第1話 魔法の世界の大革命!
本日中(07/22)に第3話まで更新予定。
朦朧と灯る提灯、骨の髄まで染み入る熱気、全身にこびりつく煙草の匂い。
今年めでたく二十歳になる俺、ココロ・ポララは、知る人ぞ知る都会の隠れ家でサイコロを転がすお遊戯、平たく言えば博打に興じていた。
この賭場で遊べる博打は何種類かあるけど、今遊んでいるのは丁半博打。
小さな壺で二つのサイコロを同時に振り、出た目の合計が偶数なら丁、奇数なら半。この二者択一を予想する博打だ。
「入ります!」
壺振りは威勢良く宣言し、サイコロ入りの壺を盆の上に伏せて置く。
その動きに連動して壺振りの隣に座る中盆、わかりやすく言えば賭場の進行役がニッと小汚い笑みを添えながらお決まりの煽り文句を口にした。
「さあ張った張った! 丁か半か! 丁か半か!」
中盆に煽られるまでもねえ、すかさず俺はぎゅーっと脳みそを絞り始める。
社会の底辺を這いずり回る俺ら賭博師は、強く、そりゃもう強く念じれば少し先の未来が見えると頑なに信じている。
だから俺は、そして雁首揃える他の社会不適合者たちも、盆の上に伏せて置かれた壺を凝視しながらぎゅーっと脳みそを絞るのだ……。
「ぐがががが……!」
現在、俺の財布に残っているのは1万エン強。
賭場に入った時には200万エン近くあったはずだから、大変残念ながら俺のお財布ちゃんは世のご婦人方垂涎の大減量を成し遂げたと言えるだろう。
さらに現実を直視するなら、この賭場のミニマムベットは1万エン。
つまりこの勝負に負けた場合は以後しばらく水と雑草だけの生活を余儀なくされ、俺自身も強制ダイエットに勤しまざるを得なくなる……。
しかしっ! この背水の陣が俺に天啓をもたらした!
絞りに絞った脳みそちゃんが「はふぅ……」と切なげな悲鳴を上げた瞬間、俺の脳内に明確なイメージが浮かび上がる!
「かっ! 見えた、丁で間違いねえ! この張りに俺の全てを賭ける!」
セルフ覚醒音と共に張りを宣言する。間違いない、丁で張れば勝てる。
世の識者とやらが求める科学的根拠なんてない。俺の薄汚れた賭博師魂と脳みそちゃんが丁だと囁いてんだ、これに乗らなきゃ賭博師じゃねえ……!
俺が血走った目で1万エンを所定位置に差し出すと、それに習うように他の社会不適合者たちも続々と張りを決めていく。
そして丁半の張りが良い具合に揃ったことを確認した中盆は頷き、大きな声で「整いました!」と宣言する。
もう後戻りはできない。お願いします博打の神様、慈悲を、この社会の底辺にお慈悲を。勝った金で孤児院か何かに寄付とかするんでマジ頼みます……。
「では、勝負!」
そして運命の壺が持ち上げられる――と同時に、賭場の扉が勢いよく開かれた。
瞬間、この場にいる全員が音を置き去りにするような速さで扉に注目する。
これはそう、あれだ。お天道様に顔向けできないことをしているという自覚あっての速さと言えるだろう……。
「王国警ら隊だ! 違法賭博の現行犯で拘束する! 全員その場を動くな!」
扉から雪崩れ込んできたのは、革製の軽装鎧と警棒を装備した屈強な男たちだ。頭数は四。踏み込んでくるや扉近くにいた社会のゴミどもを拘束しに掛かる。
「ずらかれぇ!」
状況を理解するために必要とした時間は一秒にも満たない。
声を張り上げた壺振りを筆頭とし、俺たちは弾かれたように立ち上がる。
この国で認められているのは認定カジノで行われている適正レートの賭博だけだ。高額、そして何より税金を納めていない裏賭場は摘発の対象である。
無論、俺とて豚箱の世話になるのはご免だね。
今まさに警棒でぶっ叩かれてる奴らは全員知り合いだが、もちろん助けになど入らない。逆の立場なら奴らも脱兎の如く逃げ出してたはずだ。
「そんじゃ、ってあぁ!?」
なにせ大捕物の真っ最中だ。注目を集めることが悪手なのは理解してるが、それでも衝撃の光景が目に入ったことで足が止まってしまう。
「ちょちょちょ、丁じゃん!」
警らが踏み込んできたのは壺が開けられたタイミングと同時だ。ガサ入れに注意が向いたから確認が遅れたが、出ていた賽の目は一、三の丁。
つまり今回の勝負は俺の勝ち、勝ち分を財布に収める権利があるってことだ!
