうよ。
ゆっくり落ち着いてから、私は上を見上げた。そこには一つの光がふわふわと浮かんでいた。……ドローンの一種かな?
「……ここは何処ですか?」
陵は努めて極めて平坦に声を出す。彼はとても臆病で、今も震えを抑えているのが私にはわかる。
「ここは……そうだね。うーん、神様の部屋って言うのが良いかな?」
確かに光から声が聞こえた。神様って言われて一気に胡散臭く感じた。だって、そんなこと言う人なんて、大概マトモじゃないじゃん。
「……どこに連れていかれるの?」
怖かったけど、声を絞り出して光に問い掛ける。陵に任せてばっかりじゃダメだ。私は彼女になったけど、守られる為に彼女になったんじゃないんだからっ!
「えっと、まずね。君達を攫ったのは僕達じゃない」
ふわふわとしていて、ちょっと可愛くも見えるそれは、犯人は自分じゃないと無実の証明を始めた。今の私達に真偽を確かめる手段なんて無いのにね。
「でも、だとしたら、何で俺達に関わるんですか?」
陵の疑問は私ももっともだと思う。だって、自分が原因じゃないなら関係ないじゃんね。
「個人的に僕が君達の事を好きだから……かな?」
光の言葉は、まるで不審者みたいだ。いや、私達からしたら不審者なんだけどさ。
「わかった、わかったよ。この空間も長くは持たないから聞くよ。
君達を納得させる事は出来るけど、これから先、地球に帰れなくなっちゃうかもしれない。
それでも納得出来る理由を聞きたい?」
光は困惑した雰囲気を出していた。
光は地球に帰れなくなると言った。まるで、別の惑星に攫われるみたいに。
……大丈夫。もし別の世界に攫われても、私達が一緒に居られるなら、きっと大丈夫だ。
「美玲、良い?」
「聞こうよ。私達は私達だけでも生きていけるから」
言葉一つ一つに決意と覚悟を込める。今は不確定要素を出来る限り減らしたい。この神様は敵なのか味方なのか、わからないままの方が怖い。
確かにパパとママに会えなくなるのは怖いよ。でも、それは大丈夫。子供はいつか一人立ちする物だから、ちょっと早くなっただけだから。
「じゃあ……」
光はうにょうにょと伸びて、人型を象った。それは私達がよく知っている人物だった。
高校一年生の夏、私達は初めてコミックマーケットに行った。
コミックマーケットとは同人誌を主とした漫画などが多数並ぶ超大型イベントだ。可愛い可愛いコスプレイヤーさんも沢山いて、サブカル好きには絶対に外せないイベントだ。
略してコミケ、オタクの聖地だ。
「いや〜楽しかったな」
帰りの陵はすげぇもんを見たと満足そうだった。私がその時、なんて言ったかは覚えてない。
その人物との出会いはそんなコミケの帰りに起こった。
女の私から見ても、めちゃくちゃ綺麗な女性が道端に倒れていた。当時はホントにえぇっ……って感じだった。
めちゃくちゃ育ちが良さそうで、オタク趣味なんて無さそうな人って雰囲気だったのに、二つの紙袋には沢山の同人誌が入っていて、こんな人もオタク趣味を抱えてるんだ……って驚いたのは覚えてる。
「救急車かなこれ」
「ちょっと待って」
スマホを取り出した陵を制して、私は女性に話しかけた。
「お姉さん、大丈夫?」
「・・・・・・」
声を掛けたけど、返事は何も無かった。軽く肩を叩いて、もう一度話しかけた。
そしたら、彼女は目をぱちって開いた。
「大丈夫ですか?」
すぐに救急車を呼ばなかったのは、高校生くらいで育ちが良さそうなのに同人誌を沢山持っていたから。
人によっては、家族にバレて困る人も居るのを知ってるから。可哀想だよ、もしそれで好きな物を取り上げられたりしちゃったらさ。
「あ、うん……大丈夫」
「良かったら、近くのレストランで一緒に休みませんか?」
流石にこのままバイバイは危ないだろうと思って、一緒にファミレスに行く事にした。
「態々、ありがとうございます」
「いえ、助け合いですから」
私の言葉に陵も頷いた。
「あ、えっと、私はアマたんって名乗ってます」
「私はみっちゃん、こっちはりっくんって名乗ってるよ」
そうやって、自己紹介して色々話したら、好きなアニメが一緒で本当に偶然に盛り上がって、それからとぅいったー垢を交換したんだ。
それから何度も遊んだりした。多分、学校外の人物の中では一番仲が良かったと思ってる。
そんな人物が、今、私達の目の前に立っていた。
「……アマたん、神様だったんだ」
「あの時は助かったよ。身分証も作らないで下界に降りてたから、救急車とか呼ばれてたら多分……色々とやばかった」
陵も驚いてる。私としては、アマたんの顔が出会いを思い出して青ざめてる方が気になる。神様も怒られたりするのかもしれないね。
「仲が良い友達が攫われちゃうから、色々とあげちゃおうと思ってさ」
「えっ?」
「これはりっくんに、そしてこれはみっちゃんに」
二つの指輪をアマたんは私達にくれた。
「僕、君達の事、めっちゃ推しなんだよね。いつくっつくのかなって思ってた」
「へ……?」
「ちょっと! 言わない約束だったじゃん!!」
こんなタイミングで相談したのがバレるとか思わないじゃん!!
そうだよ! 私はずっと前から陵の事が恋愛的に好きだよばーか!!
「だから、最高神であるこの天照大御神が、君達の事を祝福してあげる」
「ええっ!? 天照大御神様だったの!?」
知らない人なんて居ないくらいのメジャー神じゃん!?
そんな神様に祝福されるとか、めっちゃ嬉しい。
……まあ、でも、一番嬉しいのは友達として祝ってくれた事なんだけどね。
「あれ……?」
白い空間が破れるように消え始めた。
「そろそろ時間みたいだ。また、機会があったら遊ぼうね」
「もう、アマたんにも会えないのかな?」
「俺も気になるな……」
事情は飲み込めないけど、アマたんに会うのは色々と大変だって事は漠然と理解出来た。
でも、出来るだけ、友達とは友達のままで居たい。友達と遊ぶのだって簡単に代えられる物じゃない。
「んー……どうだろ。多分厳しいんじゃないかなあ……わかんないけどさ」
さっきまでめっちゃ嬉しかったのに、一気に寂しさが込み上げてくる。
「でも、大丈夫だよ。やり取りは出来るからさ。じゃあ、二人で頑張ってね。……お幸せに」
アマたんが手を振った。
気が付いたら私達は、見知らぬ草原に立っていた。