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終電

作者: 梅干 茶子

愛されるって何だろうね。


 その出来事は、突然起こった。


 「・・・嫌だったら、振り解いて」


 終電を待つ喫煙所で、男友達に抱きしめられた。

 突然の出来事に、心臓が高鳴る。

 高鳴りはするが・・・


 「・・・嫌じゃないけど、どうしたの?なんかあった?」


 私は彼の勇気を台無しにした。




 ※ ※ ※




 五年前の出来事を急に思い出したのは、きっとあの時と同じ終電を待っていたから。

 法律の改正で、駅のホームにはもう喫煙所はない。

 寒空の中でカタカタ震えながら、くわえタバコをする人はもう居ない。


 はふぅ、と息を噴き出せば、そこには紫煙の混じらない白い息。ちょっと、いやかなり酒臭い息。


 「ううっ、さむっ」


 足元はスカートで、脛丈のブーツ。

 ダウンコートから覗く黒タイツの足を、片足ずつ上げて擦り合わせる。

 シャリシャリとする、質の悪いタイツの感触と、発生する静電気。スカートがぴったり張り付くのが嫌いだったが、寒さに勝てなかった。


 ホームには割と多くの人が居る。でもホームの端には私しか居ない。


 最寄り駅のホームは改装されて、出入り口付近の乗り場はここじゃない。


 「何で、私ここに居るのかな…」


 私は白い息を吐き出した。




 ※ ※ ※




 あの日は、舞台の打ち上げて、OBに連れられて終電間近まで呑まされた。

 当時芸術系専門の二年だった私達は、終電の迫った酔っぱらった後輩とその彼女を連れてその場を抜け出し、後輩カップルを終電間際の電車に放り込んで、自分達の電車のホームに立った。


