第6話 学府の日常・後編
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まあ、驚いただけで危機的状況ではない。
仮にこの場にいる学生全員が襲いかかってきても対処は可能だが、相手をするのはこの二人だけで良いらしい。野次馬は観戦ムード継続だ。
「落ち着いてくれ、間違いなく誤解が発生してる。俺はパンの配達に来た一般人で、ここへは騒がしかったから様子を見に来ただけだ。さっきのも、青髪が危ないと思って助けに入ったんだ。悪意が介入する余地は無い」
俺が状況を説明しても二人の攻撃は止まない。剣、氷柱、剣、氷柱。
絶対に殺すという意思が目に見えるようだ。アドレ魔導学府、ヤバすぎるだろ。裏賭場のチンピラ連中でももう少し聞く耳持つぞ……。
「ちっ、仕方ないな」
ただのパン配達で来た俺にこれ以上尽くせる言葉はない。状況説明という義務は果たしたし鎮圧されても文句は言うまい。
そうと決めた俺は回避の動きの中で地面の土を少量手に取り、ぎゅぎゅっと握り固めてから青髪の額めがけて投擲する。
「ほひゃんっ!?」
狙い通り、額に土塊が直撃した青髪は珍妙な悲鳴と共に気絶した。
もちろん殺しちゃいない。現場に赤色の染みがあると話が一気にややこしくなるし、警らを殺しちゃ事だから自然とこういった技能が身につくのさ……。
「あっ! この、よくもっ!」
膝から崩れ落ちる青髪を横目で見送った銀髪が怒りで顔を歪ませる。
学友を倒されて激怒した、ってのは納得できる流れなんだが、こいつらさっきまで殺し合いしてたよな? 命の価値観が滅茶苦茶すぎるだろ。
「な、なんで!? 攻撃がっ、当たらないっ!?」
銀髪の動きは正確、行動の一つ一つがその状況の最善手に近い。
しかし格上相手に最善手を打ってもまず無意味と断言して良い。なぜなら最善手とは格上が格下を確実に制する場合に使うものだからだ。
一定以上の実力差がある戦闘において、格下に最善手を打つ権利はない。
「お終い」
「ふべっ!」
そして俺は、涙目になりつつあった銀髪の額にデコピンを打ち込んだ。
人間ってのはほんの少し脳味噌が揺れただけで意識を保てなくなるか弱い生き物だからな。銀髪はたたらを踏んだ後、膝から崩れ落ちて気絶した。
これで鎮圧完了、もちろん配達用のパンも無事だ。
命の危機を脱して安堵の溜息をついた俺は、ふと周りを見渡してみた。
「……」
先ほどまで騒がしかった野次馬たちが、水を打ったように静まりかえっている。
……いや、今でも正当防衛だと主張できるけど、客観的に見ると現状ヤバいな。
天下の学府の敷地内、そこに気絶する女子生徒二名と留置所常連の男でしょ? これだけ聞けば立件ですわ、立件立件。弁護士に連絡しとかないとね……。
「に、逃げよう」
禊ぎの労働中に豚箱にぶち込まれるとか、いよいよお袋に見限られてしまう。
そもそもこの件に関しては俺は何も悪いことはしてないし、ここで逃げてもお天道様は笑って許してくれるはずだ……。
「何事ですか?」
「はひょ!」
どうやらお天道様は許してくれなかったようだ。背後から声が掛かる。
留置所、レイちゃん、お袋、勘当、死……あまりにも鮮明な走馬灯と共に振り返ると――いわゆるゴスロリ服を着こなす妙齢の美人さんが目に飛び込んできた。
基調は黒、そしてアクセントに白を取り入れた王道のゴスロリだが、全てが一級品だ。ヘッドドレスやカフスなどの小物も見事な仕立てで、伊達や酔狂で着ているのではないと一目でわかる。
……そ、それに並外れてるのは外見だけじゃない。
このゴスロリさん、今転がした小娘二人とは比にならないほどの実力者だぞ。
立ち振る舞いから察するに対人特化だ。服の下から微かな金属音、暗器を隠し持ってるな。学生は制服着用が義務みたいだし、学府の関係者か?
