3rd page その日、義姉(わたし)は約束しまして
「お姉さま! 一緒にご本を読みませんか!」
「お姉さま! 一緒に外でお散歩しませんか!」
「お姉さま! 一緒に――」
「お姉さ――」
(――ああ、既視感!)
私は文字通り頭を抱える状況に陥っていた。
一体、どうしたらいいというのだろう。
義妹はベッドから起き上がれるまで回復したと思ったら、ますます私に懐くようになっていた。
(……私に関わったせいで精霊の天罰を受けたのに、何とも思っていないの?)
怯えるどころか、満開の笑顔で私に向かってくる。
(普通、自分が生死の境をさ迷うほどの原因を作った人間に、わざわざ仲良くしようとしてくる?)
それとも、そもそも私が原因だと思っていないだけなのだろうか。
もう何度目かわからない溜め息をついていると、庭園のテーブルで向かいに座っていた少年が「ははは」と笑い声を上げる。
「疲れてるね。エイヴリル」
「もう、クライド。笑い事じゃないんだから」
クライド=エルカーレ。
私の母方の従弟で、年齢も同じ。そして、エルカーレ公爵家の跡取り息子でもある。
明るい茶髪に、新緑色の瞳。
その整った顔立ちは、春の日差しの中で笑うと、とても絵になる光景だった。
以前――お母様が亡くなる前に、彼から東洋の土産というガラス細工をプレゼントしてもらったことがあった。
今日はそのお礼として、彼をお茶会に招待したのだ。
といっても、庭園に用意されたテーブルの席に着くのは私たち二人だけ。
お母様の喪も明けていないから、形だけのお茶会なのだけれど、クライドは二つ返事で招待に応じてくれた。
「……でも、叔父さんも思い切ったことするよね」
クライドも、私と同じように父の暴挙には感心、いや驚いていた。
「僕だったら、エイヴリルを悲しませることは絶対しないよ」
「私を悲しませない前提なら、浮気は絶対ダメよ」
私は頬を膨らませて憤りを表しながら紅茶を啜る。
うん、まずまずの出来。我ながら美味しく淹れられたと思う。
(結婚するなら、絶対妻にするのは私一人だけって言ってくれる人じゃないと!)
両親を間近で見てきて、これだけは譲れない条件となっていた。
「僕は絶対にそんなことしないよ」
「はあ。クライドと結婚する女性はきっと幸せになるわね」
この国の宰相を歴代輩出しているエルカーレ公爵家。
貴族の中でも名門と言える家に嫡男として生まれた彼には、七歳という年齢ながら多くの婚約話が上がっていると聞いた。
そんな彼がひょいひょい侯爵邸に来れるのは、私が彼の従姉という立場だから許されているのだろう。
「僕が幸せにしたいのは、エイ――」
「――あなたは!!」
突然の奇声に、クライドの言葉が掻き消される。
私とクライドは揃って肩をビクッと振るわせて、その声がした方に目をやった。
なぜか庭園の茂みの中から、目を丸くしたアビゲイルが飛び出していた。
その両手には、手折られた枝が握られている。
彼女はクライドへ向けて指を指しながら声を張って言った。
「――攻略対象のクライド=エルカーレ!」
私はクライドと二人揃って首を傾げる。
「……コウリャク、タイショウ?」
聞いたことのない名前。
クライドの名前の前に付けて言ったということは、何かの名詞、あるいは役職だろうか。
大方クライドの名前は使用人が口にしていたのを聞いたのだろう。
けれど。それよりもまずは――
「アビゲイル。人に指を指してはいけないわ」
私は仮にも義理の姉として振る舞った。
途端にアビゲイルが肩をすぼませる。
「ご、ごめんなさい……」
「まあまあ、エイヴリル。君が、エイヴリルの義妹のアビゲイルだね?」
「はいっ。はじめまして。アビゲイル=スプリングです」
クライドは微笑みながら椅子から立ち上がると、アビゲイルに自己紹介をする。
「はじめまして。クライド=リーズ・エルカーレです。よろしくね。アビゲイル」
その後のクライドの言葉もあって、私たちは三人でお茶の続きをすることにした。
クライドの話に終始ニコニコしながら耳を傾けるアビゲイルの姿はとても純粋そうで、ただ単に彼のする話を楽しんでいるように見える。
(……変に思っているのは私だけなの?)
先ほどの不思議な言葉にしても、目覚めてからの変わらない態度にしても。
「いい娘だったね。アビゲイル」
帰り間際、クライドが彼女と話してみた感想をそう述べる。
「君があんなに大袈裟にいうから、はじめは僕も警戒しちゃったよ」
「……あなたもそう言うのね」
義妹がおかしくなったと感じるのは、果たして私だけなのだろうか。
肩を落とした私を慰めるためか、クライドが私の頭を撫でて優しく言う。
「でも、君に何かあったら、僕は一番に君の味方になるからね」
「ありがとう、クライド。それは私も同じよ」
約束にも似た言葉を残して、従弟は馬車に乗って帰っていった。
私の大切な従弟は、いつでも優しい。
その日の夕食時。
「エイヴリル」
なかなか食堂に来ないアビゲイルを、父はあろうことか、私に呼びに行かせた。
(でも、お父様がお命じになったことだし……)
仕方なく、私は義妹の部屋へと向かうために階段を登っていく。
アビゲイルの部屋の扉から漏れる明かりが、暗い廊下に一筋の光の道を作っていた。
「アビ――」
彼女の名前を呼びながら扉をノックしようとした、その時。
「待って!」
「っ!?」
不意に大声を出されて、私は肩を振るわせた。
「今日お姉ちゃんとクライドのお茶会にお邪魔したってことは、やっぱり今私は六歳ってことだよね。って、あと十年……っ!?
