20th page それは、螺旋を描く糸を辿るように
「あっ、会ちょ……」
生徒会室から少し歩いた廊下の先で、探していたギディオン殿下の後ろ姿を見つけ、私は声をかけようと口を開いた。
けれど、殿下が話している相手の存在に気付き、言葉を止めてしまう。
(……今日も、一緒にいるのね)
そこにいたのは、アビゲイルだった。
「会長」
私は心の中で息を整え、業務を優先して、二人の会話に入ることにした。
「ああ。どうしたんだい? エイヴリル」
振り返った殿下は、いつもと変わらない様子だった。
「先日の会議で決まった、精霊感謝祭の運営についての書類が完成しましたので、本日中に会長に確認署名をいただきたいのですが……」
「ああ。わかった、今行くよ」
殿下は、私が来るまで話していたアビゲイルに、「それでは」と別れを告げる。
「……はい」
頷いたアビゲイルを後にして、私たちは生徒会室へと向かった。
その時。
(……また……っ!?)
不意に、背後から感じる視線。途端に全身へ鳥肌が走っていた。
それに反射するように立ち止まって振り返った私の瞳には、アビゲイルが微笑んだまま映っている。
「どうかなさいましたか? お姉様」
「……いいえ。何でも、ないわ」
私は首を傾げる義妹にそう告げて、先を行く殿下の後を追って足早にその場から立ち去った。
ここのところ、日に日に増しているように感じる違和感。
その一端は、アビゲイルの態度にあった。
入学式から一ヶ月以上が経つなかで、時折感じる視線。
それはすべて負の感情を覗かせるような、鋭いものだった。
そして、それを感じる場所には、必ずといっていいほどアビゲイルの姿があった。
(入学式の日に感じた視線は、思い過ごしじゃなかったということ?)
けれど。
どうしてもわからない。
(……どうして、あの娘が……)
どちらかというと、雰囲気も幼少の頃とは比べて落ち着いていていたように思う。
ここ数年実家とは距離をおいていたから、そう感じてしまうのかもしれないけれど。
生徒会の扉を開けると、ちょうど先に入室していた殿下を他の生徒会の面々が囲んで何かを話をしているところだった。
「エイヴリル。ちょうどよかった」
「何でしょうか?」
「実は先程、感謝祭で使う魔道具が商会から届けられたそうなんだが、想定よりも規格が大きいらしくてね。
申し訳ないんだが、確認してきてくれないかな?」
「承知いたしました」
承諾し、その魔道具が保管されている校庭の保管庫へと向かう。
(そう言えば……あの時は……)
歩きながら、私は夢の中でもこんなことがあったな、と思い至る。
確か、あの時はライナスがアビゲイルのことで直談判をしに現れたのだ。
そして保管庫の扉を開けて、届いたという魔道具を見て、私は息を飲んだ。
すべて、夢の中で視たものと同じだったのだ。
砲台の個数はもとより、その装飾品一つひとつに至るまで、あまりに似ている。
カタログで何度も検討したから、夢の中に出てくるまでデザインを覚えてしまったのだろうか。
「……あっ」
砲の黒塗りされた表面に、私の顔が映り込む。
そして私の耳に着けていた、ラピスラズリ耳飾りが、きらりと輝いた。
砕けてしまったのは、夢の中での出来事。
そう、あれはすべて夢だったのだ。
あんなこと、起こるわけがない。
「そんなことより、仕事、仕事……」
そうだ。今は、そんなことで悩んでいる暇はない。
生徒会の役目を果たさなければ。
「エイヴリル」
魔道具の規格を確認して保管庫の扉を閉めていた私の背後に、その声が掛けられた。
「……どうしたの? クライド」
私は声の主であるクライドへ向き直る。
「今、時間いいかな? 君に――エイヴリルに、どうしても話したいことがあるんだ」
真剣な表情。その影には、やはり見覚えがあった。
もう……何度こんな既視感を覚えればよいのだろう?
