第9話 交渉のいろは
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「んじゃ不本意ながら本題に入るけどよ、俺に頼み事があんだっけ?」
「そうよ。あんたには私たち〈遙かな旅〉の特任教官になってもらうわ!」
特任教官ねぇ。字面からして言いたいこと何となくわかるんだが、確信を得るならもう少し踏み込んだ説明がほしい。
そういうわけで、ゴスロリさんに視線を向けるとすかさず頷き返してくれた。
「特任教官とは、学府に所属する学生クラスタに雇われた外部の人間を指します。学府から給与が支払われることはありませんが、申請が認められた場合、専用の入校証が発行され学府への出入りが自由になります」
「なるほど。説明どうもっス」
「いえ、お気になさらず。主担任の補助が私の仕事ですので」
「……」
勝手に俺を主担任に据えるのは止めてもらえませんかね……?
しかし今の俺にとって唯一頼れる情報源だ。主担任云々の発言は聞かなかったことにして三人に向き直る。
「お前らの主張はわかった。でもこっちは具体的な事情がさっぱりわからん。だから情報の共有が最優先だ。まずはお前らの現状について順を追って話せ」
情報共有に関してはなあなあで済ませるつもりはない。
まず話を受ける受けないの大前提はあるが、もしこの件が反社会的行動に繋がろうものなら今度こそ俺はポララ家の敷居を跨げなくなってしまう。
「……詳しい経緯は省くけど、私たちは学府から課題を出されてるの。正直言って今の私たちには難しい課題だけど、どうしても達成する必要がある。だからあんたに師事することで実力の底上げを図ってるってわけよ」
順を追って話せと言ったのに詳しい経緯を省いちゃうのか……。
厄介な事情を抱えてるのは火を見るより明らかなんだ。対等な取引でない以上、恥を覚悟して包み隠さず話すのが誠意ってもんだろーよ。
「この詳しい経緯ってのはどんな具合なんスか?」
「成績不振ですね。〈遙かな旅〉の成績は学府が求める基準を満たしておらず、学府から通達された課題を期限内に達成しなければ退学扱いとなります」
学則のような共通認識ならともかく、生徒個々人の問題も即答か。
さすが自称副担任さんと言うべきか、それとも俺が思っている以上に〈遙かな旅〉の成績不振っぷりが有名なのか。
何にせよ少しずつ話が見えてきたな。そして話が見えてくるにつれて三人の表情が曇っていく。
「ちなみに課題の内容と期限は?」
「次元塔20階層の踏破ですね。期限までは残り二週間。参考になれば幸いですが、学府二学年の平均到達階層は27階層となります」
「なるほどなるほど……これだけは当人の口から聞かせてくれ。そもそもお前ら、何階層まで踏破してんの?」
1階層から2階層へ上がるのと、90階層から91階層へ上がるのでは難易度が桁違いだが、一般的に1層上がるには最低一週間は必要と言われている。
そしてゴスロリさんの情報によると、〈遙かな旅〉に残された期限は二週間。
上手く事が運んで2層上がれるかどうかというラインだから、現状の到達階層が18階層以下だと課題の達成は絶望的ということになる。
極めて重要な分岐だ。俺が無言のプレッシャーを与え続けると、〈遙かな旅〉のクラ長であるナルナが観念したという声音で答えた。
「……14……」
「なるほど14……じゅ、じゅうよん?」
14階層と言えば、一般人に毛が生えた程度の実力でも踏破できる階層であり、今はパン屋の厨房で働く親父も若い頃に20階層なんて踏破してたはずだ。
それを、踏破者として専門的な訓練に励むナルナたちが14階層とか……。
そら退学が懸かった課題も課されるわけだわ。学府も酷なことするなー、と思ってたけど、こいつらの所為で二年の平均到達階数下がってんじゃねえの?
