24th page そして、願いが叶ったはずの世界で
永らくお待たせしてしまい、誠に申し訳ありません。
本日より三日間、残り三話を毎日投稿いたします。
残り僅かとなってしまいましたが、どうぞ、最後までお付き合いくだされば幸いです。
◇
「……アビゲイルと、殿下が?」
涙を堪えながら呟いた私の消え入りそうな言葉に、クライドが頷く。
「でも、どうして、あなたまで……」
「言っただろ? エイヴリル。君を迎えに来たって。でも、今はそんなことより――」
気づけば、私はクライドに抱き抱えられていた。
「えっ!? クライド!?」
「しっかり捕まっててね。あと、音は大丈夫だと思うけど、しばらくは目を閉じていて」
何度も違う世界で会っていたはずのクライドの姿は、どこか以前よりも大人びているように感じた。
私は言われた通り、クライドの腕の中で彼の首に手を回してしがみつき、目を閉じる。
次に耳元で聞こえたのは、彼の詠唱の声だった。
「《汝の聲は轟く一閃 天より集いて地を駆けよ 聖罰の稲妻》」
(〈光の精霊〉の呪文?)
轟音と共に、閉じている目蓋からでも目映い光が天から降り注いだ気配がわかった。
「なっ、なんだ!?」
「うっ、目が……っ」
「眩しい!」
そして周囲にいたはずの人々の呻き声が聞こえてくる。
(どうして、クライドが〈光の精霊〉の呪文を使えるの?)
確か、彼が祝福を受けているのは〈風の精霊〉だったはず。
その証拠に、目を瞑る最中の肌の感覚でも、私を抱き抱えたまま走り出したクライドの足取りが、風を切るかのように速く駆けているというのがわかった。
「……どこへ向かっているの?」
頭の理解が追い付いていない私の問いに、クライドが答える。
「精霊神殿だよ」
「精霊神殿? どうして……?」
おうむ返しに聞き返した私は、続く彼の言葉を待った。
「そこで、あの二人が待ってる」
厚い雲に覆われた空の下。
クライドに連れられてやってきたのは、以前私が秘密裏にクライドの見舞いに行った際、待ち合わせに使用した精霊神殿だった。
(あの時、以来なのね……)
閉ざされた神殿の扉に刻まれる、六角形の枠に囲まれた神殿の紋章。
それを見上げて、私はここに来た記憶を呼び覚ました。
体感では、もうずっと前のことのように感じてしまう。
薄暗い神殿の周囲はおろか、広い神殿の広間の中には誰の人影もなかった。
しんと静まり返える広間に不安を覚えながらも、その中央まで進んでいく。
「あれは……」
広間の中心に辿り着いた瞬間に、私は今まで感じていた違和感がなんだったのかを理解した。
祈りを捧げる女――〈光の精霊〉の御像の前の空間が、僅かに渦を巻いたように歪んでいたのだ。
そしてその渦の中から、不意に何かの音が聞こえた気がした。
『……ちゃ……ん?』
それは誰か人の声で、始めは小さかったものの、次第に聞き取れるまで大きく、はっきりと聞こえるようになっていく。
『お義姉ちゃん? そこにいるの?』
それは私がよく知っているはずの、少女の声だった。
「……アビゲイル? 本当に、あなたなの?」
疑ってそう訊ねたものの、間違いない。聞こえてきた声はアビゲイルのものだった。
『ええ、そうよ……っ! 良かった。クライドと無事合流できたのね!』
次から次へと疑問が沸き起こってくるものの、私は一番不思議に思っていたことを口にする。
「どうして……ここは、あなたたちのいる場所とは違う世界のはずじゃ……」
そもそも、アビゲイルたちはどこまで知っているのだろうという疑問が浮かぶ。
私がともすれば自分の生命を脅かす可能性もある人物だということを、彼女は知っているのだろうか。
私がアビゲイルからの返答を待っていると、思いも寄らないところ――私たちの背後から《聲》がした。
《――それは、私から説明しましょう》
「誰っ!?」
振り向くと、私の目線と同じ高さの場所に、光る玉が浮いていた。その玉との距離は、手を伸ばせば届きそうな程に近い。
(これが、喋った……?)
