第1夜
ーーお母さん今日も仕事で帰りが遅くなるから。夕飯作っておいたから温めて食べて。
母からのメモを帰宅後見つけ、僕はため息を一つついた。あまり使うことのないテーブルの上にある惣菜をレンチンし、ご飯を食べた。自分以外誰もいないこの居間で自分の呼吸する音だけが響いているような静寂に耐えきれず、興味のないテレビ番組をぼっと眺める。テレビからは芸能人がゲラゲラと大げさに笑っているそんな雰囲気に耐えきれなくなりテレビの電源を消した。再び静寂が訪れ、隣の住民だろうか少しだけ楽しそうな会話が聞こえ、たまらず僕は家を飛び出した。
ぽつ、ぽつと灯りがあるだけでそれ以外に何もない古びた町中を歩いていると、どこの家も家族で団欒しながら夕ご飯を食べているようだ。ほのかに香る美味しそうな魚の匂いとその煙、またある家はカレーの匂いもした。いいなあ、と僕は深い息とともに小さく吐き出した。そんな喧騒の町と自分との対比が嫌で町から外れたところにある小さな丘に気持ち早足で向かった。
灯り一つない林の中を少し歩くと辺りは開け、小さな丘が見えた。小さな丘の頂上には一本大きな杉の木が立っている。僕が小学校に上がってすぐの頃はよくこの丘でお母さんとお父さんと一緒にピクニックに来ていたことを思い出した。唐揚げにウインナー、甘い卵焼きを僕のために一杯作ってくれ、それを僕は口いっぱいに頬張った。そんなに急いで食べなくていいのよ、と呆れた表情で笑い、温かいほうじ茶を僕に渡してくれたお母さん。よし、食べて一休みしたらキャッチボールでもするか、とお父さんは僕に言う。そんな何気ない普通の家族のワンシーンを懐かしんでいた。
月明かりだけが照らしているその丘に寝転がると目の前には無数の星が広がっている。町の灯りも届かなく、空気も澄んでいるため普段町中で見上げて見るよりも格段よく見える。あれが北斗七星だっけ…。小学校の理科で習った朧気な知識をなんとなく思い出しながら、星を眺めていた。物音一つしない、この世の中の生き物以外いないような気分に錯覚させられる不思議な空間。ふと、目を閉じてみると地上と空の境界線が曖昧になり、自分も宇宙の空間を漂っているような気分になった。
今が何時かわからないがそろそろお母さんが帰ってきてもおかしくない時間だ。余計な心配をさせるわけにはいかない。…よし、と独り言をいい重い腰をあげ帰ろうとする。ふとかすかな人の気配がしたような気がして、杉の木の根本に視線をやるとそこには自分と同じ年齢くらいの少女が座っていた。彼女は僕と同じように星を眺めていたようだ。少女は少し前から僕の存在に気づいていたのだろうか。そんなことを考えていると少し気恥ずかしいような気持ちになった。少しして少女は再び僕の存在に気づいたのか、視線を頭上から僕へ移した。1秒ほど僕のことを見たあと、何も言わずにまた星へと目をやった。彼女は一体誰なんだろうか。僕は気になっていたが、彼女の時間を邪魔してはいけないと声をかけずに帰宅した。
家につくとお母さんがドライヤーで髪を乾かしていた。僕が帰宅したことに気がつくと、お風呂湧いてるから入ってね。あ、お湯は洗濯に使うから捨てないでおいて。とだけ声をかけて再びドライヤーで髪を乾かしはじめた。僕がどこに行っていたのか心配していないのだろうか。
ーねえ、お母さん。
ーなあに。
ー……。ううん、やっぱりなんでもない。
ーそう。あ、お母さん明日も帰りが遅くなるからまた今日と同じね。
ー…うん。おやすみ、お母さん。