第4話 ポララベーカリー
本日中(07/23)に第6話まで更新予定。
俺は脳天まで裏社会に浸かった救いようのない社会不適合者だが、いわゆるカタギの世界に全く縁が無いわけではない。
というのも、我らがポララ家はここ王都の片隅で「ポララベーカリー」というパン屋を営んでおり、もちろん俺も幼少期から手伝いをしてきた。
つまり何が言いたいのかって話になるが……物陰に潜む俺が見つめているのは甘くてふわふわな幸せが満ちるパン屋であり、生まれ育った実家でもあるのだが、今の俺には魔王城よりも恐ろしい場所に見えるってこと……。
「よ、よし、行くか。なーに、命までは取られないだろ」
どんな策を弄しても結果は同じだとわかっているが、それでも後ろ暗い事実から目を背けるように音という音を殺してポララベーカリーに侵入する。
そしてやはり結果は変わらなかった。
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、会計台の向こうから声が掛かる。
「お帰りなさいココロ。昨日の無断欠勤に続き今日も昼出勤ですか。親切なお客様から話は聞きましたよ。何か申し開きはありますか?」
ミア・ポララ。俺が無条件で上位存在だと認めている存在、つまり母親だ。ポララベーカリーでは会計を含めた経理全般を担当している。
滅多なことでは笑顔を絶やさないというちょっとした特徴はあるものの、至って普通の価値観を持つ母という種族の一員だ。
そして至って普通の価値観を持っているから当然、芸術的なまでの反社ムーブを完遂してきた息子を見る目は氷のように冷え切ったものになる……。
対応を誤れば、まず間違いなく勘当される。
本能によって少し先の未来を透視した俺は、持てる全てを出し切った土下座を敢行した。パンを取り扱っている店内だ、もちろん埃が立たないよう配慮している。
「ほんっっっとにすいませんでしたっ! 経緯はご存じのようなので申し開きはありません! これからしばらく馬車馬のように働きますんで許してください、お願いします!」
「ただいま戻りました」
なるほどねぇ。やっぱ神様ってスゲぇわ。これが天罰覿面ってやつ? 金、人間性に続いて兄っていう尊厳まで奪いに掛かってきたぞおい……。
「何をしてるんですか兄さん。お客様の邪魔になりますので止めてください」
「……はい」
俺の土下座とほぼ同時に店に入ってきたのは、黒髪ロングのクール系超絶美少女、レイ・ポララちゃんだ。
二つ歳が離れた俺の妹であり、着衣から微かに漂うパンの香りが美少女度を限界突破させている。今は美少女だがもう数年したら美女になるのは間違いない。
「お帰りなさいレイ。何か問題はありませんでしたか?」
「報告するようなことはありません。いつも通りの配達でした」
諸々の要件はあるもののポララベーカリーでは配達販売を受け付けており、看板娘であるレイちゃんが配達に出るのは珍しい光景じゃない。
そして、そう。
当たり前の日常を目の当たりにしているからこそ、熱した鉛を胃の中に流し込まれたような、じっとりとした罪の意識が俺を苛んでいく……。
「れ、レイちゃん。配達は交代で担当するって決まりなのに、最近はレイちゃんにばっかり行かせてゴメンね。俺が当番の日に限って、その……」
「私たちは家族、それも血の繋がった兄妹です。互いが互いを助け合うのは当然のこと。しかし、それにしても。私が兄さんの配達担当を代行したのは今月だけでもう三度目になります。これについてはどう考えていますか?」
「……」
どうと聞かれましても……救いようのない社会不適合者がいますねとしか……。
レイちゃんが示唆した通り、俺はここ一ヶ月で三回は豚箱にぶち込まれている。
さらに、さらにだ。人生を通しての前科歴を白状するなら、両手両足の指を総動員しても数え切れないほどだと言わざるを得ない。
俺が沈黙という形で質問に答えると、レイちゃんは薄く長い溜息をついた。
これはレイちゃんが何か考え事をしてる時の癖だ。我が妹ながら可愛いなぁ。問題点を挙げるとするなら、その溜息の原因が俺だってことだがね……。
「ふふ。レイ、ココロの反社会性については私たち家族が最後まで面倒を見ると決めたでしょう? 過ぎた事を責めてもレイが空しくなるだけですよ」
えぇ……? そんな悲しい家族ルールってある?
