第19話 ファンティーヌと共に
話を終えたファンティーヌは俯き瞳を涙で濡らして、猫人族特有の耳をへにゃりと垂れさせて掛布を握りしめていた。
その様子にディアナは優しく彼女を抱きしめながら、無理矢理に我が子と引き離された母親のことを、アリアに名乗り出ることのできない自分に重ねて、心を掻き毟られるような激しい焦燥を感じていた。
そして、アリアも両親を失うことの辛さを知っているので、ファンティーヌに寄り添い、憐憫に翳った表情を浮かべながら、その小さな手で彼女の亜麻色の髪を撫でていた。
「ファニーさん、辛かったわね。今まで良く頑張りました。偉いわよ」
「小母さん……。ファニー、お母さんとお父さんに会いたいのなの……ぐすんっ」
「お母さんが言ったのでしょ。きっと会えるって」
「うん」
「あなたのお母さんは、嘘を吐くような人だった?」
「ううん。言わなかったのなの」
「じゃあ、大丈夫よ。必ず会えるから信じましょう」
「うん」
「あたしのお父さんとお母さんは死んじゃったから、もう会えないけど、ファニーのお父さんとお母さんは、まだ生きているのだから大丈夫よ。絶対に会えるよ」
「んにゃ!? アリアのお父さんとお母さん死んじゃったの?」
「うん……」
「アリアの方がファニーより可哀想なの。それなのにお父さんとお母さんに会いたいなんて言っちゃって、ごめんなさいなの」
「気にしないで良いよー。アル小父さんに、このペンダント作って貰ったから大丈夫!」
アリアはそう言って、ペンダントに魔力を込めて両親の姿を中空に映し出すと、ファンティーヌに向かってニコリと微笑んだ。
「ねっ。これで、いつでもお父さんとお母さんに会えるんだよ。だから、あたしは大丈夫なの!」
「優しそうな、お父さんとお母さんなの」
「うん、すごく優しかったよ。あっ!? ファニーの口癖が伝染っちゃってた。エヘヘ」
「アハハハ、ホントだ。ファニーも伝染してもらって、アリアみたいに強くならないとなの」
「そうよ。ファニーさんが泣いてばかりだとご両親も心配するわよ」
「わかったのなの。お母さんも諦めちゃダメって言っていたから、ファニーもう泣かないのなの」
宿に帰って来る途中で、怪しげな奴らが町の中を徘徊しているのを確認していたアルベルトは、三人の会話を聞きながらファニーをこのまま連れて出歩く訳にもいかず、これから如何するかと思案していた。
「もう少しこの町に滞在するつもりだったが仕方ない、手早く買い出しを済ませて、今日中にこの町を出よう」
「ダメなの! マルーとシールを探して、みんなを助けに行かないといけないのなの」
「それはできない」
「どうしてなの!? どうして助けてくれないの? 小父さん酷いの!」
「ファニー、君がその二人と逸れてから二日も経っているのだろ? 運が良ければ二人のうちどちらかが助けを呼んで、みんな救助されているかもしれない」
「うん……」
「だが、運が悪ければ、二人とも捕まっているかもしれない。そうじゃなかったとしても、子供とはいえ三人も逃げ出しているんだ、相手も警戒して増員している可能性が高い。それに、君は地下牢のあった場所が分からないだろ?」
「……うん。わからないのなの」
「俺たちがその場所を探している間に、また君を捕まえに来るかもしれない」
「でも!」
「ファニー、みんなを助けたい気持ちは分かる。だから少し落ち着きなさい」
「はい……なの」
「あまり頼りたくはないのだが、少し縁があって俺はアグレーンの領主と顔見知りなんだ。事情を書いた手紙をアグレーンに早馬で送る。それで、アグレーンの領主に動いてもらった方が、掴まっている獣人たちと売られた獣人たち全員を助けられると思う。獣人の事はあいつに任せておく方が一番良いんだ」
「お父さんとお母さんも、見つけて助けてもらえるのなの?」
「ああ、あいつに任せておけば問題ない」
「わかったのなの」
「それで、だ、ファニー。両親が見つかるまでの間、俺たちと一緒に来る気はあるか?」
「はい? なの」
「このままこの町にいる訳にも行かないだろ? ファニーを攫った奴らもまだ彷徨いているんだ。俺たちの旅の道中で身を寄せる事が出来る知り合いでもいるならそこまで送るが、居ないなら俺たちと一緒に来ないか、と聞いているんだが?」
「ファニー、あたし達と一緒に行こうよー」
「そうね、その方が良いわ。ここに置いていくなんて出来ないもの」
「…………わかったのなの。一緒に連れて行ってほしいのなの」
