10th page なぜか、婚約者に選ばれまして
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翌日の午後。
私は、スプリング邸へと向かう馬車に揺られていた。
午前の授業が終わったタイミングで、私宛の手紙が早馬で届けられたのだ。
その手紙の差出人はお父様。手紙の内容は〝今すぐ邸に戻ってくるように〞という呼び出しだった。
そして私は、その後に着いた迎えの馬車に乗って急な帰省をすることになったのだけれど。
(……お父様、一体なんのご用かしら?)
心当たりは、ないわけではなかった。
もしかしたら、今学園の中で流れている噂と関係があるのかも知れない。
一週間ぶりの帰宅はなんの代わり映えもせず、特に気に留めることやものは何もなかった。はずだった。
それは、本邸のお父様の執務室へ向かう廊下とのこと。
なぜか私は、この場面を知っているような気がした。
「……?」
よくよく考えずとも、ここは実家なのだから知っている光景なのは当たり前のはずなのに、なぜだか〝経験したことがある〞と思ってしまったのだ。
「エイヴリルです。ただいま戻りました。お父様」
執務室の扉を開けると、窓の前に立つ父の姿があった。
普段なら宮廷へ出仕しているはずだけれど、私を呼び戻すということは、それほど大事な話だということだろうか。
「――単刀直入に訊こう。エイヴリル。お前はギディオン殿下とどこまで親しい?」
呼び出したことについては何も触れず、父から言葉が向けられる。
「仰っている意味が、わかりかねますが……」
私は学園での噂を念頭に置きつつ、もう一度口を開いた。
「ギディオン殿下とは、同じ生徒会の一員として、日々共に研鑽させていただいております」
「……そうか」
父はそれだけ言うと押し黙ってしまう。そして、何の意図があるのか私が訊ね返そうと口を開いた矢先、再び父が言葉を紡いだ。
「……実は現在、お前にギディオン殿下との婚約話が上がっている」
「えっ!?」
思わず声をあげてしまった。
「……失礼いたしました。ですが、どうして、そのようなことが……?」
「それは、私が聞きたいものだな。先日、殿下がこの邸へ来ただろう? なんのためだ?」
お父様の疑問は、もっともなものだった。
「それは……」
けれど、言えない。
「……アビゲイルと三人で、お茶をしておりましたの」
嘘は言っていない。
二人がある程度話し終えたタイミングで私も談話室へ戻り、帰りまでの時間を共に過ごしたのだから。
父がこんなことを言うのは、やはりあの噂が起因している。
それは――
〝ギディオン殿下とエイヴリル=スプリング令嬢は付き合っている〞。
先日のギディオン殿下とアビゲイルを、私の住むスプリング家の離れに招待したことがどこから漏れ伝わって曲解された結果、そんな噂が流れていた。
婚約者を作らないギディオン殿下が、特定の女性の生家へ赴いた。
その事実だけが飛躍し、一人歩きした結果、そんな噂が広まってしまったのだ。
加えて、殿下のお相手とされた私についても、生徒会のメンバーとして五年以上の付き合いがあり、かつ侯爵家という家柄的にも問題ないことが、その噂の信憑性を増す一因となっていたようだった。
学園での噂は、相手が相手なだけに直接殿下本人へ真相を訊ねるような猛者は現時点で現れていなかい。いたとして挙げるならば、遠巻きに私へ色んな眼差しを向けてくる女子生徒たちくらいだった。
けれど、真実は違う。
「……そうか」
父は眉をひそめながらそう呟いた。
元々、私の言葉をそのまま鵜呑みにするような人ではないのだけれど。
それでも今父に私が見聞きしたすべてを話したところで、信じてもらえるなんてあるわけがなかった。
殿下とアビゲイルが、親しげに話していたことも、それを精霊の力を借りて盗み見たことも。
そして近い将来、私が死ぬことも。
「婚約の話は、陛下御自らがご提案されたものでな」
学園の噂に似たような話が宮廷でも流れたそうだ。
「この縁談は、我がスプリング家にとっても、悪い話ではない」
そして父は、現国王であるギルバート国王陛下から直々にお言葉を賜ったらしい。
「いいな?」
お父様は、じっとその目を向けてくる。
私に首を横に振る権利などなかった。
「はい……」
これで話は終わり。そう思って心の中で安堵していると、父が口を開いたのが視界に映った。
「それはそうと、学園でアビゲイルとはどうなんだ?」
「……」
ああ。まただ。
また、アビゲイル。
もしかしたら父にとっては、先ほどの婚約話でさえ余談に過ぎなかったのかもしれない。
だって、侯爵という立場で、娘の私に同意を得る必要なんてないのだから。
「……はい。それなりに上手くやっていると思います」
「そうか。ならばよい」
返って来たのは、たったそれだけ。
(……あなたは、私のことになると微塵も興味がなくなるのですね)
わかっていたことだった。
義妹が邸に来てからここ十年間、すっと変わらない優先順位。
何度期待したとしても、返ってくるのはいつも同じ結末。もう、裏切られたとも思わなくなってしまった。
「……それでは、私は学園に戻らせていただきますので」
退出しようとする私の背に、父の疑問が投げ掛けられた。
「泊まっていかないのか?」
「え? はい。外出許可はいただきましたが、外泊許可は申請しておりませんので」
あとは、一体何を話すことがあるというのだろう。
楽しくもない父との晩餐を過ごすより、例え夕食を抜いてでも就寝までの間、レジーナと話している方がずっといい。
私は父に挨拶を交わし、執務室を後にした。
御者から馬を替えると言われたため、私はその間、ノア様に会いに行くことにする。
《エイヴリル》
いつもと変わらない不思議な《聲》。聞くだけで心が落ち着いていくようだった。
「ノア様」
《どうしたの? エイヴリル。元気がないね》
ノア様は、一体どこまでご存知なのだろう。
私は思い切ってノア様へ訊ねてみることにした。
「……ノア様。運命というものは、変えられるのでしょうか?」
誰にも言えないことだからこそ、誰にも言えないノア様へ相談したかった。
《君たち人間が〝目に見えない何かの存在によって、物事があらかじめ決められている〞という意味での使っている〝運命〞のことかな?
答えるならば、そうだな……君が望むのなら、きっとそんなものは存在しないよ》
「……それでは、答えになっていません」
どこかはぐらかされているようで、私は食い下がる。
そんな私をなだめるように、優しく諭すような《聲》が落ちてきた。
《いいや。君の信じることが〝運命〞なのだとしたら、それを乗り越えられると信じることもまた〝運命〞になりうる。
結局のところ、〝運命〞や〝因果の糸〞なんて人間が知覚できるような代物ではないからね》
姿を視ることは叶わないのに、私の目の前に確かにノア様がいるような気がした。
そして、その腕の中に包まれているように思えて、優しい気持ちになっていく。
《けれど、いいかい? エイヴリル。もし君がその〝運命〞を知ってなお、それに抗いたいと心から願うのなら、僕は僕のすべてを賭けて、いつでも君の力になろう》
「ノア様、私――」
私が言葉を紡ごうとしたその時。
「お嬢様。馬車の準備が整ったとのことです」
「……ええ、わかったわ。ありがとう、ニーナ」
またしても、言いそびれてしまった。
ノア様の気配も、もう目の前には感じない。
(……ありがとうございます。ノア様)
私は心の中でノア様へお礼を告げ、学園への帰路へと着いた。