 「あちゃ。終電しかないか〜」


 私は独り言を言う。

 同行者の男子は物凄く無口だから。必然的に独り言になってしまう。


 今もやっぱり、ほら何も言わない。


 顔を下に向けて、猫背で私の後ろを歩いてる。


 舞台稽古の際に何とか打ち解けようと、お昼ご飯を一緒に食べてみたり、ミーティングの時には、小さい声が拾えるように横にわざと座ったりした。

 本当は、舞台が終わるまでに打ち解けたかったのだけど、そうは問屋が卸してくれなかった。


 稽古になれば大声も出せるし、感情豊かな表現も出来る。でも、プライベートの彼は無口無言。

 それでもやっと、挨拶は返してくれるようになったのだけど・・・それも今日まで。これで終わり。


 二年制だからね。私も春から就職が決まってるし、もう舞台に立つこともないだろう。

 そもそもそんなに綺麗な訳でも、飛び抜けて背が高い訳でも、スタイルが良い訳でも、歌が上手い訳でもないから。

 私の売りは、よく通る声と、人と少しだけ違う思い切った表現力だけ。分からない台本はとことん分からなくて、役に入り切る事もできなかった。

 中途半端だな。自分でもそう思う。


 「ちょっとタバコ吸って良い?」


 後ろを振り返り、一応聞く。

 彼はこくんと頷いた。


 芝居の中で覚えてしまったタバコ。

 まあ、二十歳過ぎてるから何か言われても困るけど。


 私はホームの端にある灰皿の所に行って、カバンからタバコを取り出す。一ミリの細いやつ。

 誰かから、それお水の人が吸うやつ!って言われたけど、これが一番香りが良いんだから仕方無いじゃない。ね。すぐ無くなるけど。


 寒い中、燃えたら嫌だから、手袋を外して風よけを作りタバコに火を付ける。


 思いっきり吸って、勢い良く紫煙を吐き出した。


 「参っちゃったねー。OB飲ませ過ぎだよ」


 彼は、何でか私の直ぐ横に来た。

 いっつもそう。離れたベンチに座れば良いのに、わざわざ嫌いなはずのタバコの煙のそばに来る。


 「後藤、重かったでしょ。ありがとね」


 後藤、とは酔っ払った後輩の名前。彼が背負って電車に乗せてた。席に置いて、すぐ降りてきたけど。


 彼はこくんとに頷いた。

 言葉は無い。いつもの事だ。


 会話が途切れる。私は黙って紫煙を吐き出す。


 北風がホームに吹いた。


 「うわっ!さむっ!」


 私は加えタバコのまま、マフラーにあごを埋めた。

 彼が横で、すっと動いた。

 風避けになるように、風上に。


 「いいよ、寒いでしょ?」


 私は笑って、彼に声をかけた。


 「ん」


 彼はそれしか言わなかった。けど、動いた位置から退こうとはしない。


 「・・・もう。風邪引かないでよ?あんたのファンの子に恨まれるの、嫌だからね」


 彼にはファンが付いている。結構熱心な子が何人か。今日も出待ちされてた。

 ただ、彼のファンの子は、素の彼がメガネで猫背で無口だって、多分知らないんじゃないかな。

 ファンサービスの時は、この人舞台の雰囲気のまんまだから。


 「・・・大丈夫」


 彼の低い声が聞こえる。ボソボソと相変わらず聞き取りにくい。


 「そう」


 私はそう言って、最後のひと口を吸った。

 紫煙と混ざる白い息を吐きながら、タバコを灰皿でもみ消す。


 「・・・なんか、暖かい飲み物買おうか」


 そう言って、彼に背を向けた時だった。


 後ろから急に抱き竦められたのは。


 「・・・嫌だったら、振り解いて」


 彼はそう言って、私の肩に顔を埋めた。

 きっとタバコ臭い、マフラーに。


 ドキン、とした。

 これで高鳴らない女子は居ないだろう。

 だけど、私は混乱した。

 彼は、タバコが嫌いで、それを吸う私を好きになるとは思えなかったから。

 だから、これは、きっと・・・


 「・・・嫌じゃないけど」


 溜息と共に、口から出た言葉は呆れを含んでいた。


 「どうしたの?なんかあった?」


 彼の頭をポンポン叩いて、あくまで友達として、私は彼に接した。


 彼はビクッとなって、そろそろと拘束を解く。


 「話なら聞くよ?」


 私は彼に笑い掛けた。

 メガネの奥の彼の気持ちは、分からなかった。

 ただ、彼はふるふると首を横に振る。


 「そ・・・とりあえず、何か飲もうよ。寒くて凍えちゃう!」


 私はわざと、努めて明るく言って、彼を置き去りにした。




 ※ ※ ※




 「なぁんで、知らん顔したのかな・・・」


 独り言だ。

 だって一人しかいない。

 もう彼はここに居ない。

 風避けになってくれた人は、居ないんだ。


 言い訳をすれば、私は当時好きな人が居たのだ。舞台で、相手役だった俳優。軽くて、明るくて、遊び人で、特定の人がいないのは知ってた。

 その人が主演の舞台だから、絶対失敗したくなくて、孤立してた彼に声を掛けて、少しでも舞台が良くなるように私なりに努力したのだ。


 その結果、彼に惚れられるとは思わなかったし、惚れられても当時の私には応えられなかった。


 そもそも、その好きな人には振り向いても貰えなかった。そりゃそうだ。その人の周りには、私なんかより顔が良くて、スタイルの良い人が沢山いたんだから。

 私は卒業間近に告白して、振られた。わかっててした告白だから、踏ん切りをつけるためにやったようなもんだ。もう痛くない思い出だ。


 「はー。寒い…」


 ポケットに手を突っ込んで、しゃがみ込む。

 スカートだからとかどうでもいい。寒すぎる。ぶっちゃけ痛いくらいなんだから。


 あー。スカートが風避けになって、少し足が暖かいなぁ。そんなことを思った。


 正月に、年賀状が着た。

 無口な彼らしい、少ない文字の年賀状。

 私はカバンから、何度も見たそれを取り出す。


 『もし、まだ貴女に彼氏が居ないなら、あの日の終電のホームで待ってて下さい。』


 「ふっ」


 また読み返して、笑いが込み上げてきた。

 この言葉を信じて、こんな寒い日に、私は何をしているのか。

 そもそも、あの日って何?私の思い込みで、抱き締められた日だと思ってたら?日付じゃなくて、曜日指定だったら?第三週の金曜日とかって指定だったら?


