61. 泣きました
皆、私のために泣く。
可哀想、おいたわしいって泣く。
幼かった私は、それにつられるように泣いた。
すると皆、ますます泣いた。
だから私は泣いてはいけないのだ、と悟ったのだ。
彼らがなにもできないのは仕方のないことだというのも、年を重ねるにつれわかってきた。それは政治の話で、むしろ動いてはいけないこともあるのだと知った。
ままならないことは、世の中に溢れている。
でも、だからといって、私は泣いてばかりでは駄目なのだ。
「わたくしは王女です。わたくしが泣くと、国民も泣くんです」
泣いてもいないのに、心配されて泣かれたりもする。
それはいけない。
私は笑っていないといけない。
私は誰よりも幸せにならないといけないのだ。
前向きに、幸せに、それが国民の道しるべにもなる。
「わたくしは幸せにならないといけない」
だから私は努めて、なにごとも前向きに考えるようにした。
ほんの少しのことにだって、幸せを感じることはできる。
今日は晴れて気持ちがいい、とか。読んだ本が面白かった、とか。ドレスがとっても綺麗に仕上がった、とか。
そうして私が笑っているうち、周りも笑うようになってきた。
それを見るたび、ほら、私は可哀想なんかじゃない、と思えた。
彼らの王女は可哀想なんかじゃない、と思えた。
「わたくし、可哀想なんかじゃない。その二十三歳年上の男性と恋をすれば、それは幸せなことじゃないですか。ただきっかけが政略結婚だっただけで」
だからアダルベラスに入国する前から、シルヴィスさまに会う前から、まだ見ぬ婚約者に恋をしようと決めていたの。
その人と恋をして、幸せになって、皆に笑ってもらおうと決めていたの。
「まだ見も知らぬ婚約者でも、その人と恋をしたら、皆、きっと笑うから」
そうしたらシルヴィスさまは思いの外、素敵な人で。
私、本当に嬉しかったの。
「だからわたくしは、政略結婚でも恋がしたいって思っていたんです」
恋をする努力もないまま、本当に恋をしてしまうだなんて、思ってもみなかったけれど。
「幸せは拾うものだと思うし、作るものだと思います。なのにシルヴィスさまは、それをする前にわたくしから逃げたんです!」
会ってすぐ、素敵な人だと思ったとたんに偽装結婚を提案された。
それは好きになるきっかけではあったとはいえ、やっぱり悲しかった。
「もうわたくしから逃げないで! 大人のくせに!」
いつの間にか、私の頬を涙が伝っていた。
嫌だ、泣いてはいけないのに。
シルヴィスさまは悲し気に眉を曇らせて、こちらを見つめている。
私は一生懸命、手の甲で涙を拭った。
何年振りだろう、涙を流したのは。
「わっ、わたくしを、泣かせないで!」
喋るたび気持ちが昂って、涙が止まらなくなる。
それはどんどん頬を伝って、ぱたぱたと床に落ちた。
いけない、ずいぶん長い間涙を流していなかったからか、止め方がわからない。
するとシルヴィスさまは立ち上がって、こちらに歩み寄ってきた。
そして私の前で腕を広げると、その中にすっぽりと包み込む。
「すまなかった」
そう謝って、痛いくらいに私の身体をぎゅっと抱き締めてくる。
私は肩口に顔を押し付け、それで涙を拭いた。
シルヴィスさまは、苦しそうに私の耳元でささやいた。
「エレノアは、立派な大人だ。余よりも、遥かに」
私はその胸に、自分の体重を預ける。
頼もしくて。安心感があって。大きくて。そして、温かい。
いつまでもこうしていたい、と思うほどに心地よい。
「……余の侍女たちもエレノアに対して、お可哀想に、と言っていた」
ぽつりとシルヴィスさまが語り始める。
最初に偽装結婚なんて言い出した、その理由。
「しかしそのときは、偽装結婚のことを思いつきはしたが……、決心はしていなかった」
私はその話に顔を上げる。
シルヴィスさまは私のほうを見て、小さく微笑んだ。
私を抱き締めていた片方の腕を放して、私の頬を包むように手を当てると、親指で涙を拭いながら、続ける。
「仕方ない、これは政略結婚なのだから、年の差があろうともそれは納得しなければならないはずだ、王女ならばその覚悟はできているはずだ、と自分に言い聞かせた」
「……はい」
「だが、初めてそなたを見たとき、思ったのだ」
その告白を、シルヴィスさまは私を見つめながら口にする。
「このように若く美しく、希望に満ちた瞳をした女性を、輝かんばかりの笑顔をする女性を、余が閉じ込めてしまっていいものなのかと」
濃緑の瞳が私を覗き込んでいて、その瞳には私が映っている。
「余は、エレノアの隣に足る人物なのかと」
彼は自嘲的に口の端を上げる。
あのとき。謁見室で初めて会ったあのとき。そういえば、しばらく睨み合いのような格好になってしまったのだった。
様子がおかしいと思ったら。そんなことを考えていたんですか。なんというか、まったくもう。
「……シルヴィスさまは、いちいち悪いほうに考えすぎなのですわ」
「そうか。そうだな。余もエレノアを見習って、前向きに考えるとしよう」
シルヴィスさまは斜め上を見て少し考えるような素振りをしたあと、また私に視線を移して、言葉を発する。
「約束だったな」
「え?」
約束? と考えて、そして思い出す。
『お互いを知り、好意を寄せ合うようになった暁には、普通に結婚』。
それが私とシルヴィスさまが交わした約束。
「余の妃になってくれ、エレノア。偽装などではなく、ちゃんとした、本当の」
染み込むように、ゆっくりと、穏やかに、その言葉は私の胸の中に広がっていく。
「余の唯一の妃になってほしい。そして、恋をしよう」




