第28話 ファンタジア・パラダイムシフト!・前編
〈遙かな旅〉に課せられた20階層踏破の課題、その期限日がやって来た。
今日は〈遙かな旅〉の処遇が確定する日であり、俺と閣下の運命賭博の勝敗が決まる日であり、勘違いから紡がれた数奇な運命に決着が付く日でもある。
現在地は次元塔の20階層、その入口とも言える転移陣のすぐ近く。
〈遙かな旅〉の三人は試験官として派遣されたゴスロリさんと相対し、試験の最終確認をしている最中だ。俺は少し離れた場所からそれを見守っている。
「試験の達成は〈遙かな旅〉のクラスタメンバーの過半数、つまり今回は二人以上が生存した状態で20階層を踏破すること。失格は全滅か棄権宣言が確認された場合。さらに試験中に外部からの補助が確認された場合も強制失格となります。他に何か確認しておきたいことは?」
「ありません」
「大丈夫ですわ」
「よろしくお願いします」
試験の内容は事前に通達されていたことだ。三人は逡巡することなく了承し、それを確認したゴスロリさんは然りと頷く。
そして、手を打ち鳴らし試験の開始を告げた。
「ではこれより〈遙かな旅〉の在学認定試験を開始します。以上」
この試験に伴う「結果」を考慮すればあっさりと言う他ない開始宣言だったが、三人の反応もあっさりしたものだ。
ナルナが「行くわよ」と軽く音頭を取り、三人は転移陣を離れ深い森に踏み込んでいく。その歩みに迷いは一切見られない。
そしてナルナたちの背中が森に遮られ見えなくなった後、俺の近くにある茂みから閣下がひょっこりと頭を出した。
「見送りの言葉は良いのかい? 賭けにはもちろん勝ちたいけれど、だからと言ってココロ君たちに不利な裁定をするつもりはないよ。慣例として、試験の開始直後に声を掛けるくらいは認められてる」
ここ20階層へは俺とゴスロリさん、そして〈遙かな旅〉の三人を足した計五人だけで転移してきた。つまり閣下は後追いでの合流だ。
そして通常、「別々に転移して後から塔内で合流する」という行為は次元塔の構造上ほぼ不可能だが、こと超元者に限れば話は別。超元者には様々な特権が与えられているため後追いの合流が可能となっている。
「そもそも、今日顔を合わせてから一言も話してないらしいじゃないか。もしかして仲違いでもしたのかい?」
現在地は次元塔だが、本日の集合場所は学府、教室棟の一室だった。そこで関係者全員が合流した後に次元塔に移動、というのが今に至るまでの流れだ。
そして、俺が教室に到着した時点でナルナたちも教室に勢揃いしていた。
俺ですら時間に余裕を見ての到着だったから、ナルナたちはそれこそ朝一にでも集合して20階層踏破の打ち合わせをしていたのだろう。
だから、話す時間は十分にあった。
昨日一昨日は何をしていたのか? という疑問。
そして何より、俺とナルナを巡る運命について。
だが、何も話さなかった。
三人には俺と話をする気がないと一目でわかったからだ。
三人は教室に入ってきた俺に一瞬注目したものの、すぐにプイッとそっぽを向き、わざとらしく無視の態度を見せつけてきた。
それはまるで、ちょっとしたことで拗ねた子供が親のことを無視するように。
“今”は話す気がないが、拒絶しているわけではない。
そう主張していることは、一目でわかった。だから、大丈夫なんだなと思った。
「俺はもう信じて待つって腹を決めたんでね。それより閣下こそ忙しいんじゃなかったのか? 試験の判定はゴスロリさん一人で十分だと思うが」
「ふふふ。今日は大事な日だからね。仕事の予定は全部キャンセルした。だから思う存分ココロ君と一緒にいられるよ。さ、後を追おうじゃないか」
そう言って閣下は俺の右腕にぴったりとしがみつく。
堂々たるカップルの振る舞いだ。そんな俺たちの後ろにゴスロリさんが控えているというのが極めてシュールである。
まあ、この面子なら多少ふざけていても魔物に勘付かれることはない。
そして閣下とはかなりヤバめな賭けをしているが、それはそれ。世界レベルの美人さんに慕われて悪い気はしないから無理には引き剥がさない。