 今日は、火曜だ。週の初めの終電なんて、あんまり客居ないのに。


 彼の姿は見当たらないし、寒いし、虚しい。


 「あはは…馬鹿じゃん、私」


 笑いと涙が一緒に出た。


 終電が、ホームに入って来た。

 ドアが空いて、人が降りる。

 こんな端っこでも、一人くらいは降りる。


 私は下を向いたまま、動かなかった。

 誰も見たくないし、誰にも見られたくなかったから。

 小さくなったまま、動かなかった。


 「終電ですけど、乗りませんか?」

 「あ、人を待ってただけなので。乗らないです」


 駅員に声を掛けられた。

 私は直ぐに返事をして立ち上がる。

 人の流れが途絶えたホームを、出口に向かって歩き出した。




 ※ ※ ※




 どうしようかな。

 駅のホームにある、ガラス張りの喫煙室で、加えタバコしながら携帯をいじる。

 漫画喫茶でも行くか。

 カチカチと画面を操作して、最寄の漫画喫茶を検索する。徒歩十分位に一軒あった。

 地図を確認して、携帯を閉じる。


 場所はすぐに分かった。あの日芝居をしたハコだったから。漫画喫茶になったのか。知らなかった。


 時の流れは残酷だ。

 私が、必死に慣れない社会人をやっている間に、無口な彼はスカウトされて映画の主演からテレビドラマに出るような、有名俳優になった。


 テレビで見る彼は、メガネもしてないし、ボサボサ頭でもないし、眉毛もちゃんと整ってるし、イケメンスマイルしてるし。私の知ってる彼じゃなかった。

 いつも丸まってた背中はビシッと伸びて、堂々と芝居してた。

 いやそこは、変わってないか。

 芝居の時は、当時から別人みたいだったからな。


 あんな人気者が、今更私を振り返るわけ無い。芸能人なんて、美人の巣窟じゃないか。私なんて及びもつかない。必要とされる訳が無い。

 何でそんな事に気付かなかったかな。

 きっと、あの日気づかないフリをしたのを知ってて、恨んでたんだ。今日のコレは意趣返しだったのかも。

 お前に彼氏なんか居ねえだろって思われてたのかなぁ。図星だけど。


 私は長い長い息を吐いて、紫煙を送り出す。

 二本目のタバコを、水の張ってある灰皿に投げこんだ。

 ジュッと音がして、煙が消える。


 それを確認して、煙の匂いだけが残る喫煙室を後にした。




 ※ ※ ※




 ホームをトボトボ歩く。


 「あーあ…」


 天井を見て、それから足元を見て、目を瞑って歩く。

 前なんか見たくない。ホームから落ちるなら落ちれば良い。階段から落ちて大怪我でもすれば良い。アホな私にはそれが似合いだ。


 今日は会社の飲み会だったけど、とっくの昔に酔いは冷めてる。

 体はキンキンに冷えてるし、お腹でも壊すかもな、そんな事を思いながら、トボトボ歩く。


 コツコツコツ、と自分のヒールの音が響く。

 その音を聞きながら、歩く。


 誰も居ないホームだから、よく響くな。


 そう思っていたら、何かにぶつかった。

 柔らかい、服の感触。


 しまった。人が居たんだ…


 「あ、ごめ…」


 んなさい、と続けようとしたら、抱き締められた。

 あれ?この腕、なんか知ってる…


 「嫌だったら、振り解いて。舞さん」

 「あ…とお、る…君?」


 返事は無い。

 抱き締めてきた彼の頭が、頷く。


 また肩に顔を埋めて、思いっきり息を吸われた。


 「懐かしい、この匂い」

 「…やだ、タバコ臭いよ?」

 「知ってるよ。懐かしい…」


 私は、振り解かなかった。

 振り解けなかった。


 会話が出来る彼が、不思議だった。

 抱き締められて、暖かかった。


 いや、どれもちがくて。

 わかってる。わかってるよ。


 私は彼を、待っていたからだって。


 「…舞さん?泣いてるの?」

 「…やだ。嘘。泣いてる?」