「私、に?」
嫌な予感が、心の奥で警鐘を鳴らす。
そしてそれは、クライドに連れられてあの場所に辿り着いたことで、より一層大きく響いた。
学園の聖域。《秘密の庭園》。
夢の中の光景と、瓜二つな状況。
そして――
「――俺の本当の父親は、現国王のギルバート王だ」
「……」
私は、言葉を失っていた。
(どうして? あれは、あくまで私が視た夢で、現実のことではないはずなのに……)
固まる私に、クライドが謝ってきた。
「ごめん。急に、こんなことを話して」
ベンチに並んで座りながら、静かにクライドの言葉を受け止める。
「でも……どうしても、俺の中であいつを憎む声が止まないんだ。あいつが、憎くて羨ましくて堪らない。
このままじゃ、何もかもすべてをあいつに奪われるかもしれないと思ってしまうくらいに……」
彼は苦笑を浮かべながら、握る手には力が込められていた。
その表情は、見ているこちらが痛々しいと感じるほど、辛く、苦しいものだった。
「クラ――」
彼の名前を呼ぼうと口を開いたところで、先に彼から言葉が落とされてしまう。
「もう、俺は俺を止められそうにない。自分の中に淀んだ感情が澱をなしていくのがわかるんだ。
……だから、俺は今度の精霊感謝祭で、あいつを――ギディオン=クロスハートを殺す」
そして、無情にも時は過ぎ、ついにその日――精霊感謝祭が訪れてしまった。
開会式はつつがなく執り行われ、あとのプログラム最後のダンスを残すのみとなっている。
ダンスは校庭の中心で行われ、輪を囲むように踊るのだ。
これは参加自由のため、踊る相手が決まっている生徒たちは徐々に中心に集まって、その時を待ちわびているようだった。
「……」
私は纏っていた薄萌葱色のドレスの裾に目を落としながら、ざわめき立つ胸に手を添えて静かに深呼吸をする。
結局、私は夢と同じ行動を取っていた。
私だけは彼の味方でいる。けれど、力は貸せない。
沈黙を貫く誓いを立てて、私は従弟を肯定した。
(でも……本当に、あれで良かったの?)
他に何も手立てが浮かばなかったとはいえ、結局はクライドに荷担しているのと同じことだった。
人の道を踏み外さんとしている従弟を前にして、私はその手を取って止めるどころか、背中を押すようなことをしたのではないだろうか。
今になって、後悔の念が生まれてくる。
もし、予告通りにクライドがギディオン殿下に刃を向けるのだとしたら、このプログラムの時以外にあり得ない。
その時。
流れる伴奏が、最後のダンスの楽曲を奏で始める。
私は無意識に、感謝祭の式典場である校庭の中からその姿を探していた。
(いたっ! ギディオンでん……え?)
その視線の先にいた人物を見て、目を見開いた。
殿下はダンスの組が並ぶ輪の中に参加されていて、今まさに踊る相手と踊り始めたところだった。
そして。
その手を取って共に踊っていたのは、アビゲイルだった。
(どう、して……)
二人とも、互いを見つめ合い、ステップを踏み始めている。
そして、それぞれの口許には笑みが溢れていた。
その光景を見て、なぜか胸の奥で何かがざわりと動いた気がした。
――見タクナイ。見テハ、イケナイ。
まるで、そんな声が聞こえてくるようだった。
そして逃げるように二人から視線をそらした私の視界の先には、人混みの中に潜む彼が映り込んでいた。
(クライド……ッ!?)
