第90話 閉ざされた楓の心 中編
アルベルトが四人目に精霊を呼び出すために左手に嵌めてある指輪に囁きかけようとしたとき、ディアナが何かに驚いたように短く声を上げた。それと同時に、ディアナの背中から抜け出るようにエレナが姿を現して、語気を荒げてアルベルトに訴えかけてきた。
「彼女を呼ぶつもりですか、アルさん! 御止めになった方が宜しいですわよ!」
「相変わらず、お前とあいつは仲が良いのか悪いのか分からないな」
「良くはありませんわ!」
「まあ、それは良い。やっと出てきたんだ、後で話がある……逃げるなよ」
アルベルトが咎めるような厳しい目つきでエレナを睨むと、エレナは息を吸い込むように短く悲鳴を上げて、金縛りにでもあったかのように全身を硬直させていた。
エレナが逃亡しないように釘を刺したアルベルトは、改めて左手に嵌めてある指輪に魔力を込めると、その指輪に囁きかけるように声をかけた。
「レイラ、力を貸してくれ」
アルベルトがそう口にした瞬間、指輪から黒い靄の様なものが吹き出してアルベルト達の頭上を覆うように広がったあと、その靄はアルベルトの正面で繭のような形に収束した。
そして、その繭が何度か鳴動を繰り返したあと、繭を形成していた靄が大気に溶け込むように消えると、中からまるで闇夜を連想させるような漆黒の髪をツインテールにした少女が現れ、夜空に浮かぶ満月のような金色の瞳を潤ませながら両手を胸の前で組んで、アルベルトをじっと見つめていた。
「アルお兄ちゃん、会いたかったあ!」
声と共に飛び付くようにしてアルベルトに抱きついたレイラは、気持ちよさそうな顔でアルベルトの胸に頬を摺り寄せていたが、直ぐに何者かの手で背中をむんずと掴まえられて、アルベルトから無理矢理に引き剥がされた。
不愉快極まりないといった表情を浮かべたレイラが、至福の時を邪魔した者の顔を見るために振り向いて、その姿を視界に捉えると、まるで小悪魔が挑発するように可愛らしい口元に薄笑いを浮かべた。
「あら? オバサンも居たのね」
「オバサンって、貴女も500年以上存在しているお婆さんでしょうが! 昼の姿だからと言って、何がアルお兄ちゃんですか! あざといを過ぎて気持ち悪いですわよ」
「エレナったら相変わらず冗談が通じないんだから~♪ レイラこわ~い♪」
レイラはわざとらしく大袈裟に怖がる素振りで、再びアルベルトの胸に顔を埋めるように抱きついて視線をエレナに送ると、揶揄ようにその可愛らしい口元から舌を出していた。
「貴女はまた! そうやってアルさんの許可なく魔力を吸収するのは、お止めなさいと、いつも言っているでしょっ!」
「エレナって固いわねえ。あっ!? もしかして羨ましいのかしら? 一度、定着したキャラって壊しにくいものねえ。フフフ、ご愁傷さま~♪」
「いい加減にしなさいっ! この性悪女っ!」
エレナとレイラの遣り取りにディアナや紫焔たちが呆然とするなか、アルベルトは呆れるように大きく息を吐き出すと、徐に言い争う二人の頭を鷲掴みにして両手に力を込めた。
「「痛たたたたっ!」」
「いい加減、話を進めたいんだ。二人とも大人しくしてくれないか?」
アルベルトの背筋が凍るような冷ややかな低い声に、エレナとレイラは涙目になりガクブルと震えながら、鷲掴みにされたままの頭をカクカクと縦に揺らしていた。
そして、何故か側に居ただけで当事者ではないセレスも身体を強張らせて、壊れた人形の様に首を何度も縦に振っていて、ファンティーヌの頭の上で寝ていたはずのベルまでもが、ファンティーヌの頭の上で行儀よく正座して、緊張した面持ちで首を上下に振っていた。
精霊たちの緊張が伝わりその場の空気が凍り付くなか、緊張よりも好奇心が上回ったアリアとファンティーヌがほぼ同時に、瞳を輝かせながら勢いよく手を上げてアルベルトに問いかけてきた。
「アル小父さん、レイラちゃんは何の精霊なの?」
