第30話 世界で一番楽しい生き方を知る社会不適合者
第一章完結。近日中に第二章開始。
朦朧と灯る提灯、骨の髄まで染み入る熱気、全身にこびりつく煙草の匂い。
今年めでたく二十歳になる俺、ココロ・ポララは、知る人ぞ知る都会の隠れ家で136枚の牌を使うお遊戯、平たく言えば麻雀に興じていた。
さらに状況を補足するなら、今日の俺はとんでもなくツイていた。
「メンピンツモ、赤オモウラ。6000オールは4000両。終了だな」
レートはデカリャンピンのチップ2000エン。
僅か三巡でテンパイ、そして二巡後にこの跳ね満和了だ。
厳密に言えばこれだけで収支が確定するわけではないのだが、たった五分程度、この一和了で軽く4万エンは稼いだことになる。
こうなるとチマチマ働くのが馬鹿らしくなるな。
俺は「がはは」と景気よく笑いながら、ふと気になって雨戸で塞がれた窓を見るが、微かに光が漏れ出ていることに気付く。
おう、もう朝じゃねーの。昨日は夕方から打ち始めたから、半日近く打ちっぱなしだったことになる。いわゆる徹マンだ。
そして俺が窓を見たのを帰宅希望の意だと勘違いしたのか、同卓している三人の社会不適合者が雀卓に身を乗り出し、怒濤のように言う。
「泥舟~。まさか帰るなんて無粋なこと言い出さないよな~?」
「さあ、次の半荘いこうぜ。やっと席が温まってきたとこだしよ」
「目が冴えて眠れねンだわ。おねんねできるまで付き合ってくれよ泥舟ぇ」
こいつら……負け分を取り返すまで帰さないって目をしてやがる。
だが、売られた喧嘩は買うのが北区流だ。取り返しが付かないほどヘコませて、こいつらの方から帰りたいって言わせてやるよ。
「上等だコラ。こうなったら半端には終わらせねぇ。この四人の内、金を持って賭場を出られるのはたった一人だけ。もちろんそれは俺、ココロ・ポララだがね」
「いや俺だ」
「寝ぼけてんのか? 俺だ」
「てめーら全員顔洗ってこい、俺だろ」
そうして俺俺俺俺と各自意気込みを語る中――雀荘の扉が勢いよく開かれた。
瞬間、この場にいる全員が音を置き去りにするような速さで扉に注目する。
……ちょっと待て、見たことあるぞこの流れ。勘の良い奴に至っては既に椅子から腰を浮かせて逃走しようとしている。
しかし、扉が開いてから3秒経った今も尻に火を付ける奴は一人もいない。
それもそのはず、扉を開けたのは世界最強の公務員ではなかったからだ。
「ココロっ! この馬鹿アホ社会不適合者! 今日は学府で訓練する日でしょ! 今何時だと思ってんのよ!」
ナルナ・ジオライト。世界一の踏破者育成施設であるアドレ魔導学府に通う学生で、俺が面倒を見ている生徒の一人だ。
ナルナは怒りも露わに大股でフロアを横断、俺がいる卓までやってくる。その間に雀荘はジャラジャラといつもの喧噪を取り戻していた。
「あー? 何時って……6時くらいか? 集合は正午だろ?」
「まあ6時くらいだよな」
「いや、もしかして7時回ってんじゃないか? まあ8時は絶対にない」
「じゃなきゃ計算が合わない」
「なんの計算よ……もう13時! 午後よ午後よ!」
ナルナの指摘にギョッとしたのは俺たち四人だけではない。周囲でジャラジャラしていた社会不適合者たちも「マジかよ!」と騒いでプチパニックになっている。
「本当なんなのこの空間……もうっ! 行くわよココロ! ほら立って!」
椅子に座る俺の手を掴み、力尽くで立たせようとしてくる。
しかし半日以上掛けて根を張ったんだ、俺はびくともしない。そして卓を囲む四人揃って不敵に笑う。
「今良いところなんだ。もう少ししたら行くから待っててくれ」
「ナルナ嬢、わりぃがここは引いてくれや。賭博師魂に火が付いちまったんだよ。この燃え盛る火を消せるのは勝利の美酒だけなんでね」
「火にアルコール注ぐとか馬鹿か。消えるどころかフランベじゃねーか」
「こっちはもう200万溶かしてンだわ。300万勝つまで止められねンだわ」
怒濤のように繰り出される言い訳の数々。この四人なら、きっと、世界が終わるまで言い訳は溢れてくる。そんな気がした。
「あのね、あんまり舐めたこと言ってるとレイに言いつけるわよ?」
瞬間、スッと真顔になった俺は立ち上がる。半日掛けて張った根は消し飛んだし、言い訳はもう溢れてこなかった。同卓していた三人も真顔で立ち上がる。
「やっぱ人間、日の光を浴びなくちゃな。続きはまた今度だ」
「おら、収支表はトップが保管しとけ。無くしたら帳消しだかんな」
「今なら泥のように眠れる気がする……」
ということで解散である。お天道様の光を頑なに拒む雀荘を出て、外へ。
「うっ……」
途端に目に刺さる聖なる光。徹夜明けの社会不適合者にとって陽光は害でしかない。冗談抜きで目を開けるのが辛い、頭がクラッとする。
「しゃっきりしてよ。ほら、手を引いてあげるから」
「おお。マジで助かる」
そうして、ナルナに手を引かれて歩き出す。
基本的に北区は夜の街だが、昼にもそれなりの人出はある。しかもほとんどが顔見知りだ。すれ違う度に「泥舟~」と絡まれるが、先導するナルナが「また今度ね」と言って軽くあしらってしまう。
「そういや、どうして俺の居場所がわかったんだ?」
「その辺を歩いてた人に聞いた。そしたら案内してくれたわよ」
「なんでどいつもこいつも俺の居場所を把握してるんだよ……」