彼がいるのは私の場所とは反対側。
距離が離れているせいか、存在を意に介してもいないのか、その眼差しは私に気付くこともなく、真っ直ぐにギディオン殿下へと向けられていた。
(……どうしよう。このままじゃ、殿下が……)
反芻される記憶。
誓いを立てた以上、クライドは裏切れない。
それでも、何もしないという選択肢は、私には存在しなかった。
観客の最前列まで歩み出たその手には、一見して目に見えないものの、何かが握られているような違和感があった。
ギディオン殿下とアビゲイルは、何も知らずに踊り続けている。
二人との距離は、私とクライドのちょうど間。
「……っ!」
気がつくと。
私の身体は、前に飛び出していた。
正確には、クライドに背中を、殿下に正面を向けて。
「う……っ!」
飛び込むようにして投げ出した背中に、痛みが遅れてやってくる。
背中の肩から脇腹にかけて、内側から熱が溢れてくるのがわかった。
「どう、して……」
遠くから聞こえる女性の悲鳴に掻き消されそうな小さな声が、背後から聞こえてくる。
けれど、聞き取れることが出来たのはその言葉だけで、あとは遠くから言われているような、曖昧な声にしか聞こえなかった。
次の瞬間には、土の臭いと身体が俯せになる感覚だけが伝わる。
身体の感覚のうち、足のそれはすでになく、地に着いた頬から数名がこちらへ駆け寄ってくるのがわかった。
痛い。痛い。痛い。
苦しい。苦しい。苦しい。
息をしようとするだけで、全身に激痛が走る。
背中も焼けるように熱い。
対照的に、指先は氷水の中に入れられたように冷たかった。
耳元に辛うじて聞こえたのは、私の名前を呼ぶ誰かの声。
「……エイヴリルッ!!」
誰だろう?
目も開いているはずなのに、歪んで視界がはっきりしない。
(ああ。私、死ぬのかしら……)
きっとそうなのだろう。
こんなに痛いし、寒いのだから。なら、いっそのこと早く終わってほしかった。
不思議と、恐怖は感じなかった。
心のどこかで、この結末を受け入れていた自分がいたような気がする。
そう言えば、夢の中でもアーヴィンから〝一人になるな〞と言われていたっけ。
(でも、だとしたら――)
私は、一体何をどうすればよかったのだろう?
一度は、そんな未来は認めないと、変えて見せると思ったような気がする。
クライドに賛同すればよかった? それとも反対すればよかった?
そもそも、もっと命がけでクライドを止めていれば、こんなことにはならなかった?
(……私は、どこで、間違えてしまったの……?)
でも、ひとつだけ言えることがある。
もう、すべてが遅すぎるということだ。
だって、もうじき、私は死ぬのだから。
自分の身勝手さに自嘲がこぼれそうになる。けれど結果は、唇を動かすことすら出来なかった。
徐々に、息も浅くなっていく。
《――エイヴリル》
沈む意識の中で、誰かに再び私の名前を呼ばれた気がした。
《〝君を死なせはしない〞……絶対に》
それは、私に向けてと言うよりも――……
(……だ、れ……? でも、どこかで――……)
どこかで、聞いた覚えがある声。そんな気がした。
けれど、それが誰なのか思い出すことも出来ず、身体に残る痛みすら忘れて、私の意識は完全に途絶えた。
「……っ!?」
次に目を開くと、私は再び見覚えのある部屋にいた。
「どしたの? エイヴリル。そんな怖い顔して」
そう声をかけてきたのは、レジーナだった。
ここは、学園の寮……?
呆然と、ベッドの前で立ち尽くしている自分の身体に、視線を向ける。
身体は、どこも痛みはなかった。試しに背中に触れても、痛い場所はないし、感覚もすべて正常だ。
(どう言うこと? さっきまで、校庭にいたはずじゃ……)
そして、異なることがもうひとつ。
開け放たれた窓からは、朝の陽光が春の花の香りを含ませて差し込んでいた。
精霊感謝祭は夕方から夜までの間に行われたはず。
「……え……?」
言葉にならない。
どう言うことだろう。
――どうして、また、この光景に……?
(まさか……)
あり得ない。そんなこと、あるはずがない。
けれど、開いたレジーナの口から告げられた言葉は、私の予期した言葉そのものだった。
「楽しみね。エイヴリルの義妹ちゃんが入学してくるの」
再び戻って来てしまったのだ。
あの日に。




