67. 恋物語が終わりました
「そんなことより」
うん、それは、そんなことよりですね。
なんの話かは知りませんが。
「クロヴィスと夫人の預け先が決まった」
本当に大事な話だった。
私は身を乗り出す。
「どこです?」
「オルラーフ」
その返答にほっと息を吐いた。
シルヴィスさまに提案したのは私だ。
オルラーフなら、こちらの煩わしい人間関係に影響を受けることもほぼないだろう。
エルマ夫人の実家だって、もう手出しはできない。
王弟殿下が病気療養中ということになっているのだから、薬学の発達したオルラーフに行きたいというのは、ごく自然な動機だ。
結果的に、国外追放、ということにはなるが、そうは見えないのではないか。
「そちらの外務卿が先日入国しただろう? それで留学という名目で頼んだ。詳細は今、詰めている。もしあちらでなんらかの成果を上げれば、アダルベラスとオルラーフの関係も強固なものとなるだろう」
「クロヴィスさまなら、大丈夫ですわ」
私は自信を持って、そう言い切る。
彼は負けず嫌いで、努力家なのだ。
必ずなんらかの成果を上げてくれるだろう。
そして。
私とクロヴィスさまは、お互いに人質となる。
私への扱いがぞんざいであれば、クロヴィスさまに影響が出る。
クロヴィスさまへの扱いがぞんざいであれば、私に影響が出る。
切っても切れない関係性。
和平協定の証と言っても過言ではないのではなかろうか。
それはそれで、素敵な関係じゃないかしら。
ふう、と一息ついて、シルヴィスさまは口を開く。
「いよいよ、明日だな」
「はい」
「短かったような、長かったような、不思議な気分だ」
「わたくしもです」
魂が惹かれ合うように、私たちは待ち続けていた。
お互いに出会い、結ばれるときを。
「お待たせしました」
軽く頭を下げながらそう謝罪すると、シルヴィスさまはくつくつと喉の奥で笑う。
「本当に。ずいぶん待たされたな。三十九年だ」
私たちは見つめ合い、そして微笑む。
もう二人の間に、隔たりなどない。
私はテーブルの上に置いてあった『恋夢』に手を伸ばし、その表紙を撫でた。
読破したシルヴィスさまが私にくれたのだ。
ローザの物語がなければ、これを読んで待っているつもりで持って来ていたのだ。
呆れたようにシルヴィスさまが訊いてくる。
「また読んでいたのか?」
「何回読んでもいいものなんですよ」
「そういうものか?」
「はい」
私は『恋夢』に挟んであった栞を抜き、シルヴィスさまに向かって差し出した。
「見てください。栞です。作ったのです」
「ほう、自分で?」
感心したような声を出して、手元を覗き込んでくる。
「ああ、これは」
「はい」
山桜の押し花で作った、栞。
シルヴィスさまが私にくださった『恋夢』に、挟んで使っているのだ。
私の宝物がまた増えた。
こうしてひとつずつ、宝物は増えていくだろう。
シルヴィスさまと一緒なら。
先日、クリスティーネさまがこっそりと耳打ちしてくれた。女子会参加のお礼だそうだ。
「内緒ですよ? 教えて差し上げますわ」
子ども扱いというか、の続きを。
「子ども扱いというか、可愛くて仕方ないんですよ」
それを思い出して、私は口元を手で隠す。にやついてしまって仕方ない。
そんなふうに思ってくれているなんて。
だから私もクリスティーネさまに、フランツさまがずっと懸想していた可能性を教えた。
すると彼女は、顔を真っ赤にしたあと、柔らかく微笑んだ。
そして二人で、くすくすと笑い合ったのだ。
「どうかしたか?」
にやついている私を不審に思ったのか、シルヴィスさまは首を傾げる。
私は返事の代わりに、シルヴィスさまに向かって両腕を軽く広げて差し出した。
それを見た彼は、小さく苦笑する。
「やれやれ」
そう肩を落としたあと、席から立ち上がると、私のほうに歩み寄ってくる。
私は立ち上がって、それを待つ。
シルヴィスさまは私の腰を持って抱き上げて、自身の腕に座らせた。
こうして腕を広げるのは、抱き上げてほしい、の合図になったのだ。
「エレノアは、甘えたがりだな」
「いけませんか?」
「いや?」
彼は笑いながら小さく首を横に振る。
「いつもいつもだと困るが」
「時と場合はわきまえます」
「それはありがたい」
私はシルヴィスさまの頬に口づけを落とす。彼はそれに微笑む。
シルヴィスさまの首にぎゅっと抱きつくと、私は耳元に唇を寄せた。
「大好きです」
花がゆるやかな風に揺れている。本がぱらぱらとめくれている。温かな日差しが私たちを包む。
こうして私たちの恋物語は、幸せな風景とともに終わる。
そして。
これから新たな愛の物語が始まるのだ。
了
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