「おい壺振りぃ! 見ろよあれ、丁じゃん! さっさと配当してくれや! そんで次の勝負を始めんぞ! この賭場の歴史上、最も熱い夜を演出してやるぜ!」
配当を行うのは中盆の役目だが、この緊急事態だ。
せっせと胴前を回収していた壺振りの肩を掴んで振り向かせると、壺振りは限界まで目を見開いて負けじと叫び返す。
「留置所を第二の我が家にするのも程々にしとけや泥舟ぇ! こんな状況で賽の目もクソもねえよ! 俺は手前と違って沈む舟で航海するつもりはねーぞ!」
大変不本意ながら俺はその筋の人たちに「泥舟」という名で知られている。
この通り名が定着した経緯については俺自身未だに納得はしていないが……まあ通り名ってのは周囲が決めるもんだ。受け入れるしかない。
「あ? ごちゃごちゃ言ってないで警らの四人くらいぶち転がして見せろや!」
言うまでもないことだが、警らにガサ入れされるような裏賭場を運営しているのはヤの付く筋者だ。荒事とは切っても切り離せない関係である。
それなのにこの逃げ腰と言ったらどうだ? せっせと胴前なんて回収してよ、出た目を蔑ろにするなんて壺振り失格だぞ。
「そこ、何をごちゃごちゃ言ってる! 大人しく投降しろ!」
壺振りとまごまごしてたせいで警らの一人に目を付けられた。すでに数人の社会不適合者をボコボコにした聖なる警棒が俺に向けられる。
「うるせぇ! お前らが踏み込んでこなければ俺の大逆転劇が始まるはずだったんだ! いやもうお前らで良いわ! 慰謝料寄越せやこらっ!」
「ちっ、これだから博打中毒は、大人しく眠れっ!」
生ゴミを見るような目をした警らが特有の歩法で俺に迫り、移動時の運動エネルギーを保持したままの警棒を振り下ろしてくる。
この勢い、市民の脳天をかち割ることに躊躇いはないと見える。確かに裏賭博は悪いことなんだけど、真っ赤なお花を咲かせるのはやり過ぎじゃない……?
しかし残念、賭博の神が降りている今の俺は無敵なんでね。相手が天下の治安維持組織だろうが関係ない、神聖な勝負を邪魔した報いを受けてもらう!
「眠るのはお前だよ公僕がぁ!」
「なにっ!?」
恐れずに一歩前に踏み込み、振り下ろされる警棒を弾きつつ懐に潜り込む。
この動きだけでも警らにとっては衝撃だったのだろう。反応に一瞬の隙が生まれたのを見逃さず、無防備な心臓にカウンターの掌打を打ち込んだ。
今の俺は裏賭場に入り浸る社会不適合者だが、昔取った杵柄ってやつだ。対象の心臓活動を一時的に止めるくらいの芸当は容易い。
掌打を受けた警らは肺の中の空気を吐き出し、白目をむいて床に倒れた。
しかしここエストフィリア王国の警ら隊と言えば、国内では安心と信頼の象徴として、国外では変態どもの巣窟として……平たく言えば強兵として有名だ。
掌打を受けたこいつも一見すると死んだように見えるが、明日には何食わぬ顔で出勤してるはずだ。むしろ二日酔いの方が辛いまである。
「おい壺振りぃ! この泥舟が筋者かくあるべきって手本を見せてやるよ! こいつら全員ぶち転がしたら勝負を再開するからな! 逃げんじゃねえぞ!」
「は? え、お、おう! やれるもんならやってみろ! 骨は拾ったら!」
よし、言質は取った。俺はジリジリと包囲を縮めてくる警ら三人と向かい合う。
予感がする……俺史上、最高の一夜を経験できると。大敗北の後に与えられたあの一勝は呼び水、こいつらのガサ入れも賭博の神が俺に課した試練なんだ。
そうさ、何も恐れる必要はない。
ここから俺の大逆転が始まるんだ、誰にも邪魔はさせねぇ! おんどりゃぁ! 相手が誰で何人いようが一人残らずぶち転がしてやらぁ!
「ん? あっ! こ、こいつ、例の要注意人物のココロ・ポララだぞ!」
警らの一人が悲鳴に近い声を上げると、その他の二人も限界まで目を見開く。
……いやちょっと待って?
