第12話 死力
「け、け、消しゴム!」
「虫!」
「し、心臓!」
「うさぎ」
紆余曲折あったものの、とうとう20階層踏破を目指す訓練が始まった。
と言っても今日はもう時間がない。武器や魔法の扱い、狙撃など専門技能を教えるのは明日からの予定だ。半端に取り組んでも気持ち悪いしな。
今は次元塔の11階層をしりとりさせつつ走らせている。ペースはそこそこ、もちろん俺もしりとりに参加しながら併走している。
学府の敷地で走ることも考えたが、死の可能性が低い訓練であれば本番に近い環境で行った方が良い。学府を使用するのは「うっかり」の可能性がある訓練だ。
「き、き、北風!」
既に30分くらい走らせてるが、良い意味で期待を裏切ってくれたのはナルナだ。
息切れしてる様子はないし、しりとりの方も好調。発言に詰まっているように見えてきっちりと自分のペースを保っている。前衛としては理想的だな。
「制服!」
アルゥに関しては予想通りと言ったところか。
体力は十分、しりとりも反射的な回答が続く。さらに魔物の襲撃を警戒しながら走っている様子で射手として申し分ない素質を見せてくれた形だ。
「くっ、はあっ、く、く、く、薬!」
そしてサラは……まあ、ある意味では予想通りの結果と言える。
他二人とは違って今にも倒れそうだ。しりとりの方も芳しいとは言えない。
体力が無くなってからは顕著だが、そもそも走り始めから解答のタイミングがバラバラだった。運動中の思考強度が貧弱だと言わざるを得ない。
「はい止まれー。薬は被りだ。ちなみにサラ本人の解答だぞ」
「だー!」
ただ走るだけじゃ面白くないので、しりとりにおける負け、および五秒以内に解答しなければその場でもも上げを20回することになっている。当然連帯責任だ。
ちなみに終わりはない。正確に言えば全員がぶっ倒れるまでこれを続ける。二週間以内に20階層の踏破を目指すなら必須のしごきと言って良い。
「体力がっ、大切なのはっ、わかってるけどっ、いきなりこれっ!?」
「いきなりこれだ。ちなみに明日以降の訓練でも一日の終わりにやってもらうぞ。体力を残したまま訓練を終えるとかありえないから」
もちろん体力の上限把握やその上昇という狙いはある。あるが、たった二週間程度じゃ体力の伸びなんて高が知れてる。
だから三人には体力とは別のエネルギー、死力って奴の引き出し方を当たり前の感覚として認識してもらう必要がある。
「も、もう駄目ですわ……」
もも上げを終えたサラが膝を屈し、それから前のめりで地面に倒れる。
無駄な力が一切感じられない崩れ落ちるような倒れ方、とどめに汗まみれの顔に土がべったり付いてる。見映えを気にする余裕もないんだろう。
体力なんて目に見えるもんじゃないが、これは出し切ったな。
となれば次は死力だ。体力を出し切ってからでなきゃ死力は絞り出せない。ここで踏ん張れなければ倒れるまで走った意味が消滅する。
「わかった。余力の有る無しなんて自己申告だからな。基本的にお前らの言うことは信じる。ただ一歩で良いから前に進め。そうしたら休んで良い」
「ぐ、わ、わかりましたわ……」
20階層踏破への高い志か、真っ先に脱落した負い目か。
サラは一言も文句を言わず、震える両腕を地面に突き立て、全身のありとあらゆる筋肉を総動員して無理矢理立ち上がった。
よし。立ち上がった後の走行距離なんてどうでも良いんだ。
体力を出し切った状態で立ち上がる。字面にすりゃ簡単そうに思えるが、そのたった一動作に人体の不思議が凝縮されてるって寸法よ。
……ちなみに、警らの連中はこの「死力」という概念を完全に会得している。
それは決して公にはできない警らの暗部、死んだ方がマシと言われる過酷な訓練の賜なのだが……まあ、たった二週間で警ら並になれと言うのはあまりに酷だ。
だから初回である今日は、限界状態からの立て直しというお手軽な方法で三人の本気度って奴を確認させてもらう。
「んじゃ再開すっぞー。『く』だったな。じゃあ鎖の『り』からで」
――結局、立ち上がったサラが前に進めたのは十歩ほどだった。
それからは動けないサラを小脇に抱えて二人に併走し、次に倒れたのはアルゥ。サラと同じやり取りを経て物理的両手に花……ではないが走り込みを再開。
最後のナルナも粘りに粘ったが、無限に走れるはずもなくダウン。やはり例のやり取りをしたが、ナルナは立ち上がった後の走行距離もそこそこ長かった。
以上が本日の訓練結果だ。
限界まで走り、そこから死力を尽くして立ち上がったのは素晴らしいが、やはり特筆すべきは全員が文句を言わずに完遂したことだ。
矢のようなやり取りで決まったことだが、一応は俺のことを「教官」として認めてるようだ。これなら明日以降の進行もそう苦労はしないだろう。