「とっ、とりあえず俺の言い分を聞いてもらって良いっスかね?」
「ええ、もちろん。そのつもりです。どうぞ気が済むまで」
そ、そう、これだよ。まずは話を聞く、これが普通の反応だよな!
やっぱりさっきの二人がおかしかったんだよ。レイちゃんに捧げる辞世の句を詠むのは早すぎたようだ。これは不起訴という希望が見えてきたぞぅ……。
「自分は西区にあるポララベーカリーってパン屋の従業員でして、ココロ・ポララと言います。今日はここの用務員宛てにパンの配達で来ました。正門で入校証も貰ってます、ちなみにブツはこれです」
すかさずパンが入った紙袋を見せる。紙袋にポララベーカリーというロゴが入っているから簡易的な身分証になるだろう。
「それで用務員室まで向かってたんですが、道中でこの二人が斬り合っているのが見えまして。危険なので止めようとしたのですが……二人揃って襲って来たので、こう、ちょちょいと……」
「ちょちょいとですか。血の匂いはおろか外傷も確認できませんが、随分と上手く転がしましたね。何か心得がおありで?」
ゴスロリさんの目が鋭く細められる。
残念ながらその意図は明らかだ。万が一の状況に備え、相対する不審者がどれほどの実力なのか推測しようとしてるんだろう……。
「心得っスか。まあ昔は踏破業で飯を食ってたんでそこそこだとは思いますが……あっ、でもお察しの通り殺してないですし怪我もさせてないっすよ! だから警らを呼ぶのだけは止めてください、お願いします!」
そう締めて俺は深く深く腰を折る。
ど、どうだ? これでダメならどうしようもないが……。
震える俺とは対照的に、ゴスロリさんは余裕の態度を崩すことなく話を進める。
「確かに。本日、ポララベーカリーからパンの配達があることは確認しています。我が校の生徒がご迷惑を掛けたお詫びではありませんが、今回は私が用務員室まで案内いたしましょう。付いてきてください」
それで話はお終いとばかりに、ゴスロリさんは少女二人が転がる犯行現場に背を向けて歩き出す。振り返るつもりはないのだろう。その歩みに迷いはない。
警らを呼ばないでくれたのは素直にありがたいけど……それだけ?
「ちょ、ちょっと。そこで気絶してる子たちは放置ですか?」
俺は一般的な感性を持つ善良な市民だから、少女二人が白目をむいて倒れている現場に未練を抱かずにはいられないのだ……。
しかしゴスロリさんはそう思わなかったらしい。俺の必死の訴えを聞いても足を止めようとしない。
「ええ。気にしなくて構いません。この程度、学府では日常茶飯事ですから。その様子ですと、どうやらココロ様はアドレ魔導学府の校是をご存じないようですので、用務員室までの道中に色々と説明いたしましょう」
「う、うす」
後ろ髪を引かれるとはまさにこのことだが、ここは関係者であるゴスロリさんに付いて行くしかあるまい。俺は背中を丸めてゴスロリさんの後に続く。
「ココロ様は学府について何をお知りですか? 学府がどんな施設で、どんな校是を掲げているか知らない王都民がいるとは考えたことも無かったものですから、切り口を見出しかねています」
つまり俺くらい無知な奴は見たことがないってことですね……。
俺は「へへへ」と愛想笑いを交えながら記憶を掘り起こす。しかし残念ながらこれぞという記憶の鉱石は発掘されなかった。愛想笑いが止まらない。
「えーと……若者が踏破者としての訓練に精を出してる? あと校舎がデカいっすよね。南区のほとんどが私有地とかパねっす。すごく金が掛かってそう」
「それだけですか?」
「……ええ、まあ、はい……」
こちとら留置所を第二の我が家にしてるような社会不適合者でしてね。
留置所あるあるについては無限に喋れる自信があるが、留置所とは対極に位置するであろう学府についてはなんとも……。
