第2話 消えゆく命の救済
悪い予感というものは当たるもので、街を出て西に二刻ほど移動すると目的の村の方にある森の辺りが、赤く染まっているのが見えた。アルベルトはギリッと奥歯を噛みしめ、眉間に皺を寄せて火の手の上がっている一点を睨みつけていた。
(この気配は……。あいつら、また罪もない人たちを)
種族間戦争が終わって、もう十年以上も経っているんだぞ。今じゃどこの街や村でも種族の壁を越えて手を取り合って復興に励んでいるっていうのに、俺の住んでいた村を焼き、両親を殺し、友人を殺し、村人たちを殺し、それでも飽き足らずに母の育った村を、父の育った村を焼き尽くし、殺し尽くして、それでもまだ、足らないというのか。とアルベルトは憤り、吐き捨てるように呟いた。
「くそっ! また俺の目の前で」
アルベルトは怒りに我を忘れそうになるのを必死に抑え付けて、左手の人差指に嵌めてある魔石の付いた指輪に魔力を込めながら囁くと、疾走するアルベルトの左右の空中に青い魔法陣と緑の魔法陣が現れ、青の魔法陣から噴水のように水が湧き出てきて、緑の魔法陣の上では旋風のように風が渦巻き、其々の中から精霊が現れた。
「セレス、ベル、また力を貸してくれないか」
「呼ぶのぉ遅いわよぉ、アルぅ。もう私のことぉ忘れちゃったのかと思たわよぉ」
「アルー、久しぶりー。今日は何して遊ぶのかなー」
青の魔法陣から現れたセレスは水浅葱色の髪をした、瑠璃色の瞳のおっとりとした感じの美しいウンディーネで、まるで立ち止まっているかのように走る馬に合わせて、宙に浮いたままアルベルトに豊満な胸を押し付けるように抱き着いてきた。
そして、緑の魔法陣から現れたベルは萌黄色の髪をした、翠玉色の瞳の活発な感じのシルフの少女で、アルベルトの背後から肩車するように飛びついてきた。
召喚された精霊の二人は、アルベルトに声をかけながら顔を覗き込んでいた。
「怖い顔ぉ、もしかしてぇ」
「また、あいつらなの?」
「すまんな。セレスとベルにまた嫌なものを見せてしまうけど、手伝ってくれるかい?」
「いいわよぉ。私のアルにぃそんな顔させちゃう悪い子たちはぁ、お仕置きしないとねぇ」
「いいよ! ボクのアルを、悲しませる奴はボクが懲らしめてあげるっ!」
それから半刻ほどして、アルベルト達は村の入口に着いていた。すでに村を襲った奴らは立ち去った後のようで、住民が襲われている声も、襲撃者の声も聞こえてはこない。
「セレス、まずは火を消してくれないか。それから生き残っている人がいないか調べて、生存者がいたら治癒も頼む。ベルは襲撃者の捜索と足止めを頼めるか」
「わかったのぉ」
「まっかせて!」
「わたしのぉ可愛い妹たちぃ悪意で染まった炎を消しちゃってぇ」
「ボクの小っちゃな妹たちー。悪い人を見つけて思いっきり遊んであげて!」
セレスの声に従い村を覆うほどの水の小精霊たちが、村を焼いていた炎を一瞬で消しさり、ベルの声に従って数多の風の小精霊たちが森へと散っていった。
「アルぅ二人だけ生きてる人がいたのぉ。でもぉ大人の方は、もうダメかもぉ」
「どこだ! 連れて行ってくれ!」
「こっちなのぉ」
アルベルトはそう叫ぶと、セレスに付いて走り出した。
◇◆◇
アルベルトがセレスに連れられて入った家の中には、背中を袈裟切りにされた女性が、少女に覆い被さるように倒れていた。
(くそっ! この女性は助からないか……)
アルベルトは顔を顰め奥歯をギリッと噛みしめながら、女性の下の少女を確認しようと傍に近づいて、手を伸ばそうとしたとき、意識がないと思っていた女性が、ズボンの裾を弱々しく掴んで掠れた声で話しかけてきた。
「助けて……どうか子供だけは…………殺さないで……」
「安心しろ。俺はこの村の調査を依頼された冒険者だ」
「お願い……お願いします…………私はもう…………この子を……この子だけでも」
俺は片膝立ちに跪き女性を仰向けに抱きかかえると、彼女は少女の方を一度見つめて目に涙を浮かべ悲壮な表情で訴えるように俺の顔を見てきた。
「この子をお願いします……ハァハァ……お願……ゴフッ」
「わかった。その子の事は任せておけ」
そう言って、アルベルトはセレスの方に視線を向ける。
「セレス。あとどれくらい引延ばせる」
「うーん。あと半刻くらいかなぉ」
アルベルトは、セレスに女性が命尽きるまでの時間を確認すると女性に声をかける。
「ひとつだけ、貴方の命を繋ぎ止めることができるかもしれない方法がある。しかし、それは不死に近い身体になってしまい貴女は娘やその子供たちが老いていくのを、そして、死んでゆくのを永遠に見続けることになる。それでも、生きることを望むか、このまま死を迎えるか、考える時間は殆んど残ってないが自分で決めてくれ」
女性は一瞬、目を見開いて考えるまでもないと頷いて「お願いします」と、アルベルトの提案を受け入れた。
「アルぅ。また人形つくるのぉ」