「よし。それじゃあディアナ、手分けしてさっさと買い出しを済ませるぞ」
「分かりましたわ」
「ファニーの耳と尻尾を隠すためのローブも買っておいてくれ。俺には子供が好みそうなデザインなんて分からないから、頼んだぞ」
「ふふふ。分かりました」
「アリアとファニーは、部屋から出ないように」
「はーい」
「はいなの」
「セレス、ベル、エレナ、二人のことは頼んだぞ」
「分かりましたわ。アルさん」
「オッケー」
「任せてなのぉ」
「アハハハ。セレスもファニーの口癖が伝染ってるねー」
「伝染っちゃったぁ」
「セレスは、元々そんな感じだよ…………地は別だけど(ぼそっ)」
「ベルちゃぁん、何かしらぁ」
「何でもなーい」
アルベルトとディアナはベル達の会話を聞き流しながら、足早に部屋を出て買い出しに向かった。
そして、手早くジェーヴァまでの食材を一人分多めに買い込み、ファニーに必要な雑貨と見た目を隠すためのローブを買って宿に戻って来ると、馬車に荷物を積み込むために直接、馬小屋へ向かった。
「ディアナ、俺は部屋で手紙を書いて来る。あとでアリアも来させるから荷物の方は任せた」
「一人でも大丈夫ですよ。アリアはファニーさんの傍に居てあげた方が良いと思いますわ」
「そうか、分かった」
アルベルトは荷物の積み込みをディアナに任せて、ファニーの為に買ったケープを持ってディアナたちの部屋へ戻りファニーに手渡すと、自室に戻ってアグレーンの領主宛てに手紙を書きだした。
「はぁ……。まさか、あいつを頼る羽目になるとは……あとでどんな無理難題を押し付けられるか分からないが、今回は仕方がないか」
アルベルトはアグレーンの領主と少し縁があるとファニーには言ったが、本当のところはかなり親しい間柄であった。
それは、アルベルトが冒険者に成り立ての頃から前アグレーン領主が急逝するまでの間、貴族の暮らしが嫌で冒険者になった、当時まだ領主ではなく次期領主候補であった現アグレーン領主のデュカルト=アグレーンとパーティを組んでいて、人と成りも良く知っている間柄なのだった。
しかし、アルベルトが彼に対して溜息を吐くほどに忌避感を募らせるのは、熱血漢のディカルトに振り回されることが多分にしてあったため、アルベルトのあまり関わりたくない人物リストの上位に名前を連ねていたのだ。
それ故に陸路でアグレーンを経由してリエガに向かうのではなく、アグレーンを避けるように海路を選択したのだが、正しくこれこそが腐れ縁なのだろうと、アルベルトはペンを走らせつつ肩を落としていた。
手紙を書き終えたアルベルトはアリア達の部屋に行き、今から手紙をアグレーンに届けてもらうために出かけるので、ディアナが戻ってきたら一緒に部屋で待っているように伝えると、教会へと足早に向かった。
手紙を教会に届けるというのもおかしな感じに思えるが、この国では王都の大聖堂を中心とした、教会間での意思伝達と布教を目的としたネットワークがあり、それを活用して伝道師や僧侶、特定の教会に属さない神父たちが使者となって書簡などを運んでいるからなのだ。
「アグレーンまで手紙を早馬で届けて欲しいんだが、届くまでにどれくらい掛かりそうだ?」
「そうですね、早馬で昼夜問わずでも大体、二週間というところでしょうか」
「二週間か時間がかかりすぎるな……金なら出すから、なんとか五日以内で届けられないか?」
「無理ですよ。貴方も神父なら分かるでしょ。普通に移動しても二月は掛かるのですよ。いくら早馬を飛ばしても十日が限界です」
「いや、俺は神父じゃなくて冒険者なんだが」
「おや? そうでしたか。雰囲気がその、何というか私たちに近いものを感じましたので、すみませんでした」
「よくあることだから、気にしなくても良い」
アルベルトは教会の中にいた僧侶の一人を呼び止めると、獣人たちの救助の事を考えて、無理を承知でなんとか五日以内にアグレーンまで手紙を届けられないかと尋ねてみたが、やはり思っていた通りの答えしか返ってこなかった。
「仕方ないか……。それじゃあ十日で……」
「そこまでお急ぎでしたら、この町の冒険者で飛龍を使役している者がいますから、彼に頼んでみてはどうですか?」
「それは本当か!?」
「はい。ドワーフ族の方だったと思いますが、今の時間なら冒険者ギルドに居るはずですよ」
「ありがとう! そっちに行ってみる」
