第47話 魔素 後編
魔素、それは魔力の源となるもので、原初の知恵ある生命体の精霊族でさえ、その起源は分からず、生物の誕生と同じではないかと考えられていて、根源は生物の魂だとも思念だとも言われている。
魔素の根源が魂や思念だと考えられている理由の一つに、それが生物の魂や思念に色濃く影響を受け易いが為であった。
特に人間の魂の輝きは他の生き物より強く、その思いも深く重いもので、魔素への影響は著しく大きいものになる。
それは、強い悪意や怨嗟などに晒されると、魔素は負の感情に染まるということであり、その魔素を獣や草木が体内に大量に取り込んでしまうと、魔物へと堕ちてしまうのだ。
そして、魔物に堕ちたものが周囲の魔素を汚染し、それを取り込んだ樹木や獣が、更に魔物を生み出すという悪循環を形成することになる。
「なるほど、エレナたちが魔力を得る相手を、選り好みする理由は分かった。だが、それほどまでに魔素が影響を受けやすいものなら、何故、この森のようなことが今まで起こらなかったんだ?」
「それは本来、魔素というものは大気中のチリのようなもので、命あるものに取り込まれるものもあれば、風雨に晒されて大地や海に降り注いだり、風にのって遠方へ運ばれたりと、散り散りになってしまうのです。そうして漂っている間に浄化されて、元の無垢な状態に戻るものなのです……が」
エレナがアルベルトの疑問に答えながら、魔の森へと視線を移すと、アルベルトも同じように魔の森の方を見て口を開いた。
「この森で起こっていることが、異常である事に間違いないということか」
「はい。魔素が霧散せずに留まり、常に悪意に晒されているなどと、聞いたことがありませんわ」
「何かしらの原因が森の中にあるという事か……」
「はぁい、魔素の話はここまでねぇ。それじゃぁ、今から本題に入りまぁす」
「本題?」
アルベルトが何の事だと不思議そうな顔をしてセレスを見ると、セレスはアルベルトの顔の前まで近づき、ぷくぅと頬を膨らませて、片手を腰に、もう一方の手の人差し指を立てて、アルベルトを諫めてきた。
「アルぅ、ディアナさんのことぉ忘れてなぁい?」
「あ、……いや、忘れていた訳じゃないんだが」
セレスはジトっとアルベルトを見た後、呆れたように溜息を吐いてアルベルトから距離を取り、ディアナに向かって話しかけた。
「ディアナさぁん。貴女の魂の器がぁ、わたしの作った霊珠だってことぉ覚えているかなぁ」
「死にかけていたので朧気ですが、セレスさんとアルベルトさんが、そのような話をしていたような気がします」
セレスはディアナに魂の器のことを確認してから、その器となっている霊珠について話し始めた。
霊珠とは全て精霊が作ることが出来るもので、その製法は教えたり教えられたりするものではなく、精霊の魂に刻まれたものだという。
一般に認知されている霊珠は、聖樹の力を宿すことができる親指大の綺麗なガラス玉のようなものを指すだが、最上位精霊が作り出す霊珠だけは、アルベルトが使う錬金魔法において、魂の器として扱われるほど大きく強いものなのである。
しかし、精霊が作ったものであるが故に、それは悪意や怨嗟に敏感に反応するため、力のない精霊が作ったものは、強い悪意などに晒されると砕け散ることもあるという。
「もう、気づいちゃったかもしれないけどぉ、ディアナさんの体調がぁ悪くなった原因はぁ、そこの森から漏れ出しているぅ悪意に霊珠が反応しているだけなのぉ、だからぁ何も心配することはないのよぉ」
「で、ですが、今、強い悪意に晒されると、砕け散ると仰っていたではないですかっ!」
セレスの能天気な心配ないという言葉に対して、ディアナは何処に安心材料があるのだとばかりに、その顔を青ざめさせたまま詰め寄ると、セレスは両手の拳を腰に当て胸を反らせながらドヤ顔でディアナに答えた。
「ふふん。最上位精霊のわたしがぁ作った霊珠なのよぉ、そう簡単にぃ壊れるわけがないでしょぉ。魔王の悪意に晒されたってぇ壊れないわよぉ」
「え? そうなのですか?」
「ええ、そうよぉ。だからぁ安心してぇ」
「はい……」
ディアナが目をパチクリとさせて聞き返す言葉に、セレスが優しく微笑んで答えると、ディアナは漸く安堵の表情を浮かべて、緊張した身体から力が抜けるようにその場に大の字に仰向けになると、心の奥底から吐き出すように良かったと呟いた。
