21st page それは、まるで異なる世界にいるようで
「エイヴリル、やっぱり体調でも悪い? 部屋に戻る?」
教室へと向かう道すがら、隣を歩いていたレジーナが私の顔をまじまじと見つめながら心配そうな声をあげる。
「ううん。大丈夫よ」
私はそう口にして、レジーナの話に耳を傾けるふりをしながら、頭では違うことを考えていた。
(……やっぱり、そういうことなのね)
時間が、巻き戻っている。
季節が。人が。そのすべてが、アビゲイルの入学したあの日に戻っているのだ。
(でも、どうしてそんなことに……?)
第一、そのことに気付いている人は他にいるのだろうか?
するとレジーナが、廊下の前方からこちらに歩いてくる人物へと手を振る。
「あ。先生、おはよー」
そこにいたのは、オロス先生だった。
私たちは立ち止まって、先生に改めて挨拶する。
「おはようございます。オロス先生」
「ペイスとスプリングか。おはよう」
私の肩にレジーナの手が添えられ、彼女は先生へと尋ねた。
「ねえ、先生は知ってる? 今日、エイヴリルの義妹ちゃんが入学してくること!」
「ああ。〈精霊の加護〉が突然発現した異例だからな。精霊魔術の授業も俺が受け持つことになっている」
普段と変わらない口調と態度。
きっとオロス先生も、時間が巻き戻っていることに気付いていない。
そう思ったら途端に溜め息が込み上げてきた。けれど、それをなんとか喉元で奥へと沈める。
ちょうど見上げた視線の先で、先生の漆黒の瞳と目が合ってしまった。
「どうした? スプリング」
「いえ。何でもありません……」
もしかしたら、先生なら異変に気付いているのではないかと期待していたのだけれど。
「スプリング」
去り際に先生から名前を呼ばれ、振り向くと。
「何かあったら、誰でもいい……溜め込む前に相談しなさい」
「……はい」
私は小さく頷いて、その場を後にした。
どうやら、先生には余計な心配を掛けてしまったらしい。
(でも、言ったとして、信じてもらえなかったら……)
言う前から心配しても、仕方がないことなのだけれど。
とりあえず、今すべきことは。
(……これまでと何が違うのか、何が同じなのか、探してみる価値はあるわよね)
それから私は、授業や生徒会の間に、アビゲイルのことを観察することにした。
観察とは聞こえが悪いものの、以前感じていた違和感はすべて彼女に関係していたのだ。
なら、今回それを感じるかどうかを確かめるのは、悪手ではないはず。
そして、入学式から数日が経ったある日。
私が廊下を歩いていると、既視感のある男女の会話が聞こえてきた。
(……これって……)
廊下の柱に隠れながら話す男女を確認すると、そこにはアビゲイルとギディオン殿下が二人きりで親しそうに話しているところだった。
(そうだわ……っ)
私は胸に手を当て深呼吸をし、思い立ったことを試すため、親しそうに話す二人の会話に割ってみることにする。
「ごきげんよう」
「ああ。エイヴリル」
「お、お義姉さま……」
殿下は変わらず微笑みながら返事をし、一方のアビゲイルはどこか気まずそうな顔をしていた。
小さい頃や記憶の中の彼女とは、表情と感情が直結しているところは似ているものの、私に向けるそれが違いすぎて、やはり違和感を覚えてしまう。
意を決して、私は口を開いた。
「そう言えば、お二人はニホン語をご存じなのですわよね? 私、ニホン語に少し興味を持ちまして。
よろしければ、図書館のどの本を参考にすればよろしいか、ご教授願えませんでしょうか?」
私が現状ですべきこと。
それは、アビゲイルに感じた違和感の正体を突き止めることだ。
それが何か分かれば、この状況で次にすることが見つかるはず。
けれど、その考えに至ったところで、私は重大な欠点があること気づいた。
私は、義妹のことを何も知らないのだ。
好きなものも、嫌いなものも。
今一番欲しいものや、好きな異性の性格。
何一つ、知らない――否、知ろうとしてこなかった。