「そうなると、どうでしょう。長話になってしまいますので、まず配達を済ませ、その後に私の案内で学府を見て回るというのは?」
「へ?」
学府を見て回るって……そんなことする意味ある? まさか俺が入学希望者に見えたわけはあるまい。
俺が警戒心を抱いたのを察したのか、ゴスロリさんは足を止めて俺を見据えた。
「先ほども申し上げましたが、我が校の生徒がご迷惑を掛けた様子。通り魔に遭ったような気分でしたでしょう? 学府に対する印象は最悪のはずです」
「……つまり、誤解を解く機会を与えて欲しいということですか?」
「そういうことになります。この後、何か予定がおありですか? よろしければ私めに学府の案内をお任せ頂きたいのですが」
俺はどこに出しても恥ずかしい社会不適合者だが、言葉の裏に潜む真意を察することができないほど愚かじゃない。
しかし……ゴスロリさんの心証を損ねると先ほどの一件が拗れてくる。
方や社会不適合者、方や世界に名高い学府の関係者だ。
野次馬という目撃者は多数いたはずだがどう印象操作されるかわかったものじゃない。下手すれば問答無用で豚箱行きという展開もあり得る。
「じゃ、じゃあ、案内をお願いします……」
「はい、お任せください。失望はさせません」
――と。
話が一段落するのを待っていたわけではないだろうが、まさに校舎に入る直前、俺は、そしてほんの一瞬遅れてゴスロリさんもそのことに気が付いた。
「み、見つけました。まだ、まだ勝負は、終わってません……」
銀髪だ。先ほど気絶させた銀髪がここまで追いかけてきたようだ。
これには素直に感心した。先ほどの戦闘で与えた衝撃は数分程度で再起できるもんじゃない。歩くことはおろか、意識を取り返しただけで大健闘と言える。
「追いかけてきたようですね。話しますか? お望みなら謝罪をさせますが」
「え。いや、その……えーと」
これ以上厄介事に巻き込んでほしくないというのが俺の本音だ。たとえ謝罪という理由を引っ提げていようが接触のリスクは避けたいところ……。
そんな俺の思考が表情に出ていたのか、言葉にはしなかったもののゴスロリさんは俺の意を汲んでくれた。納得したように頷く。
「では謝罪の代わりと言ってはなんですが、面白いものをお見せしましょう。学府がどういう場所なのか、万の言葉よりも雄弁に説明できると思いますよ」
「はあ」
生返事しか出てこない。だって俺学府に興味があるわけじゃないからね。
ただゴスロリさんの台詞回しからして、学府がどういう場所なのかを知れば小娘たちが凶行に及んだ理由も理解できるのだろう。
とにかくゴスロリさんの提案を積極的に否定する理由はない。
俺が目線で面白いものとやらを催促すると、ゴスロリさんは見事な業務スマイルを披露して俺から視線を切り、虫の息で立つ銀髪を正面から見据える。
――次の瞬間、洗練された風切り音が虚空を走り、小振りの短剣が銀髪の心臓に突き刺さった。
「……は?」
ゴスロリさんが、短剣を投擲して銀髪を殺した。
俺自身の危機ではなかったし、何より、ゴスロリさんが短剣を投擲するまでの流れがあまりにも自然だったから反応するのが遅れてしまった。
自分の胸から短剣が生えていることを認識した銀髪は、全てを諦めたような短い溜息をつくと同時に、受け身も取らずに背面から倒れた。
そして銀髪を殺害したゴスロリさんは、常識を説くように言うのだった。
「これが、学府です」
〈用語解説〉
・「留置所あるある」
留置所を第二の我が家としている社会不適合者たちの共通認識。
その筋の人たちの飲み会では爆笑必至の鉄板ネタだが、一般人との飲み会で話せばまずドン引きされるので注意が必要。
例1:「普通に生活しているより、留置所で生活していた方が健康になれる」
例2:「頑張れば鉄格子をすり抜けられるのではないか? と考えたことがある」
・「これが学府」
学生が心臓から短剣を生やすのは珍しいことではない、ということ。