アルベルトが僧侶に教会が手紙を届ける事が可能な最短の十日で依頼しようとしたとき、僧侶はアルベルトの言葉を遮るように、飛龍を使役する冒険者に頼んでみてはどうかと提案してきた。
その冒険者の事を詳しく教えてもらったアルベルトは、教会を飛び出すように急ぎ冒険者ギルドに向かって走り出した。
冒険者ギルドを訪れたアルベルトの視線の先には、教会の僧侶が言ったとおり、ドワーフ族の男がテーブルに着いていて、皿の上に三枚重ねられた分厚い肉の一枚にフォークを突き刺して、それをナイフで切り分けもせずに、そのまま齧り付いていた。
「すまない、少し良いか?」
「あん?」
「あんたが、飛龍を使役しているっていうドワーフ族の冒険者か?」
「使役なんてしてねえだよ。それに、オラには四分の一だけ人族の血が混じってるだ。だで、ドワーフの純血って訳じゃねえだ」
アルベルトが食事中のドワーフ族の男に確認の為に話しかけると、その男は飛龍なんて使役していない、と素っ気なく答えてきた。
「混血なのをそんなに気にしなくても良いんじゃないのか? 俺もダークエルフとのハーフだがダークエルフの特徴なんて、この浅黒い肌の色くらいなもんだ。見た目なんて殆んど人族と変わらないからな」
「そうだべか。兄ちゃんも混ざってたんだべか」
「ああ。それと食事中にすなまかったな。飛龍を使っているドワーフ族の冒険者がここに居ると聞いて来たんだが、どうやら人違いだったようだ」
「使役はしてねえだが、飛龍ならオラの相棒だで」
「はあ? どう言うことだ?」
「アイツとは生まれた時から一緒なんだけんど、それで、オラの言うことを聞いてくれってんだけだで、兄弟とか家族みたいなもんでよ。使役とか言われっと物扱いみたいで気分が悪くなるだよ」
「そうか。知らなかったとはいえ、気分を害してしまったようだな。すまなかった」
「ッ!?」
素直に謝るアルベルトを見て、ドワーフ族の男はフォークで突き刺した肉を口元に運んだまま、目を見開いて固まっていた。
「どうかしたのか?」
「ガハハハハ! 兄ちゃん良い人だな、気に入ったべ。それに、兄ちゃんも何処かで話を聞いただけなんだべ? 事情も知んねえ初対面の相手じゃ仕方ねえべさ。兄ちゃんだったら、相棒もきっと気に入ってくれるべ」
「そうか。だが、家族や兄弟を軽く見られると、確かに気分の良いものじゃないからな。すまなかった」
アルベルトがドワーフ族の男の言い分に納得して素直に謝ると、今まで飛龍のことを邪険に扱われる事しかなかったのか、それとも、アルベルトのように素直な対応をされたことが無いのか、その心中は分からないが、ドワーフ族の男は今一度、目を丸くして驚いた表情を浮かべると、テーブルを叩きながら豪快に笑いだした。
「それで、オラを探してたってことは、何か用があるんだべ?」
「ああ、この手紙をできるだけ早くアグレーンの領主に届けて欲しいんだが、アグレーンまでどれくらいで行けそうだ?」
「んだなあ。オラの相棒なら急げば二日半ってとこだべな」
「――ッ!?」
ドワーフ族の男が告げてきた日数を聞いて、アルベルトは予想以上の速さに目を見張って驚いた。
そして、それならば売られる前に助け出せる獣人の数も増えるのではないかと、僅かに期待が増した。
「すごいな、五日以内で届けてもらえれば良いと思っていたのだが、半分の日数しか掛からないとは」
「ガハハハハ。オラの相棒の空を飛ぶ速さは、その辺の飛龍とは出来が違うだ。空の魔物にも後れは取らねえだよ」
「ハハハハ。良い相棒だな」
「んだ」
「それじゃあ、この手紙をアグレーンまでお願いする。それとこれは今回の報酬だ」
アルベルトはそう言って、懐からアグレーンの領主宛ての親書と報酬の中銀貨1枚をテーブルの上に置いた。
「おいおい、兄ちゃん。これじゃあ多過ぎるべ」
「食事の邪魔をしたし、最初に気分を害してしまったからな。その詫びも込みって事で受け取っておいてくれ」
「そうだべか。そんじゃあ、有り難く貰っておくけんど……。兄ちゃん、結構損する性質だべ」
「そうか? 俺はそう感じたことはないんだがな」
「ガハハハハ! まあ良いべ。兄ちゃんの事は気に入ったで、困った事があったら何時でも声を掛けてくんろ。力になるだでよ」
「ああ、その時は頼む。それじゃあ、手紙の事もよろしく頼むな」
「分かったべ。これを食ったらすぐに出発するだよ」
ドワーフ族の男が親書と報酬を腰のポーチに仕舞い込むのを確認すると、アルベルトは冒険者ギルドを出てディアナ達の待つ宿屋へと足早に歩きだした。