 「泣いてる。ごめん、待たせたから?」


 彼の大きな手が、私の涙を拭う。


 私は彼を、初めて見た。

 ぼやけた視界でも、はっきり分かった。

 だって、彼は、ボサボサ頭でメガネで。


 「ぷっ。メガネしてる」

 「ああ…」

 「ふふっ。変わらないね」

 「変わらないよ、そう簡単には」

 「でも、話してる。透君と」

 「話せるようになったんだよ。会話塾に行かされた。難しかったよ」

 「苦労したんだ」

 「そう。苦労した。舞さん、ごめんね。待たせて」


 私は首を振った。

 言葉にならなかった。

 嗚咽でのどか詰まった。

 彼は、私を胸に抱いた。

 私は彼の胸に額を付けた。

 服を涙で汚しちゃいけないと思ったから。


 「まっ、てた」

 「うん」

 「さむ、かった」

 「うん」


 彼が私を抱きしめる。

 顔が服について、ちょっと気になったけど、そのまま私も、彼の背に腕を回す。


 「ひぅっ」


 嗚咽で、変な声が出た。

 恥ずかしいと思った。

 でもまだ涙は止まらなかった。


 優しく、彼の手が頭を撫でた。いいこいいこされた。


 「ごめんね」


 彼の低い声が耳元で聞こえて、私は勢い良く首を左右に振った。


 「仕事、でしょ?撮影、あったんでしょ?」

 「うん」

 「大変、だったね。お疲れ、様」


 私は顔を上げて無理やり笑った。

 彼は、私にキスをした。

 私はぼんやりと、そのキスを受けた。


 「…やっぱ、舞さんは凄いな。俺の言いたい事分かってくれる」

 「そんな、偶然、かもよ?」

 「違うよ。舞さんは、いつも俺の言葉を汲み取ってくれた」

 「それは…頑張ったんだよ」

 「芝居のために?」


 私は正直に、頷いた。


 「幻滅、した?」


 涙は収まった。私は震える手の袖で、頬を拭った。

 今度はガクガクと震えてた。

 怖くて、寒くて…


 彼は首を横に振る。

 そして、悲しそうに笑った。


 「知ってた」

 「…そっか」


 私は彼の胸に手を置いて、突き放そうとした。

 したのだけど…。


 「それでも、貴女が欲しかった」


 逆に抱きしめる力が強くなって、頭の上から降ってきた声に、一瞬まっ白になった。


 「…嘘」

 「嘘じゃないよ。舞さんが、巧さんを好きだったのも、知ってた」


 巧は当時私が好きだった人の名前だ。

 知って、たんだ…


 「じゃ、何で…抱き締めたの…?」

 「…欲しかったから。貴女が」

 「嘘」

 「嘘じゃないって」

 「タバコ、嫌いだった」

 「あれは…うん。舞さんのは、別」

 「私、タバコ吸うよ?」

 「今更だね。いいよ、知ってる。その匂いも、好きだよ」


 好き、って言葉に頭がクラクラした。

 これは、現実なのか、妄想なのか、疑ってしまうくらいには混乱した。


 「…頑張って、止めるよ」

 「いいよ。無理させたくない」

 「だって、嫌いだし。少なくとも、透君の前では吸わない」


 そう言ったら、額をコツンと付けられた。


 「やだ。秘密にしないで」

 「でも…」

 「嫌だ」


 そうして、またキスをした。

 今度は深く。

 唇を離した彼は、笑ってた。


 「今、吸ってたでしょ?」

 「…うん」

 「苦い味がした」

 「やっぱり。やでしょ?」


 彼は首を横に振る。


 「大好き」


 そう言って、また抱き締められた。

 彼の胸、全体で、包み込まれるように、ぎゅっと。

 すごく、すごく暖かかった。


 「っ…」


 涙が流れる。

 そんな筈ない。

 苦いのが良いわけない。

 分かってる。

 けど、けれど…


 素のままの自分を受け止めてもらえる事が、こんなに嬉しいとは思わなかった。


 私は、両手を彼の背に回した。

