18th page それは、思い出の中にしまわれておりまして
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本年も、あと二週間弱……
新年前には完結させたいと思っています。
――〝鍵でしたら、侯爵家にてお暇をいただく際に、旦那様へとお渡しいたしましたが?〞
帰りの馬車の中にあっても、サリアの言葉が頭から離れなかった。
(もし、サリアの言う通り、お父様があの地下膣の鍵を持っているのなら……どうして本当のことを教えてくれなかったの?)
お父様はニーナに対して、鍵の付け替えは不要と言っていたらしい。
仮に、お父様が地下に〝何が〞あるのかを知っていたとして、〝それ〞はお父様にとって放置するだけの存在ということだ。
捨て置けるほどの存在価値。
「……」
そう思うと、胸の奥がずきんと痛んだ。
まるで、今の私と同じじゃないか、と。
誰の目にも留まることなく、そこにあることすら認められない。
お母様の遺したものを見に行くということ以外に、私が地下室へいく理由が生まれた瞬間だった。
そして侯爵邸へと着いた馬車から降りた私の頭には、ひとつの計画が生まれていた。
大丈夫。実行するための道具は、既に揃っている。
あとは――
「あの……お父様。ひとつ、お願いしたいことがあるのですが……」
その日の夜。
夕食の席に着くと、私はお父様へ向けてひとつのお願いを口にする。
「なんだ、エイヴリル」
「本日カルテオの神殿に参詣したのですが、改めて以前申し上げた私の奉職の件について、お話したく……あとでお部屋に伺ってもよろしいでしょうか?」
それは、お父様にとって看過できない問題――私の今後の身の振り方についてだった。
ギディオン殿下との婚約、ならびに破棄をした私は、これから貴族界から腫れ物同然の扱いを受けることになる。
ならばいっそのこと、貴族の身分を棄てて生涯を神殿での奉職活動に費やしたいと、以前父に伝えていたのだ。
「……わかった。あとで書斎へ来るように」
「はい」
これはあくまで、お父様の書斎へ行くための理由付けに過ぎなかった。
けれど端から聞くと、私が実質的な侯爵家の相続権を放棄したと同義だ。
侯爵家は、義妹が継げばいい。
計画のためとはいえ、以前の私では、絶対に思っても口にしはしなかったこと。
けれど、存外私の心は、自分の言葉を聞いて納得していた。
(……どうでもよくなったわけではないのだけれど)
それに、お母様のように一度奉職の道に入っても、還俗する例は存在する。
お父様は一度頷いたきりで、それ以上の会話は生まれず、再び静かな食事へ戻っていた。
これでいい。まずは第一段階の目標を達成した。
夕食後、私は自室へ戻り、用意していた奉職志願書と例のものを持って厨房へと向かう。
「これからお父様のところへ行くのだけれど、紅茶を淹れていってもいいかしら?」
厨房には数人の使用人が作業をしており、私はそのうちの一人のメイドへ向けて訊ねた。
「承知しました。すぐにお持ちいたします」
ティーセットをカートに用意しようとするメイドへ、私は首を横に振って微笑んでみせた。
「いいの。私が淹れて持っていくから」
それでもと食い下がるメイドに「私がお父様に淹れて差し上げたいの」と無理を通す。
これで第二段階の目標も達成した。
備え付けの茶葉をティーポットへ入れ、いつものように紅茶を用意する。
そして私はカートを引いて、お父様の書斎を訪れた。
「お父様。私です」
「入れ」
お父様は机に手を組んで待っていた。
私は持参した封筒を、その前にそっと差し出す。
お父様はそれを無言で手に取り、その中の志願書に目を通し始めた。
その間。
私はカップに紅茶を注ぎ、ポットの横に置いていた掌サイズのそれを手に取る。
それは小瓶で、中には無色透明の液体が入っている。
そしてハーブの爽やかな香りが溢れるカップの中に、その小瓶の中身の半分を注いだ。
「今夜は冷えると聞いたので。よろしければ、お飲みください。お父様」
「……ああ。ありがとう」
お父様が口に一口含んだのを確認する。
「……奉職の期間は、自分で調べたのか?」
紙面に目を落としながら、その口が開いた。
「え? はい。通例ですと、まずは大神殿での見習い期間が三年。そのあとは神職の資格取得試験があり、合格の後に各地の神殿での奉職に入るそうです」
そのほとんどは、昔お母様から聞き及んだことなのだけれど。私は覚えていることを淀みなく続ける。
「――現在では〈精霊の加護〉を持たぬ者でもある程度までは資格を持てると聞いております」
とは言え、神職に就くためには過酷な修行を受けなければならないという。
そしてお母様のように〝巫女〞の位に就くには、〈精霊の加護〉を受けているのは勿論のこと、精霊に関する知識や精霊魔術の実力も兼ね備えていないとなれないそうだ。
(……さすがは初代巫女の再臨と謳われたお母様ね)
お父様は私の言葉を黙って聞いているだけだった。
私は横目で、差し出したカップの中身が確実に減っていることを確認する。
これで、第三段階の目標も達成した。
あとは皆が寝静まるのを待つだけだ。
私が内心、沸き上がる達成感に安堵していると、不意にお父様の口がら言葉が紡がれる。
「……お前は、母親に良く似ているから、あちらでも上手くやれることだろう」
驚いた。
