第22話 聖域と運命
「今日はこれから座学だ」
教官生活四日目、もはや溜まり場となりつつ校舎裏で車座を囲んでいる。事あるごとに囲んでるからな。三人も慣れた様子だ。
「まあココロが言うなら従うけどさ。座学と言っても何するの?」
「朝に掲示板で見掛けたんだが、このあと多目的ホールで20階層踏破のための講習会が開かれるらしい。自由参加らしいからちょっとそれに出てこい」
講習会とは、特定の階層踏破に特化した勉強会だ。もちろん対象は20階層だけでなく、時には生徒からの要望を聞き入れて開催することもあるらしい。
俺が座学の内容を説明すると、三人は内心を伝え合うように顔を見合わせる。
顔を見合わせるほどの発言をしたつもりはないぞ……と溜息をつくと、ナルナが顔を見合わせた理由を説明してくれた。気まずそうな表情で言う。
「確かに講習会は有益だと思うけど……20階層の講習会なんて基本的には一年向けで、私たちみたいに二年で参加する奴なんてほとんどいないわよ」
まあ、二年の平均踏破階層は27階層だ。20階層なんて踏破してるわな。
しかし〈遙かな旅〉が20階層を踏破できていないのは紛れもない事実。恥ずかしいからイヤだなんて贅沢を言える立場ではない。
「いいから出てこいって。それにただ参加してくるだけじゃねーぞ。講習会が終わった後、各自15分程度で俺に講習会の内容を説明してもらう」
「なるほど。他人に説明するにはより深い理解が必要、ということですか」
「そんなところだ。一番お粗末な説明をした奴には罰ゲームを予定してるからな。講習時間は90分らしいから、終わったらここに再集合。さあ行った行った」
追い立てるように手で払って見せると、観念したのか三人は立ち上がり校舎裏を去って行く。
そして全員の背中が完全に見えなくなった後、その人物が音もなく俺の前に現れた。後ろ暗い人生を歩んでこなければまず身につかない歩法だ。
「――てことで良いんですよね?」
「はい、望外です。本日はこちらのわがままを聞いて頂き、誠にありがとうございます。それでは早速案内いたします、どうぞこちらへ」
俺に学府のなんたるかを叩き込んでくれたゴスロリさんである。
本日は淡いパステルピンクのゴスロリだ。好きな服を着るのに年齢制限はないと思うが……この人、たぶん裏稼業の人だからなぁ。ドーターズのメイド部隊もそうだが、過酷な職務に身を投じてると反動があるのだろうか。
そんなことを考えながらゴスロリさんに先導され――辿り着いたのは職員棟の一室、扉の上部に埋め込まれているプレートには「学長室」と刻まれている。
つまり、そういうことだ。
――本日朝、俺が学府に足を踏み入れると同時にゴスロリさんが現れ、「エルリラ学長に会ってほしい」と頼み込んできた。
当然、月明かりに照らされたナルナの笑顔が思い浮かんだが……今ナルナとエルリラ学長を会わせると致命的なまでに話が拗れてくる。下手をしたら20階層踏破にも悪影響が出かねない。
だから「〈遙かな旅〉の三人を隔離してくれるなら会ってもいい」と提案したところ、「学府最高峰の指導員を用意して20階層踏破のための講習会を開く」とのお返事を頂く運びとなったわけだ――
「サーサリアです。ココロ様をお連れしました」
「入って」
反射的に返ってくる入室の許可。
この扉の先にいるのが想像通りの人物だとすれば、職員棟に足を踏み入れた時点で俺たちを補足していたはずだ。そりゃ返事も早くなる。
「どうぞ、お入りください」
そして、ゴスロリさんの手によって重厚な扉が開けられる。