 私も、彼を抱き締めたかった。

 ぎゅ、ってした。

 ぎゅ、って返ってきた。

 無性に嬉しかった。


 暫く、そうしていた。

 寒さも忘れて、お互いに温め合っているみたいだった。

 私の涙が止まると、透君が耳元で話しかけてきた。


 「舞さん、終電、終わっちゃったね」

 「うん」

 「あのさ、俺んち、来ない?」

 「う…?」

 「三十分くらい歩くけど」

 「…タクシー…」

 「ああ、そっか。寒いしね。タクシーで帰ろうか」

 「うん」


 昔と逆だな。私の言葉を、彼が拾う。

 こんな日が来るなんて、思わなかった。


 「あのさ、透君」

 「うん?」

 「来てくれて、ありがとう」

 「それは俺のセリフ」


 そう言って、抱き締める手をほどくと、透君は前髪を掻き上げた。

 二重の大きな目。すっと横に細められて、長いまつげが頬に影を作ってる。

 眼鏡越しでも、その尋常じゃない綺麗さが良く分かる。


 「舞さん。俺が舞さんを好きなのは、もう分かってる?」

 「それが一番、嘘だと思ってたけど、本当なんだよね?」

 「そうだよ。俺は貴女が欲しい。貴女が好きなんだ。五年前から、ずっと」

 「私より、綺麗な人は、周りにいっぱいいるのに、なんで私なの?」

 「それが、嘘だと思ってた原因?」

 「うん。だって私、一般人だよ。昔はそりゃ、同じことしてたけど…もう、世界が違うって思ってる」

 「それから?」

 「っ。綺麗じゃないし、可愛くないし、背も高くないし、スタイルも良くないし」

 「あとは?」

 「声も良いわけじゃないし、ダンスもそこそこだったし、芝居も良くなかったし、目が出なかったし」

 「それで?」

 「…全然、好かれた意味が分からない」

 「それで全部?」

 「…うん」

 「そっか」


 促されて、心に思ってたことを吐き出させられた。

 自信なんかない。振られて当然だと、さっきまで思ってた。

 期待した自分に馬鹿野郎って思ってた。

 透君が来なくて、正解だと思ってた。


 なのに、透君が来たのが、本当の所はよくわからない。

 嬉しかったのに。嬉しかったのは本当なのに。夢みたいで、まだからかわれてるんじゃないかって、頭のどこかで思ってる。


 「じゃあ、俺の番ね」

 「え?」


 透君が、私の両肩をがっちりつかんだ。

 目を合わせられて、それだけでドキドキしてしまう。


 「舞さんは、馬鹿正直で思いやりの塊だ。俺、五年前、巧さんの事知ってたって言ったでしょ。それでも諦められなかったのは、俺がどうしようもなく舞さんを好きだったからだ。

 知ってるよ。舞さんがあの舞台の時、どんなに周りに気を配ってたか。一人一人の体調にも、心の変化にも気を付けてた。愚痴の聞き役も全部舞さんだった。励ますのも、舞さんだった。孤立してた俺を、周りと近づけてくれたのも、舞さんだった。俺、あれから少しずつ人と話せるようになったんだ。舞さんのおかげだよ。

 本当は、舞さんが幸せになっていてくれればいいって思ってた。俺は、色々足りないから。言葉とか、態度とか。足りないし、急に動くし、驚かせてばっかりだから。

 俺、五年前の事、後悔してたんだ。舞さん、返事のしようが無いのを分かってて、俺の欲で抱き締めた。あのまま別れたくなかった。でも、舞さんがそれを止めてくれた。止めてくれなかったら、俺は暴走して、貴女を襲ってた。それくらい、抑えられなかった。それ位、どうしようもなく貴女に惹かれてた」


 透君は別人みたいに喋って、一旦言葉を切った。

 驚いた。透君て、こんなに話せたんだ。


 彼の目は真剣で、私は目を逸らせない。

 自分の努力を知ってくれている人が居た。

 それが嬉しかったのもある。

 もっと、聞いて居たかった。


 「舞さん、芝居が良く無かったって言ったね。それは自分で客観的に見てないからじゃないの?