私はその光景に一瞬は驚いたものの、放つ光からはどこか柔らかく優しい雰囲気を感じて、前に立つクライドの服の袖を掴んでいた。
返ってきたクライドの答えは、小さい頷き。それは危険がないことを告げていた。
私は緊張の糸を解いて、その光を真っ直ぐ見つめる。
《私は〈光の精霊〉。原始より創られし精霊の一柱です》
「〈光の精霊〉……それって、アビゲイルが持ってる加護の……」
間違いない。目の前にある光の玉が、知識でしか知らない原始精霊の一柱なのだ。
その存在が、本当に今目の前にいるなんて。
(でも……)
私の頭に疑問が過る。
「どうして加護のない私が、精霊を見ることが出来るの……でしょうか?」
《それは、貴女が私の守場に触れた縁があるからでしょう》
「縁……?」
私にはまったく身に覚えがなかった。いつどこで私はその守場に触れたというのだろう。
〈光の精霊〉は、ゆっくりと私たちに近づき、目の前で止まる。
《そして貴女と彼が持つ縁を辿り、かつて貴女があちらの世界で訪れたこの神殿へと門で繋げました》
「……そんなことが……」
〝可能なのですか〞という言葉が出てこない。
私の言葉を汲んで、〈光の精霊〉が続ける。
《私の同胞――時と運時を司る〈原初の精霊〉の御力を御借りしました》
〈原初の精霊〉。
神話などでは精霊の最高位として語られる存在であり、お母様が〈誓約〉を結んだ大精霊。
――ああ。私は何て、幸運なのだろう。
不安と安堵が一度に押し寄せて震えていた私の肩に、手がそっと置かれる。クライドのものだった。
「一緒に還ろう、エイヴリル。僕らの世界に」
「……ええ」
大切な家族がいる、あの世界に。
私とクライドは、宙に渦巻く空間へ向けて、一緒に飛び込んだ。
「……ん……っ」
目を開けると、目の前には目蓋を赤く晴らしたアビゲイルが私を見下ろしていた。
「お義姉ちゃんっ!」
「……アビ、ゲイル?」
どうやら、私は神殿の床で横になっていたようだ。
ひんやりと冷たい石の台の感覚が敷かれた布越しに背中から伝わってくる。
(……戻って、これたの? ……私たち……)
起き上がった身体はとても重く、だるくて堪らなかった。
まるで、自分の身体ではないようだ。
見上げた眼前には、〈光の精霊〉像があった。
そして軽くよろめいた私を、アビゲイルが支えてくれる。
「無理しないで。こっちの世界ではお義姉ちゃん、半年以上眠っていたんだから」
「半年? ……どういうこと?」
私の記憶では少し前。私とクライドは宙に渦巻く空間へ一緒に飛び込んだのだ。
けれど隣で支えてくれたアビゲイルの話では、あちらの世界からこちらに来るという掛け声があったあと、すぐにクライドの姿が像の前に現れたという。
そしてその時、彼の隣にいたはずの私の姿はなく、代わりに像の前で横になっていた私の意識が戻ったというのだ。
「じゃあ、私は――」
私の本当の身体はずっとこちらの世界にあって、私の意識だけがあの世界を巡っていたということになる、のだろうか。
私はその事実にただただ驚いていた。
これは、どう捉えるべきなのだろう。
あの長く辛い世界の日々が、こちらでは半年の歳月で済んだと捉えるべきか、それとも、半年も経ってしまったと捉えるべきか。
どちらにせよ、まだ覚束ない思考でも一つだけ理解できたことがある。
それは――
「いっ……生ぎでで、良がっだーっ!」
けれど、私が自分の身体の感覚を取り戻すよりも先に、アビゲイルが泣きながら抱き着いてきた。
肩を震わせながらも紡がれたその言葉は辛うじて理解できたものの、当の本人の顔は大粒の涙で濡れて大変なことになっている。
全身に伝わる義妹の温もりに、私はこれが夢ではないのだと、この世界に戻って来ることが出来たのだと実感して、その頭と背中にそっと手を回した。
「……ありがとう……」
小さな息と共に、つい心の声が口から漏れてしまい、私は一瞬自分でも驚いて固まってしまう。
けれど当の伝えた相手は相変わらず幼い子のように泣いていて、私の言葉なんて届いていない様子だった。苦笑をこぼしながら、私は今度、改めて言わなければと思い直す。
ふと視線を落とした自分の右手の中指に、以前クライドからもらった指輪がはめられていたことに気付いた。
どの世界でも彼から渡されたものの、最期の時には装飾品の類いはすべて没収されたから、身に付けてはいなかったのだけれど。
そして確かめるためにそっと触れた耳には、当然、あの耳飾りはついていなかった。
「――感動の再会のところ悪いが、やはり、あいつが来たみたいだぞ」
私たちへ向けられたであろうその声で、私は現実に引き戻される。
そして私は、瞳に映った御方の名前を呼んだ。
「ギディオン殿下!?」
それよりも私は、殿下の手に剣が握られていることに衝撃を覚える。
けれど何事かと状況が飲み込めない私が問う前に、殿下が微笑みながら告げた。
「久しぶりだね、エイヴリル」
「は、はい」
まさか、殿下までここにいらっしゃるなんて。
「二人とも、下がれ!」
クライドの呼び声と共に、地鳴りが神殿内に響く。
そして、目の前にあった〈光の精霊〉像にはいたるところにひびが入っていた。
クライドは、誰もいないはずの広間の中央を凝視して、さらに警告の声を上げる。
「来るぞ……!」
クライドが放った言葉の意味を私も理解した。
《…………》
彼が見据えているその先に、あの日――〈秘密の庭園〉で出会ったあの男が立っていた。
(あの男は……っ!?)