「ディアナさんも安心したようですし、次はベアトリーチェさんの疑問にお答えいたしますわね」
「はい、お願いします。エレナ様」
「ふふふ。そんなに畏まらなくても、昔のようにエレナお姉ちゃんって呼んで頂いても、よろしくてよ」
「ありがとうございます。ですが、分別のつかない子供の頃のような訳にはまいりませんので、お許しください」
「あら? そうなの。少し寂しいわね」
エレナが少しも寂しそうではなく、口元に手を当ててクスクスと笑うのを見て、ベアトリーチェは揶揄われたことに気づき、子供の頃と変わらず自由で人を揶揄うのが好きな方だなと、目を細めて穏やかな表情でエレナを見つめていた。
「それで、エレナ様。ローガンお兄様たちが魔物にならなかったのは、何故なのでしょうか?」
「それは、貴女のお兄様たちだけが特別だった、という訳ではないのよ。理由は二つあるのだけれど、それほど難しいことではないのよ」
「二つ……ですか」
ベアトリーチェが食い入るようにエレナを見つめる傍で、アルベルトとディアナも興味深そうに、これからエレナが話す内容に聞き耳を立てていた。
「まず一つは、人間が完全ではないにしても、自身の感情を抑制することが出来る。という事ですわ」
「それは、どういう……」
「簡単に説明しますと、いくら負の感情に染まった魔素を取り込んだとしても、その者自身の魂の有り様で、魔素を染め直してしまえるという事ですわ」
「ですが、元々、悪意に染まった人間もいます。その様な者たちは魔物になるのではないのですか?」
「ええ、そうですわね。ですが、そこで二つ目の理由ですわ」
「「「…………」」」
「種族や個体差で違いはあるのですが、魔力の保有量には限界があるのは知っていますわよね?」
「はい、存じております」
ベアトリーチェの返事を聞いて、エレナはまるで、教鞭をとるように二つ目の理由について話し始めた。
その内容は、人間や獣、植物では、其々、直接的に魔力を得る方法は違うのだが、魔素を取り込み、魔力を作り出す方法は同じなのだという事だった。
そして、取り込んだ魔素の余剰分を、人間だけは体外へ放出することが出来るのだが、それ以外の命あるものは、体外に放出する術を持っていないため、魔素が体内に蓄積され続けるのだと、セレスはアルベルトたちに説明した。
「ですから、人間が大量に魔素を取り込んでも、魔物へと変貌することは有り得ませんのよ」
「ローガンお兄様たちが魔物にならなかった理由は分かりました。有意義なお話を、ありがとうございます。エレナ様」
「んもうっ! 固いですわよっ! ベアトリーチェさん。昔はアルさんの後をいつもくっ付いて回って、人懐っこい可愛い子だったのに」
「な!? 昔の事を一々持ち出さないでくださいましっ! エレナ様!」
「うふふっ。ベアトリーチェさんってぇ面白い人ねぇ」
「あ、そう言えば、こちらの方……セレス様だったかしら? アル兄さんとどういった関係なのでしょうか?」
「契約した仲ですわぁ。ねぇ、アルぅ」
「ああ」
「はいっ!?」
ベアトリーチェはあまりの驚きで跳ねるように立ち上がると、アルベルトと精霊二人を交互に何度も見ながら、言葉が上手く出せないといった感じで口をパクパクとさせていた。
その様子を見ていたディアナは同情の色を顔に浮かべて、ベアトリーチェに近づくと、正面から両肩に手を置いて慰めるように声を掛けた。
「ベアトリーチェ様。お気持ちは、よぉぉぉぉぉぉぉぉく分かります。ですが、アルベルトさんのすることを一々気にしていたら、こちらの身が持ちませんので少し落ち着いてください」
「ディアナさん? セレス様って最上位精霊なのですよね? 貴女は驚かれないのですか?」
「ええ、そうですね。最初は驚きましたよ。ですが、彼は非常識が服を着て歩いている様なものですから、それにあと一人、子供たちと一緒に寝ている、ベルさんという最上位精霊がそこにいますので」
「はいっ!?」
「それに、わたしはまだ会ったことはありませんが、他にも契約している最上位精霊がいるようですので」
「…………」
「ベアトリーチェ様!? 大丈夫ですか! お気を確かに! ベアトリーチェ様!」
自分が追い打ちを掛けたとは思っていないディアナの気遣う声を遠くに聞きながら、理解の範疇を超えた驚きに、ベアトリーチェはその意識を手放した。
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