 貴女の芝居は、凄いよ。あの舞台、遊女の役で、他の女に行く旦那に気が狂ってしまう役だったけど、知ってる?あの舞台で誰が一番すごかったかっていう周りの批評。

 舞さんだったんだよ。

 すごく艶めかしくて、色っぽくて、巧さんを誘惑する様は、こっちの心臓が持って行かれるんじゃないかって演技だった。その後の狂っていくシーンの凄まじかったこと、俺はよく覚えてる。


 それと、知ってる。あれが、演技なんかじゃない、舞さん自身だって事」


 ギクリ、とした。


 「舞さんは、自分の思ってる感情以外の芝居は出来ない。正直者だから嘘が付けない。無理すれば、どっかにひずみが出る。それが、タバコでしょ?」

 「…なん、で」

 「分かるよ。ずっと見てたから」


 ぼろっと涙がこぼれた。

 また、泣かされた。

 透君に会ってから、泣いてばかりだ。


 「…も、やだぁ…」


 私は涙を両手で拭った。

 後から後から、涙が溢れる。

 悲しいんじゃない。

 こんなに報われたのは、初めてだ。


 「もし、この五年間、貴女が変わっていないなら、俺以上に貴女を理解してる男は居ないって断言するよ」


 私は、ただ、頷いた。

 変わってないよ。今も、頑張ってるよ。

 社会人になって、全然違う世界で、今も私は変わらない。

 周りを気にして、周りと合わせて、歪みを感じてる。

 社会人で居る以上、私は多分、タバコを手放せない。

 そうしないと、今度は心が壊れるから。

 そう思っているから。


 「あとは、容姿だっけ?ていうか、そんなこと気にしてたの?好きな女と他の女、比べられるわけがないじゃないか」


 そう言って、彼は私の頬を両手で包む。


 「笑った顔が好きだよ。いたずらしてる顔も好き。怒ってる顔も、呆れてる顔も、泣いてる顔も、大好きだよ。目が好きだよ。綺麗だ。口も、好きだよ。食べたいよ。肌もすべすべだよね。ブツブツしてたら心配するかな。背の高さは丁度いいよね。俺にとっては、これくらいがいい。体形は、どうなってもいいよ。太ってても、痩せてても、貴女が健康なら、それでいい。俺が好きな舞さんは、全部だ」