私が口を開こうとしたその時、となりのアビゲイルが驚愕の顔と共に声を上げる。
「やっぱり、ノア……あなたなのね!」
「……ノア、様……?」
どうして、ここでノア様の名前が出るのか。
そもそも、アビゲイルが口にした〝ノア〞という人物と、私が知る〝ノア様〞が同一人物であるとう保証はどこにもない。
けれど、動揺から言葉が上手く紡げない私を置き去りにして、その男の赤い瞳が真っ直ぐに私を映していた。
たじろぐ私の前に、アビゲイルとクライドが立ってそれを阻む。
「残念だったわね。お義姉ちゃんは死んでないし、クライドもこの通り無事よ! あなたの企みなんて、全部お見通しなんだから!」
〝ノア〞という男に向かって告げたアビゲイルの背中に、私は戸惑いながらも問い掛ける。
「アビゲイル。あれは、いったい誰なの!? ノアって……」
「あの男は、侯爵家の離れの地下と、学園の〈秘密の庭園〉の石碑に封印されていたはずの魔王……ってことになるのかな?」
「ま、魔王?」
神話や御伽噺の中でしか聞いたことのない存在の名前を告げられたことで、私は言葉を失っていた。
どうしてそんな存在が今ここに現れたのか。どうしてそんな存在が、侯爵家の地下と、学園の〈秘密の庭園〉の石碑に封印されていたのか。疑問に思うことが多すぎる。
頭が追い付かない私を置き去りにして、〈光の精霊〉の叫ぶような《聲》が聞こえた。
《本当に……あなたなのですかっ!? ノアール!!》
「……ノアール?」
それが、目の前のあの男の本当の名前なのだろうか。
「確かに。あいつの封印はどちらも解かれている。だが――」
ギディオン殿下の言葉をアビゲイルが引き継ぎ、ノアと呼んだ人物へ向けて人差し指を指差した。
「あなたの攻略方法は、もうわかってるんだから!
ノア――《あなたは存在しない》!」
沈黙が流れる。
おそらくは、言霊の術を使ったのであろうアビゲイルが、数度目を瞬かせた後に上擦った声を上げた。
「……えっ!? 何で!? 何で効かないの!?」
「アビゲイル?」
私が首を傾げてアビゲイルの方をみると、彼女は想定外のことが起こっていると言わんばかりに口をパクパクさせて戸惑っていた。
「だって、ノアの封印は解けているんだから、これで決着は着くはずでしょう!?」
アビゲイルに救いの手を差し出したのは、〈光の精霊〉だった。
《もしかすると、アビゲイル――貴女の言っていた〝センタクシ〞が、こちらの世界に何かしらの干渉を及ぼしたのかもしれません》
「……センタクシ?」
「でも、ノアとの縁は離れと〈秘密の庭園〉の封印だけだし……」
《そもそも、彼の王の封印を解いたのは貴女だと言っていましたが、それらを解いたのは貴女ではありません。アビゲイル》
「それって……どういう……」
アビゲイルが眉をひそめている横で、私は不意にその《聲》を聞いた気がした。
《……に……て……リ……ル》
「……?」
気のせいかと思えたけれど、それがアビゲイルが〝ノア〞と呼んだ男の口が紡いでいたように思えて、私は無意識のうちにそちらへ視線を向ける。
けれど次に聞こえたその《聲》は、今まで数多の違う世界の中で聞いてきたあの人物のものではなく、私がずっと聞きたかった御方のそれだった。
少年のような、大人びたような、不思議な《聲》。
《逃げて……エイヴリル……》
私はアビゲイルたちの制止の言葉も頭に入らず、一歩前に出ていた。
もしかして、そこにいるのは――
「……ノア様、なのですか?」
私がその言葉を口にすると、その場にいた全員の視線が集まるのがわかった。
けれど、私の視線はただ一人、ノア様に向き続けている。
《……もう……時間が、ないんだ……だから、今すぐ、ここから逃げて……エイヴリル……》
ノア様の《聲》は、聞いているこちらが辛くなるほど息も絶え絶えだった。
私は今にも倒れそうなノア様を支えようと、駆け寄ろうとする。
けれど。
《……ダメだ……っ》
私を止めたのは、アビゲイルやクライドではなく、ノア様自身だった。
緊迫感を伝えるノア様の《聲》。
《はやく、しないと……あいつが――》
続く言葉を遮るように、再び地響きが神殿内を襲った。
そして。
これまでに聞いたことのないその《聲》が、どこからともかく聞こえてくる。
それは、こちらを威嚇するような、低く、鋭い《聲》だった。
《……巫女よ……滅ぼせ……》