何に驚いたかというと、父が口にした言葉よりも、その表情にだった。
「……ありがとう、ございます」
どこか、懐かしむような、優しい眼差し。
いつぶりだろう。
父のそんな表情をみるのは。
「……それでは、私は自室へ戻ります。おやすみなさいませ、お父様」
「……ああ。おやすみ」
込み上げる達成感に少しの罪悪感が滲む。
私は相反する思いを抱きつつ、自室へと足早に戻っていった。
次に私がその部屋の前に立ったのは、皆が寝静まった深夜のこと。
背後の窓の外からは、上弦の月が仄かな明かりを廊下に落としていた。
その他の明かりは、今手に持つ燭台の蝋燭の灯りひとつだけだった。
季節は秋も暮れになり、肌寒さが増している。
私はネグリジェの上に羽織っていたショールを掛け直し、その扉のノブに手を伸ばした。
「……ふぅ」
ノブを回す前に、もう何度目かわからない深呼吸をし、改めて段取りを確認する。
お父様が口にしたハーブティーの中に入れたのは、私がオロス先生よりいただいた遅効性の睡眠薬だった。
普段服用していなければ、半分でも効果は現れるはずだ。
まずはこの扉の奥――父の寝室へと入り、書斎の鍵を探すこと。この場所には心当りがある。
次に、素早く書斎へ移動し、地下室の鍵を探す。
父の書斎は宮廷での執務室も兼ねているから、重要な書類はすべてそこに保管されている。
だから、人目に触れられたくないものも、きっとそこにあるはず。
(……よしっ)
自分の心に活を入れ、私は父の寝室の扉を明けた。
お父様は予想通り、ベッドの上で眠りについていた。
その眠りは深く、小さな寝息を立てている。
その光景を横目で確認し、私は片時安堵の気持ちで息を吐く。
「……」
あの薬はオロス先生からいただいたもので、私自身が服用していたものでもある。
けれど、いくら睡眠薬とは言え、何も知らない実父に薬を盛ったのは事実。
もうこんなことは一生すまい。そう心に誓った。
燭台の灯りを手で隠しながら、私は目星をつけていた場所に辿り着く。
そこは、父の上着が掛けられているクローゼットだった。
そしてその中の一番左に掛けられている上着を手に取る。
その胸ポケットに手を入れると、案の定、冷たい金属の感覚が触れた。
それは、人差し指程度の長さの鍵。
間違いない。お父様の書斎の鍵だった。
私はお母様が離れへ移ってしまった後も、この本邸でお父様と暮らしていた。
その生活の中で見聞きしたことが、今になって役に立つとは。
私はその鍵を持って隣の部屋――書斎の部屋の鍵を開けた。
時間は限られている。
深夜の暗闇で手元がおぼつかない中、思い当たる場所を片っ端から探していく。
けれど。
いくら探しても目的の鍵はどこにも見当たらなかった。
本命だった、鍵が着いていた執務机の引き出しの中には、お父様が仕事で使う蝋封と書類くらいしか見当たらず、鍵をしまうような場所はどこにもなかった。
(あとは……どこにあるというの?)
蝋燭は来たときよりも随分と短くなっていて、かなり時間を使ってしまったのがわかる。
最悪の場合、場所の把握だけして今日は諦めようという案も、鍵の保管場所がわからなければ意味をなさない。
なんとしても、保管場所だけでも知っておかなければ。
不安が募りながらも、不思議と鍵はまだお父様が持っているという確信があった。
(あと、探していないのは――)
考えられるのは、あの場所しかない。
一縷の望みを抱いて、私は再びお父様の寝室へと戻った。
寝室の家具は、クローゼットとベッド、そしてチェストだけ。
もし、私がお父様なら、人目に触れられたくないものは、普段から身に付けておくか、自分だけがわかる場所に保管しておくだろう。
不意に、チェストの一番上に置かれていたそれに目が止まった。
(〝これ〞って……)
見間違えるはすがない。
薄暗い中で私の目に映ったそれは、両手に乗るくらいの宝石箱だった。
それはお母様の宝石箱だ。
(もしかして……)
蓋を開くと、突如、宝石箱からオルゴールの綺麗な音が鳴った。
「……っ!?」
私は心臓が口から飛び出すほど驚き、箱の中を確認する暇もないまま、反射的にそれを閉める。
そうだ。この宝石箱にはオルゴールが内蔵されていて、開くと音がなる仕掛けになっていたのだ。
隣のベッドで寝ているお父様を見ると、幸いなことに起きる様子はなかった。
(……この宝石箱、いくら探してもないと思ったら、お父様が持っていたのね)
母が亡くなったあと、遺品の中を探していたのだけれど、見つからなかった理由がわかった。
そういえば、記憶の中の母は、この宝石箱の中にあのラピスラズリの耳飾りをしまっていたのを思い出す。
このオルゴールが奏でる曲も、思い出の曲なのだ、と言っていたっけ。
私は、今度は音が鳴らないように後ろのネジを手で止めながら、宝石箱の蓋を開く。
その中には――
(……間違いないわ)
十字型の鍵。間違いなかった。
これで鍵の保管場所は判明した。
あとは、また機会を伺って、この鍵を持ち出せば――
「……」
寝室の扉に手を掛けた時、眠るお父様が何かを呟いた気がした。
けれど、私は振り向くことなく扉を開ける。
――名前を呼ばれた気がしただなんて、なんて都合のいいことを考えているのだろう。
「親不孝な娘で、ごめんなさい……お父様……」
私は、手の中にある鍵を握りしめながら、決して聞こえぬであろう小さな声で謝罪の言葉を落とし、扉を閉めた。




