おはようランナー
今日も走り続ける。
微睡の中で、鶏が雑音を私の意識に振りまき呼びかける。
分かってはいるのだ。
ただ、感情が甘えているのだ。
もう少し、あと少し。
そうして私は、毎度のごとくツケを払わされる。
箱が大きく揺れて、私も習って揺れる。
倒れることはないが、周囲にぶつかる。
口臭体臭が吐瀉物にまみれた男に睨まれる。
死んだ魚の目の方がまだ新鮮な眼をしているに違いない。
数分にいちどのペースで平謝り。
それを数度繰り返して、目的地へ。
閑静な住宅街にあるそれは、私が働いている場所。
私の唯一の、取り柄を生かせる場所。
私の、人生の居場所と言っても良い。
鞄の中を漁り、名刺サイズのカードキーを取り出す。
カードキーをかざすと扉が開くのだが、開かない。
離しては近づけてを繰り返す。
接触が悪いのか、これも毎度のことだった。
ようやく解錠に成功して、流行る気持ちを抑えて握る。
施錠に比べ、扉の開閉は軽快だ。
漏れ出る冷気は肌をくすぐり、反射的に身震いする。
感覚的には夏場のプールに似ている。
階段を駆け上がり、ロッカールームに荷物を押し込む。
鍵だけ受け取りスタジオへ。
撮影時刻はとうに過ぎていたが、これも毎度の事だった。
冷たい雰囲気の場に、私は黄色い声を投げ掛ける。
すると、花が開く様に温かく温もりのある明るさを持つ。
優しい言葉に迎えられ、私の仕事は始まる。
日もすっかり落ち、箱に揺られながら世界を見る。
大きな長方形がいくつもならび、点がひしめき合う。
点は集合体を成し、大きな塊になる。
その中の個々の価値は平等で、または無くて。
人間的には求められず、歯車としては有用で。
人生の値段とは、いったい幾らするんだろうか。
それを決めるのは、私なのだけれど。
決まった夕食をコンビニで買ったサラダで済ませ、風呂へ。
予めためてある湯船へ、掛け湯もせず浸かる。
人が生きるためにはお金がいる。
地球上の、社会に属した人間はみな、知っている。
私もだ。
生きるために、仕方なく働く。
私は違う。
私という存在を確かめるために、通う。
こうして湯船に身を預けると、存在しているのか怪しく思う。
自己の存在が、妄想でできていないとは言い切れない。
それがたまらず不安であり、払拭に勤しむ日々だ。
ただ、人間社会において大多数は危ぶんでいる。
その職種に対してだ。
求められているし、決してなくなりはしない。
人類が死滅した時にこそ、私の稼ぎはなくなる。
私は存在しなくて良くなる。
煙巻く空間で、ただ1人。
波打つ水面に泳ぐ私の体。
ああ、良い1日だった。