「そりゃココロは有名人だしね。そんなココロを迎えに来てるせいで私も有名人よ。次、約束の時間まで遊んでたら問答無用でレイに報告するから」
「……はい」
例のパン教室が切っ掛けとなり、ナルナとレイちゃんは気安い友人になった。俺の知らない所で一緒に遊んだりもしているらしい。
レイちゃんはガチのガチガチで友達が少ないから、同年代で同性でもあるナルナが友人になってくれたのは素直にありがたいのだが……俺の反社ムーブをつぶさに報告するのはマジで勘弁してほしい。
「……ねえ。そんなに賭場とかで遊ぶの楽しい?」
「そりゃ楽しいよ。じゃなきゃ半日以上も卓なんて囲んでない」
「ふーん……」
そのやり取りを最後に会話が途切れる。
しかしナルナが俺の手を離すことはない。黙々と歩き続けて北区を出て、中央区を経由、そしてアドレ魔導学府の正門前に辿り着く。
たった一人の寂しがり屋によって創設されたアドレ魔導学府は、無制限の死が許された世界一の踏破者育成施設だ。この門の外と内は別世界と言って良い。
それゆえに足を踏み入れるには相応の覚悟が必要だが、さすがにもう慣れた。
俺は特に気負うことなく正門を通過しようとする……が、俺よりも学府には通い慣れているはずのナルナが立ち止まってしまった。
当然、手を引かれたままだった俺も立ち止まる。
そして俺は、神妙な面持ちのナルナを正面から見据えた。
「急に立ち止まってどうした?」
「……ココロはさ、エルリラ学長との賭け、勝ちたいって思ってたでしょ?」
「閣下との賭けか? そりゃまあ、勝ちたいと思ってたさ。納得して賭けてたとは言え、負けたら学府で一生ただ働きだったからな」
「……それなら、私たちの教官をするのも嫌じゃない? 今だって私、楽しそうに遊んでるところを邪魔して、こうして無理矢理連れてきたでしょ」
……ああ。急に何を言い出すかと思ったら、そういうことか。
論点のズレた指摘ではあるが、そもそも今日に関しては集合時間を忘れて遊び呆けていた俺が完全に悪い。ナルナが気に病む必要は皆無だ。
でもやっぱり、ナルナが聞いてるのはそういうことじゃない。
ナルナ自身が望む未来と、俺が望む未来が相反していないかが心配なのだ。
しかし、そんな“無駄”な心配をしていたら訓練にも身が入らないだろう。
ここは一つ、教官として生徒を教え導いてやるとするかね。俺はナルナに手を引かれた状態で軽く肩をすくめ、おどけるような調子で言った。
「確かに北区で遊ぶのは楽しいさ。超楽しい。今日だってナルナが迎えに来なきゃ世界が終わるまでジャラジャラしてただろうよ」
「じゃあやっぱり、」
「だけど」
俺は力強い一言でナルナの発言を遮り、頑なに俺と目を合わせようとしないナルナの頭をガシガシと撫でた。繋いだままの右手と撫でる左手、大忙しだ。
「今は北区で遊んでるよりも、ナルナたちと一緒にいる方がずっとずっと楽しいよ。安心しろ、俺は〈遙かな旅〉の教官を辞めたりなんかしない。約束しただろ?」
ここでようやく、俯きがちだったナルナが俺の目を見た。
しかしまだ言葉が足りないようだ。20階層の踏破中に見せてくれた、感嘆するほど美しい“あの目”になっていない。疑念が強い意志を曇らせている。
「……じゃあなんで、訓練の集合時間になっても遊んでるの? 私たちの教官をしてるより、北区で遊んでる方が良いんでしょ? それがココロが本当に望むことなら、私……」
集合時間を忘れてたことに関してはぐうの音も出ないが……ま、まあ、この手の疑念はいずれ何らかの形で結実してたはずだ。
それを解消してやるのが今日だった、それだけのことだ……。
「それなら、これからもナルナが俺を迎えに来いよ。そんで説得すれば良い。賭場で遊ぶより、私たちと一緒にいる方がずっとずっと楽しいよって。そしたら今みたいにナルナに手を引かれて、どこへでも一緒に行ってやるからさ」
俺は社会不適合者だ。世間様に褒められる日々を送ってるわけじゃない。
しかし、だからこそ「楽しい」という感情にどこまでも素直でいられる。そんな俺が〈遙かな旅〉と一緒にいる方がずっとずっと楽しいって言ってるんだ。
それがナルナが望む未来でもあるなら、もう心配する必要はないだろ?
「……そう。わかった。これからはどれだけ嫌だって言っても、無理矢理連れて行くからね。でもとりあえず、今日はもう目的地に着いたわよ!」
ナルナは繋いでいた手を離し、弾むような足取りで学府に足を踏み入れる。
そして強い意志という概念が形になったような目で俺を見つめて、言った。
「今日も今日とて教官をお願いね、世界一の魔法使いさん! 私を世界で二番目にすごい魔法使いにしてくれるまで、嫌でも付き合ってもらうんだから!」
ああ。そんな楽しそうなこと、社会不適合者の俺が付き合わないわけないだろ?
〈用語解説〉
・「社会不適合者」
何らかの事情で社会に適応できない人々の総称。
そしてココロ・ポララは、いわゆる常識人からすれば「くだらない」の一言で切り捨てられる“こだわり”を貫いた結果、社会不適合者になった。
はっきり言って健全とは言いがたい日々を送っているが……それと同時に、世界で一番楽しい人生を歩んでいるという自覚もあるから、ココロ・ポララは、今後も社会不適合者であり続けるだろう。