「……つまりお前らは、二週間で6層上がれるような指導を俺に求めてる、と」
三人揃って頷く。よし。これで誤解が発生する余地はないな。
はいはいどうも。俺はニコッと商売用の笑顔になってゴスロリさんを見据えた。
「それじゃ次の注文に関してなんスけど、実際どれくらい注文して頂けるんで?」
「こらーっ! まだ私たちの話は終わってないわよ! あんたすっごく強いんだからそれくらいできるでしょ!? もう期限まで時間が無いのよ!」
まあこの際、依頼の内容はどうでも良いんだ。
一週間で1層云々ってのは一般常識の話であって、俺がその気になればこいつら程度の実力なら二週間あれば余裕で仕上げられる。
だから問題は内容じゃない。頼み方があまりにも杜撰すぎるんだ。
何か勘違いしているようだが、今俺がこの場にいるのは〈遙かな旅〉のためじゃない。ゴスロリさんが次回のパン配達の確約という餌を吊してくれたからだ。
頼み事をするなら最低限の道理って奴をわきまえるべきだったな。良い勉強になったと思って諦めてもらうしかない。
「あのな。交渉ってのは両者に得があって成立するんだ。お前らも真剣にやってはいるんだろうが、俺だって食っていくには働かにゃいかんのでね。悪いが他を当たってくれ」
こいつらの交渉、中身どころか見かけも整えてないからなぁ。
普通、交渉相手をその気にさせるために虚実織り交ぜた甘い蜜を用意するもんだが、いきなり教官になれだもんな。流れがない。
しかし甘い蜜は用意されていたらしい。
俺の「両者に得」という文脈が刺激になったのか、「ですわですわ!」と珍妙な鳴き声を上げていたサラが何かに気付いた様子を見せる。
「そうそう、言い忘れてましたわ。もし私たちの教官を務めてくださるのなら。つまり、二週間以内に20階層を踏破できる指導をしてくださるのでしたら、報酬として300万エン用意させて頂きますわ」
「……なにぃ?」
おいおいおい、それを早く言えよ。ジョッキでシロップ一気飲みじゃねーか。
「300万エンってマジ? ろくに踏破もできないお前たちに用意できんの?」
「心外ですわね。私が誰かお忘れですか? 由緒あるアリューン家の一人娘ですのよ? 300万エンくらい容易く用意できますわ」
「おぉ」
急に話が俺好みになってきたな。
もちろん300万エンは欲しい。裏賭場で全財産を溶かし、至急罰金を用立てなきゃいけない俺には天の恵みだ。
しかしそれ以上に気になる疑問が浮上してきた。俺は三者三様の表情を浮かべる三人にぐるっと視線を巡らせる。
「なるほど確かに報酬を用意する事はできるかも知れない。条件が変わったから改めて聞くが、なんでそこまで学府に残ることに執着してるんだ?」
期限内に20階層を踏破できなければ退学になる。
確かに良い気分じゃないだろうが、学府を追い出されても踏破者はやれる。むしろ業界全体で見れば学府上がりの踏破者の方が圧倒的少数派だ。
「それは話さなくてはいけませんの? 前金で30万エン、成功報酬で270万エン支払いますわ。ココロさんとしてはそれで十分でなくて?」
「いいや、よくない。金も大事だが、俺はそれ以上に楽しいことが好きなんでね。お前らが大金を積んでまで学府に執着する理由、それ次第では教官を引き受けてやっても良いと考えてる」
俺は流れ信者だからな。論理的な思考よりもその場の勢いを重視する。
余剰資金で博打を嗜む暇人に熱は宿らない。
妻のタンス預金をくすねてきた博徒にこそ熱は宿る……割と本気でそういうことを考えている俺だから、三人がここまで学府に執着している理由が気になる。
教官を引き受けてもらえるかもしれない。そういう期待を持たせる発言が効いたのか、三人は顔を見合わせ不承不承という態で頷く。
そして真っ先に席を立ったのはアリューン商会の商会長が一人娘、サラだ。商会長の一人娘と主張していたし脳内で算盤を弾くのは得意なのだろう。
「こういったプライベートなことはあまり他言したくはないのですが、話さなければ教官を受けないと言うのであれば仕方ありませんわね」
さあ、俺の賭博師魂に火を付けられるかな?
〈用語解説〉
・「ジョッキでシロップ一気飲み」
詳細は不明だが、好条件を提示されたという意味らしい。
・「流れ信者」
あらゆる物事、特に博打など運の要素が大きく介在する事象について、確率を超越した“何か”があると信じている者の総称。
コイントスを例に挙げると――仮に九連続で表という希有な結果が確認された場合でも、「次に表が出る確率」は二分の一だが、「こうなったら次も絶対表だわ。命賭けて良いよ」と断言できる。それが流れ信者。
しかし最近は「流れには論理的な根拠がある」、「賭場にいる人間の心理的やり取りが流れ」などと主張する勢力も増えつつあり、一概に完全運任せの人種とは言い切れなくなっている。