「待たせたな。準備が終わったら、直ぐにでも町を出ようかと思っていたんだが…………。ははは、まあ後でもいいか」
アルベルトはこの後のことを伝えようとしたのだが、ディアナ達の部屋に入るなり、アリアとファンティーヌの瞳を輝かせるような視線が、アルベルトの両手に持つ包みを凝視していて、話ができる雰囲気ではなくなっていた。
その包みはアルベルトが宿屋に帰ってくる途中で買ったもので、時間的に昼を過ぎていたので、町を出る前に腹ごしらえをしておこうと思ったのだが、左手の包みからは、バターと極東の国で作られた豆を原料にした醤油という調味料の混ざり合った匂いが、蒸かされた芋の蒸気で煽られて部屋の中を漂っていて、右手の包みからは、串焼き肉の焦げたタレの香ばしい匂いが漂っていたのだ。
それ故に育ち盛りの子供たちが、アルベルトが部屋に入って来るなり瞳を輝かせ、涎を垂らさんばかりに口を半開きにして、身の乗り出すようにアルベルトの両手の包みに視線を釘付けにしていたとしても仕方のないことなのだ。
そして、それを見たアルベルトが苦笑しながら話すのを止めたのも、また、仕方のないことであった。
「アル小父さん! 何だか美味しそうな匂いがするー」
「小父さん。美味しそうな匂いなの」
「ハハハ。二人とも、まるで飢えた狼のようだな」
「小父さん、ファニーはマルーみたいに食いしん坊じゃないのなの」
アルベルトが二人を狼に例えると、ファンティーヌは犬狼族の幼馴染を思い出して頬を膨らませながらプンスカと怒ってきたが、その様子はとても愛らしく、怒っているようにはとても見えなかった。
「すまんな。みんな腹が減っているだろうと思って食い物を買って来たんだが、これで許してくれるかな? ファニー」
「仕方ないから、許してあげるのなの」
「ふふふ。アルベルトさんってば、子供には弱いようですわね」
「……君にも、割と言われたい放題だと思うんだが」
「そうですか? わたしのは常識の範疇でしかないと思いますけれど? モグモグ……あら!? この蒸かし芋すごく美味しい!」
(ディアナがキレた時の話の長さは、非常識だと思うんだがな…………)
「どうかしました? アルベルトさん」
「……いや、何でもない」
「そうですか。しかし、この蒸かし芋、本当に美味しいですね。町を出る前に、もう一度買って行きませんか?」
ジトっとした目でアルベルトに見られていたディアナだったが、話は其方退けで蒸かし芋に夢中だった。
「ディアナさんに賛成ぇー!」
「ファニーも、賛成なの」
「そんなに気に入ったなら、醤油とバターと芋を買って道中で自分たちで作れば良いんじゃないか?」
「「「……!?」」」
「アル小父さん、天才!」
「小父さん、すごいの!」
「確かにそちらの方が、いつでも好きな時に楽しめます。盲点でしたわ……」
「まあ、醤油を仕入れている町が少ないから、いつでも味わえるって訳でもないんだがな」
「「「――――ッ!!」」」
ディアナとアリア、そして、ファニーはアルベルトの最後の言葉に、まるで雷にでも打たれたように目を見開き、『ガーン』という音が幻聴できそうな表情で固まっていたが、逸早く正気に戻ったディアナが騒ぎ出した。
「アルベルトさん! 醤油! 醤油を買えるだけ買って行きましょう!」
「「うんうん」」
「買えるだけって、荷台には子供たちも乗るんだぞ」
「何を言っているのですか! アルベルトさんにはマジックボックスがあるじゃないですか!」
「蒸かし芋の為に、どれだけ必死なんだよ……」
(はぁ……。やはり、ディアナって非常識だよな…………)
アルベルトはディアナの言動に心の中で溜息を吐いて項垂れていた。
ディアナが出立の準備をしておいてくれたので、奴隷商人たちにファンティーヌが見つからないように彼女にケープのフードを目深に被らせて、アルベルト達は宿屋を出て馬車に乗り込むと、一度、商店街に立ち寄ってからシルクの町を後にした。
結局、ディアナと子供たち猛攻に押されて、大量の醤油を購入する羽目になったアルベルトは、町が見えなくなるまで肩を落として何度も溜息を吐いていた。
(はぁ……。実は女って、種族とか年齢に関係なく、最強なんじゃないのか……)
女性陣が蒸かし芋に心奪われました。
わたしの拙い作品を読んでみて、興味が湧いた方、続きが気になると言う方
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