なんなのその反応? 心外だわ。化け物でも見つけたって反応じゃん。つーか要注意人物って何? 賭博の神が降りていた俺の身体が途端に熱を失っていく。
「鶴翼!」
誰を豚箱にぶち込もうとしているのか、その認識を改めた警ら三人が陣を張る。
鶴翼か。現状は三対一だ。しかも俺に後退できるだけのスペースはない。最適解だろう。つまりこいつらは本気で俺を殺しに掛かるつもりのようだ……。
「【Arta】【Ciora】【Magna!】」
鶴翼の中央を担当する警らが【水】【三】【射出】の呪文を詠唱すると――詠唱者の右腕周辺に三つの氷柱が顕現し、俺に向かって飛翔してくる。
胸部狙いで一本、そして左右への回避を想定した二本を合わせて計三本。一切の無駄がない。あっさりやってのけたように見えるが正真正銘の職人技だ。
しかし殺人的な練度で放たれた氷柱はブラフ、決定的勝利のための布石だ。
無論、氷柱で始末できればそれに越したことはないのだろうが、戦場を生きる警らたちは手元を離れてしまう飛翔体などに勝負の命運を任せない。
「しっ!」
氷柱の射出と同時、鶴翼の左右を担当していた警ら二人が鬼気迫る表情と共に地を蹴り、物理法則の限界に挑むような速さで俺に迫る。
すかさず二人がかりで繰り出される肘、膝、掌底の嵐。人体の急所を執拗に狙った連撃だ。一撃でも食らえば失神は免れないだろう。
魔法による遠距離攻撃で注意を引き、本命の警らが近接戦闘で対象を制圧する。
これが王国警ら隊の定石だ。極めて単純な戦法だが、だからこそ地力の差が勝敗に直結することになる。
しかしまあ、超超超強い俺にその定石は通じないんだがね。
飛翔してくる氷柱はもちろん、繰り出される連撃を鮮やかに回避していく。警らたちの表情が歪んでいく様子も実況できるほどだ。
「ちっ、やはりこの程度では仕留めきれないか! さすがは要注意人物……ならば第五律の使用を許可する! 絶対に拘束するんだ!」
鶴翼の中央担当、おそらく今回のガサ入れの指揮官であろう壮年の警らが叫ぶ。
そしてその指示に呼応するように、絶え間なく俺を攻め立てていた警ら二人が魔法の呪文をねじ込んだ。
「【Voia】【Deplecio】【EN】【Fars】【Remere!】」
変化はすぐにあった。
呪文を詠唱した警ら二人の足下がグニャリと歪み、さらには全身に真っ赤な粒子を纏う。【強化】【重複】【連結】【空間】【接地】の第五律魔法だ。
身体能力の強化はさほど珍しい魔法ではないが、【空間】【接地】の詠唱が格別だ。任意に反場を生成、虚空を踏んで移動できるようになっている。
魔法とは奇跡そのものだ。物理法則は通用しない。人体の限界を超えた身体強化と空中駆動、これが近代魔法戦闘の基本にして完成形と言えるだろう。
さらに、扉から追加の警ら四人が駆け込んでくる。異常事態であることを察してかすでに身体強化を終えている状態だ。
これで立ち塞がる警らは七人。
その全員がそんじょそこらではお目にかかれない上質な変態であり、さらには魔法によって物理法則を超越した存在になっている。
しかし、俺に撤退の選択肢はない。賭博の神は後退する者を祝福しないからだ。
そして立ち塞がる壁が強大であればあるほど、それを越えたときに授けられる祝福は比類無きものとなる。
賭博の神が見守る大舞台、役者は揃った。
一瞬の沈黙の後、全世界に知らしめるように聖戦の始まりが宣言された。
「一斉に掛かれぇ~!」
「おんどりゃ~!」
熱い夜が、今始まろうとしていた。
〈用語解説〉
・「ココロ・ポララ」
そんじょそこらではお目にかかれない上質な社会不適合者。
暇さえあれば裏賭場や酒場に入り浸っており、その筋の人たちに知られる通り名は「泥舟」。
・「王国警ら隊」
大陸屈指の列強国であるエストフィリア王国、その治安維持組織。
日常のお悩み相談から国防まで何でもござれ。そんじょそこらではお目にかかれない上質な変態の集団。他国民からの通称は変態連合。
数年前の建国祭において、国王に「お前ら強すぎてなんか気持ち悪い。自重しろよ」と言わしめたことが変態連合という通称の流布に一役買うことになった。