「それで教官様の見立てはどうなんだい? 三人は20階層を踏破できそう?」
「さあ? 俺もわからん。少なくとも一昨日の時点では厳しいって感じだったから、20階層を踏破できるかどうかは三人がこの二日間で何をしていたかによって決まるだろうな」
今20階層にいるということは二日間のどこかで19階層を踏破したのだろうが、その他、ナルナたち〈遙かな旅〉が何をしていたのかは予想が付かない。
だが、サラは信じて待ってほしいと言った。だから俺は信じて待つだけだ。
次に言葉を掛けるのはこの試験が終わった後、結果がどうであれ「良くやったな」と、そう言ってやれば良い。それが教官としての最後の仕事になる。
「お。早速来たね」
慎重に森を進む三人に迫る影、ピオンの群れだ。数は四。茂みから飛び出てくるや、三人を取り囲むように展開しつつ低い唸り声を上げる。
「それじゃあ仕上がりを見せて貰おうかな」
「ああ、俺の生徒の活躍を好きなだけ見ていくと良い」
そして、戦闘が始まる。
口火を切ったのはアルゥだ。茂みから音もなく矢が放たれ、一匹のピオンの腹に突き刺さる。強烈な一撃ではあるが致命傷ではない。
しかし動きを止めるには十分だし、一瞬ではあるが群れ全体の意識も茂みに集中する。前衛が好き勝手に動ける空白時間だ。
「はっ!」
まるで狙撃のタイミングがわかっていたかのようにサラが踏み出し、矢が刺さり動きが鈍った個体の首に致命傷を負わせる。これで一匹。
「後ろ!」
射出魔法の狙いを定めようとしていたナルナが咄嗟に叫ぶ。
何の捻りもない。サラの背後から別の個体が飛びかかっている状況だ。
いつものサラなら反応が一拍遅れて手傷を負わされていただろうが、ナルナの注意が活きた。サラは剣を構えながら最小限の動きで振り返る。
「はあっ!」
そして、振り返るのと同時に飛びかかってくるピオンを一閃した。顔面に深い裂傷、一撃だ。二の太刀は必要ない。
一連の動き、〈遙かな旅〉の人数と役割を考えれば完璧な立ち回りだ。学府が世界一の踏破者育成施設であると証明する動きだったとも言える。
「なんだ、聞いてたより全然動けるじゃないか。この立ち回りがまぐれじゃないなら通常個体は敵じゃないだろうね」
「みたいだな。いや、俺もびっくりだわ。俺が最後に見た時よりだいぶ動きが良くなってる。俺と別れた二日間に何かあったんだろうな」
動き自体もそうだが、何より連携の精度が段違いに向上している。
サラが動いたのはアルゥが矢を射ったのとほぼ同時だし、ナルナの注意に対する反応が正確で早い。
無論、同じ面子で訓練を重ねていればある程度の連携は身につく。
しかし俺が最後に見た〈遙かな旅〉にはこれ程の連携力はなかった。もちろん声掛けはしていたが、そこには必ず多少のタイムラグがあった。
つまり、互いが互いの感覚を共有しているようなこの連携力は、たったの二日で修得したことになるが……そうか。本当に、革命が起きたんだな。
おそらくこれは、訓練によって身についた連携ではない。
全員が“共通の目標”に意識を重ね合わせたことで生まれた精神的な連携。
つまり、20階層の踏破を目指す今だけの神懸かりと言って良い。
「ふむ。今の彼女たちなら学府でやっていけると思うし、僕はその学府の学長なんだけれど、それでも僕はこの試験が失敗で終わってほしいと考えていてね。ここは階層主を応援させてもらうよ」
「そりゃあいつらが20階層を踏破したら閣下は酒代で破産するからな。俺が閣下の立場だったら階層主に熱烈なエールを送ってただろうよ」
階層主とは、10の倍数の階層にだけ出現する特別な魔物だ。基本的にはその階層に出現する魔物の強化体であり、別名で「統率個体」とも呼ばれる。
そもそもの話。
次元塔の踏破とは転移陣から上階層への転移陣に移動することであり、魔物を無視して走り抜けることができれば階層踏破自体は可能だ。
しかし踏破者が次元塔を踏破する最大の理由は、魔物を倒し各種資源を獲得するためだ。基本的に走り抜けは本末転倒の行いと言える。
それに百歩譲って今回のように踏破自体に意味があったとしても、そう上手く事が運ばないようになっている。
