答えはどちらも「自由」だけれど(三十と一夜の短篇第51回)
「ふりぃだむとは、なんじゃ―――――!」
暑苦しい叫び声に、軒下の風鈴が抗議するようにリリンと鳴る。
叫ぶなりひっくりかえって板間に大の字になった同僚を横目で見ながら、秋治郎はうちわをはためかせた。
「やかましいぞ三枝。みっともない」
「ならば秋の字。ふりぃだむとはなにか、教えてくれい。あるいはりばてぃでも構わん。それがわからんことには、俺はもう起きあがらんぞ!」
みっともないと言われようと、三枝は起き上がるつもりがないらしい。板間に寝転び踏ん反り返っている。
それもそのはず。
『ふりぃだむ』と『りばてぃ』に該当する日本語を考えて、頭が煮えるほど考えに考えてそれでも誰ひとりとして答えにたどり着けずに、いまがあるのだ。
「まあまあ、先輩がた。行き詰まったまま考え込んでも妙案など浮かびませんよ。お茶でも飲んで落ち着いてください」
よどんだ空気を吹き飛ばすように、明るく言って茶をくむのは若い塾生の南だ。
「南よー、なにか良い案はないかー。若い感性でこう、ばしっとひとつ!」
寝転んだまま足元に絡んでくる三枝をひらりとかわし、南は秋治郎のそばに膝をついた。
「若い感性って、僕は先輩がたとふたつしか違いませんよ」
茶の入った湯呑みを手渡しながら、南は笑いをおさめて問いかける。
「先月くらいからずっとお悩みのようですけど、難しい問題でも出されたのですか?」
「おー、出されたとも」
よくぞ聴いてくれた、とばかりに体を起こした三枝は、手渡された茶をひと飲みにしてくちを尖らせる。
「先生の出す問題はいつだって難しいが今回はもう、段違いよ。なあ、秋の字!」
「まあな」
三枝に話をふられた秋治郎がすんなりと頷けば、湯呑みを傾けていた南が目を丸くした。
「三枝さんはともかく、秋治郎さんまでそうおっしゃるなんて。よっぽどですね」
「おいおい、南くん。そいつぁどういう意味だい。んん?」
後輩に突っかかる三枝をよそに、秋治郎が首をゆるりと振った。
「『ふりぃだむ』と『りばてぃ』を和訳せよ、というのだがなんとも、謎かけのような問題でな。どちらを説明する英語を訳しても同じような意味になるのだが、同一の単語ではないらしくてな……」
「りばてぃとは、自身が望み好んだ場所で生きる『ふりぃだむ』。ふりぃだむとは、自身で望むことをする権利である、と」
尻すぼみになった秋治郎のことばをついだ三枝に、南が首をかしげた。
「同一の意味の単語として扱ってしまってはだめなのですか?」
「それよ、それ!」
後輩の言に強く同意したかと思えば、三枝はふたたび板間にばたりと伸びた。
「どーにも、西洋では明らかに意味が異なるそうでな。それぞれの意味をきちんと理解することこそが、我が国の未来のためになる、とかなんとか言われたって、わからんものはわからんぞーーー!」
寝転がって騒ぐ三枝に、今度は秋治郎も何も言わない。いい加減、相手をするのに疲れたのと考え疲れたのとの両方だろう。
もはや見慣れた先輩たちの姿を見ながら、南は茶をすする。
「はあ。有名塾で素晴らしい先生に師事するのも、考えものですねえ。厄介な問題はここぞとばかりに塾生に落とされるのですから」
「それよ、それ! 南も他人事ではないからな! 先生が悩んでおられるところに偶然通りかかったからと言って『この問題を来月半ばまでに解いてきなさい』なんて渡されて、どーしろというのか! もー、知らん! 俺は寝る! 俺の『ふりぃだむ』を行使する!」
叫ぶなり三枝はごろりと体を横たえて、自身の腕を枕にふて寝をはじめてしまった。
同じ課題を与えられた相手が考えることを放棄したのを見て、秋治郎は深いため息をつく。
「この塾に入ったのは『りばてぃ』によるものであり『ふりぃだむ』に生きていけるはずだったんだがな。その『りばてぃ』と『ふりぃだむ』にこうも苦しめられるとは……」
頭を抱える先輩がたの背を横目に南が見上げた先では、トンビが高い空を何者にもとらわれずにくるりくるりと飛んでいるのだった。