 両手の親指が、私の涙を拭う。

 顔を引き寄せられて、キスをする。


 「嫌なら、跳ね除けていいよ?」

 「…意地悪」


 私は彼の首に腕を回して、自分からキスをした。

 何度も、何度も繰り返される、ついばむようなキス。


 「これ以上は…五年、待ったから。抑えられなくなるよ」


 そう言って、少し顔の距離を置く。


 「早く連れて帰りたい」


 彼の目元が、赤い。頬も赤い。綺麗な白い肌。滑らかな手触り。あごにちょっと髭の感触。

 全部、全部今日知った。今、知った。


 「…私の知ってる透君は、無口で猫背で眼鏡でぼさぼさで…」

 「良い所無いな」


 彼は笑う。綺麗な笑顔。とろけそうなのは私の方だ。


 「真剣に芝居に取り組んでて、舞台では別人で、テレビでも別人で、でも本当は人見知りの怖がりで」

 「うん。そうだよ。舞さん以外は、怖いよ。今も」


 彼の手が、私の頬を撫でる。

 私はその手の上から、自分の手を重ねた。


 「守ってあげなきゃって、思ってたの。思い上がってたの。ごめんなさい。五年前、私、貴方を傷つけた」


 目を固く瞑った。彼が許してくれても、私は当時の自分の行いを許せなかったから。


 「こんなに思ってくれてたのに、私は貴方を、無視して傷つけた。私、どうしたらいい?」

 「…今、自分が卑怯だと思ってるでしょ」


 私は頷く。謝って許される事じゃないからって、判断を相手に委ねる事は、卑怯だ。

 相手が許してくれるってわかってるから、なおさら卑怯だ。

 彼の指摘に、心が縮む。


 「…そういうところ、本当に変わらないね」


 ぽん、と頭に手を置かれた。


 「それで、正直な話。舞さんは俺をどう思ってるの?」

 「今聞く?」

 「今だから聞く」


 私は、考えた。言葉を選んだ。


 「言葉、選ばないで。舞さんの言いたい事なら分かるから」

 「…ずっと、気にかかってた。毎年年賀状出してたのは、五年前のあの事が、どうしても引っかかってたから。ずっと、気になってて。でも、住む世界が違くなりすぎて、どうしていいのかわからなかった。年賀状のやり取りだけが、繋がってる感じがして、嬉しかった」


 私は、バッグから年賀状を取り出した。


 「それ」

 「うん。ずっと、持ってたの。今日、会いたくて。謝りたくて。テレビの向こうの透君があまりにも違うから、無理してるんじゃないかって、心配してて。でも、余計なお世話だなって思ってて。年賀状にも何にも書けなくて、知りたいけど、怖くて、何も…」


 私は年賀状を胸に当てた。胸が苦しかったから。


 「今日、好きになったって言っても、良いのかな」

 「いいよ」

 「今日来てくれたら、謝る事しか考えてなかったの」

 「うん」

 「ずっと気にはなってたけど、恋愛対象じゃなかった」

 「世界が違うってやつ?」

 「そうよ。住んでる世界が違う。違い過ぎる。私なんか好きじゃないって思ってたから」

 「好きじゃない子に、そんな年賀状出す?」

 「違うよ、恨まれて、いたずらかも知れないって思ったよ」

 「そっか。それは心外だな」

 「そうだね。透君、そんな人じゃないもんね」

 「わかってるじゃん」

 「だから、期待しちゃったんだよ。もしかしたら、まだ好きでいてくれるのかなって」

 「で、期待通りの感想は?」

 「…私で、いいの?」

 「舞さんじゃなきゃ嫌だ」

 「私、幸せだ…」

 「本当?そう思ってくれる?」

 「うん。だって、私、透君好きだから。好きになっちゃったから。舞い上がっちゃうよ」

 「俺、舞さん落とせたのかな?」

 「うん。落ちたね。完全に落ちた」


 透君が、手で口を覆った。

 真っ赤になってる。


 「やべ、すっごい嬉しい」

 「あはは」


 目の前に、普通の男の子が居る。

 透君が、普通の男の子になった。

 世界が繋がった気がした。

 なんだか、嬉しかった。


 「透君、寒くない?」

 「寒い」

 「行こ?透君の家」

 「いいの?襲うかもよ?」

 「まずは、お互いの五年を埋めてからだよ」

 「うん。頑張る」

 「あははは」


 私達は、並んでホームを歩いた。誰も居ないホーム。もうすぐ駅員さんが巡回に来ちゃうかも知れない。


 手を繋いだ。

 私の手を、透君はコートのポケットに入れる。


 「冷たい」

 「待ってたもん」

 「ホント、ごめん」

 「やだ。良いってば。来てくれたんだもん」

 「うん。舞さん」

 「ん?」

 「俺、今凄く幸せ」

 「ん。私も。もっと幸せにしてね」

 「うん。するよ。後悔させない」


 コツコツと、足音が響く。

 透君はスニーカーだから足音がしない。

 私一人分の足音。

 でももう、寂しくない。

 もう、下を向かない。


 私達は前を見て、駅を出た。



私は幸せな物語が書きたい。そして読みたい。

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