「いや、時間がない。護衛用に作っておいた人形を使う。セレスは霊珠を用意してくれ」
「わかったのぉ」
セレスは霊珠を作るために外に出ていき、アルベルトはマジックボックスの中から人形を取りだした。それは男女の性別が無いだけで、人形というには肌質や表情などその姿は人のそれとまるで見分けのつかないものであった。
「これから貴女の全魔力をこの人形に移したあと、魂を宿らせる。できるだけ苦痛が無いようにするつもりだが、少し我慢してくれ」
女性がすべてを委ねるように微笑み肯いたのを見て、アルベルトはそっと女性を床に寝かせると、その胸の中央に手を翳し、もう一方の手も人形の胸の中央に翳すと錬金魔法を発動させた。
≪魔力転移≫
そう唱えると、両掌の下に金色に輝く魔法陣が現れ、アルベルトは女性の魔力に自分の魔力が混じらないように細心の注意を払いつつ、女性の命が尽きる前に急いで人形に魔力を移していく。
「うぅ……はぁはぁ…………くっ……」
「我慢してくれ……あと少しで終わる 」
「アルぅ、霊珠できたよぉ」
「ありがとう。こっちも、もうすぐ終わる」
(意外と魔力量が多いな、これなら……)
「よし。魔力の転移完了」
女性は身体から魔力を全て抜き取られたためか、命が尽きかけているためなのか、ぐったりとしている。
「それじゃぁ。今から魂を移すがこの人形は貴女に合わせて作ったものじゃない。だから、魂が適応しないと、最悪、死ぬことになる。覚悟はいいか?」
女性はもう喋る力もないのか、瞳を一度閉じて僅かに口元を緩めると胸に置かれた手に触れようと、力なく垂れ下がった腕を懸命に動かそうとしていた。
アルベルトは、その手を力強く握りしめると女性の目を見つめて頷き、セレスの方を向いて霊珠を受取った。
そして、それを女性の胸に置きその両手を取って握らせると、自分の両手を霊珠の上に翳して錬金魔法を唱えた。
≪魂転移≫
魔力を移した時のように金色に輝く魔法陣が現れると霊珠が淡い光を放ち始め、それとともに女性の目から光が失われていく。
アルベルトは魔法陣が消え女性の魂が霊珠に移ったことを確認すると、魂が宿り淡い光を放つ霊珠を女性の胸元から人形の胸の上に移し、両手を翳した。
再び、魔法陣がその上に現れ霊珠が人形の胸の中に溶けるように吸い込まれていくと、人形は女性の姿へと変化して肌が赤みを帯びはじめていった。
その容姿は元の女性の姿というわけではなく、顔つきは元の女性の面影を僅かに残す程度に変化し、髪の毛は人形の赤毛のショートヘアのままで、体型は魂の影響を受け易く背丈はアルベルトより頭一つ低いくらいでスレンダーな体つきに変化した。
「さてと、彼女が目覚める前に、元の身体の方もできる限りのことはしておくか」
「どうするのぉ」
「取り敢えず、セレスは彼女の元の身体の傷を治してくれ。その後で、その子を起こさないように焼け残った別の家のベッドにでも寝かせてやってくれ。俺はその間に柩を作る」
「いいわよぉ。アルは、やっぱり優しいのぉ。このままじゃぁ二人とも可哀想だものねぇ」
「優しくなんてない。俺は……。彼女に残酷な試練を与えただけかもしれないからな」
アルベルトは自分だけにしか聞こえないくらいの小さな声で呟き、マジックボックスの中から聖樹の枝を数本取り出して傍にあったベッドの上に置くと、両手を翳し棺桶をイメージしながら錬金魔法を唱えた。
≪心象創造≫
金色の魔法陣が現れると見る間にベッドは形を変えて、中の遺体を未来永劫、朽ちらせることのない『聖樹の柩』が出来上がった。
アルベルトが振り返ると、すでにセレスは彼女の元の身体の傷を治して、少女を連れて出て行ったようでそこにはいなかった。
アルベルトは彼女の元の身体を抱え上げて柩の中へそっと横たえると、マジックボックスの腕輪を発動させて目の前の中空に浮遊させるように、聖樹の滴を柩の中を満たせるだけの量を取り出して、自分の魔力が満遍なくそれに混ざるように込めはじめた。
無色透明だった聖樹の滴に魔力が十分に混ざると薄っすらと青みを帯びて、それを柩の中に満たすと、アルベルトは柩の蓋を閉じてマジックボックスの中へ収納した。
そして、アルベルトは「ほとんど勝算のない賭けだな」と、ぽつりと呟いて女性の魂を宿らせた人形の方を見つめていた。
作中に魔法が出てきましたので、魔法についての補足説明をします。
この世界の魔法は精霊の力を借りて様々な現象を引き起こす属性魔法と、それに属さない特殊魔法があります。
属性魔法は赤、青、黄、緑、白、黒の6色に大別されていて、魔力を精霊に譲渡することで力を行使しますが、属性間の優劣はなく、その差は譲渡した魔力量で決定します。
また、属性を組み合わせることで、より高度な現象を引き起こすことも可能になります。
それに対して、特殊魔法は精霊以外の者に魔力を譲渡して力を行使するもの、または自分自身の魔力により直接力を行使する魔法で、召喚魔法や錬金魔法が、これにあたります。