「よーし。そのままで良いから聞け。明日から本格的な指導を始めるわけだが、踏破者としての役職を確認しときたい。口をきける奴から自己申告してくれ」
役職に関しては、三人がピオンと戦っている場面を見物したので見当は付いてるが、今回の場合は本人の口から直接聞かせてもらうことに意味がある。
まず答えたのは体力を回復する余裕があったサラだ。汗の引ききっていない金髪を無理矢理なびかせ自信満々の様子で言う。
「私は前衛の剣闘士ですわ。この剣一本で次元塔の最上階に辿り着くと誓って踏破者になったのです。ですから私には剣技を中心に教えて頂きたいですわね」
「ふむふむ。ま、剣は一通り扱えるつもりだから安心しろ」
実剣の装備からして「剣」に並々ならぬこだわりがあるのは察してた。
そして、そのこだわりと実力が比例していないことも知ってるが、サラが剣にこだわりたいって言うならその意思は尊重するつもりだ。
それじゃ倒れた順に回復してると考えて、次はアルゥだな。目線で催促するとハッとした後に答えてくれた。
「僕は後衛の射手です。射手として至らない所はもちろんですが、その……踏破者としての心構え的な、そういうメンタル面を重点的に鍛えてほしいです」
「…………ああ、なるほど。そこまで言うなら、俺が立派な男にしてやるよ……」
「はいっ! よろしくお願いします! 押忍!」
「押忍押忍……」
アルゥに関しては希望する役職と能力が合致してる。
だからアルゥにはむしろ指導のサポートを頼もうと考えていたくらいだが、もしかするとアルゥの指導が一番厄介かもな……。
ていうか押忍ってなに? 男であることを主張してるの? もしそのつもりなら可愛すぎて逆効果だと言わざるを得ないんだけど……。
「最後はナルナだが、口きけるか?」
なにせナルナは三人の中で最後に、つまり今ぶっ倒れたばかりだからな。
大の字で仰向け、そして酸素吸引に執心のご様子なので口がきけるかは怪しいところだが、俺の質問に反応したナルナは息継ぎの間に音をねじ込んでいく。
「……ま……」
「ま?」
「魔法……私は、世界で、二番目に、すごい、魔法使いに、なる……」
言い終えるや否やナルナは気絶した。満足げな表情だ。本当に面白い奴だな。
気絶するまで動けたのが大したもんだし、気絶間際の発言も秀逸だ。なんだよ世界で二番目にすごい魔法使いになるって。そこ世界一じゃないの?
しかしまあ俺好みの自己紹介ではあった。
20階層踏破、ひいては「世界で二番目にすごい魔法使いになりたい」という意思がこれでもかと伝わってきた。自己紹介はこうじゃなくちゃな。
「何を目指してるかはまた別問題として、〈遙かな旅〉でのナルナの役職は前衛の魔闘士って認識で良いんだよな? できれば本人の口から聞きたかったんだが」
「ええ。ナルナさんが魔闘士、私が剣闘士、そしてアルゥさんが狙撃寄りの射手ですわ。しっかりと役割分担しているでしょう?」
「そうだな」
前衛二人に後衛一人。三人クラスタであることを考慮すればこれしかないという陣形だが……より深く踏み込むのは明日以降だな。
とにもかくにも本日の訓練は終了だ。明日もぶっ倒れるまで動いてもらうし休むべき所ではしっかり休んでもらう。
「これで今日は解散だ。俺は用事があるんで先に帰るが、二人はナルナが目を覚ますまで待機しててくれ。言っとくがこの二週間、俺の指示以上の訓練をするのはナシだ。休むのも訓練、帰れと言ったら素直に帰れ。良いな?」
「わかりましたわ。ナルナさんにも伝えておきます」
「おう。それじゃ明日は朝7時に学府の正門前に集合。お望み通り実技の稽古を付けてやるよ。朝飯もしっかり食って来いよー」
これで長かった一日がようやく終わる……とはならない。
明日のこと、そして20階層踏破に向けて根回ししておくこと。
やるべきことは山積みだ。一般人が寝息を立て始める頃合いが社会不適合者にとっての宵の口、まだまだベッドを惜しむには早い。
「さ、今日は始まったばかりだぞぅ……」
〈用語解説〉
・「魔闘士、剣闘士」
魔法を主体に立ち回る踏破者を魔闘士、剣を含めた各種武器を主体に立ち回る踏破者を剣闘士と呼称する。
しかし踏破業界では「魔法も武器も扱えて一人前」という認識であるため、特に魔闘士(もしくは剣闘士)と呼称する場合は「人並み以上に魔法(もしくは武器)の扱いに長けている」という意味で用いられる。
・「警らの暗部」
そんなものはない。王国警ら隊はいつだってキラキラ輝いてる。むしろ暗部があるように見えた君の目こそが曇っているんだ。その曇りを晴らす方法はただ一つ、太陽みたいに眩しいこのキラキラを間近で感じること! 王国警ら隊はいつでも君の入隊を歓迎する! 全ては王国万年繁栄のために! エストフィリア王国万歳!