それが階層主だ。
通常、転移陣の設置場所は決まっているが、10の倍数の階層だけは特別仕様、階層主を倒した地点に上階層への転移陣が展開されることになる。
つまり走り抜けもクソもない。転移陣に辿り着くには必ず階層主と戦う必要がある。だからこそ学府も20階層の踏破を課題に設定したのだろう。
「二日前とは見違えるように成長してるって話だけど、それじゃあ改めて聞こうかな。三人はこのまま階層主を倒せると思う?」
閣下は超元者だ。凡人とは全く違う景色を見ている。
ましてやアドレ魔導学府という踏破者育成施設の学長を100年以上務めてきた。“踏破者”としての力量を把握する観察眼は俺と同等かそれ以上だろう。
だから、当然わかっている。
今の〈遥かな旅〉では階層主を倒すのはかなり厳しいということを。
階層主はそれ自体が強力な個体だし、何より統率個体という別名通り通常個体を率いていることが多く、群れの動きをより高度に昇華させることができる。
つまり、今ギリギリで通用しているという状況の場合、階層主の出現と共にパワーバランスが逆転してしまう。
「まあ確かに、今のままじゃ厳しいかもな。階層主に指揮されたピオンは中々の脅威だ。特に、今まで放置され気味だった射手が真っ先に狙われるようになる。アルゥが潰されたら〈遙かな旅〉もお終いだろうな」
俺の返事を聞いた閣下はしてやったりというように笑う。
どうせ考えていたことは同じだろう。俺と閣下は超元者。踏破という一事において、俺と閣下は同じ景色を共有する事ができる。
ただ、閣下。同情するぜ、景色を共有した相手が悪すぎたよ。
確かに俺がただの超元者なら、今頃閣下に対して「ずっと一緒って話っスけど、せめて完全週休二日でお願いしまっス!」と交渉を試みていただろう。
しかし俺は超元者であると同時に、“そんじょそこらではお目にかかれない上質な社会不適合者”なのさ。
今俺がイメージしている景色を共有したいなら、まずは北区色に染まらなければならない。それは閣下が見たことも想像したこともない世界だ。
でも、お前たちは違うだろ? 19階層の踏破に失敗したあの夜、お前たちはココロ・ポララという人間が見ている世界に触れた。
「……なんで笑っているんだい?」
「ん?」
言われてから気付いたが、確かに俺は笑っていた。まあ笑うと一言で言っても色々あるが、自然と口角が吊り上がっていたようだ。
人が笑うなんて珍しくもない話だが、それでも閣下は理解できないものを見るような目で俺を、そして俺と同じように笑うナルナたちを交互に見比べている。
「仮に今から賭けをし直すとしても、僕は20階層を踏破できない方に賭ける。それなのに……踏破できる方に賭けている君も、僕に踏破できないと思われているあの子たちも揃って笑ってる。……君たちに何が見えているのか、理解できない」
理解できない、か。そんな悲しい顔で言われちゃしょうがない。
仮にも同じ超元者のよしみだ。ここは一つ、レイちゃん仕込みのこの世の真理って奴を教えてやるとするかね。
「閣下。俺たちは未来を透視できるわけじゃないんだ。だから未来のことを語るのに、絶対ってことはあり得ないんだぜ?」
「……つまり?」
「たとえ勝率が1%未満だったとしても、そこに勝つ可能性ってもんがあるなら、俺たち社会不適合者は勝ちを想像して笑うことができるんだよ」
さあ、20階層の踏破は始まったばかり。
俺の弟子なら、勝率なんて1%もあれば十分だもんな。
〈用語解説〉
・「在学認定試験」
アドレ魔導学府において、成績不振の学生に課せられる次元塔踏破の試験。基本的には退学か在学かを決定するために課せられる。
しかし退学は最大級の懲戒処分であり、在学認定試験が課されることは稀。
〈遙かな旅〉については、もちろん成績不振という大前提はあるが、教官の指導を無視してこだわりを貫こうとしたことが試験を課された最大の理由と言える。
・「勝率が1%未満」
これを高いと思うか低いと思うかは人それぞれだが、鉄火場の熱で脳髄まで煮え滾った社会不適合者からすれば、運命を託すのに十分な値。