「小父さん、レイラちゃんの属性を教えて欲しいのなの!」
「はぁ……まったく、二人にかかったらシリアスな空気も形無しだな」
アルベルトが呆れるように苦笑して、レイラが守護精霊の一人で闇の最上位精霊だと告げると、アリアとファンティーヌはレイラを囲むようにして、興味津々といった視線をレイラに降り注がせていた。そして、そんなレイラを見つめて、ディアナは乾いた笑い声を上げながら放心するように呟いていた。
「本当に居たよ、四人目。今度は闇の最上位精霊様だってさ、アハハハ。一体何人いるのかしらね、アルベルトさんの守護精霊様。アハ、アハハハ」
それから暫くしてアリアとファンティーヌの興奮が落ち着いたのを見計らって、アルベルトはレイラに呼び出した本来の目的を伝えた。
「という訳で、紫焔たちに楓さんと話をさせるために、お前の力を貸してくれ」
「そんな簡単な事で良いの? あたしなら今すぐ目覚めさせる事もできるよ」
「いや、無理に目覚めさせて、極端な行動に出ないとも限らないからな。ここは紫焔たちに任せた方が良いだろう」
「分かった。それじゃあ、紫焔さんと紅葉ちゃんには、なるべく落ち着ける場所で、楓さんと手を繋いだ状態で横になってもらいたいのだけど……」
「それなら、このままセレスが作った祝福の泉の中で横になってもらえば良いんじゃないか?」
アルベルトがレイラにそう提案すると、レイラは暫く考えたあと首を横に振って、アルベルトの提案を断った。
「セレスの力と混ざり合っちゃったら、不測の事態があるかもしれないから念のために今回はパスで」
「そうなると、ディアナ達が使っている、そこのテントの中くらいしかないが」
「ん~っ。大丈夫そう、かな? それじゃあ、あなた達三人はテントに入って、他の人は中の三人の気が散らないように外で大人しく待機ね」
レイラの言葉にその場の全員が頷くと、紫焔が楓を労わるように祝福の泉の中から抱き上げて、レイラの後を追うように紅葉と一緒にテントの中へと姿を消した。
「紅葉ちゃんのお母さん、ちゃんと目を覚ますかな? ねえ、ディアナさん」
ディアナに寄り添うようにして立って、心配そうに見上げるアリアとファンティーヌの頭を、ディアナは優しく撫でながら微笑むと、二人の憂心を払うように静かに、そして力強く声に出して告げた。
「きっと大丈夫よ。紅葉ちゃんの泣き声に反応した楓さんなら、紅葉ちゃんの願いを無碍になんてできないはずよ。楓さんは紅葉ちゃんの母親なのですから」
ディアナの言葉を受けたアリアとファンティーヌの瞳からは憂いの色は消えて、テントに入って行った紫焔たちを見守るように、じっと見つめていた。そして、ディアナもまた紫焔たちの居るテントから視線を逸らさずにいた。
「それじゃあ、楓さん、だっけ? その人の両側に並んで手を繋いで寝て頂戴」
レイラの指示で川の字になって横になった紫焔と紅葉は、妻を、母を、上手く説得することができるのだろうかと、心の中の影を拭い切る事ができずに藁にも縋る気持ちでレイラに尋ねた。
「闇の精霊様、我らは楓を目覚めさせる事ができるでありましょうか?」
「そんなこと分からないわ。でも、彼女を目覚めさせたいのなら、あなた達が彼女のことをどれだけ大事に思い、必要としているのか、真摯に訴えるしかないんじゃない?」
「それでも、母様が目覚めとうないと言えば、妾達はどうすれば良いのじゃ」
「一度の説得でダメなら、何度でも話をしに行けば良いだけでしょ? 彼女と話す前から悩んでないで覚悟を決めなさい。それじゃあ、あなた達の精神を繋ぐわよ!」
レイラは一方的に会話を終わらせて、紫焔と紅葉の額に触れて昏睡させると、まるで異空間に閉じ込めるかのように、自身ごとテントを闇の球体で覆い隠した。
四人目の最上位精霊レイラの登場です。属性は闇、光の精霊のエレナは、これから苦労しそうです。
そして、紫焔親子は楓の説得に成功するのでしょうか?