広い空間、執務机、応接用ソファー、カーペット、本棚、調度品、などなど。
様々な情報が一挙に視界に飛び込んでくるが――最も存在感を放っているのは、執務机の椅子に座る20代前半に見える女性。
人類史上、初めて次元塔の完全踏破を成し遂げた英雄、エルリラ・アドレだ。
エルリラ学長もまた俺を認識し、ニコリと最高の笑顔で歓迎してくれた。
「よく来てくれたね。ココロ君とは一度、落ち着いて話がしたかったんだ。こう見えても忙しい立場で、面を通すのが遅れてしまったことはお詫びしたい」
「……いえ、お気になさらず」
俺もエルリラ学長には確認しておきたい話がある。まずはこの場を設けてくれたエルリラ学長に主導権を委ねるが、確認の質問は必ずさせてもらう。
「僕とココロ君の仲だ。さ、遠慮しないでソファーに掛けて。サーサリア、お茶を淹れてくれるかい? もちろんとっておきの茶葉をお出ししてね」
「かしこまりました」
……僕とココロ君の仲って何だよ。まさに今が初対面だぞ。とはいえここで反発する意味はないし、俺は「ははは」と愛想笑いを返しながらソファーに座る。
「えーと。それでお話とは? やっぱり特任教官の件ですかね?」
「言っただろう? 敬語の類いは一切必要ないよ。普段通りのココロ君で良い。これから込み入った話をするからね。自然体自然体」
「……っス」
な、なんだこのグイグイ感は。エルリラ学長はとんでもないレベルの美人さんなので親しげにされて悪い気はしないが、これは人違いの可能性が出てきたぞ。
「それでは軽く自己紹介と洒落込もうか。僕はエルリラ・アドレ。これでも人類史上初の超元者で、100年近くの歴史を持つアドレ魔導学府の創設者であり現学長でもある。つまり御年100歳超えだが、好きなように呼んでくれて良いよ」
超元者とは、次元塔の完全踏破を成し遂げた者に送られる称号だ。つまり公式で超元者を名乗れるのはエルリラ学長ただ一人ということになる。
「さっきも口走ったけれど最近は特に忙しくてね。無能な政治家どもが分校を作れって忙しいんだ。信じられないだろう? 学府は僕の聖域魔法あっての施設であり、聖域魔法の複数展開はできない。そこで笑い話なのがね、」
「エルリラ学長。話し過ぎです。自己紹介の範疇を超えています」
お茶を淹れ終えたサーサリアさんが学長サマの話を止めてくれる。助かった。こっちもそろそろ愛想笑いも辛くなってきたところだ。
「おっと。つい興が乗りすぎてしまったようだね。それでは次はココロ君の番だ。どうぞ、好きなだけ話してくれて良い」
「……っス」
いやこれ、普通に自己紹介してもいいんだよね?一発芸とか求められてないよな? 不安になった俺はきょろきょろと周囲に視線を向けるが、助けはない。
……仕方ねえ。俺は意を決し、とっておきの一発芸を胸に秘めながら口を開く。
「ど」
「ココロ・ポララ。王都生まれ王都育ちの19歳。現在は家族四人でポララベーカリーを経営中。非合法な裏賭場に入り浸ることが多いが重大犯罪への関わりはない。そして何より、私に続く人類二人目の超元者だが、最近は踏破業とは関わりの薄い生活を送っており超元者であることは一部にしか知られていない、と」
……え? なに、なんなの? 普通に背筋がゾクッとしたわ。
まあ、どこの馬の骨とも知れない輩が学府を彷徨いてるんだ。百歩譲って、俺の素性を探ってるのは予想してたし好きにすれば良いと思ってたさ。
でも普通そういうのって本人の前では知らぬ存ぜぬを通すのが筋だし、何より自己紹介してくれって促した三秒後にこれだよ? もしかして学長サマって自己紹介の進め方を知らないかな……?