あったらしい。レイちゃんがお袋の発言に疑問を持つ様子はない。それどころか薄い溜息を重ねるばかりだ。なるほど、これは我が家の常識扱いですね……。
「それでは前向きな対応として、ココロには今から配達に出てもらいましょうか。これを問題なく完遂し、お天道様に恥じない素行で過ごすことができれば今回の一件は水に流すとしましょう」
それってつまりは、ちょっとおつかいをして警らの世話にならないよう過ごせば許すってことでしょ? 難易度の基準が六歳児並なんだよなぁ……。
しかし許しへの道を示してもらえるのであれば俺に文句などない。
瞬時に俺は思考能力を六歳児並に引き下げ、留置所との縁を欠片も窺わせない純粋無垢な笑顔を咲かせた。
「わかったっ! カタギ目指して清い生活を心がけるねっ! その第一歩の配達についてだけど、どこ宛てなの? 俺の知ってる所かな?」
その質問に答えてくれたのはポララ印の紙袋を抱えたレイちゃんだ。話の流れを予測して用意してくれたのだろう。さすがの看板娘だ。
「兄さんが知っているかはわかりませんが、学府に務める用務員宛ての配達です。用務員一同で注文してくれたようですね」
学府の用務員? 職場でまとめて昼食を頼むのは珍しい話じゃない。それはともかく、学府ときたか。俺の想像が間違ってなければ大口の顧客じゃないか。
「念のために聞くけど学府ってあれ? 南区にあるアドレ魔導学府のこと?」
「はい。その学府です。昨日、兄さんが留置所にいる間に注文を受けましたが、名刺を頂きましたので間違いありません」
エストフィリア王国の首都、通称王都は近代的な計画都市であり、次元塔を中心として東西南北で区分けされているのが特徴だ。
そして配達先として名が挙がっているアドレ魔導学府は、南区のほぼ全てを私有地として有する「踏破者の育成施設」のことだ。
詳しい内情までは知らないが、どの区画からでも視認できる大きな校舎群を持つから、王都で生活していて学府の存在を知らぬと言うことはまずあり得ない。
踏破者という稼業が如何に人気であるかを体現していると言えるだろう。
「ちょっとした世間話として聞くけど、レイちゃんは学府に興味とかないの?」
「はい、興味はありません。私の記憶が確かなら、学府は踏破者を育成するための施設なのでしょう? パンの作り方を教わるならともかく、次元塔を踏破する術を学んでも活かす場がありませんので」
そう言ってレイちゃんは窓辺に歩み寄る。
レイちゃんの意図はすぐにわかったから、俺も窓辺に近付いてレイちゃんの隣に並び視界を共有する。
窓の外には見慣れた王都の町並みが広がっているが、まず目に留まるのは王都の中心から天を貫くように伸びる塔、次元塔だ。
「本当に大きいですよね。視界に入る度に倒れてしまわないか心配になります」
「倒そうとしても倒せないくらいだし大丈夫じゃないかなぁ」
レイちゃんの心配はもっともだが、魔物の外部流出や塔本体の倒壊などは歴史上一度も起こっていないし、次元塔の存在を前提として首都を作り上げたエストフィリア王国は今や大陸屈指の強国だ。
列強諸国による首脳会議の場において、「一国が次元塔を独占すんのっておかしくね? 共同管理にしようよ」という提案に「うるせえバーカ」と唾を吐ける、それが次元塔を擁するということだ。
「そういえばレイちゃんは何階層まで踏破してるの? もう全階層踏破した?」
「まさか。確か……9階層ですね。仕事や新作パンの企画考案で日々忙しいですし、それ以上の階層に関しては踏破する理由を見出せませんでしたから」
「次元塔の踏破よりパン作りか。レイちゃんらしいねえ」
俺の見立てではレイちゃんは俺に負けず劣らずの……いや、妹というアドバンテージを考慮するなら世界最強の人類なのだが、本人が「パンを焼いてる方が楽しい」と言うのであればそれで正解なのだろう。
「とにかく。ポララベーカリーにとって重要なのは学府が顧客になってくれるかどうかです。くれぐれも失礼がないようにしてくださいね」
「わかってるさ。口の上手さには自信があるんでね。きっちりセールストークを決めて、次回の注文まで獲得してきてやるぜ」
ここで次回の注文を獲得できればお袋もレイちゃんも俺のことを見直してくれるに違いない。
俺はグッと親指を立てて見せ、勢い勇んでポララベーカリーを後にする。
さあ、綺麗なカタギを目指して頑張るぞっ! 警らの野郎とすれ違っても唾吐かないよっ! 舌打ちで我慢するからねっ!
〈用語解説〉
・「ポララベーカリー」
東西南北で区分けされた四区の内、西区に居を構えるパン屋。
パン屋としての評価は高く、周辺住人に愛される知る人ぞ知る名店。しかし最近は人相の悪い客が増えている傾向が見られる。
・「兄っていう尊厳」
元からそんなものない。