その中で、今私が持っている唯一の切り札と言えば、アビゲイルがギディオン殿下と親しくなるきっかけとなった〝ニホン語〞くらい。
少なくとも、〝ニホン語〞という存在を知っている二人にこの話題を振れば、何かしら掴めるはず……
そう、思っていたのだけれど。
「ニホ……? エイヴリル。それはどこの国の言葉だい?」
「――え?」
先に答えたのはギディオン殿下だった。
思案顔になった殿下は、少しした後、やはり同じ答えを出す。
「……すまない。私にその言語の覚えはないかな。君はどうだい? アビゲイル嬢」
殿下に話を降られたアビゲイルが、首を横に振って答える。
「え、ええ。私も今、初めて伺いました」
その口調は殿下もアビゲイルも、嘘や偽りを言っているようには聞こえなかった。
私は、咄嗟に言い訳を口に出す。
「あ、あら? じゃあ、別の方から伺ったのかしら……? 心当たりを探してみますわ」
苦し紛れの理由で、私は二人がいるその場所から立ち去った。
廊下の角を曲がったところで、私は夢中で動かしていた足を止める。
「……」
それは、頭の片隅にあって、否定したかった可能性だった。
〝私の知る人たちは、本当に私の知る人たちと同一人物なのか否か〞。
そう思ったのは、ひとつ前の巻き戻った時間の中で、アビゲイルに感じた違和感がきっかけだった。
記憶の中の彼女と違いすぎる態度。
それはまるで、外見は同じでも中の人格が別だったのではないかと思えるほどに。
加えて、たった今わかった、〝ニホン語〞を知らないという事実。
ということは、つまり――……
(今会ったあの二人は、私が知る二人ではない……ということ?)
私は〝ニホン語〞という共通の言語を知っていたからこそ、二人をスプリング邸の離れで会わせたのだ。
(そう言えば……)
離れでの出来事を思い出して、思い当たる記憶。
確か、私は離れの地下室で、あの石碑と同じものを見たのだ。
「……あの場所……」
そうだ。まだ確認していない場所が、ひとつだけある。
「これで、いいのかな? エイヴリル」
クライドが掌に指輪を乗せて、私の前に差し出した。
私は彼にお礼を言い、それを受け取る。
「ええ。ありがとう」
「でも、どうしたの? 急に〝《秘密の庭園》に行きたい〞だなんて……」
首を傾げるクライドをなんとかごまかし、私たちは《秘密の庭園》へ足を踏み入れた。
変わらない花園。
風に運ばれて、花の甘い匂いが漂ってくる。
「……」
季節関係なく花が咲き誇る生け垣の迷路を、私は記憶を頼りに進んでいた。
そして後ろからは、何かを考え込んでいるであろう従姉の気を散らさないようにとする、クライドの足音だけが静かに続いてくるのが聞こえる。
(あとで、ちゃんとお礼しなきゃ)
頭の片隅でそんなことを思いながら、いくつかの角を曲がった先で、私は見覚えのある道に出たことに気付いた。
(そうよ。ここをまっすぐ……っ!)
少し駆け足で、その場所へと向かう。
「エイヴリル?」
背後のクライドの声が不意に遠くなった気がしたけれど、今の私はそれよりもその道の先にあるものを確認したくて仕方がなかった。
もしかしたら、あれもないのではないかと不安に思ってしまったけれど、結果的にそれは杞憂だった。
「……あっ、た……」
花が咲く生け垣を進んだその先の広場。
私の瞳には、確かにあの石碑が映っていた。
石碑は、壊れることなくそこに建立されている。
「……」
意を決して、ゆっくりと石碑に近づき、そっと触れてみる。
けれど、ひんやりと冷たい感覚が伝わるだけで、何も起こりはしなかった。
ここに来れば、何か掴めるかと思ったのに……
背後で、こちらへと向かってくる足音が止まった。
私は、振り向いて彼へ謝罪の言葉を口にする。
「ごめんなさい、クライド。あなたのこと、置いて――」
先に来てしまって。
けれど、その視線の先にいる人物が従弟ではないことがわかって、私は目を見開いた。続く言葉もどこかへと消える。
そして、無意識に一歩後ずさっていた。
「あ、あなたは……っ!」
私の目の前には、あの日、この場所で遭遇した紅い瞳の男が立っていた。