俺が困惑していると、それを察してくれたゴスロリさんが執務机の前に立ち、エルリラ学長からの熱烈すぎる視線を遮ってくれる。
「申し訳ありませんココロ様。エルリラ学長は大変興奮しておりまして、通常の会話すら成立しない状況です。私から説明してもよろしいでしょうか?」
「あ。お願いしまっス」
先進工房がクウェル直伝、「っス語法」で精神の安定を図る。っス語法は知能レベルが極端に下がる代わりに状況への適応力が上がるのだ。
「ココロ様からすれば唐突でしょうがお聞きください。ここアドレ魔導学府は100年以上の歴史を持ちますが、未だかつて創設者の、つまりエルリラ学長の悲願が成し遂げられたことはありません。ココロ様、その悲願が何かおわかりですか?」
学府の校是は優秀な踏破者を輩出すること。そして、今までの100年を振り返れば優秀な踏破者はそれなりに輩出してきたはずだ。
それでも「悲願が成し遂げられたことはない」と言うのであれば、答えは一つ。
「エルリラ・アドレに続く超元者の誕生、っスか?」
「っス」
……いやー。見た目はキツいけどゴスロリさんとは気が合うんだよな。打てば響くと言うのか。会話そのものが小気味良い。今度一緒に飲んでみたいもんだ。
「エルリラ学長はこの100年間、文字通り全てを賭して学府を運営してきました。私財、人脈、そして何より超元者にだけ授けられる超元魔法、全てです。しかしそれだけ尽くしても、エルリラ学長に続く超元者は誕生しなかった」
次元塔は階層を踏破していく毎に超元言語を修得していくことになるが、各階層で修得できる超元言語は決まっている。この内容や順番を変えることはできない。
しかし、最上階である100階層だけは特別。
ありとあらゆる苦難を退け、100階層に至ることができた踏破者は、【不老】の権利と、【望む超元言語】を次元神より授かることができる。
そして約100年前、後にアドレ魔導学府の創設者となるエルリラ・アドレは、【死んでも蘇る魔法】の下賜を次元神に願った。
その結果に授けられたのは、生命の在り方すら変えてしまう【聖域魔法】であり――無制限の死が許される学府は、世界一の踏破者育成施設となった。
「つまりココロ様。貴方様は、エルリラ学長が待ち焦がれた100年の悲願そのものなのです。いよいよ話が通じなくなるのはこの後ですよ。どうか今一度、ココロ様に下賜された超元魔法を行使していただけないでしょうか?」
「あー。超元者である証明ってやつですか?」
「はい。エルリラ学長の前で改めて見せて頂ければと」
「ふむ……」
エルリラ学長が下賜を望んだ【死んでも蘇る魔法】とはつまり、【次代の超元者を育て上げるための魔法】だ。
無論、本人なりに超元者を育てたい理由があったのだろうが、結果的には世界一の踏破者育成施設という形で世界に貢献を果たしている。
しかし俺が授かった超元魔法は、徹頭徹尾俺、俺のためだけの魔法だ。
もちろん使いようによっては世界に貢献できるのかもしれないが、少なくとも俺は、俺以外の誰かのために使うなんてことは一切想定していなかった。
だから、世界中から尊敬される超元者様にお見せするのはお恥ずかしい限りなんだが……まあ、社会不適合者としては「だからこそ!」って考え方もあるな。
「わかりました。他でもないゴスロリさんの頼みですからね。んじゃそういうわけで、さあさあお立ち合い。究極って概念の無駄遣いをとくとご覧あれってね」
前回ナルナたちの前、つまりゴスロリさんが見ている前で顕現させたのはコインだったから……今回は。
俺は右の手の平をよく見えるように差し出し、究極の魔法を行使する。
「【Mirisphere】【MIRISREALIO】」
俺が次元神に下賜を望んだ超元言語は【Mirisphere】、意味は【運命】。
つまり、俺は運命を操ることができる。
どこからともなく湧き出した光の粒子が俺の手の平に凝縮していき、最後には一つ、透明なサイコロを形作る。信じられないだろうが、これが運命そのものだ。
「とまあこんな具合っスね。顕現できるのはコインやサイコロだけじゃなくて、トランプとか麻雀牌とか、とにかく勝敗が確定する物ならなんでもって感じ!?」
肝心要、運命魔法の顕現内容については最後まで説明することができなかった。
もはやそんなものはどうでも良いとばかりに、エルリラ学長が超越的な動きで俺に抱きついてきたからだ。
ゴスロリさんが前置きしたとおり、いよいよ話が通じなくなってきたな……。
〈用語解説〉
・「次元神」
次元塔、およびこの世界を創造したとされる神。
それらしき存在は太古から示唆されていたが、約100年前、エルリラ・アドレが次元塔の最上階に辿り着き、邂逅を果たしたことで存在が確定した。
・「超元者」
次元塔の全階層を踏破し、次元神と邂逅を果たした者のこと。
・「超元魔法」
エルリラ・アドレが使用する聖域魔法のように、次元塔100階層にて次元神より直接下賜された特別な魔法の総称。
ただし現在公式で確認されている超元者はエルリラだけであり、超元魔法=聖域魔法という等式が成り立っている。