……ああ! 憧れの乙女ゲームの世界に入れたのはいいけど、肝心の『スタエン』の内容、忘れないようにちゃんとメモしとかなきゃ!」
(……〝おとめげえむ〞? 〝スタエン〞?)
相変わらず、彼女の言っている意味がわからない。
やっぱり、私の義妹はおかしいのかもしれない。
夕食が終わり、一緒に談話室に行こうと誘ってくる義妹に、私は頭が痛いと半ば嘘をついて、早々に離れへと戻ってきた。
今日は、ニーナは本邸の手伝いで少し残ると言っていたから、あと一時間くらいはこの離れで一人きりということになる。
私が離れで暮らすためにお父様から出された条件のひとつ。
それが〝食事は本邸で摂ること〞だった。
家族の時間を取ろうというお父様の思惑なのは理解できたけれど、私は言質を取って食事を摂ったあとはすぐに離れへと戻る生活を送っていた。
まだ、心の奥に二人を赦せない自分がいたから。
《……いけない娘だね。家族に嘘を吐くなんて》
離れの自室に戻ると、その《聲》が聞こえた。
少年のような、大人びたような、不思議な《聲》。
「ノア様……」
《そんなにあの娘と一緒にいるのが嫌なら、僕に〝助けて〞なんて願わなければ良かったのに》
「……それとこれとは、違う問題なんです……」
わかっている。私が我が儘な娘だということくらい。
嫌われたくないのに、嫌いだなんて。
《ははは。ごめんね、エイヴリル。そんなに落ち込まないで。なにも、君に意地悪するつもりで言ったんじゃないんだよ?
……でも、精霊たちにとって〝言葉〞はとても大切なものだということを、改めて理解してほしいんだ。
人間が心の中でいくら考えや想いを抱いていたとしても、それを実行したり言葉にしなければ実現しないのと同じように、精霊らの力は発揮されない。人間が〝想いを口にする〞ことではじめて、精霊たちは人間たちの力になれるんだ。
だから、君には自分の言葉でその心を偽ることはしてほしくないんだよ》
「……はい。ノア様」
優しく私を諭してくださるノア様の《聲》。
ノア様はあの日――私がアビゲイルを助けてほしいと願ったあの日から、私のことを見守ってくださっている精霊様だった。
お母様と違って私は精霊の姿や聲が知覚出来ないから、ノア様がどんな姿をしているのか、どの属性を持つ精霊なのかもわからなかった。
けれどノア様は私に、この離れにいる間、そしていつもお母様の耳飾りをつけているのであれば、私と意思疎通をできるようにパスを開いてくださった。
《まあ、君は僕と〝約束〞もしているから、僕にそんなことはしないとわかっているけれどね》
精霊との約束。それはすなわち《誓約》を意味する。
私がノア様にアビゲイルを助けてもらうことを引き換えに誓った《誓約》はふたつ。
ひとつ、ノア様に対して、嘘は吐かないこと。
ふたつ、ノア様のことは誰にもいってはいけないこと。
あの夜、そのふたつを条件にして、私はノア様と《誓約》を交わし、アビゲイルを助けてもらった。
「でも、どうしてあんな《誓約》を?」
私は首を傾げ、どこからともなく聞こえてくる《聲》を待つ。
《……他の人間だったら、もっと意地悪なやつを吹っ掛けても良かったんだけど。君は特別だから》
「……私が、特別?」
普段そんなことを言われなれていない私は、途端に嬉しくなっていた。
私みたいな人間が、ノア様のような精霊に特別といっていただけるなんて、なんておそれ多いことなんだろう。
《……だから、君は間違わないでね》
「えっ?」
内心で心が踊っていた私は、ノア様の消え入りそうなその言葉を、危うく聞き逃すところだった。
「あの、何を間違うと――」
その時、廊下の扉の前でニーナの声がした。
「遅くなり申し訳ございません、お嬢様。ただいま戻りましたので」
「……え、ええ。お疲れさま、ニーナ。ありがとう」
ニーナの気配が近くにあるからなのか、ノア様の《聲》はもう聞こえなくなっていた。
【アビゲイルのスタエンメモ】(ファンブック一部引用、一部抜粋)
◇アビゲイル=スプリング(名前のみ変更可能)(16歳)
『スターダスト・エンゲージ』本作品の主人公。幼少期は母親と二人で王都の市民街で暮らしていたが、母親の死後、父親であるスプリング侯爵に引き取られ、以降は養女として侯爵邸にて生活を送る。
その際、侯爵邸で精霊との《誓約》が交わされた離れに立ち入ろうとして天罰を受け、三日三晩高熱を出すも、奇跡的に生還するという過去を持つ。
16歳の誕生日に精霊の祝福を受け《精霊の加護》を得たことから、精霊魔術師の素質があると判明し、貴族の子弟や精霊魔術師が通う学園への入学が決まる。物語は彼女が学園に入学したところから開始する。